紅葉の名所も青モミジの新緑が美しい小倉山 二尊院へ
5月15日(木)は、京都市内を、京都御所から下鴨神社、そして上賀茂神社に至る「葵祭」の行列が練り歩きます。市内は交通規制をされるので、市内は混雑必至です。5月13日(火)が快晴の天気をもたらした高気圧は東に去りつつあって、天気の良いのは今日まで。明日以降は湿気も多くなって蒸し暑い気候にかわるとの予報が出てました。それに17日(土)から20日(火)まで、雨降りと出ていて、梅雨の走りのような天気になるみたいです。例年10日(土)前後に梅雨入りする沖縄地方は、天気が良いので、まだ梅雨に入る気配はありません。先に九州南部が梅雨入りしそうなことを気象予報士さんが言ってました。
余談ですが、翌日の16日(金)に九州南部(鹿児島・宮崎)が沖縄や奄美地方に先駆けて梅雨に入りました。去年より23日早く平年より14日早い梅雨入りで、九州南部が全国で一番早く梅雨入りするのは、1951年(昭和26年)の統計開始以来、初めてのようで、これも地球温暖化の影響でしょうか。
今まで、気温が上がっても湿気が少なかったので、蒸し暑さはありまんでしたが、そろそろ歩くと汗をかく季節がやって来ましたね、ただ新緑は綺麗に輝く季節となりました。それで、紅葉の名所で有名ですが、青モミジの新緑を見に小倉山 二尊院に向かいました。二尊院には、2023年(令和5年)10月30日(月)に、特別公開された「二尊院の二十五菩薩来迎図」に来て以来です。
二尊院には「愛宕街道」を歩いて向かいます。いつも近道になるので清涼寺(嵯峨釈迦堂)の境内を横切りますが、その前に「愛宕山」を撮りました。手前は、曼荼羅山の「鳥居形」です。
早く着きそうだったので、いろいろ寄り道したんですが、9時56分に「山門」前に着きました。
愛宕街道を緩やかに登って行く、前方に外国人観光客の皆さんが歩かれて行かれます。外国人観光客に大人気の「竹林の小経」から、祇王寺や化野念仏寺、そして遠くの愛宕念仏寺に行かれるみたいです。私が向かっていた二尊院も数組の方が入られてるでしょう。
紅葉の季節では、9時の開門前には行列は必至です。驚いたことに、もう開門されてました。
山門を入った右手に「拝観受付所」があって、拝観料500円を納め、参道に入ります。

こちらが紅葉時に真っ赤に染まる「紅葉の馬場」です。前方まで見ても誰も居ません。





新緑に輝く青モミジを見ながら、ゆっくり「紅葉の馬場」を上がりました。

こちらは「黒門」ですが、今日は「勅使門(唐門)」から入ります。


「勅使門(唐門)」の扁額は「小倉山」と書かれています。よく見ると勅額と書いてあるので、後柏原天皇(第104代天皇)の宸翰でしょう。
入ると正面に雄大な「本堂」(京都市指定文化財)があります。平成の大改修で、美しさ壮麗さを取り戻しました。
この石碑には、天皇皇后両陛下が植樹されたことが書かれてます。先代か先々代でしょう。
「本堂」に上がるのは、向かって左側から靴を下駄箱に預けて上がります。手前には社務所もあって、御朱印はここでいただけます。

本堂内陣の中央には、二尊院の名の由来となった、奈良の仏師によってつくられたご本尊は二尊で祀られてて、「木造釈迦如来立像」 と「阿弥陀如来像」は、ともに重要文化財です。
この掛け軸は、「法然上人足曳きの御影」のようです。足を伸ばして休息して中の上人を描いた画に上人が加持したところ足がひかれたという。
内陣を本堂の北側に出ました。北側には「御霊屋」があります。以前は、「御霊屋」の扁額が架かってましたが、今はありません。
次に「本堂」の裏側に行きます。そこには山の斜面を利用して「六地蔵菩薩」が安置されているから。





