妙心寺塔頭 東林院「小豆粥で初春を祝う会」へ
1月30日(木)の朝は冷え込みました。最低気温0.9℃、しかも小雪が舞っています。見たところ積もる心配は皆無でしたが、風も強くてマフラーに手袋は必須。今日も、見舞いのため先に病院に行き、そのあと車で向かったのが、妙心寺塔頭 東林院です。通常非公開ですが、毎年1月15日~31日は「小豆粥で初春を祝う会」をされてて、私は2012年(平成24年)1月17日(火)に一度だけ行ってました。
10時57分に「妙心寺第一駐車場」に車を停めました。朝から小雪が舞ってましたが、まだ降っています。

駐車場を出て、北向きに歩いて行くと「妙心寺 玉鳳院」があって、そこには東林院への道標が出ています。
妙心寺 玉鳳院の向かいにも道標&ポスターもあって初めて来られて方も、迷うことなく行けるでしょう。

次に東に向いて歩いて行きます。その突き当たりにもポスターが貼ってあります。


11時2分に「山門」前に着きました。11時開門のため、既に何組かは入られているでしょう。

ここに来るのは、2022年(令和4年)6月28日(火)の「沙羅の花を愛でる会」以来です。
東林院(沙羅双樹の寺)は、)妙心寺派大本山妙心寺の山内東側にある塔頭寺院。 室町時代の1531年(亨禄4年)、室町幕府の最後の管領細川氏綱(ほそかわうじつな)が、養父細川高国(ほそかわ たかくに)の菩提を弔うために建立し後に、戦国武将で連歌の第一人舎と言われ豊臣秀吉、さらに徳川家康に重臣とされた山名豊国(やまなとよくに)が妙心寺第五十一世直指宗鍔(じきしそうがく)和尚を開祖として1558年(弘治2年)に再建された。本堂前庭には十数本の沙羅双樹(夏椿)からなる「沙羅林」があることから通称「沙羅双樹の寺」と呼ばれてて、古来より歌人茶人に諸行無常を感じさせると称され花を咲かせる梅雨の季節に「沙羅の花を愛でる会」が催しされる。書院庭園は沙羅の世界に対する蓬莱の世界を現し水琴窟の音が禅味を醸し出して秋には「梵燈」による夜間特別拝観「梵燈のあかりに親しむ会」が開かれる。槇の木に松が宿った「飛龍の松」がある中庭は「千両の庭」で赤や黄の実をつける正月には「小豆粥で初春を祝う会」が行われる。また東林院には精進料理が禅の修行の一つとして代々伝えられていて住職指導により「料理教室」も開かれ精進ランチも賞味できる。

山門を入って「玄関」に向かいます。下駄箱を見ると靴が少ないので、そんなに居ないのかなぁ?。
靴を脱いで障子を開けると、拝観受付所がありました。料金は2012年(平成24年)1月17日(火)は3700円でしたが、今日は3900円でした。
以前、御朱印はいただいてましたが、今日は朱印帳を持参してきたので、いただくことにしました。帰りに朱印帳は受取ます。
入ると先ずは「本堂」に通されます。先客は3組6人でした。

座ると直ぐに「福茶」と「祝菓子」が運ばれて来ました。私の所からは「沙羅双樹の庭」がよく見えました。
「福茶」(元旦に若水で点てた茶に梅干し、昆布、山椒などを入れ、家族でいただくと一年中の邪鬼を祓い万病を除くと伝わる)。
「茶礼」(禅寺では和合のため一堂に会して茶菓をいただくことを茶礼という)。「梅湯」(梅干しに湯をそそいだもの)。「梅干し」(長寿を表す)。
「祝菓子」
「松の雪」(主菓子、小倉あん、小豆きんとん製)。「結び笹」(干菓子、和三盆製、松と共に縁起物)。「昆布」(広布と書き、広くなるという意で現代の喜びに通じるもの)。「柿」(万物をかきあつめるという目出度い意)。「豆」(厄払いの意、マメであることに感謝し健康に暮らせるよう)。「くわい」(良い芽がでるように)。「みかん」(代々栄えるの意)。
生菓子は「千寿せんべい」が有名な鼓月さんの。大変美味しかったです。食事前に、これでけ甘い物を食べて次が食べられるか心配になりますね😊。

次の食事までの時間があったので、仏間でお参りしました。ご本尊は「観世音菩薩」です。そして「大般若札」は、ここにあったので家族の分もいただいて帰りました。
大般若札は、大本山妙心寺の仏殿にて三が日の間、本山塔頭の和尚方総出で六〇〇巻の大般若経を転読し、国土安穏御、五穀豊穣、家門繁栄、交通安全などの祈祷させていただいたお札を般若札と言います。



11時20分頃になると最初の人から呼ばれました。最初に入った私を含め4組が呼ばれ書院に向かったわけです。
「水琴窟(一壺天)」を案内され、「書院」に入りました。私は膝が悪いので、最初に椅子を用意をお願いしてて、その通りにして貰いました。水琴窟は帰りに見てみます。
ここには、2021年(令和3年)10月20日(水)の「梵燈のあかりに親しむ会」で、一度だけ入ったことがあります。2012年(平成24年)1月17日(火)では、別の部屋でしたね。

