日蓮宗 本山 妙覺寺「新緑特別拝観」へ
京都府立植物園の正門にある駐車場を出て、北大路通りを西に進みます。烏丸通りを通過し、次の堀川通りを左折し南下します。余談ですが、北大路通り堀川の交差点を南に少しだけ下がった西側には、「紫式部の墓」があります。昨年までNHK大河ドラマ 「光る君へ」を放送されていたので、多くの方が来られたでしょう😊。
次の交差点は紫明通りです。年末の都大路を疾走する「全国高等学校駅伝競走大会」や、年始の「皇后盃 全国女子駅伝」は、ここを走るので毎回全国中継されます😊。その紫明通りを通過し、その先に枝垂れ桜が綺麗な「水火天満宮」があって、次の信号のある上御霊前通りを左折し西に進むと、妙顕寺 駐車場の案内が出ているので、車はそこに入れました。
京都府立植物園に次に訪問したのは、日蓮宗 本山 妙覺寺「新緑特別拝観」を見に来ました。ここには昨年は行きませんでしたが、2023年(令和5年)5月24日(水)に「新緑特別拝観」を、2023年(令和5年)12月1日(金)に「秋季特別拝観」に来てました。
9時54分に着きました。妙覺寺の駐車場に入れたので無料です。
10時拝観開始のため境内を散策です。正面には非公開の「祖師堂」です。新緑や秋の紅葉時の特別公開でも入れません。私は2018年(平成30年)1月20日に「京の冬の旅」で、入ったことがあります。
この看板が出ていて、あとで聞いてみたら、プロの殺陣俳優が指導する侍体験ができるようです。境内では映画さながらの撮影を体験できるみたいですね。

まだ拝観前でしたので、外から写真を撮ってました。あとで堂内に入り内側から見てみます。

何処にも行くところが無いので、10時になるまで待ってました。4分ぐらい待ったかなぁ、扉が開きました。
「庫裏」に入る前に、この前に咲いていた花があったので、撮ってみました。調べると「コバノズイナ」のようです。
入ると、左手にある拝観受付所で、拝観料800円を納めます。そしてお隣に移動し、期間限定の御朱印をお願いしました。この御朱印は帰りに受け取ります。
靴を下駄箱に入れて上がります。5月1日~31日まで「まるごと美術館」と題してアート作品や伝統工芸品の展示をされているので楽しみです。
この衝立の絵は、京都が生んだロックな壁画家、木村英輝こと、キーヤンの作品です。キーヤン Blueで知られています。
こちらは、まるごと美術館の展示で、丹羽貴子筆「赤い靴」と書いてありました。丹羽貴子さんは、東京都出身の日本画家で、1964年(昭和39年)京都市立芸術大学を卒業後、日展への出品や個展開催を続けています。

入ると直ぐに庭に向かいます。左手の「書院」は、後回しです。

本堂に入る前に、車寄せの「大玄関」を先に見ます。覗くと「まるごと美術館」の展示があったから。
こちらも丹羽貴子筆「窓の李(すもも)」が展示されてました。絵画は、2点だけでした。

こちらには「箱庭」があって、大黒天を見ることが出来ます。
寄り道しましたが、右手にある「本堂」へ向かいます。


「本堂」に入り、さっそく本堂前の「法姿園(ほうしえん)」を見ました。そこには青モミジが自然のまま植えられています。
本堂には、可愛い猫の写真も展示されています。今日は、その写真を見に来ました。ただ、先に綺麗な新緑を見てます。

2023年(令和5年)12月1日(金)に来た時から置いてある「リフレクション用の机」から新緑を撮りました。緑が反射して綺麗です。

「リフレクション用の机」は二つ置いてあります。この時は空いていたので、撮らして貰いました。
「本堂」と非公開の「祖師堂」との間に渡り廊下があって、そこから「法姿園(ほうしえん)」を見てみます。






「法姿園(ほうしえん)」の青モミジの新緑が綺麗です。天気も良かったので、青空に映えてました。

青モミジのあと、特別公開でしか見られない「多宝塔(華芳宝塔)」前に行きました。
昼間は外が明るいので、堂内は真っ暗で、ほぼ見えません。「ライトアップ」されたら、内部は綺麗に見えますが・・・。
日蓮大聖人が、比叡山横川にある定光院に住み法華経を写経され石造の塔に納めたてましたが、1571年(元亀2年)に織田信長の比叡山焼き討ちで全山燃尽しました。この付近に住む山本修理亮が、この石塔を見つけて持ち帰り、妙覺寺に納めました。石塔の全体がかなり焼損して形も崩れてましたが、胴の背面には書写した法華経を納めた空間が彫り込んであります。後にこの石塔を納める木造多宝塔(華芳宝塔)が造られ、掛堂(華芳堂)を建立し今日に至っています。多宝塔の扉絵は、桃山時代に当山の壇越であった正系狩野派によって描かれたもので、宝塔とお堂とともに京都府の重要文化財に指定されています。



