臨済宗大本山 妙心寺「金澤翔子 京都 妙心寺展」へ

5月23日(金)に京都府立植物園と妙覺寺に行ったあと、5月26日(月)に出掛けるつもりが朝座っていると突然、腰に激痛が走り、動けなくなって・・・久しぶりにギックリ腰を発症。何度か経験してましたが、それも10数年前のこと。以前痛め時のことを覚えていたので、安静(痛くと動けない)と患部を冷やすことに。30日(金)まで安静にしてて、土曜日にやっと起き上がり、日曜日には体を動かすのが少し楽になりました。

経過は以前痛めたときと同じでした。6月2日(月)は、10日振りの外出。靴を履くのも10日振り、30日(金)は通院日でしたがキャンセルに。いろいろ行きたい所もありましたが、病み上がりと言うことで、なるべく平坦なところで、特別公開をされている臨済宗大本山 妙心寺金澤翔子 京都 妙心寺展」に車で出掛けることにしました。

IMG_1900.jpg8時52分に「妙心寺 第一駐車場」に車を入れました。「金澤翔子 京都 妙心寺展」は9時からで、ゆっくり参道を歩いて行きます。

IMG_1901.jpgIMG_1902.jpgIMG_1906.jpg妙心寺の石畳の参道をゆっくり歩き「金澤翔子 京都 妙心寺展」の前まで来ました。ここに来るまで受付が何処にあるか分からなかったですが・・・?。

金澤翔子 京都 妙心寺展」の会場は、妙心寺「法堂」と「大方丈」で、拝観料1000円。他に通常非公開の「 雑華院」が9時から拝観開始で、拝観料が700円。通常非公開の「大雄院」が、9時30分拝観開始で、拝観料1000円。通常非公開の「壽聖院」が拝観開始が9時30分で拝観料が700円でした。3会場共通券があって、3400円のところ、3000円で当日に限り回れます。私は最初から共通券で入るつもりで、先ずは妙心寺「法堂」前に来たわけです。

IMG_2145.jpgこちらが「共通券」です。これを首に掛けて回ります。ここに来るまで、受付は通常拝観受付所がある「大方丈」だと思ってました。まさか「法堂」前だとは・・・。

IMG_1907.jpg初めて「法堂」の南側が開いているのを見ました。この前で靴を下駄箱に預けます。あとで係の方に聞いて、再びこちらに戻ってくることになります。

通常拝観では「法堂」内は撮影禁止です。金澤翔子さんの作品が何点か展示されてますし、狩野探幽の筆による「雲龍図」も見られましたが、 国宝の「梵鐘」は幕が架かってて見られませんでした。係の科たより、「ここだけ撮影禁止ですが、あとは自由に撮って貰って結構です」と。

IMG_1908.jpg法堂」から「大方丈」まで、そのまま渡り廊下を通って行けるようになってました。それで靴を下駄箱に入れても大丈夫だったんですね。

IMG_1910.jpgさっそく次に会場である「大方丈」に入ります。この日訪れてから3日後の5日(木)に、この展覧会について「ダウン症の書家 金澤翔子さん 母と娘で歩んだ40年の軌跡」と題して、朝日放送ニュースおかえり」のコーナーで放送されました。

金澤翔子さん39歳は、1985年(昭和60年)に東京で生まれ、生後まもなく「ダウン症」と診断されました。当時母泰子さんは42歳、三度の流産の末に授かったのに、娘に障害があるのを受入れなかったと後述されてます。自身も書家である泰子さんは翔子さんに友達ができるようにと自宅で書道教室を開き、翔子さんが5歳の時から筆を持たせました。父の裕さんは翔子さんが20歳のとき、個展を開くとの話しをしてましたが、翔子さんが14歳のときに52歳で突然の他界。母泰子さんは夫との約束を守り、翔子さん20歳のとき銀座で個展を開催。その個展で、想像を超える反響を呼び、翔子さんは書家として注目を集めるようになりました。これまでに大河ドラマ「平清盛」の題字、東京オリンピックアートポスターなど数々の作品を手掛けてきました。そして翔子さんが40歳になるのに、大きな転換点を迎えることになりました。

翔子さんは、東京都大田区に昨年オープンした「アトリエ翔子 喫茶」、画廊を併設したカフェで週6日働いている。カフェには全国からファンが訪れるという。カフェで働くいっぽう、書の仕事は大幅に減らしているといいます。翔子さんは自分で紙や墨を用意することができません。動きに合わせて道具を移動させサポートできるのは、癖や性格を知り尽くした母泰子しかできないことでした。母泰子さんの高齢にともない、翔子さんが40歳を迎えるのに、今後、書くのは席上揮毫に限り、依頼を受けての作品制作はしないとの発表をされました。書家として走り続けた40年。今はカフェの仕事で穏やか日々を過ごされています。

10歳のとき初めて書いた般若心経は、10年毎に般若心経の作品を制作し、今回の展覧会でも展示されてます。40歳の時に書いた般若心経は、今回の展覧会で初めて展示されてもの。他に母泰子さんに宛てて書いた手紙など凡そ100点が展示されています。最後に、今何が幸せか訪ねられたら「喫茶店で注文された品を運んだり、後片付けをしているとき」だそうです。「皆さんに幸せになって欲しい」とも言われたましたね。


IMG_1912.jpgIMG_1913.jpgIMG_1914.jpgIMG_1915.jpgIMG_1916.jpg現在「大方丈」の横にある「大庫裏」は工事中で入れません。最初は、その「大庫裏」に入る手前に、金澤翔子さんの作品が展示してあったので見て行きました。