上から「地獄道」、「修羅道」、「餓鬼道」、「畜生道」、「天道」、「人間道」の順で撮っていきました。
先般、大田神社でも見ていた「タゴガエル」の張り紙がここにもありました。昼間では姿を見せないけど、鳴き声を聞けるらしいです。

「本堂」の南に行くと“鹿威し”の音が聞こえますが、いつものように姿が見えません😊。
その南側には、通常非公開の茶室「御園亭」があって、通常は非公開です。
後水尾天皇(第108代天皇)と東福門院(徳川和子)との第五皇女、賀子内親王(よしこないしんのう)御化粧間「御園亭」は、1697年(元禄10年)に御所より移築されました。
「本堂」から出る時に、お願いしていた朱印帳を受取ました。今日は御詠歌を書いて貰ってます。
私が、出るのと入れ替わりに外国人観光客(東洋系)が入って来られました。社務所で聞くと、平日はほぼ外国人観光客ばかりだそうです。
「本堂 」に掲げられている扁額は、後奈良天皇(第105代天皇)の自筆によるもの。「二尊院」は、再建時に与えられたものです。

二尊院では花手水も見所の一つです。今日は、予想していたより少なかったですね。
花手水の奥にあるのが「弁天堂」です。内陣は見えませんが九頭龍大神・宇賀神が祀られているようです。
弁財天堂の前には「扇塚」があります。 山内流始祖・二代、吉村流開祖・二代・三代の家元を供養するために、吉村流第四世家元 吉村雄輝らが建てたものだそうです。
二尊院に来たら、必ずに展望所まで行きます。ただ急な石段を登る必要があります。石柱には「角倉了以翁墓道」と書いてありました。

登る前に右手にある「鐘楼」と「藤原定家卿七百年祭記念」の碑を撮りました。




急な石段を登った先にの正面に「湛空廟」があって、内部には石碑が祀られており、二尊院で教えを広めた僧、湛空上人の碑が納められています。
ここから展望所に向かいます。案内には「時雨亭跡」と出ています。ただ山路の奥に歩いて行くので、いつも少々怖いです。


展望所に行くのは、今だけですね、ススメバチやマムシに注意と書いてあるので、それに落石も怖いです。

歩いて2分ぐらで「時雨亭跡」が見えてきました。ここまで来たら安心です。

こちらが藤原定家卿の山荘とされる「時雨亭跡」です。常寂光寺、厭離庵にもあります。どれが本物が分かりません😊。
ここに「展望所」があって、床几もあります。今日は暑かったので、しばし休憩です。

普通に撮ったら、こんのような風景です。私は年の割には視力が良いので、遠くのものまで見えます。
手前に清涼寺(嵯峨釈迦堂)の本堂が、少し離れて仁和寺の五重塔、そして遠くに比叡山が見えます。
こちらは、大覚寺のお堂を撮りました。
こちらは、肉眼では爪楊枝の先っぽしか見えないけど、分かりました。伏見桃山城が見えています。
世界文化遺産 仁和寺の五重塔と、現在、仁和寺の前でホテル建設の工事をされているので、そのクレーンが見えています。
こちらは京都タワーが見えたので、ズームで狙いました。歳とともに視力が悪くなりましたが、まだ1.2はあります。充分見えました。
ここでは心地良い風が吹き抜けます。この日は最低気温が16.1℃もあったので、結構汗を掻きました。
熱中症を予防するのに、「暑熱循環をしてください」と、最近テレビで盛んに言われますが、汗かきの私はには不要です。ここでタオル1枚使い切りました😊。



