京の美を訪ねる「對龍山荘特別公開講座」(NHK文化センター京都教室)へ
5月9日(火)に、事前申込み制の、京の美を訪ねる「對龍山荘特別公開講座」(NHK文化センター京都教室)に参加しました。
この講座に受けるに際し、主な注意事項は写真撮影について、係の方より案内があるので、それから撮影すること。ただしSNSにアップするのは厳禁。写真撮影は室内のみ。庭園では不可。動画撮影もNG。貴重な文化財も撮影不可。室内には、持参して来た白の靴下に履き替えること。持ち物は玄関に預け、手ぶらで散策する・・・でした。
以前、これをアップしたときは、当初の注意事項を守って写真のSNS等の投稿を控えました。ただ、2024年(令和6年)9月末より、一般公開を始められ写真撮影及びSNS等の投稿も解禁されました。そして年が明けた2025年(令和7年)1月15日(水)から建物内も公開されるようになりました。建物内のSNS等の投稿も解禁されたことで、以前アップしたのを加筆することにしました。
2018年(平成30年)9月14日に食事にきた「南禅寺参道 菊水」の向かいが對龍山荘の表門でした。ここに着いた時は10時は回ってましたね。
門を入ると玄関から上がります。先ずは履いてきた靴下を脱いで、持参して来た白靴下に履き替えます。そして對龍台で、時間が無いのか早速案内が始まりました。人数が多いので、事前建物の参観、庭園の参観と2組に分けられます。私は建物の参観の組に入りました。
山荘内の案内は、對龍山荘館長 小川 史朗氏でした。外の風景を見ながら2列になって話しを聞きました。話されたのは約25分、そのあと庭園組と変わるまでの10時50分まで自由参観で写真を撮って行きます。
南禅寺界隈の別荘群は、ガイドブックには載ってません。ほとんどが非公開で一般に知られていませんが、そこには贅を尽くした美の空間が広がります。その中でも7代目小川治兵衛作庭の最高傑作の別荘として名高いのが「對龍山荘」です。對龍山荘は南禅寺の塔頭跡地に1896~1899年(明治29~32年)にかけて伊集院兼常(いじゅういんかねつね)※1の別荘として造営されました。その後、市田弥一郎(呉服商「市田」の創始者)が譲り受け、1901~1905年(明治34~38年)に改修が行われ、現在の景観の基礎が出来上がりました。對龍山荘の名は市田氏の所有となった1901年(明治34年)、南禅寺の山号である瑞龍山に対して位置していることからの命名です。庭園は、伊集院兼常が作庭したものを基に七代目小川治兵衛(植治)が作り直しており、広大な敷地には、池や流れ、滝石組の他に、芝生広場が設けられました。また、水車小屋が設けられ、田園の風景をほうふつとさせるとともに、茶室や四阿の存在からは茶会や園遊会などが行えるよう、実用的な作りとなっていることがわかります。こうした近代を代表する庭園としての形態を持ち、また景観的にも非常に優れた庭園として、1988年(昭和63年)には国の名勝に指定されています。建築は、当代随一といわれた大工の島田藤吉(島藤)の建てたもので、中でも對龍台と名付けられた池に張り出すような形で作られた一室からは、建物と庭園だけではなく、背後に広がる東山の景観が一体となった雄大な景色が広がります。一方、伊集院時代に建てられたと思われる聚遠亭(じゅおんてい)からは静寂でやさしい景色を五感で感じることができるなど、園内の随所で様々な風景を楽しむことができます。
※1.伊集院兼常 (いじゅういんかねつね) 1836~1909年(天保7年~明治42年) 明治時代の経営者。もと薩摩鹿児島藩士。海軍省にはいり,1878年(明治11年)工部省営繕局に転じてまもなく退職、鹿鳴館の建築に従事する。のち参宮鉄道,大日本土木の社長をつとめた。




