西国三十三ヵ所二十一番札所 天台宗 菩提山 穴太寺へ
4月15日(火)は雨降りで夕方から晴れてきました。そのためか翌日の16日(水)は放射冷却で冷え込んで、最低気温5.3℃と寒かったです。ただ気象予報士さんの話しでは、今季最後の一桁台で、今後一桁台に下がることは無いらしいです。そう言うことで、この日から気温はグングン上がることとなりました😊。
朝から快晴の天気で冷え込みましたが、お昼前に車で出発します。そして国道9号線を北上し、老ノ坂までは登り。トンネルをくぐったら亀岡市内まで下ります。渋滞を覚悟してきましたが、スイスイ進み亀岡市役所を超えたところで、先ずは休憩です。12時23分に車を止めた所は「道の駅 ガレリアかめおか」です。
ここでトイレ休憩😊。ここには「物産市場アトリオ」もあるので見て回り、一点だけ亀岡の土産買いました。
「道の駅 ガレリアかめおか」を出て、最初の信号を南下。京都縦貫自動車道の高架下をくぐり北上したあと、最初の信号を左折し西に向かい、亀岡運動公園を過ぎた先の信号を左折します。角に「セブン-イレブン 亀岡運動公園前店」があるので、それが目印でした。あとは道なりに南下し、「犬飼川」を渡ると、穴太寺の外塀が見えてきます。あとは穴太寺の仁王門を下った先にある「穴太寺 駐車場」に車を12時42分に入れました。

観光バスも止められるぐらい広いので、何処に止めてもOKです。料金は500円でした。
この日、京都府亀岡市の田園風景のなかにある古刹は、西国三十三ヵ所二十一番札所 天台宗 菩提山 穴太寺です。読み方は、由緒書に書いてあった「穴太寺(あなおうじ)」とします。
穴太寺には2020年(令和2年)12月23日(水)以来、6回目の訪問で、せっかく亀岡まで来たので寄ってみました。


江戸時代中期に再建された「山門」(京都府登録文化財)は、三間一戸の八脚門、入母屋造り、本瓦葺。入口には阿形・吽形の仁王像が睨みを効かせています。
山門をくぐり境内を見ています。5年振りの訪問で懐かしいですね。
穴太寺は菩提山と号し西国三十三ヵ所霊場の二十一番札所として広く知られ、「穴穂寺」「穴生寺」「菩提寺」など呼ばれていた。1450年(宝徳2年)にかかれた「穴太寺観音縁起」によると、第42代天皇の文武天皇(もんむてんのう)の慶雲年中(704~708)大伴古麻呂(おおとものこまろ)大臣が薬師如来を本尊として開創したと伝わる。当時早くから世に知られるようになったのは、聖観音像にまつわる「身代わり観音」の霊験譚(れいげんたん)によると、962年(応和2年)丹波国曽我部の悪評高い郡司宇治宮成(うじのみやなり)の邪心を改心させるため、妻が京都の仏師感世に造らせたものである。見事な金色の観音様に仕上がったお礼として、宮成は自慢の白馬を与えるが、すぐに惜しくなって仏師の後を追い、老ノ坂あたりで仏師を弓で射殺してしまった。馬を連れて家に戻ると観音様の胸に矢が刺さり血を流しておられた。仏師の身代わりになられたれたのだ。観音様の霊験に触れた宮成は心を改め、僧になってお堂を建立すると、観音様が夢枕に立ち「穴太寺に行って薬師様と力を合わせて人々を助けたい」と告げられた。こんな縁で観音様は穴太寺に安置されるようになったという。室町時代には比叡山西塔院の末寺となり室町幕府の庇護を受けたが、天正年間(1573~92)の兵火や明智光秀による亀山城築城による用材として堂宇を壊し流用したことにより伽藍は荒廃した。その後の再興は17世紀中期初代行廣が住職に就いてから。1728年(享保13年)に本堂が焼失するも1737年(元文2年)に再建された。1968年(昭和43年)に重要文化財に指定されていた聖観音菩薩像は盗難に遭い、その後も発見されていない。現在の本尊は佐川定慶仏師の作で、先代と同様に33年に一度御開帳される。前回は2013年(平成25年)でした。
ここに来て、いろいろ思い出すこともあります。今日は堂内に入るつもりで来たので、先ずは境内を散策。こちらは「鐘楼」です。ただ撞くことは禁止とありました。


