百々御所宝鏡寺(人形寺)「令和7年 春の人形展」へ
百々御所宝鏡寺(人形寺)「令和7年 春の人形展」が3月1日(土)~4月3日(木)までの日程で始まりました。私は、2021年(令和3年)11月5日(金)の「令和3年 秋の人形展」に来てますが、すっかり忘れてて3月1日(土)の法要をテレビのニュース映像で見て久々に行って見ようと思った次第です。
2月28日(金)から雨が降り始めて、行く予定にしていた3月5日(水)も雨は止みません。春の、この時期に6日連続の長雨になるとは・・・森林火災で被害が出ている岩手県大船渡市に降れば良いのにと思ってしまいます。3月1日(土)の最高気温は19.4℃まで上がったのに、3月5日(火)の最高気温は一日中雨降りだったこともあって7.5℃しか上がらずに、私は大丈夫でしたが寒暖差で体調不良の方が増えたとか。
今日こそ雨が上がるかなぁと思いましたが、朝から雨が降ってました。それで車で出掛け堀川通りの上御霊前通りを東に入った所にある「ほりごパーキング」に9時43分車を入れました。この辺りのコインパーキングで、空きは珍しいですが、空いててくれて良かったです。余談ですが、帰る頃に見てみたら満車になってました😊。
8時58分に「山門」前に着きました。雨は降り続いていますし、多分、人も少ないでしょう。
山門を入って玄関に向かうと開いてました。靴を下駄箱に入れ上がると正面に拝観受付所がありました。
拝観料600円、御朱印代300円を納め堂内に入ります。朱印は帰りに受け取る方式でした。その前に写真撮影の有無を聞きました。庭園と「使者の間」にある「ひな壇」は撮影しても良いのことです。それでは堂内に進みます。




「使者の間」には、今年2月に地元住民から奉納されたひな飾り一式(大正時代)がありました。前途したとおり、ここは撮影OKです。隣の部屋では、宝鏡寺を紹介するビデオが見られますが、私はスルーしました😊。
「使者の間」は、表玄関に来られた方を上臈がお迎えする部屋。ここで許しが出るまで待たれたようです。
宝鏡寺は、山号を「西山(せいざん)」と号し、百々御所(どどのごしょ)の御所号をもつ、臨済宗単立の尼門跡寺院である。 本尊は聖観世音菩薩で、伊勢の二見ケ浦で漁網にかかれ上げられた折り、小さな宝鏡を手にし光り輝いていたため人々は驚き朝廷に献上したと伝わる。後光厳天皇(北朝第4代天皇)が宮中の御黒戸(おくろど)に安置していたところ、その後時折吉祥のしるしが現れたため、京洛に栄えていた無外如大禅尼(むがいにょだいぜんに)が開山の尼五山第一西山景愛寺(けいあいじ)に納めた。時の住職、光厳天皇皇女第六世華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼は、早速宝鏡寺を開山し、後光厳天皇より宝鏡寺の号を賜りま、その後も皇女が歴代となる宮門跡となり百々御所(どどのごしょ)と号された。堂宇は1788年(天明8年)の天明の大火で焼失するも、1798年(寛永10年)書院が再興され、東端北寄りに主座敷である「御座の間」、手前に「次の間」の大広間を配し、襖絵は1833年(天保4年)に円山派の絵師によって描かれた。次に1830年(文政13年)に本堂・使者の間・大玄関が再興し、さらに1847年(弘化4年)に光格天皇勅作の阿弥陀如来像とともに御所の建物を賜り阿弥陀堂が造営された。なお各建物は京都市指定文化財に指定される。境内には椿の月光・熊谷・侘助を始め、百人一首で詠まれた奈良の都の八重桜、光格天皇(第119代天皇)ゆかりの伊勢撫子など珍しい花が四季折々に咲き誇る。そして傍らに流れる小川は、応仁の乱に東西陣営の境になった清流でした。ふだんは非公開ですが、春と秋に人形展が開かれ公開される。

