禅の教えの庭 大徳寺 大仙院へ
5月8日(木)は、昨日からの快晴の天気が続き、この時期では珍しく朝は寒かったです。最低気温は8.8℃まで下がりました。天気も良いので、大徳寺で行われている「春の特別公開」が5月15日(木)で終了することもあって、大徳寺に向かうことにしました。
大徳寺の春の特別公開は、開門が10時からです。常時拝観している寺院の開門は9時からで、特別公開の行く前に常時拝観している寺院を何箇所か回ることにし、家を車で出て、「大徳寺駐車場」に8時44分に入れました。
この時間には、ほぼ車は止まってません。11時前には多くの車が止まってましたね。なお、檀家さんは専用の駐車場があるようです。

トイレを済ませたので、8時48分ま「総門」から大徳寺の境内に入りました。門には特別拝観の看板が出てました。

非公開の金毛閣と呼ばれる「三門」を見ながら、大徳寺の境内を北に向かって歩いてきます。
境内を歩いて行くと、左手に「大徳寺塔頭 聚光院」があって、ここは非公開です。忘れた頃に特別公開されてますが・・・。

この日、最初の訪問の寺院である大きな「石標」がありますが、正面の寺院ではありません。
この先には、ほぼ常時拝観されている「大徳寺 芳春院 盆栽庭園」と、非公開の「大徳寺 芳春院」があります。先月、盆栽庭園で、樹齢200年を超える盆栽などの盗難事件が発生し京都府警北署が窃盗事件として捜査されています。残念な事件で、💢しかないです。

8時54分に「山門」に着きました。門は開門されてますが、結界があって進めません。行く所も無いので待つことに。
この日、訪れたのは、2024年(令和6年)12月27日(金)以来の、大徳寺 大仙院で、ここは常時拝観をされています。


私の時計では、9時2分過ぎに、結界を外されました。今日は拝観休止されるのかと思いましたね。


門を入ると、白色の「花水木(ハナミズキ)」が咲いてました。先ずは「玄関」から靴を脱いで上がります。
正面に拝観受付所があるので、拝観料500円を納めました。御朱印は、聞くと1種類のみということで、2024年(令和6年)12月27日(金)にいただいているので、そのまま中に入りました。


最初は、「方丈(本堂)」の南に広がる「南庭」を見ました。白砂が広がる静の世界観が、そこにあります。

広々と広がる空間に、1対の「盛砂」、西南隅に1本の「沙羅双樹」が植えられて、古式を今に伝えてます。

1513年(永正10年)に建てられた「本堂(方丈)」は創建当初の建物で、内部の床の間と「玄関」は、禅宗の方丈建築としては東福寺龍吟庵につぐ古い遺構の一つとされ国宝に指定されています。

「本堂(方丈)」の西側には、「南庭」から続く白砂の静かな庭園が続いています。


「方丈(本堂)」の北側には、中根金作が作庭した穏やかな「中海」を表現した白砂が一面、敷き詰められてて、椿が一本植えられています。
あとで見る蓬莱山から落ちる滝から流れる水が、この中海に注いでいる様子を枯山水で表現されてます。中根金作は、昭和の小堀遠州とたたえられる名作庭家で知られています。





手前から「仏盤石」、「独醒石」、下の写真では「亀島」が、奥の平な石が「坐禅石」です。

2024年(令和6年)12月27日(金)に来た時は、陽が差してて、綺麗な写真を撮れなかったけど、今日はちょうど良い陽の当たり具合でした。
奥の立っている石、手前の大きな石が「不動石」と横に「観音石」、奥の一回り小さな二つの石が「枯滝石組」、そこから流れ出る水が「石橋」の下を流れています。右の大きな石が「鶴島」です。

「方丈(本堂)」の東に出ました。先の「石橋」や「鶴島」を正面から見ています。ここが特別名勝・史跡の「書院庭園」です。

手前の平な石は「沈香石(ちんこうせき)」、奥に「法螺貝石」が。縁側には「庭に降りては行けません」も書いてあります。外国人観光客の皆さん降りたのかなぁ😊。
この「沈香石(ちんこうせき)」の上に、千利休が花を生け、豊臣秀吉が涼しげな風情に大変喜んだと伝えられています。