對龍台と名付けられた池に張り出すような形で作られた一室からは、建物と庭園だけではなく、背後に広がる東山の景観が一体となった雄大な景色が広がっています。

對龍台から庭園を見ると、滝が流れており、滝の流れる音が心地良いです。ただ、この音は向こうの滝の音では無く、この對龍台から見えないように、この直ぐ近くに水が流れているからです。
次に同じ階にある「聚遠亭」に向かいました。




母屋にある座敷のひとで、伊集院時代に建てられたと思われるは「聚遠亭(じゅおんてい)」と名付けられていて、床を低くすることで、室内にいながら国の名勝に指定されている庭園との一体感を感じられるということです。



長く伸びた庇に池に反射した光が波打って幻想的な気分にさせてくれます。人が多かったので撮影する所も限られました。

小川のほとりに深い庇を差し出す聚遠亭は、床廻りに古材を用いた数寄屋造りで、多様な材料を駆使した「茶室」も併設されてました。
そして2階に上がりました。大きな丸窓から庭園も見られました。




この2階から金戒光明寺「文殊塔」が見えました。写真では小さく写ってますけど。





2階から庭園も撮りました。室内に美術品も展示されていたので写真撮れませんし、固く禁じられてました。
1階の蔵を利用して「ニトリ美術館」もありましたし、もちろん入りました。ここでは、いろんな歴史的な美術品も見学できます。10時50分ぐらいまで自由に見て回り写真を撮りました。建物の庇を長く出して、部屋から空が見えないようにと、至る所に見る者を驚かす工夫をされており、体調は悪かったけど、写真を撮らして貰える所からは、撮りまくりました😊。
庭園の見学の前に、鞄は置いたままです。スマホの持ち込みも禁じられてて、ただ、この日は体調不良のため、水を飲むことだけは許可してくれました。庭園の案内は、庭師の對龍山荘責任者 加藤 武史氏が約1時間案内して貰いました。
庭園の見学から戻ってくると、荷物が玄関に並べられてて、集合場所で申し込んだ写真集(別途1000円で購入)をいただいて、ここを出て行きました。体調不良のため、お昼も食べずに、ここから一目散に地下鉄蹴上駅に行きました。

蹴上駅12時10分発にも乗れたんですが、駆け込み乗車せずに12時18分発の電車に乗りました。
太秦天神川駅には12時34分に着いて、そのまま帰路に着きました。この日、無理したからかどうか分かりませんが、風邪の症状は、ますます酷くなって、発熱は無かったけど、咳が治まったのは14日(日)でした。妻にも感染したし、15日(月)が通院日でしたので、先生に相談すると「コロナかも知れんね」と言われましたが、5類になったので検査も何も無しです😊。既に咳も治まっていたので。ただ妻は熱は下がっていたけど私と同様に咳が酷かったので、17日(水)に病院に行きました。妻もコロナの検査は無かったと言ってましたね。風邪薬を処方され帰ってきました😊。この日は体調が悪かったので、もし秋に講座があれば参加してみたいです。写真集の紅葉があまりにも素晴らしいので😊。
この講座に受けるに際し、主な注意事項は写真撮影について、係の方より案内があるので、それから撮影すること。ただしSNSにアップするのは厳禁。写真撮影は室内のみ。庭園では不可。動画撮影もNG。貴重な文化財も撮影不可。室内には、持参して来た白の靴下に履き替えること。持ち物は玄関に預け、手ぶらで散策する・・・でした。
以前、これをアップしたときは、当初の注意事項を守って写真のSNS等の投稿を控えました。ただ、2024年(令和6年)9月末より、一般公開を始められ写真撮影及びSNS等の投稿も解禁されました。そして年が明けた2025年(令和7年)1月15日(水)から建物内も公開されるようになりました。建物内のSNS等の投稿も解禁されたことで、以前アップしたのを加筆することにしました。
2018年(平成30年)9月14日に食事にきた「南禅寺参道 菊水」の向かいが對龍山荘の表門でした。ここに着いた時は10時は回ってましたね。
門を入ると玄関から上がります。先ずは履いてきた靴下を脱いで、持参して来た白靴下に履き替えます。そして對龍台で、時間が無いのか早速案内が始まりました。人数が多いので、事前建物の参観、庭園の参観と2組に分けられます。私は建物の参観の組に入りました。