まさかと思いましたが、雨降りということで誰も居ません。人形展では、いつも人が多かったので少々驚きです。ただ雨降りで寒いからでしょうね。
西端の部屋から見て行きます。襖絵は、2004年(平成16年)に奉納された河股幸和画伯筆「葡萄と鹿」(夏)です。
展示品は、ガラスケースの中に「古今雛」、「雛人形の十二単」、江戸時代の「紙雛」、昭和天皇第三皇女鷹司和子氏寵愛の「御所人形」、明治時代の「添雛人形 花見の侍女」が展示されてました。
中央の部屋には扁額が架かっており、「宝鏡寺門跡22世本覚院宮筆」だそうです。後西(ごさい)天皇(第111代天皇)の第十一皇女です。
内陣には前途したとおり、聖観世音菩薩が祀られており、。あと後水尾天皇(第108代天皇)信仰の釈迦如来像が御所より宝鏡寺に安置されてます。他に歴代天皇・皇后の御尊牌が祀られてました。襖絵は、正面に狩野探幽筆の「秋の図」。向かって右には、河股幸和画伯筆「伊勢撫子と鶺鴒(セキレイ)」(月)。左に「伊勢撫子と鶺鴒」(日)でした。
東の部屋の奥には「上段の間」があります。正面に狩野探幽筆の「秋の図」。左には、河股幸和画伯筆「ゆりかもめ(都どり)」(冬)でした。

「秋草の図」は江戸時代初期に狩野探幽によって描かれました。狩野探幽は狩野孝信の長男で永徳の孫。16歳の若さで幕府の御用絵師なった。展示品は「古今雛」、「文楽人形」(近代の作)なとが展示されてました。
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次に苔の綺麗な庭を見ます。本堂の南側と東側には広がっている庭園には「イロハモミジ」は植えられており、2021年(令和3年)11月26日(金)に来た時は見事な「紅葉」が見られました。
本堂東側突き当たりに「勅作堂(阿弥陀堂)」があります。堂内中央に光格天皇(第119代天皇)勅作の「阿弥陀如来立像」が、右に後光厳天皇(北朝第4代天皇)妃の「崇賢門院像」が、左に「日野富子木像」が祀られています。
日野富子は、公卿日野重政(ひのしげまさ)の娘で、室町幕府8代将軍足利義政の妻となった。世継ぎがいなかったことから将軍の後継者を弟の足利義視(あしかがよしみ)を定めていたが、その翌年富子に義尚(よしなお)が生まれ世継ぎ争いになった。富子は義視の後見人である細川勝元に対して山名宗全を頼り義尚を将軍にしようとした。これが「応仁の乱」を引き起こす要因の一つとなった。宝鏡寺の北に隣接して、後円融天皇(北朝第5代天皇)の母、崇賢門院を開基とする浄土宗の大慈院が明治初期まであったが、この崇賢門院は富子の親族であり、後に富子は出家し妙善院となって大慈院に入った。宝鏡寺は大慈院の住職を兼務していたこともあって、大慈院は宝鏡寺に引き継がれ日野富子の像も宝鏡寺に祀られるようになった。宝鏡寺第十五世渓山禅師は、義政と富子との間に生まれた娘である。

「勅作堂(阿弥陀堂)」を時計回りで巡ります。すると本堂と書院との間に「中庭」に出ます。ただ何もありません。

そして「勅作堂(阿弥陀堂)」の北側、書院の東側には江戸幕府14代将軍徳川家茂に降嫁した皇女和宮が、幼少の頃、宝鏡寺に住まわれていた時に遊ばれていたお庭「鶴亀の庭」に出ました。
仁孝(にんこう)天皇(第120代天皇)を父君に持つ和宮内親王は、公武合体のため江戸幕府14代将軍徳川家茂に降嫁し、江戸城開城に隠れた功績を残した。和宮が幼少の頃、生母橋本経子(はしもとつねこ)の許より姉君桂宮淑子(かつらのみやすみこ)内親王の御殿に移ってから百々御所(宝鏡寺)にて若い上臈(じょうろう)達と盤雙六(ばんすごろく)や貝合せなどに興じて「鶴亀の庭」で遊んだと言う。


非公開の書院には、2013年(平年25年)2月10日に行った「第47回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」では内部に入りました。
書院には円山応挙の愛らしい子犬の杉戸絵や、1833年(天保4年)円山応震(円山応挙の孫作「四季耕作図」と吉村孝敬が描いた襖絵がはめられています。