京都市内では、ほぼ終わった桜が、散り始めてはいますが残ってました。まだ桜の花を見られて良かったです。
そして、さらに南側には「宇治宮成の墓」が残っています。先の逸話に出てきましたね。この逸話は「今昔物語」や、狩野永納筆「穴太寺観音縁起」にも登場します。

「納経所」の側には「藤棚」がありました。菊と、藤の花の開花は遅れているようです。例年どおりなら花が見られたかもです。まもなく咲きそうな蕾が膨らんでました。
先の藤棚の奥、境内の東側には「地蔵堂」があって内部には万体地蔵が安置されてるそうです。
納経所」の東側には「念仏堂」があって、1705年( 宝永2年)の建立。京都府登録文化財に指定されています。
このあと「納経所」に御朱印いただきました。そこで、「今日は庭園見られますか?」と訪ねたら「西側の門から入ってください」と。2020年(令和2年)12月23日(水)に来た時、見られなかったので先に見学させて貰います。
西国三十三ヵ所霊場の御朱印は過去にいただいていたので、今日は御詠歌にしました。
拝観のため、この「表門」から入ります。この薬医門は、1705年(宝永2年)の建立です。
本堂の西側に位置する方丈及び庫裏は円応院と呼ばれ、書院は日光の輪王寺から火災見舞いで贈られた江戸中期の武家屋敷の建物。豪華な欄間の彫刻など陣屋造りの面影を残している。

庫裏を入った右手に「拝観受付所」があって、拝観料は、庭園と書院がそれぞれ300円、両方は500円です。私は後者で入りました。
拝観受付所の奥に寺の台所である「おくどさん」があって、今は使われていません。格子越しに見えました。私は先に書院内を見て行きます。ここの庭園を見るのは2017年(平成29年)5月12日(金)以来です。
とくに案内は無いので、自分のペースで見て行きます。ここの来る時、二組ほど先に来られてて、この方は本堂だけ行かれたようです。

今日は天気が良かったので、是非庭園を見たかったです。2020年(令和2年)12月23日(水)の時は入れなかったので、久しぶりに縁側に座って庭園を見てみます。
京都府の文化財に指定されている庭園は、近年復元されたもので、桃山時代の石組みが残る池泉築山式庭園です。カキツバタやサツキ、松などを配し多宝塔などを借景に取り入れた美しい庭園です。

庭園内にある池に錦鯉が居て、全然動かないです。ただヒレは動いてました。



天気も良いので、久しぶりに見た庭園をゆっくり観賞させて貰いました。

次に西側にある庭園を見てみます。こちらの庭園に関しては記憶がまったく無かったです。

丹波を代表する庭園は府指定名勝に指定されています。池の西側には舟付きがあって、沖合に向けて出舟の形式がとってあるそうです。

この書院内に仏像が安置されていたので、受付で聞いて見ました。お釈迦様と言われたので、多分、釈迦如来立像だと理解しました。
聞いたついでに、いろいろ教えて貰ったわけです。ここが、かつて武家屋敷だったこと。日光の輪王寺が移築されたこと、そして豪華な欄間は忘れずに見て欲しいとも言われたので、見て行きます。




案内して貰って分かった事ですが、豪華な龍の彫り物には日光の輪王寺で武家屋敷だった名残を伺える。
こちらは幕末や明治時代に活躍した孝明天皇や明治天皇にゆかりのある御物の展示です。幕末から明治時代にかけて宮中につとめていた女官の一人が穴太寺の信者さんだったらとく、その方から寄進されたようです。



