キリシタン大名 大友宗麟の菩提寺 大徳寺 瑞峯院へ
大徳寺 大仙院を出て、次に常時拝観されている寺院は、瑞峯院か龍吟庵のどちらがです。龍吟庵には、2024年(令和6年)1月17日(水)に行ってるし、瑞峯院には、2020年(令和2年)9月15日(火)以来、行ってません。それで、大徳寺 瑞峯院の方に行くことにしました。
9時28分に重要文化財に指定されている「表門」前に着きました。室町時代の禅宗建築を今に伝えてます。
瑞峯院は大徳寺の塔頭。キリシタン大名として知られる大友宗麟公が、1535年(天文4年)に、大徳寺第九十一世の徹岫宗九(普応大満国師)を開祖して創建した。大友宗麟は義鎮(よししげ)から22歳のとき得度をうけ宗麟と改名。自らの法名である瑞峯院殿瑞峯宗麟居士をとって瑞峯院の名付けた。本堂、唐門、表門(ともに重文)は創建当時のもの。方丈には後奈良天皇(第105代天皇)の宸筆による「瑞峯院」の寺額を掲げている。1961年(昭和36年)、開祖大満国師400年遠忌と「京都林泉協会」の創設30年を機に、重森三玲によって、方丈南に「独坐庭」と北に「閑眠庭(かんみんてい)」が作庭された。茶席安勝軒は通常拝観。平成待菴は拝観予約必要。境内の墓地には宗麟夫妻の墓がある。

玄関を入って右手に「拝観受付所」があって、拝観料400円を納めます。

玄関から上がると順路に従って「方丈(本堂)」に出ます。写真は、内側から見た重要文化財に指定されている「唐門」です。



方丈の南庭は「独坐庭」です。開祖大満国師400年遠忌を機に作庭された現代の創作的な蓬莱山式庭園です。次に腰を下ろして見てます。


庭園の右側に築山を設け石組みを配し、その巨石は蓬莱山に見立てている。白砂は大海を、苔は州浜を意味する。
蓬莱山は、瑞峯院の寺号を象徴する霊峰、雄峰を表現し、荒海の波を受けながら屹立する力強い石組みはみものです。誰も居なかったので、暫く座って見てました。



次に「方丈(本堂」の西側に回り込むと、茶室「餘慶庵(よけいあん)」の腰掛けがある「中庭」に出ます。こちらの茶室は非公開です。
「方丈(本堂」の北側に出ました。ここも前途した「閑眠庭(かんみんてい)」があって、命名は禅語の「閑眠高臥(こうが)して青山に対する」から。


7個の石組みからは、見る角度から隠されている十字架が浮かび上がる。庭を斜めに横切る十字架、キリシタン大名の大友宗麟の思いを汲んだ作為が伺える庭園でしょう。
「閑眠庭」から、次に渡り廊下を通って茶席「安勝軒(あんしょうけん)」があるので、そちらに向かいます。



表千家惺斎宗左(せいさいそうさ)宗匠好みで、大徳寺山内唯一の、三畳台目の逆勝手席(右側に勝手があり、左に向かい御点前をする)です。
宗麟の時代にも安勝軒と銘したものがあったそうですが廃され、1928年(昭和3年)に作られた茶席です。非公開ですが、この奥に「平成待庵」がありますが非公開です。
茶室内には、5月らしい掛け軸も架かってました。見学も終え早々と出ることに。
渡り廊下の右に「閑眠庭」、左に「中庭」、そして非公開の「書院」があります。2014年(平成26年)9月20日(土)には、ここに入ってお菓子と抹茶をいただきました。
「中庭」を見ると、「織部灯籠」を見つけました。キリシタン灯籠ですね。この灯籠を起点に閑眠庭の十字架に繋がるわけです。
先に2020年(令和2年)9月15日(火)以来と思ってましたが、ここに来て2021年(令和3年)3月15日(月)に「京の冬の旅」で、非公開の「平成待庵」に行ってました。4年振りの訪問ですね。
このとき、9時35分でしたので、10時まで時間があるので、拝観受付所にあった「抹茶」をお願いました。利用金は一服500円です。



お菓子は、「本家玉壽軒」の「紫野」です。大徳寺納豆が和三盆と落雁の衣で包まれてて、落雁の上品な甘味と、大徳寺納豆の渋みが調和した名品で美味しかったです。


お菓子をいただい、障子を開けると外国人観光客の皆さんが来られててビックリ。最後に「方丈(本堂)」(重文)の仏間を見てお参りすることに。1535年(天文4年)に建造され正面に開祖大満国師の木像が安置されてます。
前途したとおり「方丈(本堂)」には後奈良天皇(第105代天皇)の宸筆による「瑞峯院」の寺額を掲げてます。
ここを出る前に、重要文化財に指定されている「唐門」を撮りました・・・と言うより、撮り損ねてて古いのを使いました。

9時53分に「表門」から出ました。次は、10時開門の特別公開に向かいます。ただ歩いて2分もかからないけど。
次は黄梅院に向かいます。その前に常時拝観している龍吟庵の前を通りました。ツツジが綺麗に咲いてましたが、今日は入りません。
9時28分に重要文化財に指定されている「表門」前に着きました。室町時代の禅宗建築を今に伝えてます。
瑞峯院は大徳寺の塔頭。キリシタン大名として知られる大友宗麟公が、1535年(天文4年)に、大徳寺第九十一世の徹岫宗九(普応大満国師)を開祖して創建した。大友宗麟は義鎮(よししげ)から22歳のとき得度をうけ宗麟と改名。自らの法名である瑞峯院殿瑞峯宗麟居士をとって瑞峯院の名付けた。本堂、唐門、表門(ともに重文)は創建当時のもの。方丈には後奈良天皇(第105代天皇)の宸筆による「瑞峯院」の寺額を掲げている。1961年(昭和36年)、開祖大満国師400年遠忌と「京都林泉協会」の創設30年を機に、重森三玲によって、方丈南に「独坐庭」と北に「閑眠庭(かんみんてい)」が作庭された。茶席安勝軒は通常拝観。平成待菴は拝観予約必要。境内の墓地には宗麟夫妻の墓がある。











蓬莱山は、瑞峯院の寺号を象徴する霊峰、雄峰を表現し、荒海の波を受けながら屹立する力強い石組みはみものです。誰も居なかったので、暫く座って見てました。













宗麟の時代にも安勝軒と銘したものがあったそうですが廃され、1928年(昭和3年)に作られた茶席です。非公開ですが、この奥に「平成待庵」がありますが非公開です。



先に2020年(令和2年)9月15日(火)以来と思ってましたが、ここに来て2021年(令和3年)3月15日(月)に「京の冬の旅」で、非公開の「平成待庵」に行ってました。4年振りの訪問ですね。












次は黄梅院に向かいます。その前に常時拝観している龍吟庵の前を通りました。ツツジが綺麗に咲いてましたが、今日は入りません。
この記事へのコメント
得度を受けて自らの法名を京都のお寺に名付けるくらいですから仏教にも深く帰依してはず。それなのにキリシタンになるのですから、政治的な思惑や葛藤があったことかと思います。それが戦国大名として台頭する一つの生き方だったのかなと思ってしまいます。そんな激動の時代に思いを馳せたくなる場所ですね。
こちらの方丈庭園の砂紋は、幅広で独特な個性があっていいなと思いました。
昭和の名作庭家である重森三玲氏の庭は、それぞれ意味があって、キリシタン大名であった大友宗麟を意識されたのでしょうか、石の並びが十字架になったり見所多いです。
大徳寺納豆も美味しかったです。