臨済宗大本山 妙心寺塔頭 壽聖院「金澤翔子 京都 妙心寺展」へ
大雄院を出て、次に向かったのが「金澤翔子 京都 妙心寺展」のサテライト会場の一つである臨済宗大本山 妙心寺塔頭 壽聖院(じゅしょういん)です。通常非公開ですが、2023年(令和5年)1月27日(金)に「第57回 京の冬の旅」に来ています。その時は、大雪のなかの拝観でした。


10時1分にに「山門」前に着きました。門前には「石田三成一族菩提寺」の石碑があります。
1599年(慶長4年)石田三成が父である正継の菩提寺として、当時学徳高き伯蒲慧稜(はくほえりょう)を迎え創建。創建当時は、堀と土塀をめぐらせた広大な敷地に、金箔瓦を載せた堂宇が建つ石田家京屋敷ともいうべき壮麗さであったという。しかし、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いにて、三成らが率いる西軍は徳川家康率いてる東軍に敗れてしまい、三成の死後、当院も縮小を余儀なくされた。境内はもとの四分の一の大きさとなり、壽聖院の北門であった門は妙心寺全体の北門として現在は利用され、当時の勝手口が現在壽聖院の正門として残るのみ。また、本堂の前に広がる庭園は絵師狩野永徳が設計したもので、その景観は桃山時代より変わってません。庭園にある瓢箪池は、三成公の指示により、主君の豊臣秀吉公の戦勝の瓢箪印をモチーフに造られています。寺宝には、三成自筆の書状や、土佐派の筆によるものと伝わる「石田正継像」(重文)や三成の肖像画が残る。境内には石田三成・正継親子の他、石田三成一族の供養塔がある。
ここは拝観時間が9時30分からで、拝観料は700円です。見たところ数名が先に入られているようです。

拝観入口の玄関で靴を脱いで下駄箱に預けます。入ると拝観受付所があって、最初に買った共通券を見せました。
多分、ご住職さんでしょうか、金澤翔子さんの御朱印をいただいたあと、写真撮影の有無を聞きました。すると以外にも「何処を撮って貰ってOKです」と。2023年(令和5年)1月27日(金)に「第57回 京の冬の旅」では、撮影禁止だったので予想外でした。
ここのは般若心経の「般若」です。
家に帰ったあと、朱印帳に貼りました。「魔可般若波羅蜜多心経」綺麗に揃いました。

欄間に架かっている、この肖像画は、左から「石田正継」(父)、「瑞岳院」(母)、「石田三成」(本人)、「石田重家(宗亨大禅師)」(長男)、こちらはレプリカで、実物は大阪市立美術館に寄託されてます。
今まで 雑華院、大雄院と人には出会いませんでしたが(大雄院にはガイドさん在住)、ここでは人が数名居てます。それでも、写真が撮れるのでね。

2023年(令和5年)1月27日(金)の「第57回 京の冬の旅」で撮れなかった、「石田三成肖像画」(模本)と「石田正継肖像画」(複製)です。

幕で隠されてますが「仏間」の前には、金澤翔子さんの作品「一円相」が、最初に入った「法堂」にもあったような・・・?。
理由が書いてありました😊。「円を書いて」というと、「円ってなに?」と。禅問答のような会話。「ドーナツだよ」と言うと「わかった」と書いたのがこの円相。本人が想像したのはポンデリングだったようです。その後に書いたのがメイン会場である「法堂」の円相でした。円相は禅の世界では悟りを意味します。
こちらには「鎮魂」と書かれています。案内では「共に生きる」と東日本大震災のあと、この書を多く書かれています。津波でながされた人たちのことを思い書かれたのでしょう。
「方丈前庭」を撮りました。2013年(平成25年)4月10日の「春の昼宴 特別拝観(京料理弁当付き)」で、ご住職さんから庭園の由来を聞きました。
ここの枯山水庭園は安土桃山時代の絵師狩野永徳が手がけたもので、当時の趣を今に伝えいます。庭園の中央にある池(※現在は水はありません)は、瓢箪型をしています。これは創建者である石田三成が豊臣秀吉の家臣であったことから、豊臣秀吉の馬印である千成瓢箪をモチーフにしたと伝えられています。


「方丈」のさらに奥には金澤翔子さんの作品が展示されています。「正」「笑」でしょうか?。

今日は方丈の裏手にある「書院」も行けました。先ずは「平安の間」から。
ここでは、金澤翔子さんの作品以外に、2023年(令和5年)1月27日(金)の「第57回 京の冬の旅」で公開された「襖絵プロジェクト」の絵師村林由貴(むらばやしゆき)氏が描いた襖絵も見られます。


襖絵はあとにして、先に金澤翔子さんの作品を見ていきます。「行雪流氷(こううんりゅうすい)」「雲外蒼天(うんがいそうてん)」「今を生きる」の3点でした。
「第57回 京の冬の旅」では撮影禁止にされていた襖絵を、次に撮りました。こちらの襖絵のタイトルは、「夏秋豊楽図」で2012年(平成24年)に製作されたものです。




この絵を見て、凄く繊細さで驚きです。思わず見入ってしまいます。野菜や鳥や虫たちが、細々描いてありました。
お隣の「天外の間」も公開されてました。ここは「襖絵プロジェクト」の絵師村林由貴(むらばやしゆき)氏が描いた襖絵だけです。
先ずは、2012年(平成24年)に製作された「松に雪図」から。先の「平安の間」で見た作風と大きく違いますね、迫力あります。この襖絵の紹介では、書院で最後に書かれたようです。作者のエネルギーが表に出たと書いてありました。
こちらには何も書いてありませんでしたが、以前の拝観で「南天と南瓜図」と教えて貰ってました。
こちらも2012年(平成24年)に製作された「風浪双鯉図」です。大きな鯉が対象的に描いてありますね。