「湛空廟」まで戻ると、外国人観光客の皆さんと出会いました。先に出会った東洋系と違い西洋人でしょう、多分。話せないので仕草で展望所に行くようにしましたが。
帰りは、急な石段を降りることなく、遠回りして下って行きます。
下りに一箇所だけ「角倉了以の墓」に寄りました。その隣が妻の墓。その横が長男「角倉素庵の墓」その横が妻の墓でした。


私自身は知らない「阪東妻三郎墓」(田村家)との案内が出ています。たむら(木)は、京都市内を、京都御所から下鴨神社、そして上賀茂神社に至る「葵祭」の行列が練り歩きます。市内は交通規制をされるので、市内は混雑必至です。5月13日(火)が快晴の天気をもたらした高気圧は東に去りつつあって、天気の良いのは今日まで。明日以降は湿気も多くなって蒸し暑い気候にかわるとの予報が出てました。それに17日(土)から20日(火)まで、雨降りと出ていて、梅雨の走りのような天気になるみたいです。例年10日(土)前後に梅雨入りする沖縄地方は、天気が良いので、まだ梅雨に入る気配はありません。先に九州南部が梅雨入りしそうなことを気象予報士さんが言ってました。
余談ですが、翌日の16日(金)に九州南部(鹿児島・宮崎)が沖縄や奄美地方に先駆けて梅雨に入りました。去年より23日早く平年より14日早い梅雨入りで、九州南部が全国で一番早く梅雨入りするのは、1951年(昭和26年)の統計開始以来、初めてのようで、これも地球温暖化の影響でしょうか。
今まで、気温が上がっても湿気が少なかったので、蒸し暑さはありまんでしたが、そろそろ歩くと汗をかく季節がやって来ましたね、ただ新緑は綺麗に輝く季節となりました。それで、紅葉の名所で有名ですが、青モミジの新緑を見に小倉山 二尊院に向かいました。二尊院には、2023年(令和5年)10月30日(月)に、特別公開された「二尊院の二十五菩薩来迎図」に来て以来です。
二尊院には「愛宕街道」を歩いて向かいます。いつも近道になるので清涼寺(嵯峨釈迦堂)の境内を横切りますが、その前に「愛宕山」を撮りました。手前は、曼荼羅山の「鳥居形」です。
早く着きそうだったので、いろいろ寄り道したんですが、9時56分に「山門」前に着きました。
愛宕街道を緩やかに登って行く、前方に外国人観光客の皆さんが歩かれて行かれます。外国人観光客に大人気の「竹林の小経」から、祇王寺や化野念仏寺、そして遠くの愛宕念仏寺に行かれるみたいです。私が向かっていた二尊院も数組の方が入られてるでしょう。
紅葉の季節では、9時の開門前には行列は必至です。驚いたことに、もう開門されてました。
山門を入った右手に「拝観受付所」があって、拝観料500円を納め、参道に入ります。

こちらが紅葉時に真っ赤に染まる「紅葉の馬場」です。前方まで見ても誰も居ません。





新緑に輝く青モミジを見ながら、ゆっくり「紅葉の馬場」を上がりました。

こちらは「黒門」ですが、今日は「勅使門(唐門)」から入ります。


「勅使門(唐門)」の扁額は「小倉山」と書かれています。よく見ると勅額と書いてあるので、後柏原天皇(第104代天皇)の宸翰でしょう。
入ると正面に雄大な「本堂」(京都市指定文化財)があります。平成の大改修で、美しさ壮麗さを取り戻しました。
この石碑には、天皇皇后両陛下が植樹されたことが書かれてます。先代か先々代でしょう。
「本堂」に上がるのは、向かって左側から靴を下駄箱に預けて上がります。手前には社務所もあって、御朱印はここでいただけます。

本堂内陣の中央には、二尊院の名の由来となった、奈良の仏師によってつくられたご本尊は二尊で祀られてて、「木造釈迦如来立像」 と「阿弥陀如来像」は、ともに重要文化財です。
この掛け軸は、「法然上人足曳きの御影」のようです。足を伸ばして休息して中の上人を描いた画に上人が加持したところ足がひかれたという。
内陣を本堂の北側に出ました。北側には「御霊屋」があります。以前は、「御霊屋」の扁額が架かってましたが、今はありません。
次に「本堂」の裏側に行きます。そこには山の斜面を利用して「六地蔵菩薩」が安置されているから。





