世界文化遺産 大雲山 龍安寺へ
3月25日(火)の最高気温は、25.6℃と今季初めての夏日を記録、これは5月中旬頃の気候でした。そのためでしょうか、翌日の26日(水)の最低気温は13.2℃もありました。余談ですが、和歌山県新宮市では29.3℃となり、3月の近畿地方最高気温を更新したようです。そして桜の開花も和歌山県が発表され、近畿地方一番乗りとなりました。2日遅く平年4日早い開花の発表だったようです。
昨日から家族の引越作業で、今日も荷物を運びますが、10時頃から作業したいので、その前に8時から拝観始まる世界文化遺産 大雲山 龍安寺に行くことにしました。
龍安寺には1月17日(金)に「第59回 京の冬の旅」で来ています。それ以来の訪問です。
7時57分に龍安寺の駐車場に車を入れました。ここの開門は8時からとなっていましたが、もう数台止まっています。


8時2分に「山門」前に着きました。この前に拝観受付所があるので、拝観料600円を納めます。



山門から石庭まで距離があるので、ゆっくり歩いて行きます。この石橋の先にあるのが「龍安寺垣」です。






この石段を上がると「庫裏」があって、石庭への入口です。石段の両側には、ここにも「龍安寺垣」がありました。
「庫裏」を入ると受付があるので、そこで拝観券を見せ半券を切られます。

靴を下駄箱に入れ上がります。空いているように見えますが、駐車場に数台止まっていたことで分かってましたが、石庭前に多くの方が座られていました。

この「石庭」と紅枝垂れ桜が綺麗なんですけど、まだ早過ぎます😊。梅が見頃になったのに桜は、まだまだです。
「方丈」には、令和6年度 細川護熙筆「雲龍図」襖絵特別公開(2024年(令和6年)9月1日~2025年(令和7年)3月31日をされているので先に見て行きます。
細川護熙元首相が奉納した「雲龍図」は全40面。この40面には、龍の誕生から成長、そして老いに至るまでの生涯が、9匹の龍を通じて描かれています。
正面が「第六の龍」。荒れ狂う雲烟(うんえん)の中で知恵の真珠を掴み、満足感に満ちた表情をうかべている玉龍が描いてあります。
左が「第五の龍」。誰も通り抜けたことのない巨大な大波と戦っている龍を描いてあります。
右が「第四の龍」。雷神の神通力によって暗黒の断崖に捕縛され、苦痛の表情で自由の身になろうと、岩をつかんでもがいている龍を。
細川護熙元首相の襖絵は、1月17日(金)にも見ていますが、今日は龍をアップにして撮って行きます。

方丈建築でいう「室中の間」から向かって右の「礼の間(下間二の間)」に移動します。「第二の龍」。龍門の奥深い峡谷と断崖の中から湧き出て現れたところを描いている。龍門を登り切った鯉は龍になるとの伝説から。
「第三の龍」。波濤と雲烟の中を天へと上昇していく昇り龍が描いてあります。


方丈の表から裏への移動の途中、「龍安寺垣」と、「侘助椿(わびすけつばき)」が咲いてました。日本最古で、豊太閤(豊臣秀吉)公朝鮮伝来と書いてありました。


次に「礼の間」の奥、「書院の間(下間一の間)」に移動です。額に書いてある書は「大勇猛心」(細川護熙筆)で、勇猛な心。勇み進んで屈しない心。朱印にある「不東」は細川氏の雅号で、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が経典を求めて西域に旅立つ際、目的を果たすまで故郷(東)へ戻らないとした不退転の覚悟を表す語。
「第一の龍」。誕生したばかりの龍。まだ角も短く、全身に産毛のようなものも生えており、あどけなさの残る姿で描いてある。
この裏手に、複製ですが「蹲踞」があります。そこに書いてあるている文字は。「吾唯足知(われただたるをしる)」です。
意味は「己をよく知り貧欲になりすぎるな」というだそうです。本物は非公開で、茶室「蔵六庵(ぞうろくあん)」の手前にあります。


方丈形式では「衣鉢の間(上間一の間)」に来ました。この部屋の屏風は「異風(いふう)」(細川護熙筆)。異風とは、反骨的・風変わりな頑固者の意。先祖が代々藩主であり、細川氏自身も知事を務めた肥後(熊本県)の方言で、異風者と使われる。
ここは「第九の龍」。黄色く灰色の髭を持ち、岩場に悠然と身体を休めているが、眼の鋭さは衰えていない。その姿は有徳の老師や崇高な仙人を思わせる。
こちらは「仏殿」に通じる渡り廊下です。今年の1月17日(金)に「第59回 京の冬の旅」で入りました。

