第50回記念「京の夏の旅」東本願寺 御影堂門へ
JR京都駅で、「癒やしの宝探し修行」の賞品を貰ったのが、9時40分頃。予定ではジェイアール京都伊勢丹で開催中の「やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ」(美術館「えき」KYOTO)に行くつもりにしてました。朝ドラの影響でしょうか、連日多くの方が来られてて混雑しているとは聞いてましたが、10時の開店直後に行けば良いかなぁと思ってました。ただ、こんなに暑いなか20分も開店を待てないので、10時から拝観が始まる、第50回記念「京の夏の旅」東本願寺 御影堂門に行くことに事前に考えてました😊。
9時56分に地下道から地上に上がってきました。地下道も暑かったけど、地上は風も無く暑いので日傘で暑さを遮りながら歩いて行きます。
今日、東本願寺に来たのは、2023年(令和5年)3月24日にオープンした「お東さん広場(東本願寺前市民緑地)」を見ることでした。
最初に見るのは京都市「雨庭」です。地上に降った雨水を、下水道を直接放流することなく一時的に貯留し、ゆっくりと地中に浸透させる構造を持った植栽空間だそうです。
以前は車道だった所が「多目的広場」として整備されました。石畳風舗装が綺麗です。暑いので歩いている人も少ないです。

特別公開されている「御影堂門」を見ると、既に数名が上がられています。このとき9時58分でした。

「噴水広場」まで来ました。この蓮華型の噴水は、大正時代初期に武田五一によって設計されました。
熱中症警戒アラートが出されているので、歩いている人、殆ど居ません。噴水前から「ニデック京都タワー」を撮りました。
重要文化財に指定されている「御影堂門」は、1911年(明治44年)に再建された、高さ約27㍍の日本一高い木造二重門です。
東本願寺は、真宗大谷派の本山で正式には「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)」といいます。世界最大級の木造建築である御影堂(ごえいどう)をはじめ諸堂への入口に聳える巨大な御影堂門(重文)が、今回の夏の旅で特別公開されました。「真宗本廟」の扁額が掲げられた上層には、釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)と弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)、阿難尊者像(あなんそんじゃぞう)の三尊像を安置。また彫刻や細部の意匠も優れ、飾り組子(くみこ)の欄間は単なる装飾ではなく、耐震構造になっているというもの。楼上からは、京都市街や東山連峰などの眺望が楽しめます。
この「御影堂門」の特別公開にきたのは、2022年(令和4年)1月18日(火)「第56回 京の冬の旅」以来です。あのときは真冬、今日は真夏・・・。

10時ちょうどに拝観受付所に着きました。拝観料は800円、スタンプラリーは、ここで2個貯まりました😊。
靴を下駄箱に預け急峻な階段を登ります。階段の途中からの写真撮影は禁止されてました。それより途中で止まって写真なんか撮れないです。登り切るまで一気に上がりました。
怖かった階段を登り切って楼上に出てから撮った1枚です。この時、ガイドさんがスタンバイされてて、このような話しをされました。
「写真は外も中も撮って貰ってもOKです。ただし仏像の写真だけはSNSにアップしないでください」と。第56回 京の冬の旅の時は、堂内の写真はNGでした。昨今の時代の流れでしょうかね。
楼上に来て見て思ったのは、子供達が多かったこと。ご近所の方か知りませんが、観光客では無さそうでした。写真は南西の方向で「阿弥陀堂」を見ています。
こちらは南東の方向です。楼上に上がったら風が吹き抜けます。暑いのには変わりないですが。

