第59回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開「頂法寺(六角堂)」へ
金閣寺を出て、近くの和食レストランで食事を済ませたあと、病院に向かいましたが、まだ面会時間に早かったので、近くのコインパーキングにとめ向かったのが、第59回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開「頂法寺(六角堂)」でした。
頂法寺(六角堂)のご本尊の公開には、2016年(平成28年)11月11日(金)「西国三十三所草創1300年 特別拝観」で見ているので、当初は予定してませんでしたが、頂法寺(六角堂)の近くまで来たので寄って見たわけです。

12時19分に「山門」前に着きました。金閣寺では晴天でしたが、寒気の影響で俄に曇ってきてさ寒さが堪えます。
紫雲山頂法寺と号する寺で、本堂が六角宝形造であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。開基は聖徳太子。587年(用明天皇2年)淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子は、四天王寺建立の用材を求めて京都盆地に来て、この地に湧く泉で身を清めようと、念持仏と脱いだ衣服を木に掛けたところ、念持仏が枝から動かなくなってしまった。その夜、観音様の霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。その時の念持仏が現在のご本尊、高さ5.5㌢の如意輪観音菩薩像である。六角堂は、早くから人々の崇敬を受け、822年(弘仁13年)には嵯峨天皇(第52代天皇)の勅願所となり、また996年(長徳2年)には花山法皇の御幸があり、西国33箇所観音霊場(現18番の札所)となったと伝えられる。1201年(建仁元年)親鸞聖人が当寺に100箇日間参籠して霊告を受け、後に真宗を開宗する根源となった。1877年(明治10年)に再建された本堂には、聖徳太子の持仏と伝える本尊如意輪観音菩薩像、親鸞像、毘沙門天立像(重文)などを安置する。本堂前の六角形の礎石は臍石といい、古来、京都の中心に当たるとされてきた。また、本堂北の本坊は池坊と呼ばれ、室町時代以降、多くのいけ花の名手を輩出した所で、華道発祥の地として有名である。現在も池坊華道の拠点となっている。

「山門」を入って正面には前途した1877年(明治10年)に再建された「本堂」がありますが、先ずは拝観受付所へ。
山門を入って左手(西側)に臨時の拝観受付所がありました。拝観料は800円。まだ無料券を1枚持ってましたが、想定外で来たので今日持って来てません。

「本堂」の西側から靴を袋に入れて入って、東側に出てくるコースです。堂内に入るのは前途した2016年(平成28年)11月11日(金)以来です。
入るとガイドさんより、ご本尊(聖徳太子の念持仏と伝わる如意輪観世音菩薩像)は秘仏のため厨子の中との説明を受けました。この特別公開ではご本尊は見られないということ。普段は見られない本尊お前立の建礼門院徳子が寄進したと伝わる「如意輪観音像」があって、その奥の厨子にご本尊が祀られているとか。通常は本堂の宮殿内に納められている秘仏だそうで、貴重なものを見せて貰いました。
本堂内を見てから外に出て撮った1枚です。ご本尊のお前立が見えますが、お前立ちが3躰あったとは、行ってみて良かったです。もう1躰は後程。
内陣の左手には「聖徳太子像」、お前立ちの左手には「見真大師(親鸞)像」が祀られていました。本堂内陣を見て外に出ると「賓頭盧尊像」がありました。

境内の東にあるのが「十六羅漢像」があります。ただ、ここに来て風が強くて猛烈に寒くなってきました。
誰か知らないですけど、ハトに餌をやられて、大量のハトが飛来して餌を食べてます。
境内北東の池の隅に浮かんでいる建物は「太子堂」と呼ばれ、六角堂を創建した聖徳太子を祀っています。

ここではハクチョウを飼われているようで、三羽居ました。近づかないようなことが書かれています。
本当は、もう少し境内を散策したいところ寒すぎて、ここに来て知りましたが「いけばな資料館」に入ることにしました。

拝観受付所で、「チケットを持って3階まで上がってください」と案内されてました。
入るとエレベーターへの案内が出ているので3階まで上がりました。

「いけばな資料館」内の撮影は禁止でした。聞くと普段は池坊の生徒さんのためで、非公開だそうです。
ここで注目は、ご本尊のお前立で、弘法大師作と伝わる「如意輪観音像」です。3躰目のお前立がここにありました。この像の背面に、本尊(秘仏)を納入できる蓋の付いた空間があることから「鞘仏(さやぼとけ)」と呼ばれています。2016年(平成28年)11月11日(金)「西国三十三所草創1300年 特別拝観」で見た、ご本尊は5.5㌢だったので、きっちり納入できるようになってましたね。ご本尊は居ませんでしたが、ガラスケースに入っていたので、背後まで綺麗に見えました。これだけ見せて貰ったら来た値打ちがありましたね。このあと「池坊の逸品」をゆっくり見せて貰いました。