上から「地獄道」、「修羅道」、「餓鬼道」、「畜生道」、「天道」、「人間道」の順で撮っていきました。
先般、大田神社でも見ていた「タゴガエル」の張り紙がここにもありました。昼間では姿を見せないけど、鳴き声を聞けるらしいです。

「本堂」の南に行くと“鹿威し”の音が聞こえますが、いつものように姿が見えません😊。
その南側には、通常非公開の茶室「御園亭」があって、通常は非公開です。
後水尾天皇(第108代天皇)と東福門院(徳川和子)との第五皇女、賀子内親王(よしこないしんのう)御化粧間「御園亭」は、1697年(元禄10年)に御所より移築されました。
「本堂」から出る時に、お願いしていた朱印帳を受取ました。今日は御詠歌を書いて貰ってます。
私が、出るのと入れ替わりに外国人観光客(東洋系)が入って来られました。社務所で聞くと、平日はほぼ外国人観光客ばかりだそうです。
「本堂 」に掲げられている扁額は、後奈良天皇(第105代天皇)の自筆によるもの。「二尊院」は、再建時に与えられたものです。

二尊院では花手水も見所の一つです。今日は、予想していたより少なかったですね。
花手水の奥にあるのが「弁天堂」です。内陣は見えませんが九頭龍大神・宇賀神が祀られているようです。
弁財天堂の前には「扇塚」があります。 山内流始祖・二代、吉村流開祖・二代・三代の家元を供養するために、吉村流第四世家元 吉村雄輝らが建てたものだそうです。
二尊院に来たら、必ずに展望所まで行きます。ただ急な石段を登る必要があります。石柱には「角倉了以翁墓道」と書いてありました。

登る前に右手にある「鐘楼」と「藤原定家卿七百年祭記念」の碑を撮りました。




急な石段を登った先にの正面に「湛空廟」があって、内部には石碑が祀られており、二尊院で教えを広めた僧、湛空上人の碑が納められています。
ここから展望所に向かいます。案内には「時雨亭跡」と出ています。ただ山路の奥に歩いて行くので、いつも少々怖いです。


展望所に行くのは、今だけですね、ススメバチやマムシに注意と書いてあるので、それに落石も怖いです。

歩いて2分ぐらで「時雨亭跡」が見えてきました。ここまで来たら安心です。

こちらが藤原定家卿の山荘とされる「時雨亭跡」です。常寂光寺、厭離庵にもあります。どれが本物が分かりません😊。
ここに「展望所」があって、床几もあります。今日は暑かったので、しばし休憩です。

普通に撮ったら、こんのような風景です。私は年の割には視力が良いので、遠くのものまで見えます。
手前に清涼寺(嵯峨釈迦堂)の本堂が、少し離れて仁和寺の五重塔、そして遠くに比叡山が見えます。
こちらは、大覚寺のお堂を撮りました。
こちらは、肉眼では爪楊枝の先っぽしか見えないけど、分かりました。伏見桃山城が見えています。
世界文化遺産 仁和寺の五重塔と、現在、仁和寺の前でホテル建設の工事をされているので、そのクレーンが見えています。
こちらは京都タワーが見えたので、ズームで狙いました。歳とともに視力が悪くなりましたが、まだ1.2はあります。充分見えました。
ここでは心地良い風が吹き抜けます。この日は最低気温が16.1℃もあったので、結構汗を掻きました。
熱中症を予防するのに、「暑熱循環をしてください」と、最近テレビで盛んに言われますが、汗かきの私はには不要です。ここでタオル1枚使い切りました😊。



