平安時代の歌人 在原業平が晩年を過ごした十輪寺(なりひら寺)へ
善峯寺の駐車場は先払いのため、9時43分に出て行くときは問題無くバーが上がります。そこから行きと違い、急な坂道を下って行くと、阪急バスの小塩バス停(現在は使われて無い)があって、その先を左折すると十輪寺(なりひら寺)の駐車場があるので車を9時52分に止めました。この日は、2021年(令和3年)11月24日(水)の十輪寺、通称なりひら寺に行く予定にしてました。
小塩のバス停には思い出があって、1989年(平成元年)7月2日(日)に善峯寺を、ここから往復徒歩で行きました。梅雨の期間、曇っていたので昼から出掛けたんですが、ここに来て雨が降り出し、雨が降ったことで大変蒸し暑いなか急な坂道を登った次第です。まだ若かったから出来たことで、今なら途中で倒れています😊。いつも、ここに来たら思い出すことです。あの急な坂道、平坦なら1.7㎞40分ぐらいで歩けるでしょうけど、1時間30分(記録を残して居なかったので多分です。1時間程度だったかも知れません。)もかかった苦い思い出です。参考までに、この小塩バス停は時現在廃止されて使われていません。もう一つ余談ですが、令和7年5月31日(土)の運行をもって、阪急バス66系統善峯寺行きが廃止となりました。今は、灰方バス停から、徒歩3.4㎞ 約43分と公式には出てますが、あの登り坂、絶対2時間以上はかかります(私の年齢で)。余談でした😊。

9時52分に十輪寺の駐車場に車を止めました。1台も止まってないので、なるべく日陰を選んで止めた次第です。

駐車場から「山門」前まで来ました。一瞬閉まっていたのでビックリしましたが、ここはいつも閉まってます。右側の「通用門」から入ります。

十輪寺は、春は桜。秋は紅葉で有名です。夏に来られる方は少ないでしょう。「通用門」から入って「拝観受付所」に向かいました。
「拝観受付所」に行くと予想通り誰も居ません。呼鈴を鳴らすと中から和尚さんが出て来られ受付して貰いました。
拝観料は500円です。秋の紅葉と同じ。御朱印は書き置きのみと受付に書いてありました。せっかく暑いなか来たので、ご本尊のをいただくことに。
何種類かありましたがご本尊を選びました。日付は判を押されました。文字が掠れてますが6月20日です。

「式台玄関」や「書院」などの襖を開けて回られたようで、「本堂」もそうのようでしたね、夏場は来られないのでしょう。
「中門」から先が有料エリアです。ここを通ると再び出ることはできません。「再入場お断り」の張り紙がありました。

本堂に向かって歩いていく左手に「業平紅楓(なりひらもみぢ)」があって、そこに和歌が書いてありました。「なりひらを偲ぶ紅いろいろて二条后もともにおわすか」と。
この十輪寺では早咲きの「なりひら桜」が有名です。なかなか満開の時に来られてないので未だ見てません。


この日で3度目の訪問で、ここから「本堂」に靴を脱いで上がります。最近では紅葉の2021年(令和3年)11月24日(水)以来です。
創建当時の伽藍は応仁の乱で焼失してしまったため、現在の本堂は江戸中期の1750年(寛延3年)に再建されたもの。本堂の屋根は鳳輦形(ほうれんがた)で、天皇が乗られる御輿をかたどった、丸みのある非常に珍しい形をしています。1989年(平成元年)4月14日に京都府指定文化財に指定されました。
堂内の中央に厨子があって、ご本尊の「延命地蔵菩薩」が祀られていますが閉まっています。ここは年に一回、8月23日のみご開帳されます。
ご本尊の延命地蔵菩薩のほか、寺宝として「十一面観音「草分(くさわけ)観音」があるようです。由緒書にも書いてありますが、見たことがありません。これは西国巡礼を復興したといわれる花山法皇が、巡礼の際に背負っていたと伝わる自作の観音像で、「禅衣(おいずる)観音」とも呼ばれ、十輪寺は「京都洛西観音霊場」の第3番札所となっています。
次に本堂を出て「高廊下」を通ります。この高廊下、茶室、業平御殿(なりひらごてん)を囲むようにあるのが「三方普感(さんぽうふかん)の庭」と呼ばれている庭園です。
「高廊下」の右手を見ると、さきほど拝観受付所を済ませてから通ってきた参道です。

