第59回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開「醍醐寺 三宝院」へ
1月21日(火)は、以前から決めていた第59回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開の醍醐寺 三宝院に行きました。
醍醐寺 三宝院には、2024年(令和6年)4月1日(月)に、見事な満開の桜を見に行きました。醍醐寺は桜の名所として有名で全国的に知られています。それで開門の1時間前から気合いを入れて並びました😊。その時は、三宝院の堂内に入っていません。堂内に入ったのは、2021年(令和3年)11月25日(木)と2022年(令和4年)3月9日(水)の2回入っています。
以前の醍醐寺 三宝院は、庭園を含めて撮影を禁止されていました。それが庭園の撮影を解禁され、後で述べますが、襖絵や障壁画の撮影も解禁されてて、以前のことを考えたら驚きでしたね。
地下鉄東西線醍醐駅を8時24分に着きました。予定しいたより随分早く着いてしまいました😊。地上には2番出入口を利用すると、こちらに出ます。そして写真前の道路が「京都外環状線」で、右に見えている階段を上がります。
階段を上がりきった所の東を向いて撮りました。これから東を向いてゆっくり、ゆっくり正面に朝陽を浴びながら歩いて行きます。

8時43分に醍醐寺の「総門」に着きました。ゆっくり歩きましたが、やっぱり早かったです😊。
総門前には「」京の冬の旅の看板が出てました。これから開門まで境内を散策します。

あとで内側から見る国宝の「唐門」です。ここは、いつでも見られます。
醍醐寺の有料エリアは「三宝院」と「下伽藍」です。その下伽藍の拝観入口のある「西大門」(重文)まで行ってみます。

1605年(慶長10年)建立の「仁王門(西大門)」(重文)には、1134年(長承3年)平安時代の「金剛力士像(重文)」が睨みを効かせています。
その仁王門を南に下がってみました。この先に「上醍醐」への入口があります。久しく行ってないけど、今日は行きません。

8時55分に、再び三宝院まで戻って来ました。ここで開門まで待つことにします。

9時ちょうどに開門されました。拝観料は三宝院のみで600円です。以前は「三宝院」と「下伽藍」の共通券しか無かったのに・・・?。
あれれ・・・この門が閉まってます。ここが三宝院の通常拝観コースだったのに?。開けるのを忘れてるのかなぁ?。
今日は「京の冬の旅」で来たので、こちらに入るつもりでしたが、疑問をいだいたまま重要文化財に指定されている「大玄関」から上がります。
玄関から靴を脱いで上がると、2021年(令和3年)11月25日(木)と2022年(令和4年)3月9日(水)では、特別拝観の受付があったのに、ありません。そこで聞くと、「奥に行って貰ったら受付があります」と。それで奥に進んで行ったですが、ここを出る時に、写真撮影について聞いてみると「仏像以外は襖絵や障壁画を撮って貰っても良いです」と。私は、もう一度戻って写真を取り直した次第です。以前の醍醐寺は、庭園も撮影禁止だったのに、随分変わりましたね😊。


先ず「大玄関」から。正面の部屋は「富嶽の間」が、綺麗な生け花を見られました。襖絵は富士山が描いてあります。
そのお隣が「日・月・海の間」です。ここの襖絵は、1998年(平成10年)三宝院の庭園400周年を記念して、1997年(平成9年)に現代風景画家である浜田泰介によって描かれました。
毎年2月23日に行われる五大力尊仁王会は「五大力さん」として親しまれ、不動明王などの五大明王の力を授かり、国の平和や国民の幸福を願う行事。 金堂前では餅上げ力奉納が行われます。その巨大な餅がありました。


こちらは「小玄関」です。多分、団体さん専用の入り口なんでしょう。知らんけど😊。こちらで、「高王十句観音経」の写経ができるようです。随時受付で、約15分程度だそうです。

重要文化財の「葵の間」です。葵祭は、祇園祭、時代祭と並ぶ京都三大祭のひとつです。襖絵には下鴨神社から上賀茂神社へ向かって行列している葵祭の様子が描かれています。
「葵の間」を見て、奥に進みます。


過去2度入っているので、要領は分かっています。順路にしたがって奥に進みます。

以前の三宝院は、ここが拝観コースでした。先程、見た「唐門」(国宝)を内側から見ています。


こちらは「勅使之間」(重文)です。ここの襖絵は「竹林花鳥図」です。桃山時代の作品で、長谷川等伯一派の作といわれています。

そのお隣が「秋草の間」です。襖絵には秋の七草が点在する広々とした風景が描かれています。
次が三宝院の国宝「表書院」です。驚いたことに、ここも撮影OKとなってました。

表書院の庭園西側に突き出た建物は「泉殿」です。泉殿から見た表書院を撮りました。ご覧のように庭園に面して建っています。縁側には勾欄をめぐらしてあります。
「表書院」(国宝)に入りました。聞いてましたが、撮影OKと書いてあります。SNSにアップしてとも書いてありました。
表書院は「下段の間」が27畳、「中段の間」が18畳、「上段の間」が15畳もあります。「下段の間」は「揚舞台の間」ともいい、畳を揚げると能舞台となります。「中段の間」「上段の間」は「揚舞台の間」から一段高く、能楽や狂言を見下ろせる造りとなっています。「上段・中段の間」の襖絵は長谷川等伯一派が、「四季の柳や「山野の風景」を、「下段の間」は石田幽汀が「孔雀と蘇鉄」を描かれています。