南禅寺界隈の別荘群は、ガイドブックには載ってません。ほとんどが非公開で一般に知られていませんが、そこには贅を尽くした美の空間が広がります。その中でも7代目小川治兵衛作庭の最高傑作の別荘として名高いのが「對龍山荘」です。對龍山荘は南禅寺の塔頭跡地に1896~1899年(明治29~32年)にかけて伊集院兼常(いじゅういんかねつね)※1の別荘として造営されました。その後、市田弥一郎(呉服商「市田」の創始者)が譲り受け、1901~1905年(明治34~38年)に改修が行われ、現在の景観の基礎が出来上がりました。對龍山荘の名は市田氏の所有となった1901年(明治34年)、南禅寺の山号である瑞龍山に対して位置していることからの命名です。庭園は、伊集院兼常が作庭したものを基に七代目小川治兵衛(植治)が作り直しており、広大な敷地には、池や流れ、滝石組の他に、芝生広場が設けられました。また、水車小屋が設けられ、田園の風景をほうふつとさせるとともに、茶室や四阿の存在からは茶会や園遊会などが行えるよう、実用的な作りとなっていることがわかります。こうした近代を代表する庭園としての形態を持ち、また景観的にも非常に優れた庭園として、1988年(昭和63年)には国の名勝に指定されています。建築は、当代随一といわれた大工の島田藤吉(島藤)の建てたもので、中でも對龍台と名付けられた池に張り出すような形で作られた一室からは、建物と庭園だけではなく、背後に広がる東山の景観が一体となった雄大な景色が広がります。一方、伊集院時代に建てられたと思われる聚遠亭(じゅおんてい)からは静寂でやさしい景色を五感で感じることができるなど、園内の随所で様々な風景を楽しむことができます。
※1.伊集院兼常 (いじゅういんかねつね) 1836~1909年(天保7年~明治42年) 明治時代の経営者。もと薩摩鹿児島藩士。海軍省にはいり,1878年(明治11年)工部省営繕局に転じてまもなく退職、鹿鳴館の建築に従事する。のち参宮鉄道,大日本土木の社長をつとめた。







次に同じ階にある「聚遠亭」に向かいました。























1階の蔵を利用して「ニトリ美術館」もありましたし、もちろん入りました。ここでは、いろんな歴史的な美術品も見学できます。10時50分ぐらいまで自由に見て回り写真を撮りました。建物の庇を長く出して、部屋から空が見えないようにと、至る所に見る者を驚かす工夫をされており、体調は悪かったけど、写真を撮らして貰える所からは、撮りまくりました😊。
庭園の見学の前に、鞄は置いたままです。スマホの持ち込みも禁じられてて、ただ、この日は体調不良のため、水を飲むことだけは許可してくれました。庭園の案内は、庭師の對龍山荘責任者 加藤 武史氏が約1時間案内して貰いました。
庭園の見学から戻ってくると、荷物が玄関に並べられてて、集合場所で申し込んだ写真集(別途1000円で購入)をいただいて、ここを出て行きました。体調不良のため、お昼も食べずに、ここから一目散に地下鉄蹴上駅に行きました。


太秦天神川駅には12時34分に着いて、そのまま帰路に着きました。この日、無理したからかどうか分かりませんが、風邪の症状は、ますます酷くなって、発熱は無かったけど、咳が治まったのは14日(日)でした。妻にも感染したし、15日(月)が通院日でしたので、先生に相談すると「コロナかも知れんね」と言われましたが、5類になったので検査も何も無しです😊。既に咳も治まっていたので。ただ妻は熱は下がっていたけど私と同様に咳が酷かったので、17日(水)に病院に行きました。妻もコロナの検査は無かったと言ってましたね。風邪薬を処方され帰ってきました😊。この日は体調が悪かったので、もし秋に講座があれば参加してみたいです。写真集の紅葉があまりにも素晴らしいので😊。
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