「高廊下」の向かいが「茶室」です。ただ見たところ茶室としては使われてないようです。参考までに、この「茶室」には行けません。


が「三方普感(さんぽうふかん)の庭」です。また、ここには樹齢200年のしだれ桜、通称「なりひら桜」が植えられています。満開時には、庭を覆い尽くすように咲き誇るようです。
1750年(寛延3年)右大臣 藤原常雅が本堂を再建したときに造られたもので、高廊下や茶室、業平御殿の三箇所から場所を変え、見る人に様々な想いを感じさせる癒やしの庭となっています。
さきほど、外から写真を撮った「式台玄関」です。ここには襖絵がありますが、撮影厳禁とありました。

ここから引き返し「業平御殿」に入りました。ここも襖絵があって撮影厳禁とあったので写真はありません。
襖絵は、廃仏毀釈により失われたが、大阪在住の黒田正夕(しょうせき)画伯により見事に復元されました。32面にわたる豪華絢爛たる極彩色の王朝絵巻が描かれています。




再び「本堂」に戻って、靴を履き、本堂の裏手に行きます。暑いけど少し登ります。それより蚊に刺されないか心配かなぁ。


登る前に「紫陽花(アジサイ)」が咲いていたので撮りました。ここでも見られて良かったです。



ここから概ね登りです。暑いし蚊も怖い止めようかなぁと思いましたが、せっかく来たので奥に進むことにしました。

この先には、ご覧のように「在原業平の墓」と「在原業平朝臣 塩竃の跡(復元)」があるので見て帰ります。

登り始めて振り返ると、右に「本堂」、左に「業平御殿」の屋根が見えています。「なりひら桜」が咲いていると、綺麗に見えるでしょう。

最初に左手には「在原業平の墓」があります。在原業平(ありわらのなりひら)は、平安時代の歌人で六歌仙、三十六歌仙の一人。「伊勢物語」の主人といわれています。その業平が晩年に隠棲したと伝わるのが十輪寺です。

登り切った先に「在原業平朝臣 塩竃の跡(復元)」がありました。ここでは1周できるので。
業平が、晩年に当地に隠棲されていたとき塩竃を築き難波の海水を運んで塩焼く風情を楽しまれた。そして思い人であった染殿皇后(藤原明子)が大原野神社に参詣される時、ここで紫の煙を立ち上らせて思いを託したと伝わります。



ここでは座って休憩もできそうでしたが、蚊が怖いので。何か刺されたようなので早々に降ります。





帰りは急いで降りました。暑いし汗は噴き出てくるし、その汗で前が見えなくなるし😢。
京都府指定文化財の「鐘楼」まで降りて来ました。この鐘は「不迷鐘(まよわずのかね)」と呼ばれ、自分で決心がつかず迷っているとき、この鐘を撞くと決心がつくと不思議な鐘だそうです。
向かって右手が「大樟樹(おおくすのき)」で、樹齢800年、本尊が樟で造られているので、その分身としている。
伝説によると、地蔵菩薩の神力で一夜にして大樟樹にならしめたというので願掛け樟とも呼ばれる御神木である。