「下段の間」の襖絵は石田幽汀(いしだ ゆうてい)の作で、孔雀と蘇鉄が描かれています。



「上段の間」の襖絵は四季の柳を主題としています。「中段の間」の襖絵は山野の風景を描いており、「上段・中段の間」は、長谷川等伯一派の作といわれています。
この柵から「表書院」を見ています。ここまで三宝院の通常拝観となります。この柵から特別公開となって別途500円が必要です。
この「京の冬の旅」の期間中(3月18日まで)は、この先にある「純浄観」(重文)の前に受付がありました。通常の特別拝観は500円ですが、「京の冬の旅」期間中は800円でした。そしてスタンプラリーの印を押して貰い3個貯まりました。
「天龍寺 祥雲閣・甘雨亭」「龍安寺 仏殿・西の庭」「醍醐寺 三宝院」で貯めました。
「純浄観」(重文)に上がり、庭園を見ています。ここから先はガイドさんが案内してくれます。その前に国の特別史跡・特別名勝に指定されている庭園を見ます。
手前に「亀島」、そして亀島から池泉南岸に架かる苔生した「土橋」。亀島には樹齢500年以上と言われる五葉松(姫小松)が亀島を覆っている。

ここで注目するのは「藤戸石」です。織田信長は、この名石を綾錦で覆い、笛や太鼓のお囃子に4000人の行列の先頭にたって二条御所に運び入れたと伝わります。
「天下を治める者が所有する石」として室町時代から歴代の権力者によって引き継がれてきた「天下の名石」と言われいます。豊臣秀吉の命により「醍醐の花見」のあと聚楽第より運び込まれ「主人石」として庭の中心に据えられた、これらの石は、阿弥陀三尊を表しています。

この先に非公開り茶室「枕流亭」が見えます。その右側、庭園の東南隅にには「三段の滝」も見えます。
茶室の出入り口は「躙り口」が一般的ですが、枕流亭は「貴人口」なので、かがまずに出入りすることができます。内部は3部屋に分かれ、南側から上段・中段・水屋の間となってるみたいです。柱には棕櫚や栗などの珍しい木が使われていと由緒書きはありました。
次に「本堂(弥勒堂)」に向かいます。通常は非公開ですが、今日は快慶作の優美な弥勒菩薩坐像(重文)を安置するに外陣(げじん)まで入って拝観ができました。
本尊が快慶作の「弥勒菩薩坐像」であるため、別名「弥勒堂」と言われてます。脇仏として向かって右に「宗祖弘法大師」、左に開祖「理源大師」が安置されています。本堂の裏に護摩壇があり、「護摩堂」とも呼ばれています。



「本堂」と茅葺き屋根の「純浄観」の間に、明治から大正にかけて作庭された庭園がありました。白砂に瓢箪や盃をかたどった苔を配置し、太閤秀吉の醍醐の花見を想像される酒づくしの庭となっています。


本堂から次に奥書院に向かう前に、本堂の北側に行ってみます。
奥に「五社明神社」、そして手前に「拝殿」があります。五社明神社については、由緒書に書いて無かったので、詳細は分かりません。
さらに「聖天堂」がありますが、こちらも由緒に書いて無かったので、詳細は不明です。


本堂から渡り廊下を通って「奥宸殿」(重文)に向かいます。ここも通常非公開ですが、今回は江戸時代に造られた四畳半の茶室「松月亭(しょうげつてい)」が公開されたので、先ずは見に行きます。
残念ながら茶室内の撮影は禁止されてました。正直ガッカリです😢。
それでパンフの写真を使いました。狭い茶室内でガイドさんの話しを聞くことに。
奥宸殿の東北側に、茶室「松月亭」があります。この茶室は、江戸末期に作られたとされ、四畳半で、東に丸窓が有るのが特徴です。南側に竹の縁、躙り口があり、屋根は切妻柿葦の造りです。


茶室内から外を見ています。かつては、舟で茶室に来られたとガイドさんから聞きました。

茶室内が撮れないので、外観はたっぷり撮っておきました。次は「奥宸殿」に入ります。ここは以前と同様に撮影禁止でした。
「奥宸殿」(重文)は、江戸初期の建てられ、座主の居住空間でした。間取りは田の字型をしています。今日は、ここに寺宝の展示がありました。
主室の上座の間は、床棚書院及び、帳台構(通称:武者隠し)を備えています。棚は、「醍醐棚」と呼ばれる有名な違い棚で、修学院離宮の「霞棚」、桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」と称されています。
豊臣秀吉から贈られた「金の天目茶碗と金の天目台」が寺宝でした。純金製ではなく、木製に金を流して作られたそうです。派手好きの秀吉らしいと思いました。

