世界文化遺産 元離宮二条城 本丸御殿参観へ
1月28日(火)の朝は、曇っていたことで最低気温は4.7℃と、少し高め。ただ家を出ると冷たい西風が強くて、体感は寒かったです。この日は、当初から世界文化遺産 元離宮二条城 本丸御殿の参観を予約してました。
2024年(令和6年)9月1日(日)から18年振りの公開が始まった本丸御殿御常御殿の各部屋は、障壁画の原画保護のために時期を分けて公開され、2024年(令和6年)9月1日~11月17日までは、「松鶴の間」「雉子の間」「御納戸」が公開され、2024年(令和6年)10月15日(火)と2024年(令和6年)10月29日(火)に行きました。また、2024年(令和6年)11月20日~2025年(令和7年)3月16日までは「四季草花の間」「耕作の間」「萩の間」「御化粧の間」の公開となり、合わせて見るとコンプリートできるので、この日に予約して来て見たわけです😊。
いつものように、地下鉄東西線二条城前から元離宮二条城に向かいます。朝は曇ってましたが、陽が昇るにつれ晴れて来ました。写真は重要文化財に指定されている「東南隅櫓」です。

このとき、8時42分。スタッフの方が「東大手門」内で開城の準備をされています。
今日は開門前の8時43分に着きました。今日は火曜日で、国宝「二の丸御殿」は観覧休止日です。それで、いつもより行列は少ないように思いました。そして8時45分に開城され、これから登城します。
開城され、いち早く重要文化財に指定されている「東大手門」をくぐります。


絢爛豪華な重要文化財の「唐門」をくぐります。
ご覧のように国宝「二の丸御殿」は観覧休止日のため閉まっています。
8時47分に特別名勝「二の丸庭園」に入ります。


冬枯れの芝生が広がる「二の丸庭園」。今日は御殿が観覧休止日のため、多くの方が開城後に来られるでしょうね。







振り返って写真を撮ろうと思いましたが、やっぱり後続の方が来られてました。いつもなら当分は来られないですけど😊。

二の丸を出て、次に本丸に入ります。


本丸には「東橋」を渡って、「本丸櫓門」をくぐります。ここは2階建てになっていて「2階廊下」は昭和に入るまで残っていたそうです。ただその部材はまだ残っており、今後の復元が計画されています。

本来なら芝生が綺麗な「本丸庭園」なんですが、今は冬枯れです。


「本丸御殿」の外観です。あとで殿内を参観させて貰います。




8時54分に天守台の下までやって来ました。


8時55分に天守台に上がりました。当然なんですけど、誰も居ません。ただ、後ろから直ぐに数名上がって来られました。
手前に本丸御殿、遠くに比叡山を望んでいます。

いつもなら、ここの床几で座りたいところ、霜で濡れているので無理です。
東の方向です。内堀と東山三十六峰を望んでいます。
方向です。こちらには何も無いので遠目から。
重要文化財に指定してされている西南隅櫓です。
あとで渡る「西橋」の方向です。
8時58分に天守台を降りることに。床几が濡れているから仕方ないのと、数名上がって来られたので。


8時59分に「本丸庭園」を出ました。


本丸御殿の玄関です。9時では誰も並んでいません。ここは9時30分しか開きません。あと30分、何処かで休憩します。



「西橋」を渡って、本丸を出ました。

重要文化財に指定されている「土蔵(米蔵)」まで来ました。1626年(寛永3年)頃の建築。二条城内には土蔵が3棟残っています。
重要文化財に指定されている「西南隅櫓」です。今日は、ここまでで引き返します。


西橋近くにある休憩所で待つことにしました。本丸御殿にはトイレが無いので、当然済ませておきます。



9時23分に本丸御殿の玄関前に着くと、誰も並んでいません。それで先頭になってしまいました。
ここは9時30分にしか開きません。入ってもビデオ見るので先頭の意味が無いんですが、事前予約制のため予約した人が少なかったのかも知れません。あとで聞くと15名定員で、私を含め9名でした。

9時30分に開いて、先ずは鞄と靴を下駄箱に入れます。そしてビデオなんですけど。
ビデオも3回目。内容も同じ。それで廊下に座って待つことにしました。「ビデオを見ないで先に見せて欲しい」と言ったですが、それは不可でした。皆さんがビデオを見終わってから、私も室内を見て回ることになりました。
今回違うのは御常御殿だけです。後書院は同じです。「三の間」から「二の間」、「一の間」と見て行きますが、過去2回と同じです。そして、御常御殿に移動です。今回(11月20日~3月16日)は、「四季草花の間」「耕作の間」「萩の間」が公開です。
最初は「耕作の間」を見学です。ここの襖絵は中島華陽(岸派)で、障壁画の西面に田起こしと浸種、南面に夏の田植え、東面に秋の収穫の風景を描いてあります。稲作と農村の様子を描いたのは、権力者が民の様子を知り、自ら戒めるために製作されたとか。
次が「四季草花の間」です。こちらの襖絵は中島来章(円山派)。移築後は、皇太子等の食事の部屋としても使われた部屋だそうです。障壁画は、南面にタンポポや菜の花などの春の花、菖蒲や河骨などの夏の花、東面には薄(すすき)や蜀葵(たちあおい)、菊や竜胆(りんどう)などの秋の花、北面には石蕗(つわぶき)、寒菊(かんきく)、水仙などの冬の花を描いてて、部屋全体が四季の花に囲まれます。
次の「松鶴の間」(狩野永岳)、「雉の間」(長野祐親)、「御納戸」は、聞いていたとおり閉まってました。そして最後に「萩の間」で、襖絵の作者は八木奇峰(やぎきほう)(四条派)です。御殿の主のそば近くに仕えた人が使用したと考えられています。障壁画は満開を迎えた萩の花が部屋全体に描かれ、清楚ながら華やいだ空間となっています。
御常御殿は、ここまで。再び御書院に戻って、「夏の間」と「春の間」、「冬の間」と「秋の間」は過去2回と同じ。そして次に「御書院 雲鶴の間」に移動します。「四季の間」の向かいにありました。「雲鶴一の間」、「雲鶴二の間」、「雲鶴三の間」も過去2回と同じ。
「杉戸絵」も見ましたが前回と同じ、「花車」が展示されてました。1852年(嘉永4年)八木寺峰作と書いてありました。
前回と同様に台所は非公開でした。「雁の間」も過去2回と同じです。襖絵は「雁図」中島来章(円山派)筆とありました。そして玄関に戻って終わりです。