ここを出ると再入場が出来ないことが書かれています。もう戻ることは無いので出て行きます。


ここを下っていくと、十輪寺の入口に出られます。車では素通りしたので写真はありません。
こちらが駐車場に出られる道です。なるべく陽に当たらない所に止めましたが、戻ると車内が暑いこと・・・。
十輪寺を出たのが10時13分。行きは道を間違えましたが、帰りは当初覚えていたルートの福西本通りを北上し、国道9号線に出るつもりが、手前から渋滞してました。何だか変だなぁと思いながら、やっと国道9号線に出られたなぁと思いきや、そこから全然動かない。何度も利用している国道9号線も、平日でこんなに動かないことは記憶にありません。今日は異常な渋滞でした。地元のラジオを聴くと交通事故で約5㎞ほど渋滞と言ってました。帰ってから調べると国道9号線と桂川街道の交差点で、車4台が絡む交通事故があって、その影響で大渋滞となったようです。行きは40分で行けたのに、帰りは1時間30分もかかりました😢。
小塩のバス停には思い出があって、1989年(平成元年)7月2日(日)に善峯寺を、ここから往復徒歩で行きました。梅雨の期間、曇っていたので昼から出掛けたんですが、ここに来て雨が降り出し、雨が降ったことで大変蒸し暑いなか急な坂道を登った次第です。まだ若かったから出来たことで、今なら途中で倒れています😊。いつも、ここに来たら思い出すことです。あの急な坂道、平坦なら1.7㎞40分ぐらいで歩けるでしょうけど、1時間30分(記録を残して居なかったので多分です。1時間程度だったかも知れません。)もかかった苦い思い出です。参考までに、この小塩バス停は時現在廃止されて使われていません。もう一つ余談ですが、令和7年5月31日(土)の運行をもって、阪急バス66系統善峯寺行きが廃止となりました。今は、灰方バス停から、徒歩3.4㎞ 約43分と公式には出てますが、あの登り坂、絶対2時間以上はかかります(私の年齢で)。余談でした😊。
拝観料は500円です。秋の紅葉と同じ。御朱印は書き置きのみと受付に書いてありました。せっかく暑いなか来たので、ご本尊のをいただくことに。
何種類かありましたがご本尊を選びました。日付は判を押されました。文字が掠れてますが6月20日です。
創建当時の伽藍は応仁の乱で焼失してしまったため、現在の本堂は江戸中期の1750年(寛延3年)に再建されたもの。本堂の屋根は鳳輦形(ほうれんがた)で、天皇が乗られる御輿をかたどった、丸みのある非常に珍しい形をしています。1989年(平成元年)4月14日に京都府指定文化財に指定されました。
ご本尊の延命地蔵菩薩のほか、寺宝として「十一面観音「草分(くさわけ)観音」があるようです。由緒書にも書いてありますが、見たことがありません。これは西国巡礼を復興したといわれる花山法皇が、巡礼の際に背負っていたと伝わる自作の観音像で、「禅衣(おいずる)観音」とも呼ばれ、十輪寺は「京都洛西観音霊場」の第3番札所となっています。
1750年(寛延3年)右大臣 藤原常雅が本堂を再建したときに造られたもので、高廊下や茶室、業平御殿の三箇所から場所を変え、見る人に様々な想いを感じさせる癒やしの庭となっています。
襖絵は、廃仏毀釈により失われたが、大阪在住の黒田正夕(しょうせき)画伯により見事に復元されました。32面にわたる豪華絢爛たる極彩色の王朝絵巻が描かれています。
業平が、晩年に当地に隠棲されていたとき塩竃を築き難波の海水を運んで塩焼く風情を楽しまれた。そして思い人であった染殿皇后(藤原明子)が大原野神社に参詣される時、ここで紫の煙を立ち上らせて思いを託したと伝わります。
伝説によると、地蔵菩薩の神力で一夜にして大樟樹にならしめたというので願掛け樟とも呼ばれる御神木である。
十輪寺を出たのが10時13分。行きは道を間違えましたが、帰りは当初覚えていたルートの福西本通りを北上し、国道9号線に出るつもりが、手前から渋滞してました。何だか変だなぁと思いながら、やっと国道9号線に出られたなぁと思いきや、そこから全然動かない。何度も利用している国道9号線も、平日でこんなに動かないことは記憶にありません。今日は異常な渋滞でした。地元のラジオを聴くと交通事故で約5㎞ほど渋滞と言ってました。帰ってから調べると国道9号線と桂川街道の交差点で、車4台が絡む交通事故があって、その影響で大渋滞となったようです。行きは40分で行けたのに、帰りは1時間30分もかかりました😢。
この記事へのコメント
それはあの在原業平ゆかりのお寺だから。
江戸時代になっても伊勢物語は高貴な文芸とされ、在原業平への追慕の念が後世の人々にも強くあったことが伺われます。
在原業平の墓や塩竃の跡に、そんな面影が感じられますね。
こういうお寺も巡ってみたいものです。
十輪寺は、春の枝垂れ桜。秋の見事な紅葉で有名です。この暑い時期には、さすがに誰も来られ無かったです。
写真は撮れないですが、襖絵も綺麗で、見応えあります。
空いていので、ゆっくり散策できました。
ただただ暑かったけど。( ^_^)