青モミジ新緑が美しい鹿王院へ

5月13日(火)は、暖かい空気に覆われ、京都府福知山市では最高気温が29.3℃まで上がり、京都市では28.0℃を記録。お昼過ぎには既に夏日の25℃以上となってました。気象予報士さんの話しでは、6月中旬頃の気温だそうです。ただ、朝の最低気温は12.2℃と、比較的涼しかったけど、陽が上がるとともに暑くなりましたね。そんな暑い中、綺麗な新緑を見に鹿王院に行きました。

鹿王院には何度か来てますが、最近では2024年(令和6年)10月31日(木)に、令和6年度 第60回 「京都非公開文化財特別公開」に来てました。

IMG_0987.jpg8時56分に「山門」前に着きました。既に開門されているので入ります。奥の緑が鮮やかですね、天気が良いので青空に映えます。

IMG_0988.jpg山門に架かる扁額、『覚雄山』の三字は、開基足利義満(室町幕府3代将軍)の自筆です。

IMG_0990.jpgIMG_0991.jpgIMG_0993.jpgIMG_0996.jpgIMG_0997.jpgIMG_1002.jpgIMG_1005.jpg青モミジの新緑を撮りながら参道を進むと、左手に「竹の小経」があります。こと時は帰りに寄るつもりでしたが、今日は行きませんでした。

IMG_1006.jpgIMG_1007.jpgIMG_1008.jpgIMG_1009.jpg天気が良かったので、青モミジが映えてます。奥に進むと次に「中門」があってくぐります。

IMG_1010.jpg中門を入ると、正面に「庫裏」が見えます。紅葉時には山門前に拝観受付所を設けられますが、この時期は庫裏の中に拝観受付所があります。

IMG_1013.jpgIMG_1015.jpgIMG_1014.jpg庫裏」に来た時、既に9時を回っていました。入ると右手に窓口があるので、チャイムを鳴らすと奥が出て来られました。

IMG_1068.jpgIMG_1016.jpg拝観料は600円でした。誰も居ないように思いますが、ここは宿坊もされているので、堂内に何人いるか分かりません。

IMG_1018.jpgIMG_1019.jpgIMG_1020.jpg先ずは、「客殿」に入って、「本庭」を見ました。舎利殿を中心に、嵐山を借景にしている庭園です。それにしても雲一つ無い晴天です。

IMG_1021.jpgこの時、庭の手入れをされてました。帰りにもう一度庭の写真は撮ってみます。

IMG_1022.jpg
IMG_1064.jpg
客殿」に架かる扁額の「鹿王院」の文字は、室町幕府3代将軍足利義満公(准三宮 )によるもの。「准三宮」の文字も読み取れます。

IMG_1024.jpgIMG_1025.jpgIMG_1026.jpg庭の手入れをされているので、さきに「昭堂(本堂)」や「舎利殿」に向かいます。とその前に、この渡り廊下で映画の撮影があったようです。

ここに行ったあと、映画「仕掛人・藤枝梅安」を見ていると、その映画のワンシーンで鹿王院が出てきました。「客殿」から「昭堂(本堂)」に至る渡り廊下で撮影されたようです。そのシーンは、早乙女太一さん、板尾創路さん、井上小百合 さんが演じるお千枝が、悪代官の板尾創路さん演じる旗本・嶋田大学に訴えるシーンでした。見ていて直ぐに鹿王院と分かりましたね😊。

IMG_1030.jpgIMG_1031.jpg渡り廊かの先が「昭堂(本堂)」です。堂内は暗いです。ずっと以前は撮影できましたが、今は堂内撮影禁止です。

堂内中央には本尊の「釈迦如来坐像」(南北朝時代)と運慶作と伝わる「十大弟子像」(鎌倉時代前期)が、十大弟子像は前列右から「舎利弗」(しゃりほつ)、「須菩提」(すぼたい)、「優波離」(うばり)、「阿難」(あなん)、「目連」(もくれん)、「迦旃延」(せんえんか)。後列右より「羅睺羅」(らごら)、「阿那律」(あなりつ)、「富楼那」(ふるな)、「迦葉」(かしょう)が安置されています。

