重要文化財の京町家「杉本家住宅」一般見学(杉本家ゆかりのほうじ茶・和紅茶ティーバッグ付き)へ
私は京都在住のため、JR東海の2025年初夏「そうだ 京都、行こう。」CM(6月に放送された)は関西では放送されないので、見たことがありませんが、重要文化財の京町家「杉本家住宅」が選ばれ、CMが放送されているそうです(見たことがなので何とも言えないけど)。そこで、JR東海のEX旅で通常見学料が2000円のところ、夏の大セールということで、1500円で見られ、おまけに杉本家ゆかりのほうじ茶・和紅茶ティーバッグ付きとありました😊。
私は、8月22日(金)に予約し、何より嬉しいのは、8月の公開時間が7時30分からで、日中の猛暑を避けられる。このプランを申し込んだ最大の理由は、これでした😊。なお、杉本家住宅には、2019年(令和元年)9月20日(金)「第44回 京の夏の旅」での特別公開以来です。
朝早くに京都市バスに乗り、四条西洞院で下車しました。このとき7時23分、朝は道が空いているので、ほぼ時間通りに着きました。降りると少しだけ西に進み、四条西洞院を信号で渡り、今度は東に向かって歩きます。次に南行きの路地があるので、そこを下がります。この路地は膏薬辻子(こうやくのずし)と言います。
この路地について、京都市の駒札がありました。まだ時間が早かったので、この案内文を読んでから行きます。
膏薬辻子とは、四条通りから中程で折れ曲がり綾小路通りまで走る細い道の名勝である。また、膏薬辻子を挟む地域が、1869年(明治2年)に新釜座町と命名されるまでは、地域の名称としても用いられた。この地域は、皇后を何代も輩出した大納言藤原公任(ふじわらのきんとう)の邸宅である四条宮のあった場所である。参考までに、2024年(令和6年)のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、町田啓太さんが演じてました。そして、この地域において、踊念仏で知られ、後に西光寺(現在の六波羅蜜寺)を創建した空也上人が938年(天慶元年)、この地に道場を設けて念仏修行を始めた。940年(天慶3年)に、「天慶の乱」により戦死した平将門の首が京都の町で晒されて以降、全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨念の仕業とされたため、各地で平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれた。京都でも、空也上人が道場の一角に塚(現在の神田神宮)を建て供養したことから、空也供養の道場と呼ばれた。そして、空也供養の発音が訛り、細い道を意味する辻子と合わせて、大河ドラマ「光る君へ」で、膏薬辻子と呼ばれるようになったとされている。(京都市)
この塀の向こうが杉本家住宅です。JR東海のCMが流されているので訪れる人も多いのでしょう、張り紙で案内されてました。
向かって左側(東側)の塀の向こうが杉本家住宅です。後で案内で聞いたので知りましたが杉本家の蔵ですね。
この路地を抜けて綾小路通りに出て、東に入った所にあるのが重要文化財に指定されている京町家「杉本家住宅」です。
今日は平日で、この辺りは京都市ではビジネス街になります。車や人の行き来は多いです。杉本家の西側から先ずは撮りました。


7時27分でしたが、既に人が入って行かれたのが遠目で見えました。私も続いて入って行きます。

「表戸口」から入ると、左手には「店の間」があります。ここは、かつて「奈良屋呉服店」がありました。
ここを抜けると左手に中庭がありますが、現在工事中です。そのまま奥に進みます。
ここで靴を脱いで上がります。既に下駄箱には多くの靴があったので、数名は来られるいるようです。
上がると右手に拝観受付所があって、そこでQRコードをかざし、特典のほうじ茶・和紅茶ティーバッグをいただきました。
なお、ここで鞄は預けます。そして「スマホなら何処を撮って貰っても結構です」と。2019年(令和元年)9月20日(金)「第44回 京の夏の旅」では、決められた所だけ写真撮れましたが、随分変わりましたね。そのことは事前に注意事項に書いてあったので知ってました。それと夏の暑い時期ですが素足で上がるのはNGとありましたが当然でしょうね。「特に案内はしないので自由に見て回って下さい」と最後に言われました。

