令和7年春の特別公開「京都御所 宮廷文化の紹介」へ

令和7年春の特別公開京都御所 宮廷文化の紹介」が令和 7 年 2 ⽉ 26 ⽇(水)~ 3 ⽉ 2 ⽇(日)までの 5 ⽇間行われ、私は初日の2月26日(水)に行きました。

この日のイベントで午前10時から「雅楽」の催しがあって、それに間に合うように行くつもりでしたが、通院してる病院が思っていたより長引いて、間に合うかどうかギリギリかなぁと思いながら車で京都御所に向かいました。

IMG_4532.jpgIMG_4532.jpg京都御苑 中立売駐車場」に9時55分に入庫。あと5分しかないので、やっぱり無理でしたが、途中からでも見てみます。

IMG_4533.jpgIMG_4651.jpgIMG_4650.jpgIMG_4534a.jpg京都御所の参観入口である「清所門」に9時59分急いで歩いて着きました。門を入ると鞄の中をチェックされます。そして番号札を首から掛けて、いよいよ参観です。

最初の見所は「宜秋門番所」にある杉⼾絵 3 点の展⽰です。

IMG_4535.jpgガラス越しに見るわけですが、どう言う訳かピンボケ。ショックです😢。右から「梅に鷹」(勝山仲衡)、「白梅」(平川晃生)、「白梅に音呼」(鈴木百年)でした。

その向かいにあるのが「御車寄(おくるまよせ)」です。そこに、この日の見所の「牛車」が展示されてました。

IMG_4543.jpgIMG_4544.jpg牛車は、平安時代以降、高位の人々が用いた乗り物で。輈(ながえ)と呼ばれる長い棒の先に牛をつなぎ、車を引かせました。

IMG_4545.jpgIMG_4546.jpg次に門をくぐって最初に見るのが「諸大夫の間(しょだいぶのま)」です。手前から「桜の間」で、絵は「桜図」です。1855年(安政2年)原在照筆によるもの。畳縁は緋曽代絹縁(紅絹縁)。

諸大夫の間とは参内者の控えの間であり、格式の高い順に東から虎の間、鶴の間、桜の間と続く3室(各21帖)の総称とされています。各室にはそれぞれ公卿、殿上人、諸大夫が控えることになっており、身分に応じて部屋が決まってました。部屋の格式は畳縁の色違いなどにも反映されています。

IMG_4548.jpg次が「鶴の間」で、襖絵は「鶴図」です。1855年(安政2年)に狩野永岳が描きました。畳縁は絹経小紋縁(小紋高麗縁)となっています。

IMG_4550.jpg最後が「虎の間」で、襖絵は「虎図」です。1855年(安政2年)に岸岱(がんたい)が描きました。畳縁は絹経小紋縁(小紋高麗縁)となっています。

IMG_4552.jpg「新御車寄(しんみくるまよせ)」です。2021年(令和3年)4月8日の令和3年 春の特別公開「京都御所 宮廷文化の紹介」では、この前に「牛車(ぎっしゃ)」が展示されてました。牛車の展示は、それ以来です。

IMG_4554.jpgIMG_4555.jpgIMG_4556.jpgIMG_4557.jpgIMG_4559.jpg次に「回廊」に行くと、即位礼における装束の展⽰がありました。ここから見る紫宸殿前は空いてます。それは理由があります。

既に雅楽が始まっており、皆さん見られており、それで紫宸殿前が空いてしたわけです。音も聞こえてきたので、私も急いで向かいます。

IMG_4560.jpgIMG_4563.jpgIMG_4564.jpgIMG_4569.jpgIMG_4570.jpgIMG_4571.jpg春興殿(しゅんこうでん)」の前に会場がありました。椅子席はもちろん埋まってますし、その後ろを人が囲んでいるので、隙間から見せて貰いました。

IMG_4573.jpg次に「日華門」から紫宸殿に入ります。今なら空いていそうだし高御座も見られそうかなぁ。

IMG_4574.jpg入ると「承明門」を撮りました。紫宸殿の前には白砂を敷き詰めた広々とした「南庭」があって即位の礼が、ここでされました。

IMG_4576.jpg紫宸殿の正面には、殿上の天皇の御座から見て右に「橘」、左に「桜」の樹が配されている。それぞれの近くに左右近衛府の武官が警護の陣を敷いたことから、「右近の橘」「左近の桜」と称された。写真は、まだ蕾も固い「左近の桜」です。

IMG_4577.jpgIMG_4582.jpg紫宸殿」の近づいて「高御座」を撮りました。遠くて暗くて肉眼でもギリギリ見えるかなぁと。現在の高御座は、大正天皇即位に際してつくられもたもの。

IMG_4579.jpg皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」は、もっと遠いので写真でも暗くて分からないですね。こちらも大正天皇即位に際してつくられもたものです。

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こちらは看板の写真です。ここ最近、紫宸殿内の特別公開は聞かないです。

IMG_4584.jpg紫宸殿は、1855年(安政2年)の再建。京都御所で、即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿であり、京都御所の象徴ともいえる存在です。明治天皇(第122代天皇)、大正天皇(第123代天皇)、昭和天皇(第124代天皇)の三代天皇の即位礼もここで行われました。