「湛空廟」まで戻ると、外国人観光客の皆さんと出会いました。先に出会った東洋系と違い西洋人でしょう、多分。話せないので仕草で展望所に行くようにしましたが。
帰りは、急な石段を降りることなく、遠回りして下って行きます。
下りに一箇所だけ「角倉了以の墓」に寄りました。その隣が妻の墓。その横が長男「角倉素庵の墓」その横が妻の墓でした。


私自身は知らない「阪東妻三郎墓」(田村家)との案内が出ています。田村 高廣さん、田村正和さん、田村亮さんは知ってますが。
ここから再び本堂前まで行ってみます。

急ぐこともないので、「八社宮」(京都指定有形文化財)(室町時代)に寄りました。伊勢神宮・松尾大社・愛宕神社・石清水八幡宮・熱田神宮・日吉神社・八坂神社・北野天満宮の八社を祀っています。


次に「小倉餡発祥之地」の碑に寄りました。小豆と砂糖で餡が炊かれたのは平安時代のこと。ここ小倉の里で餡を造り御所に献上したとか。
この社は初めて見ました。菓祖神「和泉明神社」で、御祭神が、弘法大師と和泉和三郎命とありました。4月30日(水)に「和泉明神社再建竣功祭」を開催された。
平安時代の菓子職人で小倉あんを創作し、後に「和泉明神」と祀られたとも伝わる和泉和三郎の功績と、里の由緒を伝える社。小倉餡は平安時代に空海が中国から持ち帰った小豆を和三郎が小倉の里で栽培し、砂糖で煮詰めて朝廷に献上したのが始まりと伝わる。2005年(平成17年)に「井筒八ツ橋本舗」の第6代会長が二尊院境内に「小倉餡発祥之地」の記念碑を建立し、「小倉餡顕彰世話人会」として顕彰式を毎年開催。今回は碑の隣に高さ約2㍍の祠宮流屋根造(ほこらみやながれやねづくり)の社を建てた。(毎日新聞より)
「藤棚」にあるのは、菖蒲谷隧道から出土した「木桶-泥桶管」が展示してあります。二尊院の墓地には「吉田光由のお墓」があって、その吉田光長・光由の功績だそうです。
この歌碑は、「詠 終日翫菊」(堯空)で、「露の間に千代をふるとも菊の上に 秋の日陰や みしかからまし」と書いてあります。堯空こと、三条西実隆は室町後期の公家で歌人として有名です。内大臣に至り、出家して堯空(ぎょうくう)と号しました。

奥に見えている階段は、先程野甫って来ました。その手前に「角倉了以翁の銅像」がありました。さきほど、お墓を見て来ましたね。駒札には、翁の業績が書かれています。
帰りは「黒門」から出ました。ここで、「湛空廟」前に出会った外国人観光客の皆さんが追い抜いて行かれました。展望所行かれたのかなぁ?。

ここから「紅葉の馬場」を降ります。今日は空いてました。





9時55分に「総門」から出ました。
帰りに「小倉山荘 嵯峨落柿舎前店」に寄りました。京都に来る知人に土産を買いに来たわけです。
今日は、最高気温が26.7℃まで上がりました。もう涼しくなることは無さそうですね、また猛烈に暑い季節が近づいてます。
余談ですが、翌日の16日(金)に九州南部(鹿児島・宮崎)が沖縄や奄美地方に先駆けて梅雨に入りました。去年より23日早く平年より14日早い梅雨入りで、九州南部が全国で一番早く梅雨入りするのは、1951年(昭和26年)の統計開始以来、初めてのようで、これも地球温暖化の影響でしょうか。
今まで、気温が上がっても湿気が少なかったので、蒸し暑さはありまんでしたが、そろそろ歩くと汗をかく季節がやって来ましたね、ただ新緑は綺麗に輝く季節となりました。それで、紅葉の名所で有名ですが、青モミジの新緑を見に小倉山 二尊院に向かいました。二尊院には、2023年(令和5年)10月30日(月)に、特別公開された「二尊院の二十五菩薩来迎図」に来て以来です。