書院内には誰も居なかったので、ゆっくり観賞しました。次に本堂に行きますが、2組先に行かれていたので、庭園の縁側に座って休憩をしてから行きます。



先に行かれた2組の方が戻って来られたので「本堂」に向かいました。本堂内は撮影禁止ありました。
写真は以前のものです。西側から入ると直ぐに「不動明王立像」が安置されています。そして堂内の中央から天井を見上げると初めて気づきました。花天井だと思いきや「さるかに合戦」の場面を描いてあるとか。見てて面白かったです。
内陣厨子の中央には、ご本尊である「薬師如来像」が安置されているそうですが絶対秘仏だそうです。その右横に西国三十三カ所巡礼のご本尊である聖観世音菩薩立像が安置されてますが、33年に一度御開帳で、お前立の聖観世音菩薩立像が安置されていたのでお参りさせて貰いました。そして本堂内陣の右側には鎌倉時代の作とされる「木造釈迦涅槃像(なで仏)」が安置され布団が掛けられており、自分の体の病のある部分と同じ涅槃像の体の部分を触ると参拝者の病気がよくなると伝わります。この仏様は、明治時代のご住職が、屋根裏で眠っていた像を見つけ本堂に安置されたようですね😊。
本堂内から見た境内の様子です。多宝塔だけ見えています。
本堂の参拝を終え、「表門」から出て行きました。また、1組の方が本堂に入って行かれました。




境内の西側にあるのは「観音堂」です。西国三十三ヵ所各札所の観音が祀られているそうです。

さらに南側には「多宝塔」があって、1804年(文化元年)の再建です。京都府指定文化財となっており、庭園から見たら、この多宝塔が借景となっています。


最後に山門横にあった「鎮守堂(天満宮)」に寄りました。18世紀中期の建立で、菅原道真公を祀る、そして左に「鎮守堂(稲荷明神)」があって、1759年(宝暦9年)の建立です。

13時13分に「山門」から穴太寺を出て行きました。ここは西国巡礼の寺です。人は途切れなかったです。
駐車場を出たら、この先に進みます。行きは、ここから来ました。
この駐車場にも桜咲いてるし、向こうに見えてる山並みにも桜が咲いてました。朝は冷え込みましたが、天気が良かったので気温上がってきました。
この日の最高気温は19.7℃まで上がりました。もう暖房を使うことは無いでしょう。それより今週末には車内に冷房を使うかもです。このあと、今日の目的地に向かいました。
朝から快晴の天気で冷え込みましたが、お昼前に車で出発します。そして国道9号線を北上し、老ノ坂までは登り。トンネルをくぐったら亀岡市内まで下ります。渋滞を覚悟してきましたが、スイスイ進み亀岡市役所を超えたところで、先ずは休憩です。12時23分に車を止めた所は「道の駅 ガレリアかめおか」です。

「道の駅 ガレリアかめおか」を出て、最初の信号を南下。京都縦貫自動車道の高架下をくぐり北上したあと、最初の信号を左折し西に向かい、亀岡運動公園を過ぎた先の信号を左折します。角に「セブン-イレブン 亀岡運動公園前店」があるので、それが目印でした。あとは道なりに南下し、「犬飼川」を渡ると、穴太寺の外塀が見えてきます。あとは穴太寺の仁王門を下った先にある「穴太寺 駐車場」に車を12時42分に入れました。


この日、京都府亀岡市の田園風景のなかにある古刹は、西国三十三ヵ所二十一番札所 天台宗 菩提山 穴太寺です。読み方は、由緒書に書いてあった「穴太寺(あなおうじ)」とします。