IMG_4586.jpgこちらが「右近の橘」です。8世紀の平安遷都の際、紫宸殿が建てられた場所に橘が自生していたことがその起源てあると伝わる。京都御所では、冬の訪れを前に、老木である「右近の橘」を「よしず」で覆って、霜と寒風から守っている。

IMG_4588.jpgIMG_4589.jpg紫宸殿の西側を通って「清涼殿」に出ました。平安時代中期(10世紀中頃)以降、天皇の日常の住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われました。

清涼殿は、平安時代中期(10世紀中頃)以降、天皇の日常の住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われました。平安時代には、源氏物語や枕草子など王朝文学の舞台となりました。1590年(天正18年)に御常御殿にお住まいが移ってからは、主に儀式の際に使用されました。伝統的な儀式を行うために、平安時代中期の建築空間や調度が古制に則って伝えられています。建物は、1855年(嘉永7年)に平安時代の様式を用いて再建された宸殿造風になっています。

平成28年 春の特別公開では、旧暦の4月1日の「清涼殿の更衣(ころもがえ)」人形で再現されてました。ただ、近年は年々人形が少なくなっていくように思います。少し残念ですね。

IMG_4592.jpgIMG_4593.jpg1590年(天正18年)に御常御殿にお住まいが移ってからは、主に儀式の際に使用されました。伝統的な儀式を行うために、平安時代中期の建築空間や調度が古制に則って伝えられている。

IMG_4596.jpgその清涼殿の北側に、「滝口(たきぐち)」があります。調べると「御溝水(みかわみず)」の落ち口を「滝口(たきぐち)」と言ったそうです。

IMG_4597.jpgIMG_4598.jpg紫宸殿の「右近の橘」「左近の桜」のように、向かって左に「漢竹(かわたけ)」、右に「呉竹(くれたけ)」を植えられています。

IMG_4591.jpgIMG_4599.jpg次に「紫宸殿」の北側を見て、「小御所(こごしょ)」の南側を通り出て行きます。

IMG_4600.jpg順路にしたがって進みますが、ここからは通常参観と同じで、特別感はありません。

IMG_4601.jpg門を入ると右手に日本庭園の「御池庭」が広がっています。1606年(慶長11年)に造営が始まり、数多くの名園を作庭した小堀遠州も関わったとされています。

御池庭は、1606年(慶長11年)に造営が始まりました。広い池の中央に蓬莱島、その左右には橋を架けた2島を配する。州浜から池泉へと10個の飛石が打たれ、先端が舟着場になっています。春の舟遊び、秋の月見の宴と回遊を楽しみました。

IMG_4605.jpgIMG_4603.jpgIMG_4604.jpgそして左手に見るのは「小御所(こごしょ)」です。1954年(昭和29年)に焼失したため、1958年(昭和33年)に復元されたものです。

小御所は、鎌倉時代以降に建てられるようになった御殿で、江戸時代は将軍や大名などの武家との対面や儀式の場として使用されました。幕末の1867年(慶応2年)には、ここで明治天皇隣席の下、新政府の政治家が集まり、江戸幕府15代将軍徳川慶喜に対する処置を定めた「小御所会議」が行われたことでも有名です。上段・中段・下段の3室のまわりに広い板敷(廂)が付き、様々な儀式に対応できる実用的な建物でした。

IMG_4606.jpg小御所と御学問所の間の四角い庭を「蹴鞠の庭」と呼ばれ、ここで貴族が蹴鞠をされたようです。

蹴鞠とは、革製の鞠を地面に落とすこと無く、蹴り続ける伝統的な球戯です。その歴史は古く、古来以来、主として公家社会で伝えられ、武士や庶民にも広がりました。蹴鞠は、勝負を争うものではなく、いかに蹴りやすい鞠を相手に渡すかという精神のもと行われるもです。この場所で行われ蹴鞠の催しを御学問所から天皇が御覧になったという記録があります。

IMG_4607.jpg2⽉28⽇(金) 午前10時、午前11時と3⽉1⽇(土)午前10時、午前11時に蹴鞠の実演が催されます。

IMG_4608.jpgIMG_4609.jpgIMG_4610.jpg次に見る建物は「御学問所」です。1613年(慶長18年)に清涼殿から独立した御殿。御読書始や和歌の会などの対面に用いられた。

IMG_4613.jpg1867年(慶応3年)に、明治天皇が親王・諸臣を引見され「王政復古の大号令」を発せられたところでもあります。

御殿での儀式では、雁の間に衣冠姿の公卿や殿上人などが列座した後、童髪に直衣姿の親王が上段の間から中段の間に入り着座されます。建築様式は書院造風となっています。

IMG_4616.jpgIMG_4619.jpgこのあと、さらに北側に進むと御常御殿が見えてきますが、御池庭の北端の「長押門(なげしもん)」をくぐります。

IMG_4620.jpgIMG_4622.jpgIMG_4623.jpgIMG_4626.jpgIMG_4633.jpg「長押門」を入って右手に「御内庭(ごないてい)」があります。小高い所にあるのが茶室錦台」です。