奥宸殿から座ったら、向こうに「藤戸石」が見えるそうです。座ってないので見えてませんが。
奥宸殿を出て、表書院に戻る途中、左手に「純浄観」(重文)が見えます。もう一度見たら良かったと、帰ってから後悔してます😢。





9時30分に「大玄関」から出て行きました。


2024年(令和6年)4月1日(月)に、見事な満開の枝垂れ桜を見ました。桜はまだまだですが、今年も大勢の観光客が押し寄せるでしょう。

9時32分に「総門」を出ました。ここから地下鉄醍醐駅まで歩いて向かいます。

9時45分に地下鉄東西線醍醐駅2番入口に着きました。
醍醐駅のホームに来たら直ぐに電車が来ました。9時48分に乗って30分もかかる太秦天神川駅に向かいました。10時18分に着いて、そこから妻が車に迎えにきて、病院に行き見舞ったあと帰りました。
醍醐寺 三宝院には、2024年(令和6年)4月1日(月)に、見事な満開の桜を見に行きました。醍醐寺は桜の名所として有名で全国的に知られています。それで開門の1時間前から気合いを入れて並びました😊。その時は、三宝院の堂内に入っていません。堂内に入ったのは、2021年(令和3年)11月25日(木)と2022年(令和4年)3月9日(水)の2回入っています。
以前の醍醐寺 三宝院は、庭園を含めて撮影を禁止されていました。それが庭園の撮影を解禁され、後で述べますが、襖絵や障壁画の撮影も解禁されてて、以前のことを考えたら驚きでしたね。

















玄関から靴を脱いで上がると、2021年(令和3年)11月25日(木)と2022年(令和4年)3月9日(水)では、特別拝観の受付があったのに、ありません。そこで聞くと、「奥に行って貰ったら受付があります」と。それで奥に進んで行ったですが、ここを出る時に、写真撮影について聞いてみると「仏像以外は襖絵や障壁画を撮って貰っても良いです」と。私は、もう一度戻って写真を取り直した次第です。以前の醍醐寺は、庭園も撮影禁止だったのに、随分変わりましたね😊。




毎年2月23日に行われる五大力尊仁王会は「五大力さん」として親しまれ、不動明王などの五大明王の力を授かり、国の平和や国民の幸福を願う行事。 金堂前では餅上げ力奉納が行われます。その巨大な餅がありました。




















表書院は「下段の間」が27畳、「中段の間」が18畳、「上段の間」が15畳もあります。「下段の間」は「揚舞台の間」ともいい、畳を揚げると能舞台となります。「中段の間」「上段の間」は「揚舞台の間」から一段高く、能楽や狂言を見下ろせる造りとなっています。「上段・中段の間」の襖絵は長谷川等伯一派が、「四季の柳や「山野の風景」を、「下段の間」は石田幽汀が「孔雀と蘇鉄」を描かれています。










この「京の冬の旅」の期間中(3月18日まで)は、この先にある「純浄観」(重文)の前に受付がありました。通常の特別拝観は500円ですが、「京の冬の旅」期間中は800円でした。そしてスタンプラリーの印を押して貰い3個貯まりました。
「天龍寺 祥雲閣・甘雨亭」「龍安寺 仏殿・西の庭」「醍醐寺 三宝院」で貯めました。




「天下を治める者が所有する石」として室町時代から歴代の権力者によって引き継がれてきた「天下の名石」と言われいます。豊臣秀吉の命により「醍醐の花見」のあと聚楽第より運び込まれ「主人石」として庭の中心に据えられた、これらの石は、阿弥陀三尊を表しています。


茶室の出入り口は「躙り口」が一般的ですが、枕流亭は「貴人口」なので、かがまずに出入りすることができます。内部は3部屋に分かれ、南側から上段・中段・水屋の間となってるみたいです。柱には棕櫚や栗などの珍しい木が使われていと由緒書きはありました。

本尊が快慶作の「弥勒菩薩坐像」であるため、別名「弥勒堂」と言われてます。脇仏として向かって右に「宗祖弘法大師」、左に開祖「理源大師」が安置されています。本堂の裏に護摩壇があり、「護摩堂」とも呼ばれています。














奥宸殿の東北側に、茶室「松月亭」があります。この茶室は、江戸末期に作られたとされ、四畳半で、東に丸窓が有るのが特徴です。南側に竹の縁、躙り口があり、屋根は切妻柿葦の造りです。






主室の上座の間は、床棚書院及び、帳台構(通称:武者隠し)を備えています。棚は、「醍醐棚」と呼ばれる有名な違い棚で、修学院離宮の「霞棚」、桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」と称されています。
豊臣秀吉から贈られた「金の天目茶碗と金の天目台」が寺宝でした。純金製ではなく、木製に金を流して作られたそうです。派手好きの秀吉らしいと思いました。
















醍醐駅のホームに来たら直ぐに電車が来ました。9時48分に乗って30分もかかる太秦天神川駅に向かいました。10時18分に着いて、そこから妻が車に迎えにきて、病院に行き見舞ったあと帰りました。
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