IMG_1917.jpg通常拝観では、「大方丈」内には襖で区切りがありません。この展覧会のため西側、中央、東側と区切られてました。先ずは「西側」から。

IMG_1918.jpgIMG_1920.jpgIMG_1921.jpgIMG_1922.jpg入ると右手にある「母への手紙」を読みました。国連でスピーチをされたのを、初めて手紙の作品として発表されたものです。

IMG_1923.jpg10歳の般若心経」。普通学級に通っていたのに、10歳の時に特別支援学校へ移るように言われ、とても苦しく辛い出来事だったようです。友達と離れ辛くて毎日泣いたそうで、お母さんは毎日「般若心経」を書かせたようです。今では「涙の般若心経」と言われ代表作となったようです。

IMG_1924.jpg20歳の般若心経」。20歳で前途したように個展を開きました。多くの人が来られ、人に認められた喜びから書いたものだそうです。

IMG_1930.jpgIMG_1931.jpg次に、本来は一つなんですけど、「大方丈」の真ん中の部屋に入りました。こちらには仏間もありますが、今回は多くの作品が展示してあります。

IMG_1932.jpgIMG_1933.jpgIMG_1935.jpgIMG_1936.jpgIMG_1937.jpgIMG_1939.jpgIMG_1940.jpgIMG_1941.jpg40歳の般若心経」は、屏風11隻に及ぶ大作です。40歳に完成するように、般若心経を11に分けて、毎年1つか2つ書いていく・・・構想から10年かけて完成しました😊。

IMG_1942.jpgIMG_1943.jpg大方丈」の最後は東側の部屋です。ここにも金澤翔子さんの作品が展示されていたので、じっくり見て行きます。

IMG_1944.jpg最初は、「自在神力(じざいしんりき)」から。ここでは文字の説明書きがありました。

IMG_1946.jpg次が「蒼天(そうてん)」とは、迷いのない真の自由、悟りの境地だそうです。翔子さんに依頼されて書かれたのでしょう、迫力あります。

IMG_1948.jpgここまで見てきて、どれも力強い筆で書かれています。こちらは「一心合掌(いっしんがっしょう)」でした。

IMG_1950.jpg両坊(りょうぼう)」とは、二つのことを忘れること。 是と非、善と悪、美と醜、愛と憎など両者の対立を忘れ去ることを言うらしいです。一つ一つ勉強になります。

IMG_1952.jpg梵我一如(ぼんがいちにょ)」とは、インド哲学において、梵と我が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想とか。

IMG_1954.jpg阿吽(あうん)」。仁王像の阿吽、狛犬の阿吽などで知ってる文字です。それにしても力強い筆です。天才書家と呼ばれるの納得ですね。

IMG_1956.jpg久遠實成(くおんじつじょう)」は、釈迦は30歳で悟りを開いたのではなく、遥かに遠い過去から仏となっていたが、輪廻転生を繰り返した後についに釈迦として誕生して悟りを開くという一連の姿を敢えて示したという考え方とありました。

IMG_1958.jpg無一物中無盡蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」は、所有を捨て、執着を離れることで、心は自由になり、可能性に際限はないということを意味だそうで、そんな心境になりたいかなぁ😊。

IMG_1960.jpg大方丈の最後は「如来一切(にょらいいっさい)」です。ここにはカードマンさんが居て、奥にも行けるのでと案内されました。

IMG_1962.jpgIMG_1974.jpg初めて「大方丈」の東側に来ました。カードマンさんの案内では、奥の部屋にも作品が展示されていると聞いたので、もちろん向かいます。

この作品は、5月31日(土)に席上揮毫で翔子さんと花園学園の書道部の皆さんが一緒に書き上げられたものです。妙心寺 微妙殿で書かれたのでしょう。

IMG_1963.jpgIMG_1964.jpg「大方丈」の奥に、このような部屋があるのを初めて知りました。ここでは主に写真の展示と、先のカードマンさんから聞いてました。

IMG_1965.jpgIMG_1966.jpgIMG_1967.jpgIMG_1968.jpgこちらが「東京オリンピックアートポスター」と「上皇陛下御製(天皇御在位中)の謹書」のようです。

IMG_1969.jpgこの「共に生きる」のポスター、炭焼 うな富士 大丸京都別邸の入口に貼ってありますね。映画『共に生きる 書家金澤翔子』知らなかったです。

IMG_1970.jpg2012年(平成24年)に放送されたNHK大河ドラマ平清盛」の題字を担当されたのが金澤翔子さんでした。

IMG_1971.jpgIMG_1972.jpg作品を見て「大方丈」の北側を見ています。これで全て作品を鑑賞したので、戻ります。

IMG_1973.jpgIMG_1976.jpgIMG_1977.jpg9時20分頃に法堂から出ました。この時間になると、結構多くの方が見に来られてました。

帰りに受付に寄りました。この展覧会では金澤翔子の御朱印がいただけます。全部揃えると般若心経になるとのことで、先ずは妙心寺のをいただきました。

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般若心経の最初の文字「魔可」です。全部揃うと「魔可般若波羅蜜多心経」となります。

妙心寺では、この展覧会を、このように紹介されています。
ダウン症の天才書家と呼ばれる書家 金澤翔子40歳の節目​の​大規模な展覧会、翔子さんの心は「ほとけさまの心」のようです。皆の幸せだけを願い、お母さまの事を愛し続けています。仏の書と呼ばれる所以は、字の技術ではなく、その溢れるばかりの愛にあると思います。​是非お寺で「仏の書」をご覧ください。と。

「法堂」を出て、受付に行くと境内の西側に出ます。私は、次に「 雑華院」に行きたかったので、東側を開けて貰いました。西に出ると、相当遠回りになるから。共通券を買ったので、次は特別公開の 雑華院に向かいます。

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