御内庭(ごないてい)は、「流れの庭」とも呼ばれ、鑓水を中心に、その流れに沿って、築山、飛石、四季の植栽が続きます。流れの庭と言われるだけに、所々に土橋や石橋が架かり、灯籠や庭石を配した優雅な庭園です。

IMG_4629.jpg参観コースは、ここまです。「龍泉門」の奥にある建物が「御涼所(おすずみしょ)」と、その先に吹き抜けの渡り廊下を通って、茶室聴雪(ちょうせつ)」(非公開)があるそうです。

IMG_4630.jpg龍泉門の向かって右に、玉石を円形に敷き詰めた直径1㍍の座があり、そこで天皇は伊勢神宮へ向かって、毎朝遙拝されてました。

IMG_4621.jpgIMG_4624.jpgIMG_4634.jpg「御内庭(ごないてい)」に面して建てられている「御常御殿(おつねごでん)」です。清涼殿内に設けられていた常御所が、1590年(天正18年)から天皇の住まいとなった所です。

御常御殿内は、15室あって、全て畳敷で当時の生活に合わせた造りとにっている。この建物には天皇の日常のお住まいとし、お休みになるための「御寝の間」や、食事や身繕いに使用された部屋がある。建物の北側、向かって右手の方向には、細い渡り廊下を通って、書斎や茶室として使用された離れへと続いている。南面に上段・中段・下段を備え儀式や対面の場としても使われた。内部は、神器を納める「剣璽の間」、「御寝の間」などからなっている。

IMG_4637.jpgIMG_4638.jpg御常御殿の南面に出ました。ここでは紅梅が見られる筈でしたが、今年は梅の開花が遅れてて、まだ蕾でした。この春の特別公開の期間中には咲かないでしょう。

IMG_4639.jpgIMG_4640.jpgIMG_4642.jpg京都御所の参観では最後のみどころが、「御三間(おみま)」です。今回は堂内の扉は閉まってました。残念です。

御三間は、1709年(宝永6年)に御常御殿の一部が独立したもので、御常御殿に近い方から上段・中段・下段の3室が並ぶ。七夕などの内向きの年中行事に使用されたほか、1860年(万延元年)祐宮(後の明治天皇)が8歳の時、成長を願う儀式「深曾木(ふかそぎ)」が、ここでおこなわれた。

IMG_4643.jpg御三間から出口に向かうこの広場は、かつての「御台所跡」がありました。

「御台所跡」は、戦前まで御台所などたくさんの建物や渡り廊下がありました。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)に、空襲よる火災の延焼防止のため、取り壊されました。現在は、四季折々の花が楽しめる空間となっています。

IMG_4645.jpgIMG_4647.jpgIMG_4648.jpgIMG_4649.jpg清所門」前で、番号札をお返しして、10時28分に出ました。ここから駐車場に向かわず一箇所寄って行きます。

京都御所の「春の特別公開」では、以前、京都のお土産などの売店が出店されてました。ただ今日はありません。少し華やかさが無くなったかなぁが今日来てみての感想です。

IMG_4653.jpgIMG_4654.jpgIMG_4652.jpg10時30分に着いたところは「中立売休憩所」です。

IMG_4655.jpgIMG_4656.jpgIMG_4657.jpg時間もあったので、食事でも思い「檜垣茶寮」に入りましたが、食事は11時からで、ケーキセットをいただくことに。

IMG_4659.jpgIMG_4660.jpg珈琲モンブランのセットにしました。

IMG_4663.jpgIMG_4662.jpg妻はロールケーキ紅茶のセットに。珈琲が飲めないから😊。スイーツセットで、それぞれ1000円でした。

この日の朝は寒かったけど、天気も良かったので気温上がりました。ただ最高気温は13.2℃と、まだまだ寒いですけど。ここから「京都御苑 中立売駐車場」に戻り精算すると、9時55分~10時54分で800円で済みました。お昼前にケーキセットを食べたので、帰りは京都御所の近くにある護王神社に寄って、古い御守りを返し、新しい御守りをいただきお参りして帰りました。

この記事へのコメント

2025年03月28日 22:44
京都御所の雅楽の催しですか。
それはぜひ見ておきたい気がします。
ご用事がおありながら、何とか
舞台に間に合ってよかったですね。
かなり前に、明治神宮で奉納された
舞楽を見学してた事を思い出しました。
御車寄せの牛車が立派ですね。
御所のものですから、牛車の中でも
最高級と言われる「唐車」でしょうか。
今まで見た中で、こんな立派な牛車は
初めてかも知れません。
壬生里
2025年04月08日 05:02
yasuhikoさんへコメントありがとうございます。

京都御所は、通年で公開されてますが、春の桜が咲く時期に特別な催しをされてます。今年は桜ではなく梅の時期でしたが、梅の開花が遅れてて、咲いてませでした。
以前は、もっと華やかさがあって、人形も多く展示されてましたが、少々物足りなさがありました。それで雅楽が見られる時間に行ってみたんですが、それを見られて良かったです。