滝組から流れ出て水が、この堰に至ります。この堰は「渡廊(カ亭橋)」といいます。この堰の左手奥が「達磨石」です。




滝組から流れでた水は「渡廊(カ亭橋)」を超えます。そこには 川に浮かぶ「船石」が浮かんでいます。
そして、方丈前の大海に注がれていくのでしょう。開祖古岳宗亘禅師による室町時代の代表的な枯山水庭園は見事です。このあと、寺の方に勧められ堂内に入りました。
大仙院の御朱印は、「拈華殿」と書かれます。「方丈(本堂)」の扁額にも書かれてました。別名のようですね。
堂内内陣の中央には開祖「古岳宗亘禅師坐像」が安置されてました。襖絵は狩野元信筆「四季花鳥の図」と狩野之信筆「四季耕作の図」でした。之信は元信の弟であり、共々狩野派の始祖とされています。
次に、寺の方に開けて貰ったのが国宝「書院茶室」で室内は撮影禁止とありました。
千利休と太閤秀吉ゆかりの茶室だそうで、別名「すいしょうしつ」と呼ばれる茶室は、室町時代、この部屋で千利休が豊臣秀吉にお茶を献じたといわれています。
9時20分に玄関から出て来ました。今日はお菓子をいただきませんでしたが、寺の方より、「今日は前住職の尾関宗園さんが来られてます」と。覗くと確かにおられました。
今年93歳とか、後ろ姿だけでしたが、お元気そうでした。「檀越歌(だんのつか)」の裏にサインいただいています。
玄関を出たら、正面に「鐘楼」がありました。そして、「山門」から出て行きます。今日は、寺内で出会ったのはお一人だけでした。




このとき、9時24分でした。まだ10時には時間が余ってます。それで、大徳寺で常時拝観している寺院に寄ることにし、これから向かいます。
大徳寺で常時拝観されている寺院は、龍銀院、瑞峯院、高桐院ですが、高桐院はコロナ禍から拝観を再開されてません。龍吟庵と瑞峯院のどちらがです。近くに行ってから決めたいです。
大徳寺の春の特別公開は、開門が10時からです。常時拝観している寺院の開門は9時からで、特別公開の行く前に常時拝観している寺院を何箇所か回ることにし、家を車で出て、「大徳寺駐車場」に8時44分に入れました。








この先には、ほぼ常時拝観されている「大徳寺 芳春院 盆栽庭園」と、非公開の「大徳寺 芳春院」があります。先月、盆栽庭園で、樹齢200年を超える盆栽などの盗難事件が発生し京都府警北署が窃盗事件として捜査されています。残念な事件で、💢しかないです。


この日、訪れたのは、2024年(令和6年)12月27日(金)以来の、大徳寺 大仙院で、ここは常時拝観をされています。



















あとで見る蓬莱山から落ちる滝から流れる水が、この中海に注いでいる様子を枯山水で表現されてます。中根金作は、昭和の小堀遠州とたたえられる名作庭家で知られています。








奥の立っている石、手前の大きな石が「不動石」と横に「観音石」、奥の一回り小さな二つの石が「枯滝石組」、そこから流れ出る水が「石橋」の下を流れています。右の大きな石が「鶴島」です。




この「沈香石(ちんこうせき)」の上に、千利休が花を生け、豊臣秀吉が涼しげな風情に大変喜んだと伝えられています。









堂内内陣の中央には開祖「古岳宗亘禅師坐像」が安置されてました。襖絵は狩野元信筆「四季花鳥の図」と狩野之信筆「四季耕作の図」でした。之信は元信の弟であり、共々狩野派の始祖とされています。

千利休と太閤秀吉ゆかりの茶室だそうで、別名「すいしょうしつ」と呼ばれる茶室は、室町時代、この部屋で千利休が豊臣秀吉にお茶を献じたといわれています。

今年93歳とか、後ろ姿だけでしたが、お元気そうでした。「檀越歌(だんのつか)」の裏にサインいただいています。






大徳寺で常時拝観されている寺院は、龍銀院、瑞峯院、高桐院ですが、高桐院はコロナ禍から拝観を再開されてません。龍吟庵と瑞峯院のどちらがです。近くに行ってから決めたいです。
この記事へのコメント
その中の大仙院は、素朴でありながら重厚感と気品を持つお寺だなと思います。
新緑も綺麗ですね。
それと、禅ガーデン、まさに枯山水の庭園が見事としか言いようが無いです。
手入れが行き届いた美しい砂紋が、日光を浴びて際立っています。
美しいですね。
大仙院は、長らく門を入ってから全面的に撮影禁止されてましたが、昨年から解禁されました。
特別名勝に指定されている庭園は、見所多く、ゆったりと鑑賞したいものです。
ここは海外からの観光客に人気があるので、多くの外国人観光客の皆さんで賑わってます。