金澤翔子 京都 妙心寺展 イベント会場 妙心寺 通玄院「写経」へ
6月9日(月)に近畿地方が梅雨入りし、10日(火)から11日(水)にかけては大雨となり、京都地方気象台は、今年初めて大雨警報を発表されました。気象庁によると、梅雨前線に暖かく湿った空気が流れ込み、京滋に発達した雨雲が断続的にかかり、9日(月)午後の降り始めから11日(水)の10時までの雨量が、京都市で124㍉を記録。この大雨による被害や影響も発生し、京都市右京区梅ケ畑の高雄観光ホテルで11日(水)1時半頃、裏山の高さ約20㍍の桜の木が倒れ、電線を巻き込んで3階建て建物の屋根を突き破ったそうで、幸いにも怪我人は居なかったようです。また、山科区の花山トンネルで10日(火)夕方に東側出口付近で落石が発生し、同トンネルが通行止めになったそうです。京都市と大津市を結ぶ山中越や、滋賀県と三重県を結ぶ国道306号、477号も大雨で通行止めになりました。梅雨に入って6月月間の雨量の半分が1日で降ったことになったそうですね、やっぱり梅雨の期間は大雨に注意ですね。
11日(水)も朝から雨が降り続いてましたが、午後から雨が止むと予報が出ていたこともあって、雨が降り続くなか、昼から車で妙心寺まで出掛けました。それにしても、夜に雨が降っていたのに、最高気温が22.1℃もあって、湿気が多くて蒸し蒸した空気に覆われてました。
妙心寺で6月15日(日)まで、金澤翔子 京都 妙心寺展が開催されてて、その関連で、通常非公開の妙心寺塔頭 通玄院で「金澤翔子さんの般若心経を写す ここでしかできない写経体験を」と言うことで、10時~、11時~、12時~、13時~、14時~、各回10名までで、抹茶とオリジナル菓子(食べる般若心経)が付き、参加費が2000円でイベントをされていたので、14時の部に参加するために妙心寺まで来た訳です。
13時30分に「妙心寺 第一駐車場」に車を止めました。ご覧のように雨が降り続いているので、参道は濡れてます。
法堂の前が通れないので、「仏殿」の前を通って妙心寺境内の西側に出ます。雨が降って蒸し暑いのに、金澤翔子展には多くの方が来られてますね。

妙心寺西側の参道を北に向かって歩いて行くと、このような小さな看板が出ていて、次に西に向かって歩いて行きます。
そのまま突き当たると、新緑の特別公開に行った「妙心寺塔頭 大法院」がありますが、その前の参道を南に向かいます。

13時43分に「表門」前に着きました。私は14時~の部に行くつもりでしたが、早く着いてしまいました😊。
通玄院は虚櫺了廓(きょれいりょうかく)を開祖とし、安芸藩士 寺西織部信行(てらにしおりべのぶゆき)が大檀越となり開基となっている。創建年は諸説あるが、1622年(元和8年)説が妥当ではないかと考えられる。その後、幾多の変遷を経て今日に至るが、特筆すべきは本山妙心寺経蔵に納められている一切経全6527巻を写経した写経道場となっていた事であろう。これは寛文年間(1661~73)に12人の僧侶が8年の歳月を費やし書写されたと言い伝えられている。
雨が降っているので、外で待つのは辛いなぁ・・と思い「庫裏」を覗くと、受付に係の方が居たので、中で待つことが出来るのか聞いて見ることに・・・?。
「写経ですか?」と聞かれたので、「14時からの部で来たんですが早く来すぎました」と。すると以外にも受付していただきました。人数によっては柔軟に受付されているようでしたね。写経代金は2000円で、写経する用紙を選びます。3種あって、私は金澤翔子さんが書かれた写経を写すことにしました。
最初に写真撮影のことを聞くと「何処を撮って貰ってもOK」とのこと。いきなり写経じゃなく、この寺の由緒など説明を受けました。
ここに座って、13時からの人が出て行かれるまで待つのかなぁ・・・と思いきや、前途したとおり寺の由緒について説明がありました。そして終わると、さっそく写経の会場に案内されることに・・・?。
この突き当たりが写経場で、入ると説明はされてましたが、エアコンが効いて涼しいです。10名座れる椅子に5名ぐらい座られてました。

前列の席が空いていたので、ここで写経します。筆ペンは用意されてましたが、私は持参してきました。
金澤翔子さんの写経は文字が潰れているので、見本を見て書きました。個人的に痛恨のミスをしたのは、老眼鏡を持参してこなかったこと。リュックに入れたと思い込んでました。細かい文字がみえませんが仕方ないので見本を参考に書いていくこと13時55分から14時38分までかかって書き終えました。
この通玄院には金澤翔子さんの作品が3点あると聞きました。この部屋には1点だけあったので撮らさせて貰いました。

