五山の送り火 護摩木の奉納「船形」浄土宗来迎山西方寺へ
上賀茂神社の駐車場を7時56分に出て、賀茂川に架かる御薗橋を渡り、御薗橋通りを西に進みます。その御薗橋通りが突き当たるので、右折し紫竹西通りを北上し、直ぐの通りを左折しすると、道幅が狭くなります、右手(北側)に浄土宗来迎山西方寺がありますが、行きすぎた先に西方寺駐車場があるので8時1分に車を入れました。
この西方寺駐車場内に、五山の送り火の護摩木を奉納できる臨時のテントが設置されてました。五山の送り火では船形で8月16日(土)には20時10分に点火されるところです。ここ最近、夜も暑いので、五山の送り火は、地元KBS京都(BS11でも)での生中継で鑑賞させて貰ってます。多分、今年も行かないでしょう。多分😊。
あとで西方寺にも行ったので、そこから撮った駐車場入口です。けっこう車で来られる方、多かったです。


護摩木は1本500円を納めます。我が家と実家の分をいただきました。参考までに納所は、8月3日(日)~15日(金)まで(4日と6日は不在)。8時~16時頃。16日(土)は10時まで。護摩木が無くなり次第終了。
ここに来るまでに、何を書くかは決めてました。護摩木の表面はザラザラしているので綺麗には書けません。それで良いのです。
護摩木を納めたあと、初めて来たので浄土宗来迎山西方寺にも行きました。
大船院西方寺(だいせんいんさいほうじ)は、来迎山(らいごういん)と号する浄土宗の寺である。承和年間(834~48)に円仁(えんにん)(慈覚大師)が創建したと伝え、もとは天台宗山門派に属していたが、正和年間(1312~16)に道空上人(どうくうじょうにん)が中興して浄土宗に改められれ、以後、六歳念仏弘通(ろくさいねんぶつぐつう)の寺として知られている。毎年8月16日には、五山の送り火の一つである船形万燈籠が点火され、終了後には境内で六歳念仏が行われる。ここの六歳念仏は、鉦や太鼓を使って念仏を唱える極めて古風なもので、六歳念仏の古態を今に伝えるものとして知られており、1983年(昭和58年)に重要無形民俗文化財に指定されている。境内には、皇室制度や神道史の研究家として知られるイギリス人リチャード・ポンソンビーの碑が建てられている。また、背後の小谷墓地には、幕末の歌人太田垣(おおたがき)蓮月尼(れんげつに)や上賀茂神社の祠官賀茂(かもの)季鷹(すえたか)、また著名な料理人で陶芸家でもある、北大路魯山人の墓がある。
駐車場から少しだけ東に下がった所に「山門」がありました。

山門を入って正面に「本堂」があって、ご本尊は阿弥陀如来のようです。観光寺院では無いので入れません。五山送り火の日には、ここで六歳念仏を開催されます。
本堂向かって右手が寺務所のようでした。お盆の期間中のためでしょう、人の出入りありました。


写真下の左の石碑「本尊美君碑(ポンソンビー)」が由緒に書いてあったものです。
ポンソンビー(Richard Arthur Brabazon Ponsonby-Fane、1878~1937)はイギリスの日本学者。最初香港総督の秘書になり、昭和天皇(第124代天皇)が皇太子時代、1921年(大正10年)渡欧の途中で香港に立ち寄った際には通訳を勤めた。のち来日し、1924年(大正13年)には京都に居を定め、京都府立第一中学の英語教師の職につき、神道・神社を研究した。京都では上賀茂神社の社家町に和風の家を新築した。服装・食事とも和風を通し、みずから「本尊美利茶道」と名乗った。
最後に、8月16日(土)20時10分に点火された「船形」です。画像は借りました。当日の夕方から激しい雨が降りましたが、見事に点火されました。
当日朝早くから、山のふもとの3町55軒の旧家より年寄・中老・若中ら約50人が西方寺に集まり、割木などが山上へ運ばれ点火準備が行われます。やがてふもとで打ち鳴らされる鉦を合図に点火され、西方寺住職の読経が行われます。送り火終了後、西方寺において読経と六斎念仏(重要無形民俗文化財「京都の六斎念仏」)が行われます。
西方寺駐車場に戻り出て行きました。8時1分~8時10分、300円でした。この日の午後の降水確率は40%で、実際夕方から雨が降りました。20時頃に小雨になったので、無事に五山の点火はされたようで、テレビで鑑賞させて貰いました。
この西方寺駐車場内に、五山の送り火の護摩木を奉納できる臨時のテントが設置されてました。五山の送り火では船形で8月16日(土)には20時10分に点火されるところです。ここ最近、夜も暑いので、五山の送り火は、地元KBS京都(BS11でも)での生中継で鑑賞させて貰ってます。多分、今年も行かないでしょう。多分😊。
護摩木を納めたあと、初めて来たので浄土宗来迎山西方寺にも行きました。
大船院西方寺(だいせんいんさいほうじ)は、来迎山(らいごういん)と号する浄土宗の寺である。承和年間(834~48)に円仁(えんにん)(慈覚大師)が創建したと伝え、もとは天台宗山門派に属していたが、正和年間(1312~16)に道空上人(どうくうじょうにん)が中興して浄土宗に改められれ、以後、六歳念仏弘通(ろくさいねんぶつぐつう)の寺として知られている。毎年8月16日には、五山の送り火の一つである船形万燈籠が点火され、終了後には境内で六歳念仏が行われる。ここの六歳念仏は、鉦や太鼓を使って念仏を唱える極めて古風なもので、六歳念仏の古態を今に伝えるものとして知られており、1983年(昭和58年)に重要無形民俗文化財に指定されている。境内には、皇室制度や神道史の研究家として知られるイギリス人リチャード・ポンソンビーの碑が建てられている。また、背後の小谷墓地には、幕末の歌人太田垣(おおたがき)蓮月尼(れんげつに)や上賀茂神社の祠官賀茂(かもの)季鷹(すえたか)、また著名な料理人で陶芸家でもある、北大路魯山人の墓がある。
ポンソンビー(Richard Arthur Brabazon Ponsonby-Fane、1878~1937)はイギリスの日本学者。最初香港総督の秘書になり、昭和天皇(第124代天皇)が皇太子時代、1921年(大正10年)渡欧の途中で香港に立ち寄った際には通訳を勤めた。のち来日し、1924年(大正13年)には京都に居を定め、京都府立第一中学の英語教師の職につき、神道・神社を研究した。京都では上賀茂神社の社家町に和風の家を新築した。服装・食事とも和風を通し、みずから「本尊美利茶道」と名乗った。
当日朝早くから、山のふもとの3町55軒の旧家より年寄・中老・若中ら約50人が西方寺に集まり、割木などが山上へ運ばれ点火準備が行われます。やがてふもとで打ち鳴らされる鉦を合図に点火され、西方寺住職の読経が行われます。送り火終了後、西方寺において読経と六斎念仏(重要無形民俗文化財「京都の六斎念仏」)が行われます。
西方寺駐車場に戻り出て行きました。8時1分~8時10分、300円でした。この日の午後の降水確率は40%で、実際夕方から雨が降りました。20時頃に小雨になったので、無事に五山の点火はされたようで、テレビで鑑賞させて貰いました。
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