東の方向です。先に下から見ていた武田五一設計の噴水です。「お東さん広場(東本願寺前市民緑地)」広々とした広場が上から見て分かります。
北東の方向で、遠くに比叡山を見ています。今日も暑いので歩いている人、殆ど居ません。
北の方向です。門徒の方が利用されてる「参拝接待所」を見ています。堂内の特別拝観時には、ここが入口となります。
北西の方向です。遠くに比叡山より高い愛宕山を見ています。
御影堂の西側に出ました。眼下には雄大な御影堂が正面に見えます。
南西の方向で、先に案内した「阿弥陀堂」です。なお、御影堂も阿弥陀堂も自由に参拝できます。
ご本尊の裏手から堂内を撮ったものです。
南の方向です。正面にニデック京都タワーが見えています。久しく登ってないなぁ。
最後に南東の方向です。先程、歩いて来た方向です。このあと堂内に入って、ガイドさんの話しを聞きます。
ガイドさんの話しが始まったので、ここに座って話しを聞きました。堂内は風が通らないので暑かったですね。
話しを聞いて分かったことは、天井に何も描いて無い理由です。2022年(令和4年)1月18日(火)の「第56回 京の冬の旅」でも聞いていたのかなぁと。
この天井には、京都画壇を代表する竹内栖鳳(たけうちせいほう)の絵画が描かれる予定でした。御影堂門は1911年(明治44年)に再建されました。当時の東本願寺第23代彰如上人から竹内栖鳳に、天井画を描くように以来され、栖鳳は直ぐに構想を練り始めたようです。その構想とは、当時は例のなかった、半裸の女性モデルを起用し、これまでに無い画期的な天女の姿を描こうとしたようです。ただ天井材が乾燥不十分であったこで、絵を貼り付ける状態にならなかったという問題が生じ、結局御影堂門完成時には天井画は完成しなかった。それでも栖鳳は天井画の制作を続けたが、天女のモデルが亡くなったことと、背景を手伝う弟子の画家たちも、だんだと忙しくなり、さまざま事情が重なったことで、天井画は描かれることがなくなったと伝わります。
基本、ガイドさんの話は、ここに展示されているパネルに書いてありました。現在は「飛天舞額図」という天女の下絵だけが残されパネルで見られました。
この大きな扁額は、伏見宮貞愛(ふしみのみやさだなる)親王による揮毫。「真宗本廟」とはも宗祖親鸞聖人の墓所から展開し、常に聖人の教えを聞きひらく場であることを示しているとか。
堂内の南側のパネルは、東本願寺の歴史か御影堂について詳しく書いてありました。

10時20分頃に下に降りてきました。そしてエアコンの効いた「総合案内所」に入り、水分補給など約10分ぐらい休憩しました。

10時32分に「御影堂門」から東本願寺を出て行きました。
この日の最高気温は16時に記録した37.3℃、19時でも33.0℃もありました。それほど暑かったです。東本願寺の「渉成園(枳殻邸)燕申堂」の特別公開もありますが、涼しくなってから行くつもりしています。ここから地下鉄五条駅まで歩き、四条烏丸から市バスに乗って帰りました。
今日、東本願寺に来たのは、2023年(令和5年)3月24日にオープンした「お東さん広場(東本願寺前市民緑地)」を見ることでした。
東本願寺は、真宗大谷派の本山で正式には「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)」といいます。世界最大級の木造建築である御影堂(ごえいどう)をはじめ諸堂への入口に聳える巨大な御影堂門(重文)が、今回の夏の旅で特別公開されました。「真宗本廟」の扁額が掲げられた上層には、釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)と弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)、阿難尊者像(あなんそんじゃぞう)の三尊像を安置。また彫刻や細部の意匠も優れ、飾り組子(くみこ)の欄間は単なる装飾ではなく、耐震構造になっているというもの。楼上からは、京都市街や東山連峰などの眺望が楽しめます。
靴を下駄箱に預け急峻な階段を登ります。階段の途中からの写真撮影は禁止されてました。それより途中で止まって写真なんか撮れないです。登り切るまで一気に上がりました。
「写真は外も中も撮って貰ってもOKです。ただし仏像の写真だけはSNSにアップしないでください」と。第56回 京の冬の旅の時は、堂内の写真はNGでした。昨今の時代の流れでしょうかね。
話しを聞いて分かったことは、天井に何も描いて無い理由です。2022年(令和4年)1月18日(火)の「第56回 京の冬の旅」でも聞いていたのかなぁと。
この天井には、京都画壇を代表する竹内栖鳳(たけうちせいほう)の絵画が描かれる予定でした。御影堂門は1911年(明治44年)に再建されました。当時の東本願寺第23代彰如上人から竹内栖鳳に、天井画を描くように以来され、栖鳳は直ぐに構想を練り始めたようです。その構想とは、当時は例のなかった、半裸の女性モデルを起用し、これまでに無い画期的な天女の姿を描こうとしたようです。ただ天井材が乾燥不十分であったこで、絵を貼り付ける状態にならなかったという問題が生じ、結局御影堂門完成時には天井画は完成しなかった。それでも栖鳳は天井画の制作を続けたが、天女のモデルが亡くなったことと、背景を手伝う弟子の画家たちも、だんだと忙しくなり、さまざま事情が重なったことで、天井画は描かれることがなくなったと伝わります。
この大きな扁額は、伏見宮貞愛(ふしみのみやさだなる)親王による揮毫。「真宗本廟」とはも宗祖親鸞聖人の墓所から展開し、常に聖人の教えを聞きひらく場であることを示しているとか。
この日の最高気温は16時に記録した37.3℃、19時でも33.0℃もありました。それほど暑かったです。東本願寺の「渉成園(枳殻邸)燕申堂」の特別公開もありますが、涼しくなってから行くつもりしています。ここから地下鉄五条駅まで歩き、四条烏丸から市バスに乗って帰りました。
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