9時54分に本丸御殿を出て行きました。今日は、ここから何処も寄らず二条城を出て行きます。

9時57分に本丸を出て「東橋」を渡ります。ここから最短で行ける二の丸庭園を通り抜けます。



二の丸庭園を通って10時に「唐門」(重文)まで来ました。


10時2分に「東大手門」(重文)から元離宮二条城を出ました。この時間になると、かなり城内は混雑してました。二の丸御殿が観覧休止日なんですけど。
ここから急いで太秦天神川まで戻り、病院に見舞ったわけです。今週中には転院の話しもあるので、その説明も聞きたかったから。何故か入院が30日過ぎると転院の話しが出てくるのは?。
2024年(令和6年)9月1日(日)から18年振りの公開が始まった本丸御殿御常御殿の各部屋は、障壁画の原画保護のために時期を分けて公開され、2024年(令和6年)9月1日~11月17日までは、「松鶴の間」「雉子の間」「御納戸」が公開され、2024年(令和6年)10月15日(火)と2024年(令和6年)10月29日(火)に行きました。また、2024年(令和6年)11月20日~2025年(令和7年)3月16日までは「四季草花の間」「耕作の間」「萩の間」「御化粧の間」の公開となり、合わせて見るとコンプリートできるので、この日に予約して来て見たわけです😊。



今日は開門前の8時43分に着きました。今日は火曜日で、国宝「二の丸御殿」は観覧休止日です。それで、いつもより行列は少ないように思いました。そして8時45分に開城され、これから登城します。































































ここは9時30分にしか開きません。入ってもビデオ見るので先頭の意味が無いんですが、事前予約制のため予約した人が少なかったのかも知れません。あとで聞くと15名定員で、私を含め9名でした。


ビデオも3回目。内容も同じ。それで廊下に座って待つことにしました。「ビデオを見ないで先に見せて欲しい」と言ったですが、それは不可でした。皆さんがビデオを見終わってから、私も室内を見て回ることになりました。
今回違うのは御常御殿だけです。後書院は同じです。「三の間」から「二の間」、「一の間」と見て行きますが、過去2回と同じです。そして、御常御殿に移動です。今回(11月20日~3月16日)は、「四季草花の間」「耕作の間」「萩の間」が公開です。
最初は「耕作の間」を見学です。ここの襖絵は中島華陽(岸派)で、障壁画の西面に田起こしと浸種、南面に夏の田植え、東面に秋の収穫の風景を描いてあります。稲作と農村の様子を描いたのは、権力者が民の様子を知り、自ら戒めるために製作されたとか。
次が「四季草花の間」です。こちらの襖絵は中島来章(円山派)。移築後は、皇太子等の食事の部屋としても使われた部屋だそうです。障壁画は、南面にタンポポや菜の花などの春の花、菖蒲や河骨などの夏の花、東面には薄(すすき)や蜀葵(たちあおい)、菊や竜胆(りんどう)などの秋の花、北面には石蕗(つわぶき)、寒菊(かんきく)、水仙などの冬の花を描いてて、部屋全体が四季の花に囲まれます。
次の「松鶴の間」(狩野永岳)、「雉の間」(長野祐親)、「御納戸」は、聞いていたとおり閉まってました。そして最後に「萩の間」で、襖絵の作者は八木奇峰(やぎきほう)(四条派)です。御殿の主のそば近くに仕えた人が使用したと考えられています。障壁画は満開を迎えた萩の花が部屋全体に描かれ、清楚ながら華やいだ空間となっています。
御常御殿は、ここまで。再び御書院に戻って、「夏の間」と「春の間」、「冬の間」と「秋の間」は過去2回と同じ。そして次に「御書院 雲鶴の間」に移動します。「四季の間」の向かいにありました。「雲鶴一の間」、「雲鶴二の間」、「雲鶴三の間」も過去2回と同じ。
「杉戸絵」も見ましたが前回と同じ、「花車」が展示されてました。1852年(嘉永4年)八木寺峰作と書いてありました。
前回と同様に台所は非公開でした。「雁の間」も過去2回と同じです。襖絵は「雁図」中島来章(円山派)筆とありました。そして玄関に戻って終わりです。











ここから急いで太秦天神川まで戻り、病院に見舞ったわけです。今週中には転院の話しもあるので、その説明も聞きたかったから。何故か入院が30日過ぎると転院の話しが出てくるのは?。
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