座った時のお膳は、このようなものでした。あとで、お粥と大根を持ってくるとか。


これで全て揃ったので食べようとしたら、すっかり忘れてました、儀式があったのを・・・?。
食事の前に「さばの儀式」があります。食事の前に「さば」(生飯・施食)を分かち合い、庭の木々などに備え、小鳥や小動物に施すということで、私はも少量のお粥を入れました。
美味しかったので、一粒残さずいただきました。そして11時40分に「書院」を出て行くことにしました。



書院の入口にある「水琴窟(一壺天)」です。今日は寒いので、この時間でも小雪が舞っています。写真は写ってませんが。
こちらは書院前の「蓬莱の庭」です。「沙羅の花を愛でる会」でも精進料理を注文しないと見られません。

東林院では宿坊をされているので、2012年(平成24年)1月17日(火)に入った部屋に入れなかったのは、そのためでしょうか?。
この日、もう一つ楽しみにしていた「千両の庭」です。向こうに写っているのはお風呂です。





この「千両の庭」の入口に張り紙があって、昨年夏は連日の猛暑の影響で、今年は実の付きが大変悪く、ご覧のように赤や黄色の実が付いてません。
飛龍の宿り木は、樹齢推定300年の槇に1966年(昭和41年)とりよって運ばれた靴松の種子が自生したもの。真っ直ぐに成長する槇が龍の角を水平に幹を伸ばす松が、その胴体を思わせ、さながら飛龍の趣である。


本堂に戻ると数組の方が座ってました。私は「沙羅双樹の庭」を見て回ります。



このあと人も増えて来たので、ここを出て行くことに。その前に受付で御朱印を受け取りました。ここでは御朱印500円でした。
11時54分に玄関から外に出ました。今朝は冷え込んだので、氷張ってますね。



この歌碑「佛さんへ 身まかりませし花の色 見ていま沙羅に おもえ諸人」山田無文老大師(臨済宗妙心寺派管長)のものでした。


11時55分に「山門」から出ました。
今日は、ここだけで何処も寄らず帰りました。











東林院(沙羅双樹の寺)は、)妙心寺派大本山妙心寺の山内東側にある塔頭寺院。 室町時代の1531年(亨禄4年)、室町幕府の最後の管領細川氏綱(ほそかわうじつな)が、養父細川高国(ほそかわ たかくに)の菩提を弔うために建立し後に、戦国武将で連歌の第一人舎と言われ豊臣秀吉、さらに徳川家康に重臣とされた山名豊国(やまなとよくに)が妙心寺第五十一世直指宗鍔(じきしそうがく)和尚を開祖として1558年(弘治2年)に再建された。本堂前庭には十数本の沙羅双樹(夏椿)からなる「沙羅林」があることから通称「沙羅双樹の寺」と呼ばれてて、古来より歌人茶人に諸行無常を感じさせると称され花を咲かせる梅雨の季節に「沙羅の花を愛でる会」が催しされる。書院庭園は沙羅の世界に対する蓬莱の世界を現し水琴窟の音が禅味を醸し出して秋には「梵燈」による夜間特別拝観「梵燈のあかりに親しむ会」が開かれる。槇の木に松が宿った「飛龍の松」がある中庭は「千両の庭」で赤や黄の実をつける正月には「小豆粥で初春を祝う会」が行われる。また東林院には精進料理が禅の修行の一つとして代々伝えられていて住職指導により「料理教室」も開かれ精進ランチも賞味できる。



以前、御朱印はいただいてましたが、今日は朱印帳を持参してきたので、いただくことにしました。帰りに朱印帳は受取ます。



「福茶」(元旦に若水で点てた茶に梅干し、昆布、山椒などを入れ、家族でいただくと一年中の邪鬼を祓い万病を除くと伝わる)。
「茶礼」(禅寺では和合のため一堂に会して茶菓をいただくことを茶礼という)。「梅湯」(梅干しに湯をそそいだもの)。「梅干し」(長寿を表す)。
「祝菓子」
「松の雪」(主菓子、小倉あん、小豆きんとん製)。「結び笹」(干菓子、和三盆製、松と共に縁起物)。「昆布」(広布と書き、広くなるという意で現代の喜びに通じるもの)。「柿」(万物をかきあつめるという目出度い意)。「豆」(厄払いの意、マメであることに感謝し健康に暮らせるよう)。「くわい」(良い芽がでるように)。「みかん」(代々栄えるの意)。
生菓子は「千寿せんべい」が有名な鼓月さんの。大変美味しかったです。食事前に、これでけ甘い物を食べて次が食べられるか心配になりますね😊。


大般若札は、大本山妙心寺の仏殿にて三が日の間、本山塔頭の和尚方総出で六〇〇巻の大般若経を転読し、国土安穏御、五穀豊穣、家門繁栄、交通安全などの祈祷させていただいたお札を般若札と言います。





ここには、2021年(令和3年)10月20日(水)の「梵燈のあかりに親しむ会」で、一度だけ入ったことがあります。2012年(平成24年)1月17日(火)では、別の部屋でしたね。





食事の前に「さばの儀式」があります。食事の前に「さば」(生飯・施食)を分かち合い、庭の木々などに備え、小鳥や小動物に施すということで、私はも少量のお粥を入れました。
美味しかったので、一粒残さずいただきました。そして11時40分に「書院」を出て行くことにしました。














飛龍の宿り木は、樹齢推定300年の槇に1966年(昭和41年)とりよって運ばれた靴松の種子が自生したもの。真っ直ぐに成長する槇が龍の角を水平に幹を伸ばす松が、その胴体を思わせ、さながら飛龍の趣である。















今日は、ここだけで何処も寄らず帰りました。
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