愛宕街道を緩やかに登って行く、前方に外国人観光客の皆さんが歩かれて行かれます。外国人観光客に大人気の「竹林の小経」から、祇王寺や化野念仏寺、そして遠くの愛宕念仏寺に行かれるみたいです。私が向かっていた二尊院も数組の方が入られてるでしょう。

































後水尾天皇(第108代天皇)と東福門院(徳川和子)との第五皇女、賀子内親王(よしこないしんのう)御化粧間「御園亭」は、1697年(元禄10年)に御所より移築されました。
「本堂」から出る時に、お願いしていた朱印帳を受取ました。今日は御詠歌を書いて貰ってます。
私が、出るのと入れ替わりに外国人観光客(東洋系)が入って来られました。社務所で聞くと、平日はほぼ外国人観光客ばかりだそうです。






























熱中症を予防するのに、「暑熱循環をしてください」と、最近テレビで盛んに言われますが、汗かきの私はには不要です。ここでタオル1枚使い切りました😊。









余談ですが、翌日の16日(金)に九州南部(鹿児島・宮崎)が沖縄や奄美地方に先駆けて梅雨に入りました。去年より23日早く平年より14日早い梅雨入りで、九州南部が全国で一番早く梅雨入りするのは、1951年(昭和26年)の統計開始以来、初めてのようで、これも地球温暖化の影響でしょうか。
今まで、気温が上がっても湿気が少なかったので、蒸し暑さはありまんでしたが、そろそろ歩くと汗をかく季節がやって来ましたね、ただ新緑は綺麗に輝く季節となりました。それで、紅葉の名所で有名ですが、青モミジの新緑を見に小倉山 二尊院に向かいました。二尊院には、2023年(令和5年)10月30日(月)に、特別公開された「二尊院の二十五菩薩来迎図」に来て以来です。


愛宕街道を緩やかに登って行く、前方に外国人観光客の皆さんが歩かれて行かれます。外国人観光客に大人気の「竹林の小経」から、祇王寺や化野念仏寺、そして遠くの愛宕念仏寺に行かれるみたいです。私が向かっていた二尊院も数組の方が入られてるでしょう。

































後水尾天皇(第108代天皇)と東福門院(徳川和子)との第五皇女、賀子内親王(よしこないしんのう)御化粧間「御園亭」は、1697年(元禄10年)に御所より移築されました。
「本堂」から出る時に、お願いしていた朱印帳を受取ました。今日は御詠歌を書いて貰ってます。
私が、出るのと入れ替わりに外国人観光客(東洋系)が入って来られました。社務所で聞くと、平日はほぼ外国人観光客ばかりだそうです。






























熱中症を予防するのに、「暑熱循環をしてください」と、最近テレビで盛んに言われますが、汗かきの私はには不要です。ここでタオル1枚使い切りました😊。
















平安時代の菓子職人で小倉あんを創作し、後に「和泉明神」と祀られたとも伝わる和泉和三郎の功績と、里の由緒を伝える社。小倉餡は平安時代に空海が中国から持ち帰った小豆を和三郎が小倉の里で栽培し、砂糖で煮詰めて朝廷に献上したのが始まりと伝わる。2005年(平成17年)に「井筒八ツ橋本舗」の第6代会長が二尊院境内に「小倉餡発祥之地」の記念碑を建立し、「小倉餡顕彰世話人会」として顕彰式を毎年開催。今回は碑の隣に高さ約2㍍の祠宮流屋根造(ほこらみやながれやねづくり)の社を建てた。(毎日新聞より)














今日は、最高気温が26.7℃まで上がりました。もう涼しくなることは無さそうですね、また猛烈に暑い季節が近づいてます。
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