書き終わって、外の庭を見ると雨が上がってます。天気予報のとおりになりましたね、少し遅かったけど😊。

最初に案内されたように、書き終わると、抹茶とお菓子のサービスを受けます。その前に、金澤翔子さんの作品を見せて貰いました。


何処でいただいても良かったですが、「茶室」が開いていたので、ここでいただくことに。ここが開いてて良かったです。




お寺の案内では「食べる般若心経」でした。ようする三笠でしたね、想像していた以上に大きかったのには驚きです。
お昼食べたあとでも、美味しくいただきました。私が座った横が水屋でしたね。このあと本堂に行きお参りします。
茶室の前にあった、この屏風。金澤翔子さんの作品ではありません。


特に案内はありませんでしたが、「仏間」まで行ってみました。お寺の方に聞くと、ご本尊は釈迦如来像のようです。
お寺の方が来られて、「襖絵を全て見て下さい」と言われ、仏間の襖を閉めてくれました。


この襖絵は福田篤道氏と聞きました。特に襖絵の説明は無かったです。多分、菩提樹と鷹が描いてあるのでしょう。

隣の部屋も覗いてみました。こちらには何も無かったです。

14時50分に通玄院を出ました。私のあとには誰も来られませんでしたね、出る時はご住職さんと一緒でした😊。
お寺さんとの会話で、どうも本山に行かれるようでした。ご覧のように、雨かはすっかり上がっています。
通常非公開の通玄院では今後、このような「写経」を定期的にやって行く予定と聞きました。今日は眼鏡忘れたので、不本意な書きようだったので、また参加したいです😊。帰りに妙心寺の金澤翔子展の会場入口を通りました。多くの方が来られてて、大方丈を覗いてたら、縁側に腰掛けている人まで居ました。後日談ですが、6月13日(金)には、金澤翔子展の来場者が15000人を超えたらしいです。私は3日目に行ったので、まだ空いてました。金澤翔子さん根強い人気ありますね。
11日(水)も朝から雨が降り続いてましたが、午後から雨が止むと予報が出ていたこともあって、雨が降り続くなか、昼から車で妙心寺まで出掛けました。それにしても、夜に雨が降っていたのに、最高気温が22.1℃もあって、湿気が多くて蒸し蒸した空気に覆われてました。
妙心寺で6月15日(日)まで、金澤翔子 京都 妙心寺展が開催されてて、その関連で、通常非公開の妙心寺塔頭 通玄院で「金澤翔子さんの般若心経を写す ここでしかできない写経体験を」と言うことで、10時~、11時~、12時~、13時~、14時~、各回10名までで、抹茶とオリジナル菓子(食べる般若心経)が付き、参加費が2000円でイベントをされていたので、14時の部に参加するために妙心寺まで来た訳です。
通玄院は虚櫺了廓(きょれいりょうかく)を開祖とし、安芸藩士 寺西織部信行(てらにしおりべのぶゆき)が大檀越となり開基となっている。創建年は諸説あるが、1622年(元和8年)説が妥当ではないかと考えられる。その後、幾多の変遷を経て今日に至るが、特筆すべきは本山妙心寺経蔵に納められている一切経全6527巻を写経した写経道場となっていた事であろう。これは寛文年間(1661~73)に12人の僧侶が8年の歳月を費やし書写されたと言い伝えられている。
「写経ですか?」と聞かれたので、「14時からの部で来たんですが早く来すぎました」と。すると以外にも受付していただきました。人数によっては柔軟に受付されているようでしたね。写経代金は2000円で、写経する用紙を選びます。3種あって、私は金澤翔子さんが書かれた写経を写すことにしました。
金澤翔子さんの写経は文字が潰れているので、見本を見て書きました。個人的に痛恨のミスをしたのは、老眼鏡を持参してこなかったこと。リュックに入れたと思い込んでました。細かい文字がみえませんが仕方ないので見本を参考に書いていくこと13時55分から14時38分までかかって書き終えました。
通常非公開の通玄院では今後、このような「写経」を定期的にやって行く予定と聞きました。今日は眼鏡忘れたので、不本意な書きようだったので、また参加したいです😊。帰りに妙心寺の金澤翔子展の会場入口を通りました。多くの方が来られてて、大方丈を覗いてたら、縁側に腰掛けている人まで居ました。後日談ですが、6月13日(金)には、金澤翔子展の来場者が15000人を超えたらしいです。私は3日目に行ったので、まだ空いてました。金澤翔子さん根強い人気ありますね。
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