左手には「応永鈞命絵図」(おうえいきんめいえず)が架かってます。これは、1426年(応永3年)に室町幕府4代将軍足利義持の命により臨川寺佳持月渓が製作したもの。天龍寺に伝わったものを鹿王院虎岑(こしん)和尚が江戸時代前期の元禄年間に写したもので15世紀前半の嵯峨一帯の絵地図です。

後方の左には開基の室町幕府3代将軍「開基足利義満公衣冠束帯姿像」が、中央には「弥勒菩薩坐像」(中)(室町幕府前期)、「賢渓玄倫和尚像(けいけいげんりん)」(右)(鹿王院十一世)、「虎岑玄竹(こしんげんちく)和尚像」(鹿王院十二世・鹿王院中興の祖)、右に「開山普明国師(ふみょうこくし)」を安置。普明国師は鹿王院開山の春屋妙葩(しゅんおくみょう)は国師号を受けたのでそう呼ばれた。その真下には宝篋塔があるそうです。


IMG_1037.jpg渡り廊下の回廊の突き当たりにあるのが「舎利殿」です。今から、そちらに向かいます。

IMG_1038.jpgIMG_1039.jpgIMG_1040.jpg舎利殿」には自分で扉を開けます。出る時は、鳥が入るので閉めて出ます。現在は撮影禁止ですが、2023年(令和5年)11月24日(金)では撮れました😊。

入ると正面に、鹿王院第十三世松嶺和尚(江戸前期)が堺より奉納された「涅槃図」(作者不詳)が架かってました。江戸時代前期の作のようです。

堂内中央の須弥壇上の大厨子には銅製鍍金の「多宝塔」があって、その内には水晶の玉内に「仏牙舎利」が奉安されてます。ここの仏牙舎利は、鎌倉幕府3代大将軍源実朝が、中国宋の都臨安の能仁寺より鎌倉に請じ、当初は大慈寺のち円覚寺に奉納され、南北朝時代に後光厳天皇(北朝第4代天皇)がその一部を京都に献じ、1374年(応安7年)に鹿王院の開山普明国師に下賜されたもの。

お堂の回りには、取り囲むように「十六羅漢図」(狩野鶴嶺筆)が架かってました。仏牙舎利は、毎年10月15日のみ、開扉される。


IMG_1046.jpgIMG_1047.jpgIMG_1048.jpg「舎利殿」を出て、回りを巡ります。入口の反対側(東側)に扁額があって「駄都殿」と書いてあります。駄都とは舎利(しゃり)のことだそうです。「舎利殿(駄都殿)」ですね。

IMG_1049.jpg舎利殿(駄都殿)」から見た「客殿」です。お一人来られたようで、縁側に座られてます。

IMG_1045.jpgIMG_1050.jpg先程入った「昭堂(本堂)」の全景です。昭堂は、 開山堂と仏殿(本堂)を兼ねています。開山堂とは、寺の開山(初代住持)を祀る建物。寄棟造、棧瓦葺の簡素な禅宗様(唐様)本位の建物となっています。

IMG_1051.jpgIMG_1052.jpgIMG_1027.jpg次に非公開の茶室芥室(かいしつ)」に行ってみます。もちろん開いてないのは分かってますが。

IMG_1053.jpgIMG_1054.jpgIMG_1055.jpgIMG_1057.jpgこの「本庭」は嵐山を借景にしています。多分、高さ制限でもあるのでしょう、住宅やビルは見えません。

IMG_1061.jpgIMG_1065.jpgIMG_1066.jpgIMG_1017.jpg9時20分に玄関から出て行きました。紅葉の時期には混雑しますが、新緑の時期は少ないです。お一人だけでした。

IMG_1069.jpgIMG_1070.jpgIMG_1071.jpgIMG_1072.jpgIMG_1074.jpgIMG_1075.jpg「中門」を出て、左手(西側)に、「紫蘭(シラン)」が咲いてました。

IMG_1076.jpgIMG_1077.jpgIMG_1078.jpgIMG_1079.jpgIMG_1081.jpgIMG_1080.jpg青モミジの新緑を見ながら9時23分に「山門」から出て行きました。前途したとおり「竹の小経」はスルーしてます。それには理由があって・・・。

今日は、これから用事があったので、車で迎えに来て貰ってました。着いたと連絡を受けたので、出たわけです。これから出掛けると暑さには注意する必要が出てきましたね、水は必須です。長期予報では6月は平年より、かなり高いそうで、今年の夏も暑いみたいです。

この記事へのコメント