案内では、今でも鯉が滝を登ろうとしているではとありました。「第57回 京の冬の旅」で見たと思いますが覚えてない・・・です😒。

この書院で最初に書かれたのが「春爛漫図」でした。こちらも2012年(平成24年)に製作されたものです。
順路に従って見て行くと、元に戻ってきます。
10時11分に金澤翔子さんの作品が展示されている会場である「玄関」から出ました。何組かの方と同時に出て来ましたが、皆さん帰られました。
特に案内が出てないので知らずに出て行かれても仕方ないでしょう、2023年(令和5年)1月27日(金)に「第57回 京の冬の旅」に来ているので忘れずに「石田三成一族の墓」に行きました。見逃してしそうな所なんですけど。
右から「壽聖院(父・石田正継)」、「瑞岳院(三成の母)」、「玉泉院(兄・石田正澄)」、「江東院(石田三成)」、「無量院殿(三成の室)」、「龍珠院(正澄の室)」、「宝光院(石田朝成・正澄の長男)」、「白華院(石田主水正・正澄の次男)」と並んでいます。
この写真の真ん中が「江東院(石田三成)」(右)、「無量院殿(三成の室)」(左)が並んでいます。

三成の供養塔の後ろに、「宗亨大禅師(石田三成の長男、石田重家)」の墓所があす。
石田重家は父・石田三成が六条河原で斬首されたあと、徳川家康に助命を嘆願し、壽聖院の開山である伯蒲慧稜禅師に弟子入りし、出家しました。後に済院宗享と名を変え、壽聖院の三世住職となりました。宗亨大禅師は104歳まで生きたと伝わっています。



10時16分に出ました。この時間になると、結構多くの方が来られてました。このあと駐車場に戻ります。
駐車場に戻る前に「仏殿」に寄ってお参りしました。このとき10時22分、お寺カフェの長慶院は11時からのため、今日は入らず帰ることにしました。
妙心寺の「法堂」、「大方丈」、「 雑華院」、「大雄院」、「壽聖院」と巡りました。この他に通玄院では写経もされています。これは後日行くつもりにしてます。ここは必ずに行くでしょう。
1599年(慶長4年)石田三成が父である正継の菩提寺として、当時学徳高き伯蒲慧稜(はくほえりょう)を迎え創建。創建当時は、堀と土塀をめぐらせた広大な敷地に、金箔瓦を載せた堂宇が建つ石田家京屋敷ともいうべき壮麗さであったという。しかし、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いにて、三成らが率いる西軍は徳川家康率いてる東軍に敗れてしまい、三成の死後、当院も縮小を余儀なくされた。境内はもとの四分の一の大きさとなり、壽聖院の北門であった門は妙心寺全体の北門として現在は利用され、当時の勝手口が現在壽聖院の正門として残るのみ。また、本堂の前に広がる庭園は絵師狩野永徳が設計したもので、その景観は桃山時代より変わってません。庭園にある瓢箪池は、三成公の指示により、主君の豊臣秀吉公の戦勝の瓢箪印をモチーフに造られています。寺宝には、三成自筆の書状や、土佐派の筆によるものと伝わる「石田正継像」(重文)や三成の肖像画が残る。境内には石田三成・正継親子の他、石田三成一族の供養塔がある。
ここは拝観時間が9時30分からで、拝観料は700円です。見たところ数名が先に入られているようです。
多分、ご住職さんでしょうか、金澤翔子さんの御朱印をいただいたあと、写真撮影の有無を聞きました。すると以外にも「何処を撮って貰ってOKです」と。2023年(令和5年)1月27日(金)に「第57回 京の冬の旅」では、撮影禁止だったので予想外でした。
ここのは般若心経の「般若」です。
今まで 雑華院、大雄院と人には出会いませんでしたが(大雄院にはガイドさん在住)、ここでは人が数名居てます。それでも、写真が撮れるのでね。
理由が書いてありました😊。「円を書いて」というと、「円ってなに?」と。禅問答のような会話。「ドーナツだよ」と言うと「わかった」と書いたのがこの円相。本人が想像したのはポンデリングだったようです。その後に書いたのがメイン会場である「法堂」の円相でした。円相は禅の世界では悟りを意味します。
ここの枯山水庭園は安土桃山時代の絵師狩野永徳が手がけたもので、当時の趣を今に伝えいます。庭園の中央にある池(※現在は水はありません)は、瓢箪型をしています。これは創建者である石田三成が豊臣秀吉の家臣であったことから、豊臣秀吉の馬印である千成瓢箪をモチーフにしたと伝えられています。
特に案内が出てないので知らずに出て行かれても仕方ないでしょう、2023年(令和5年)1月27日(金)に「第57回 京の冬の旅」に来ているので忘れずに「石田三成一族の墓」に行きました。見逃してしそうな所なんですけど。
石田重家は父・石田三成が六条河原で斬首されたあと、徳川家康に助命を嘆願し、壽聖院の開山である伯蒲慧稜禅師に弟子入りし、出家しました。後に済院宗享と名を変え、壽聖院の三世住職となりました。宗亨大禅師は104歳まで生きたと伝わっています。
妙心寺の「法堂」、「大方丈」、「 雑華院」、「大雄院」、「壽聖院」と巡りました。この他に通玄院では写経もされています。これは後日行くつもりにしてます。ここは必ずに行くでしょう。
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