最後の「檀那の間(上間二の間)」に移動です。正面は「第七の龍」。第八の龍より教えを受けている若い龍。下から老龍を仰ぎ見ながらも、口を大きく開き、全身をひるがえす躍動感あふれる姿が描かれています。
最後の龍は正面の「第八の龍」。歯を失い、痩せて白い髭を賢者のような老龍。雲間からしずかに教えを授けている。
方丈前の縁側に腰を下ろして「石庭」を眺めました。かなり長いこと座ってましたが?。






座りながら、少しづつ移動して写真を撮っていると、外国人観光客の団体さんが入って来られ、たちまち縁側は人で一杯に。それより何より香水の匂いが強くて、それで腰を上げました。
ここは禅宗寺院です。何だか質素な寺院には不釣り合いのように思えました。写真は「勅使門」です。
8時27分に「庫裏」から出て行きました。まだ早い時間なんですが、団体さん来られるですね。


先程、内側から見た「勅使門」を外から見ています。この「築地塀」は、遠近法になっており、手前が高く、奥にほど低くなっています。

こちらの門は、「仏殿」に通じています。この黄色の花は「山茱萸 (サンシュ)」と思います。

今日は「桜苑」に行くため、この石段を上がります。その右手にある門は「西の庭」に通じています。
石段を上がると右手に「パゴダ」があります。先の戦災で亡くなられた慰霊のために建立されたようです。


早咲きの桜が咲いてましたが、結界があって今日は入れなくされてました。

こちらは桜というより梅の花のように見えました。こちらも近づくことはできません。

桜苑に入れないのは残念でした。枝垂れ桜が咲き始めてでしたね。それを見て苑路に戻りました。


「藤棚」を過ぎたら、ようやく「鏡容池」が見えました。この時期、紅葉や桜が無いので物足りませんが。




この辺りは紅葉が綺麗です。まだ新芽も出てませんが、その頃に来たいですね。
鏡容池を見ながら歩いて行くと、途中に「水分石(みくまりいし)」が見えきます。これは池の水位を測るために置かれた石だそうです。




8時38分に「山門」を出ました。駐車場から観光バスで来られた団体さん、もちろん外国人観光客の皆さんが来られてました。
こちらに行けば「きぬがけの路」でて、バス停や嵐電の乗り場に向かえます。今日は車で来たので、こちらは通りません。
「山門」の左手に「拝観受付所」があります。前方に人が多いので振り返って撮りました😊。



来た時は、観光バスは1台だけでしたが、8時40分現在、数える7台止まってました。石庭が混雑するばすです。

8時43分に駐車場から出て行きました。ここは無料で止められます。
今日は、最低気温が13.2℃と高かったので、最高気温は23.0℃まで上がりました。4月頃の気温で桜の開花が進みそうで楽しみです😊。
昨日から家族の引越作業で、今日も荷物を運びますが、10時頃から作業したいので、その前に8時から拝観始まる世界文化遺産 大雲山 龍安寺に行くことにしました。
龍安寺には1月17日(金)に「第59回 京の冬の旅」で来ています。それ以来の訪問です。




















「方丈」には、令和6年度 細川護熙筆「雲龍図」襖絵特別公開(2024年(令和6年)9月1日~2025年(令和7年)3月31日をされているので先に見て行きます。
細川護熙元首相が奉納した「雲龍図」は全40面。この40面には、龍の誕生から成長、そして老いに至るまでの生涯が、9匹の龍を通じて描かれています。



細川護熙元首相の襖絵は、1月17日(金)にも見ていますが、今日は龍をアップにして撮って行きます。




























ここは禅宗寺院です。何だか質素な寺院には不釣り合いのように思えました。写真は「勅使門」です。






































今日は、最低気温が13.2℃と高かったので、最高気温は23.0℃まで上がりました。4月頃の気温で桜の開花が進みそうで楽しみです😊。
この記事へのコメント
枯山水の石庭が有名ですが、鏡容池ののびやかな
眺めも魅力ですね。桜の花にまだちょっと
早かったですか。いつか紅枝垂れ桜の季節に
石庭を眺めてみたいものです。長く腰を下ろして
らっしゃった様子ですが、悟りの境地は開かれたでしょうか。
龍安寺は外国人観光客に大人気で、ゆっくり石庭を観賞できるのは9時までですね。それ以降は外国人観光客で縁側は人で一杯になります。9時と言いましたが、観光シーズンなら8時30分まででしょう。今は修学旅行生の姿もあるので、かなり混雑してるでしょうね。
謎を秘めた石庭をゆっくり観賞は、ここ最近は無理です。
きぬがけの路を車で走ると、金閣寺から龍安寺、龍安寺から金閣寺へ行かれ外国人観光客多いです。