「本堂」内には、「御殿飾り」が展示されてました。平安時代の京都御所を模した雛飾りのことだそうで、江戸時代後期から昭和にかけて、関西地方で多く見られるみたいですね。
ここでは「まるごと美術館」の展示があって、三吉良典(みよしりょうすけ)さんの可愛い子猫の写真が見られます。





三吉良典さんは滋賀県大津市出身の保護猫写真家だそうです。調べるとInstagramのフォロワーは32万人です。以前、猫を飼ってたので、可愛い子猫の写真楽しめました😊。

本堂の最後に見たのは、「斎藤道三遺言状」です。1556年(弘治2年)4月19日に我が子の、妙覚寺19世となっていた日饒(にちじょう)上人や日覚上人に宛てた手紙です。この日付の翌日に我が子、義龍と一戦を交え最後を遂げました。

ここに来て、いつも見ているのでスルーしようかなぁと思いましたが、やっぱり見てみます。




「書院」に入って、「信長の茶会」を見ます。「初膳」、「二ノ膳」、「三ノ膳」、「引き物」、「菓子」と並んでました。
織田信長は20数回の京都滞在の内18回は妙覺寺に寄宿し、當山を京都での定宿所としておりました。1573年(天正元年)11月4日の上洛の際も信長は妙覺寺に宿泊し同月23日に盛大な茶会を催しました。その様子は「津田宗及茶の湯日記」に詳しく記録されています。信長はこの折、武家の正式な料理である「本膳料理」という武家のみが口にできる料理を出してます。


「書院」では座って休憩しました。入ってこから私以外ではお一人来られてました。
帰りに朱印帳を受取ました。この御朱印には「知恩」と書いてあります。意味は書いてありました。「知恩」とは、文字通り恩を知るという意味ですね。
10時21分に出ました。今日は境内での殺陣の実演は、やってないですね、道場からは賑やかな声は聞こえて来ますが😊。



今日は車で来たので、歩いて「大門」を撮りに行きました。ここから車に戻り出て行くことにしました。
京都府立植物園から妙覺寺に来たので、最高気温が27.7℃まで上がるほど暑かったので相当汗かきました。もう最低気温が一桁にはなりませんね、これからは熱帯夜に向かうのでしょう。今日は、ここで帰りました。
次の交差点は紫明通りです。年末の都大路を疾走する「全国高等学校駅伝競走大会」や、年始の「皇后盃 全国女子駅伝」は、ここを走るので毎回全国中継されます😊。その紫明通りを通過し、その先に枝垂れ桜が綺麗な「水火天満宮」があって、次の信号のある上御霊前通りを左折し西に進むと、妙顕寺 駐車場の案内が出ているので、車はそこに入れました。
京都府立植物園に次に訪問したのは、日蓮宗 本山 妙覺寺「新緑特別拝観」を見に来ました。ここには昨年は行きませんでしたが、2023年(令和5年)5月24日(水)に「新緑特別拝観」を、2023年(令和5年)12月1日(金)に「秋季特別拝観」に来てました。
入ると、左手にある拝観受付所で、拝観料800円を納めます。そしてお隣に移動し、期間限定の御朱印をお願いしました。この御朱印は帰りに受け取ります。
日蓮大聖人が、比叡山横川にある定光院に住み法華経を写経され石造の塔に納めたてましたが、1571年(元亀2年)に織田信長の比叡山焼き討ちで全山燃尽しました。この付近に住む山本修理亮が、この石塔を見つけて持ち帰り、妙覺寺に納めました。石塔の全体がかなり焼損して形も崩れてましたが、胴の背面には書写した法華経を納めた空間が彫り込んであります。後にこの石塔を納める木造多宝塔(華芳宝塔)が造られ、掛堂(華芳堂)を建立し今日に至っています。多宝塔の扉絵は、桃山時代に当山の壇越であった正系狩野派によって描かれたもので、宝塔とお堂とともに京都府の重要文化財に指定されています。
織田信長は20数回の京都滞在の内18回は妙覺寺に寄宿し、當山を京都での定宿所としておりました。1573年(天正元年)11月4日の上洛の際も信長は妙覺寺に宿泊し同月23日に盛大な茶会を催しました。その様子は「津田宗及茶の湯日記」に詳しく記録されています。信長はこの折、武家の正式な料理である「本膳料理」という武家のみが口にできる料理を出してます。
帰りに朱印帳を受取ました。この御朱印には「知恩」と書いてあります。意味は書いてありました。「知恩」とは、文字通り恩を知るという意味ですね。
京都府立植物園から妙覺寺に来たので、最高気温が27.7℃まで上がるほど暑かったので相当汗かきました。もう最低気温が一桁にはなりませんね、これからは熱帯夜に向かうのでしょう。今日は、ここで帰りました。
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