穴太寺は菩提山と号し西国三十三ヵ所霊場の二十一番札所として広く知られ、「穴穂寺」「穴生寺」「菩提寺」など呼ばれていた。1450年(宝徳2年)にかかれた「穴太寺観音縁起」によると、第42代天皇の文武天皇(もんむてんのう)の慶雲年中(704~708)大伴古麻呂(おおとものこまろ)大臣が薬師如来を本尊として開創したと伝わる。当時早くから世に知られるようになったのは、聖観音像にまつわる「身代わり観音」の霊験譚(れいげんたん)によると、962年(応和2年)丹波国曽我部の悪評高い郡司宇治宮成(うじのみやなり)の邪心を改心させるため、妻が京都の仏師感世に造らせたものである。見事な金色の観音様に仕上がったお礼として、宮成は自慢の白馬を与えるが、すぐに惜しくなって仏師の後を追い、老ノ坂あたりで仏師を弓で射殺してしまった。馬を連れて家に戻ると観音様の胸に矢が刺さり血を流しておられた。仏師の身代わりになられたれたのだ。観音様の霊験に触れた宮成は心を改め、僧になってお堂を建立すると、観音様が夢枕に立ち「穴太寺に行って薬師様と力を合わせて人々を助けたい」と告げられた。こんな縁で観音様は穴太寺に安置されるようになったという。室町時代には比叡山西塔院の末寺となり室町幕府の庇護を受けたが、天正年間(1573~92)の兵火や明智光秀による亀山城築城による用材として堂宇を壊し流用したことにより伽藍は荒廃した。その後の再興は17世紀中期初代行廣が住職に就いてから。1728年(享保13年)に本堂が焼失するも1737年(元文2年)に再建された。1968年(昭和43年)に重要文化財に指定されていた聖観音菩薩像は盗難に遭い、その後も発見されていない。現在の本尊は佐川定慶仏師の作で、先代と同様に33年に一度御開帳される。前回は2013年(平成25年)でした。









このあと「納経所」に御朱印いただきました。そこで、「今日は庭園見られますか?」と訪ねたら「西側の門から入ってください」と。2020年(令和2年)12月23日(水)に来た時、見られなかったので先に見学させて貰います。
西国三十三ヵ所霊場の御朱印は過去にいただいていたので、今日は御詠歌にしました。

本堂の西側に位置する方丈及び庫裏は円応院と呼ばれ、書院は日光の輪王寺から火災見舞いで贈られた江戸中期の武家屋敷の建物。豪華な欄間の彫刻など陣屋造りの面影を残している。


拝観受付所の奥に寺の台所である「おくどさん」があって、今は使われていません。格子越しに見えました。私は先に書院内を見て行きます。ここの庭園を見るのは2017年(平成29年)5月12日(金)以来です。



京都府の文化財に指定されている庭園は、近年復元されたもので、桃山時代の石組みが残る池泉築山式庭園です。カキツバタやサツキ、松などを配し多宝塔などを借景に取り入れた美しい庭園です。












聞いたついでに、いろいろ教えて貰ったわけです。ここが、かつて武家屋敷だったこと。日光の輪王寺が移築されたこと、そして豪華な欄間は忘れずに見て欲しいとも言われたので、見て行きます。















内陣厨子の中央には、ご本尊である「薬師如来像」が安置されているそうですが絶対秘仏だそうです。その右横に西国三十三カ所巡礼のご本尊である聖観世音菩薩立像が安置されてますが、33年に一度御開帳で、お前立の聖観世音菩薩立像が安置されていたのでお参りさせて貰いました。そして本堂内陣の右側には鎌倉時代の作とされる「木造釈迦涅槃像(なで仏)」が安置され布団が掛けられており、自分の体の病のある部分と同じ涅槃像の体の部分を触ると参拝者の病気がよくなると伝わります。この仏様は、明治時代のご住職が、屋根裏で眠っていた像を見つけ本堂に安置されたようですね😊。
















この日の最高気温は19.7℃まで上がりました。もう暖房を使うことは無いでしょう。それより今週末には車内に冷房を使うかもです。このあと、今日の目的地に向かいました。
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