再び本堂に出て、次に「人形展第二会場」に向かいました。本堂の裏手にあたります。主な展示品は以下の通りです。
「直衣雛・濃紫袴雛」(天保4年作)、「おたけさん」(江戸時代中期)、「万勢伊さん」(江戸時代前期)、「おとらさん」(江戸時代後期)、御所人形の「孝明さん」(江戸時代後期)、佐四郎人形の「諸国手あそび」(昭和前期)、「小さな市松人形たち」(明治末期~昭和初期)、「福寿雛」、「海老雛」の他に、「お福人形」や「福助人形」などがありました。
「春の人形展」の期間中は、右下の金印を押して貰えます。帰りに受取出ていくことにしました。
10時22分に出ました。雨が止むことを期待してまたしたが降り続いています。


最後に「人形塚」を撮りました。1959年(昭和34年)に、お人形と人形制作などに関わられた方々の供養のために建立されましたそうです。毎年10月14日に人形供養が行われています。この石碑には武者小路実篤の詩が刻まれてました。
10時25分に宝鏡寺から出ました。私の後に入って来られたのは、4名だけでした。雨降りで寒いので空いていたのかもです。
急ぐことも無かったので、次に俵屋吉富 小川店「茶ろん俵屋」さんに入りました。ここは、2021年(令和3年)11月5日(金)以来です。
10時26分に着きました。雨が降り続いているので一休みです😊。


