清涼寺(嵯峨釈迦堂)の桜

宝筐院の紅枝垂れ桜を見て帰るつもりが清涼寺(嵯峨釈迦堂)の前を通ると、塀越しに綺麗に咲き誇る桜が見えました。それなら寄って行こうと思い境内に入って行くと・・・?。

IMG_7712.jpg宝筐院の門前から見た清涼寺(嵯峨釈迦堂)です。写真の先に「仁王門」があって、その先が「清滝街道」です。

IMG_7713.jpg宝筐院から清滝街道に向かって歩いて行くと、仁王門の手前に通用入口があって、そこから清涼寺(嵯峨釈迦堂)の境内に入りました。

IMG_7714.jpgIMG_7715.jpgIMG_7716.jpg清涼寺(嵯峨釈迦堂)境内の西側に「多宝塔」があって、その回りの桜が綺麗に咲いていました。

IMG_7717.jpgIMG_7718.jpgIMG_7719.jpgIMG_7720.jpg多宝塔の奥には綺麗に枝垂れ桜が咲いてました。その奥には、清涼寺の開祖「奝然上人(ちょうねんしょうにん)の墓」があります。

IMG_7721.jpg余談ですが、その枝垂れ桜の根元で外国人観光客の女性の方、横になって寝てました😡。こちらは右に「第52代嵯峨天皇の宝塔(平安時代中期)」と左に「檀林皇后の宝塔(平安時代末期)」です。明治以前は御陵とされてたものです。

IMG_7723.jpgIMG_7722.jpgその奥に「源融の墓」がありました。源融は第52代天皇の嵯峨天皇の十二男。最高官位は従一位左大臣で、六条河原院を造営したことから、河原左大臣(かわらのさだいじん)と呼ばれました。この源融の山荘があったとされるのが、ここ清涼寺です。源融は嵯峨天皇の御子であり、源氏の姓を賜りました。そして、光源氏のモデルとも言われています。

IMG_7724.jpgIMG_7725.jpgIMG_7726.jpgIMG_7729.jpg今日は予定に無かったけど、「本堂」に入ってみます。何度か入ってますが桜があったかどうかです。

IMG_7730.jpg「本堂」に入るのに、拝観料400円が必要です。入ると右手に拝観受付所があるので、ここで400円を納めました。

お堂内は撮影禁止です。内陣中央に祀られている本尊の釈迦如来像(国宝)祀られており、お参りさせて貰いました。それから庭園に向かいます。

IMG_7731.jpgお堂内にあるスリッパを履き、扉を開けると奥から団体さんが来られました。先頭のガイドさんは京都では有名な京都旅屋の吉村晋弥さんでした😊。

IMG_7732.jpgIMG_7733.jpgIMG_7734.jpg有料エリアの庭園では、桜はこれだけでした。紅葉と違って桜の時期はこんなもんでした。

IMG_7735.jpg渡り廊下の左手には、放生池があって、島の中央には忠霊塔の十三重石塔が見えます。

IMG_7736.jpgIMG_7738.jpg渡り廊下の先には、「弁天堂」があって、紅葉時には綺麗です。正面に軒唐破風を付け、屋根は宝形造り。江戸後期の建立と考えられています。

IMG_7760.jpgIMG_7739.jpgIMG_7740.jpg渡り廊下を降りる先が「大方丈」で、そこには「前庭」があります。あとでじっくり枯山水庭園を見てみます。

IMG_7741.jpgIMG_7742.jpg2024年(令和6年)10月7日(月)に「京都浄土宗寺院 特別大公開」で、この場所で写経をしました。10月だと言うのに暑すぎました・・・全身汗だくに。

IMG_7743.jpgIMG_7744.jpgIMG_7745.jpgIMG_7749.jpgIMG_7750.jpg写経場の前には前途した「方丈前庭園」を見ました。この庭園は、 小堀遠州の作庭とされる枯山水庭園です。

IMG_7748.jpgIMG_7747.jpg「大方丈」の奥に行くと、庫裏があって、その「玄関」があります。通常拝観はここまでです。

IMG_7746.jpgその奥には「茶室」らしき建物がありました。詳細は不明です。

IMG_7754.jpgIMG_7753.jpgIMG_7755.jpgIMG_7761.jpgIMG_7762.jpg「大方丈」から渡り廊下を通って「本堂」に戻りました。桜は渡り廊下から見たものです。

IMG_7763.jpg本堂内では寺宝の展示がありますが、何度か来ているので、ほぼスルーさせて貰いました。こちらは本堂から見た「阿弥陀堂」です。今日は阿弥陀堂には行きません。

平安時代前期、この辺りは嵯峨天皇の皇子が持つ山荘「棲霞観(せいかかん)」が建っていたと伝わります。皇子の名は源融で光源氏のモデルとされています。源融が亡くなったのち、ご子息が、ここを寺院にされ棲霞寺となりました。その本堂に当たるのが現在の「阿弥陀堂」です。現在の建物は江戸時代後期1863年 (文久3年)に再建されたもの。創建当初から阿弥陀堂の本尊として祀られていたのが国宝「阿弥陀如来坐像」で、お顔は源融を写したものと言われています。

IMG_7764.jpg遠目から見た、先に見ていた枝垂れ桜です。本堂に入る前まで、横になって寝ていた外国人観光客の姿無くなってます。何処に行かれたですね。

IMG_7766.jpgIMG_7767.jpgIMG_7768.jpgIMG_7769.jpgIMG_7770.jpgIMG_7771.jpg帰りは境内の東側に咲いている桜を見ていきました。この境内には無料で桜が見られるので、多くの外国人観光客の皆さんが来られてました。

IMG_7773.jpgIMG_7775.jpgIMG_7778.jpg帰りは清涼寺(嵯峨釈迦堂)の正門である「仁王門」から出ました。何年か前に、暴走した車が、この扉を壊したのを記憶しています😊。

IMG_7779.jpg帰りに嵯峨豆腐の名店「森嘉」に寄りました。たまたま誰も居なかったので寄って「飛竜頭」と「豆腐」をお土産に買って帰りました。

豆腐を買ったので、ここからは何処も寄らず帰りました。

この記事へのコメント

2025年05月06日 10:45
清涼寺は分かっていましたが、パスしました。
こちらも桜の時期に魅力のお寺ですね。
もちろん、平安時代から皇室ゆかりの歴史あるお寺。
源融の墓など、興味深い史跡もありますし。
仁王門も立派で。
いつか訪れたいです。
壬生里
2025年05月07日 20:38
ミクミティさんへコメントありがとうございます。

まだレポートは読んでませんが、天龍寺から大覚寺まで、多分、市バスで行かれたのでしょう。28号系統でしょうか。歩いて行かれたのなら、清涼寺(嵯峨釈迦堂)は必ず通るので。( ^_^)
天龍寺の前の中辻通りの混雑も驚かれたでしょう。外国人観光客の皆さんは竹林の小経に多く行かれるので。最近は平日でも人が多くて、駐停車禁止にされても、バスは中々離合できなくて遅延は必至です。なお、土曜日曜は南向き一方通行にはされています。