12時43分に「いけばな資料館」を出ました。あとは御朱印をいただいて帰ります。
資料館の前にある、このお地蔵さんは「北向地蔵尊」といい、京都御所を守るために北を向いています。
この辺りは、2024年(令和6年)3月29日(金)に来た時、桜が満開でした。境内も人で溢れてましたが😊。
再び「本堂」に戻って来て、探していた「臍石」を撮りました。
桓武天皇の793年(延暦12年)長岡京より平安京への遷都の時、六角堂の所在が道路の中央に当たったため天皇が遷座を祈願されたところ御堂が自ら5丈(15㍍)ばかり北へ退かれたという。この石はその際に取り残された礎石であると伝わります。六角堂は下京の町衆の寄合の場であり場所も京都のほぼ中央に当たることから人体にたとえ「臍石」とも「要石」とも呼ばれいます。祇園祭の山鉾巡行の順番を決める「籤取り式」も江戸末期まで六角堂で行われてました。当時は六角通りの中央にあったが、明治期に境内に移されました。

「納経所」です。西国巡礼で何度も来てますが、今日は御詠歌の御朱印をいただきました。
「わが思う 心のうちは六の角 ただ円(まろ)かれと祈るなりけり」と書いてあります。六つの角=六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる欲を捨て心を丸くするという祈りを込めたものと伝わる。
12時48分に山門から出て行きました。この辺りは、京都でも屈指のビジネス街です。お昼を済まされたサラリーマンの方々が職場に帰られるでしょう、人通りは多かったです。あまり期待もせずに来ましたが、見所が多くて良かったです。このあと病院に向かいました。
頂法寺(六角堂)のご本尊の公開には、2016年(平成28年)11月11日(金)「西国三十三所草創1300年 特別拝観」で見ているので、当初は予定してませんでしたが、頂法寺(六角堂)の近くまで来たので寄って見たわけです。


紫雲山頂法寺と号する寺で、本堂が六角宝形造であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。開基は聖徳太子。587年(用明天皇2年)淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子は、四天王寺建立の用材を求めて京都盆地に来て、この地に湧く泉で身を清めようと、念持仏と脱いだ衣服を木に掛けたところ、念持仏が枝から動かなくなってしまった。その夜、観音様の霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。その時の念持仏が現在のご本尊、高さ5.5㌢の如意輪観音菩薩像である。六角堂は、早くから人々の崇敬を受け、822年(弘仁13年)には嵯峨天皇(第52代天皇)の勅願所となり、また996年(長徳2年)には花山法皇の御幸があり、西国33箇所観音霊場(現18番の札所)となったと伝えられる。1201年(建仁元年)親鸞聖人が当寺に100箇日間参籠して霊告を受け、後に真宗を開宗する根源となった。1877年(明治10年)に再建された本堂には、聖徳太子の持仏と伝える本尊如意輪観音菩薩像、親鸞像、毘沙門天立像(重文)などを安置する。本堂前の六角形の礎石は臍石といい、古来、京都の中心に当たるとされてきた。また、本堂北の本坊は池坊と呼ばれ、室町時代以降、多くのいけ花の名手を輩出した所で、華道発祥の地として有名である。現在も池坊華道の拠点となっている。


山門を入って左手(西側)に臨時の拝観受付所がありました。拝観料は800円。まだ無料券を1枚持ってましたが、想定外で来たので今日持って来てません。


入るとガイドさんより、ご本尊(聖徳太子の念持仏と伝わる如意輪観世音菩薩像)は秘仏のため厨子の中との説明を受けました。この特別公開ではご本尊は見られないということ。普段は見られない本尊お前立の建礼門院徳子が寄進したと伝わる「如意輪観音像」があって、その奥の厨子にご本尊が祀られているとか。通常は本堂の宮殿内に納められている秘仏だそうで、貴重なものを見せて貰いました。














ここで注目は、ご本尊のお前立で、弘法大師作と伝わる「如意輪観音像」です。3躰目のお前立がここにありました。この像の背面に、本尊(秘仏)を納入できる蓋の付いた空間があることから「鞘仏(さやぼとけ)」と呼ばれています。2016年(平成28年)11月11日(金)「西国三十三所草創1300年 特別拝観」で見た、ご本尊は5.5㌢だったので、きっちり納入できるようになってましたね。ご本尊は居ませんでしたが、ガラスケースに入っていたので、背後まで綺麗に見えました。これだけ見せて貰ったら来た値打ちがありましたね。このあと「池坊の逸品」をゆっくり見せて貰いました。





桓武天皇の793年(延暦12年)長岡京より平安京への遷都の時、六角堂の所在が道路の中央に当たったため天皇が遷座を祈願されたところ御堂が自ら5丈(15㍍)ばかり北へ退かれたという。この石はその際に取り残された礎石であると伝わります。六角堂は下京の町衆の寄合の場であり場所も京都のほぼ中央に当たることから人体にたとえ「臍石」とも「要石」とも呼ばれいます。祇園祭の山鉾巡行の順番を決める「籤取り式」も江戸末期まで六角堂で行われてました。当時は六角通りの中央にあったが、明治期に境内に移されました。


「わが思う 心のうちは六の角 ただ円(まろ)かれと祈るなりけり」と書いてあります。六つの角=六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる欲を捨て心を丸くするという祈りを込めたものと伝わる。
12時48分に山門から出て行きました。この辺りは、京都でも屈指のビジネス街です。お昼を済まされたサラリーマンの方々が職場に帰られるでしょう、人通りは多かったです。あまり期待もせずに来ましたが、見所が多くて良かったです。このあと病院に向かいました。
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