10時26分に席に着きました。入った時は誰も居ませんでしたが、直ぐに1組来られました。そしてお品書きを見て注文を。


「栗善哉」(880円)をいただきました。熱々で大変美味しかったです。
ここから「ほりごパーキング」に戻ると、満車になってました。早めに来て良かったです。精算すると、9時43分~11時00分で、600円で済みました。天気がイマイチだったので、最高気温は11.8℃までしか上がらず肌寒い一日でした。今日は、ここから真っ直ぐ帰りました。
2月28日(金)から雨が降り始めて、行く予定にしていた3月5日(水)も雨は止みません。春の、この時期に6日連続の長雨になるとは・・・森林火災で被害が出ている岩手県大船渡市に降れば良いのにと思ってしまいます。3月1日(土)の最高気温は19.4℃まで上がったのに、3月5日(火)の最高気温は一日中雨降りだったこともあって7.5℃しか上がらずに、私は大丈夫でしたが寒暖差で体調不良の方が増えたとか。
今日こそ雨が上がるかなぁと思いましたが、朝から雨が降ってました。それで車で出掛け堀川通りの上御霊前通りを東に入った所にある「ほりごパーキング」に9時43分車を入れました。この辺りのコインパーキングで、空きは珍しいですが、空いててくれて良かったです。余談ですが、帰る頃に見てみたら満車になってました😊。
拝観料600円、御朱印代300円を納め堂内に入ります。朱印は帰りに受け取る方式でした。その前に写真撮影の有無を聞きました。庭園と「使者の間」にある「ひな壇」は撮影しても良いのことです。それでは堂内に進みます。
「使者の間」は、表玄関に来られた方を上臈がお迎えする部屋。ここで許しが出るまで待たれたようです。
宝鏡寺は、山号を「西山(せいざん)」と号し、百々御所(どどのごしょ)の御所号をもつ、臨済宗単立の尼門跡寺院である。 本尊は聖観世音菩薩で、伊勢の二見ケ浦で漁網にかかれ上げられた折り、小さな宝鏡を手にし光り輝いていたため人々は驚き朝廷に献上したと伝わる。後光厳天皇(北朝第4代天皇)が宮中の御黒戸(おくろど)に安置していたところ、その後時折吉祥のしるしが現れたため、京洛に栄えていた無外如大禅尼(むがいにょだいぜんに)が開山の尼五山第一西山景愛寺(けいあいじ)に納めた。時の住職、光厳天皇皇女第六世華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼は、早速宝鏡寺を開山し、後光厳天皇より宝鏡寺の号を賜りま、その後も皇女が歴代となる宮門跡となり百々御所(どどのごしょ)と号された。堂宇は1788年(天明8年)の天明の大火で焼失するも、1798年(寛永10年)書院が再興され、東端北寄りに主座敷である「御座の間」、手前に「次の間」の大広間を配し、襖絵は1833年(天保4年)に円山派の絵師によって描かれた。次に1830年(文政13年)に本堂・使者の間・大玄関が再興し、さらに1847年(弘化4年)に光格天皇勅作の阿弥陀如来像とともに御所の建物を賜り阿弥陀堂が造営された。なお各建物は京都市指定文化財に指定される。境内には椿の月光・熊谷・侘助を始め、百人一首で詠まれた奈良の都の八重桜、光格天皇(第119代天皇)ゆかりの伊勢撫子など珍しい花が四季折々に咲き誇る。そして傍らに流れる小川は、応仁の乱に東西陣営の境になった清流でした。ふだんは非公開ですが、春と秋に人形展が開かれ公開される。
内陣には前途したとおり、聖観世音菩薩が祀られており、。あと後水尾天皇(第108代天皇)信仰の釈迦如来像が御所より宝鏡寺に安置されてます。他に歴代天皇・皇后の御尊牌が祀られてました。襖絵は、正面に狩野探幽筆の「秋の図」。向かって右には、河股幸和画伯筆「伊勢撫子と鶺鴒(セキレイ)」(月)。左に「伊勢撫子と鶺鴒」(日)でした。
日野富子は、公卿日野重政(ひのしげまさ)の娘で、室町幕府8代将軍足利義政の妻となった。世継ぎがいなかったことから将軍の後継者を弟の足利義視(あしかがよしみ)を定めていたが、その翌年富子に義尚(よしなお)が生まれ世継ぎ争いになった。富子は義視の後見人である細川勝元に対して山名宗全を頼り義尚を将軍にしようとした。これが「応仁の乱」を引き起こす要因の一つとなった。宝鏡寺の北に隣接して、後円融天皇(北朝第5代天皇)の母、崇賢門院を開基とする浄土宗の大慈院が明治初期まであったが、この崇賢門院は富子の親族であり、後に富子は出家し妙善院となって大慈院に入った。宝鏡寺は大慈院の住職を兼務していたこともあって、大慈院は宝鏡寺に引き継がれ日野富子の像も宝鏡寺に祀られるようになった。宝鏡寺第十五世渓山禅師は、義政と富子との間に生まれた娘である。
仁孝(にんこう)天皇(第120代天皇)を父君に持つ和宮内親王は、公武合体のため江戸幕府14代将軍徳川家茂に降嫁し、江戸城開城に隠れた功績を残した。和宮が幼少の頃、生母橋本経子(はしもとつねこ)の許より姉君桂宮淑子(かつらのみやすみこ)内親王の御殿に移ってから百々御所(宝鏡寺)にて若い上臈(じょうろう)達と盤雙六(ばんすごろく)や貝合せなどに興じて「鶴亀の庭」で遊んだと言う。
書院には円山応挙の愛らしい子犬の杉戸絵や、1833年(天保4年)円山応震(円山応挙の孫作「四季耕作図」と吉村孝敬が描いた襖絵がはめられています。
「直衣雛・濃紫袴雛」(天保4年作)、「おたけさん」(江戸時代中期)、「万勢伊さん」(江戸時代前期)、「おとらさん」(江戸時代後期)、御所人形の「孝明さん」(江戸時代後期)、佐四郎人形の「諸国手あそび」(昭和前期)、「小さな市松人形たち」(明治末期~昭和初期)、「福寿雛」、「海老雛」の他に、「お福人形」や「福助人形」などがありました。
「春の人形展」の期間中は、右下の金印を押して貰えます。帰りに受取出ていくことにしました。
急ぐことも無かったので、次に俵屋吉富 小川店「茶ろん俵屋」さんに入りました。ここは、2021年(令和3年)11月5日(金)以来です。
ここから「ほりごパーキング」に戻ると、満車になってました。早めに来て良かったです。精算すると、9時43分~11時00分で、600円で済みました。天気がイマイチだったので、最高気温は11.8℃までしか上がらず肌寒い一日でした。今日は、ここから真っ直ぐ帰りました。
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