最初に「座敷」に集められ、テレビで良く見かける杉本節子さんから簡単な案内がありました。合わせて冷えたお茶とお菓子(鶴屋吉信)もいただました。
杉本家は、1743年(寛保3年)に呉服商「奈良屋」の屋号をもって四条烏丸に創業。1767年(明和4年)に現在地に移転。京呉服を仕入れて関東地方(主に佐原市・佐倉市・千葉市など)で販売する他国店持京商人として繁栄した。京都では度々大火に見舞われるが、現在の主屋は1864年(元治元年)の「禁門の変」による大火後に再建され、棟札によれば1870年(明治3年)4月23日に上棟により、築155年が経っている。この時の当主が6代目新左衛門為賢、棟梁は菱屋利三郎と近江屋五良右衛門でした。主屋の北寄りには、元治の大火に焼け残ったと伝えられる大蔵・隅蔵・中蔵が鍵型に並び、保存状況は良好で、大店の典型的な建築遺構として、きわめて高い価値を有する。1990年(平成2年)に、京都市有形文化財を、2010年(平成22年)には国の重要文化財に指定を受けた。その際には、土地があわせて保存を図る対象とされたほか、主屋の建築に関する史料として「棟札」(明治3年4月)「御本宅積り書」(明治3年2月)が、屋敷構えの変遷を伝えるものとして「旧米蔵」「旧漬物小屋」「高塀」がそれぞれ附指定された。また、この建物内の「庭」は「京町屋」とて初めて国の名勝指定を受けた。この名勝指定範囲には、「座敷庭」「露地庭」「仏間庭」と併せて「店庭」「走り庭」といった町屋の特徴である屋内に細く伸びる「通り庭」を含んでいる。これは従来の指定に見られる眺望または円遊する「庭」にとどまらず、日々の生活に欠かせない作業場としての「庭」が加えられたところに特徴がある。
案内が終わると、後は自由拝観です。先ず、この「座敷」から。通常より少し大きい京畳が10畳敷の、主人専用の客間として使用されたようです。

この座敷の欄間は、コウモリの桐透かし彫りが特徴だとか、個人的にはコウモリに見えないですが😊。



この「座敷」には、「床の間」と「地袋(床面に接する高さの低い袋戸棚)」があります。これは先の案内で教えて貰ったことです。
こちらは座敷から見た「中の間」です。そして奥が「奥の間」で、夏の間はぶち抜いて22畳の広さとなっています。
これは夏のこしらえで、今は蔵の中に障子や襖が納められています。そして9月下旬から10月上旬に襖や障子を入替されます。その事は「建具替(たてぐがえ)」と案内されました。建具替えは夏と冬、年に二回行われるようです。

この座敷の屋根は、瓦葺では無く、杮葺で軽いそうです。屋根の庇に支柱が無いのは、庭全体を大きく見せたいとの意匠から。「桔木(はねぎ)」の部材は北山杉の名木が使われているようです。
「座敷庭」には蹲踞があって、奥の春日灯籠の火袋が、同じ目の位置に見えます。

「座敷庭」敷き詰められた京都の銘石「鞍馬石」など、現在では手に入らないでしょうね。向かって右にも春日灯籠がありました。


座敷庭の東側には「旧坪庭」があって、今回の公開に参加者には自由に「打ち水」体験ができます。
座敷「中の間」の西側は「仏間」です。杉本家は浄土宗の門徒であったようです。非公開ですが、この仏間の床下には「石室」が設けてある旨、説明されてました。
杉本家は初代より浄土真宗本願寺派を信仰し、代々の信仰の厚さが、独立した間取りと滑り石を敷く仏間庭が見られる。
この石の上にカニが居る庭は「仏間庭」です。この庭には滑り石と唐銅水盤があります。西本願寺の意匠を取り入れたとか。



「仏間」を抜けると「茶室」です。この茶の間には、茶道藪内流9代目藪内紹智の二男で随竹庵があたったようです。
創建当時、格子の間から仏間へは7畳の細長い畳敷の廊下で繋げられてて「長七畳」と呼びれていた。後に仏間に近い三畳分のところで区切られ、そこに一畳半を庭に張り出す形で増築され、(昭和10年)に四畳半の「茶の間」として改装されたようです。




茶の間から奥に進むと「八畳の間」があります。1893年(明治26年)に増築された部屋のようです。
この部屋の柱は、すべて北山杉磨き丸太を使用。西と北面に障子を建て込む明るい部屋とされてます。



こちらは「露地庭園」で、飾り雪隠、井戸が備えられ、石彫の兔が2羽配置されています。ウサギは「第44回 京の夏の旅」では撮りましたが、今回は失念してました😢。1羽だけ写ってます😊。

綾小路通りに面した「格子の間」です。ビジネス街の真ん中にあるので、車や人や自転車で行き交い賑やかな音が入ってきます。
表通りに面して嵌めた細目格子を通す陽射しは、季節や時刻の移ろいによって、趣き異なり京町屋独特の情緒を生んでます。
最後に「洋間」に入りました。この洋間についての記憶が抜けてました。洋間ってあったっけ・・・と😊。




創建当時は店用の客間のようでした。1929年(昭和4年)8代目当主の結婚を機に現代のように天井を高く取り直し洋間に改装されたようです。
部屋全体は、格子の縦直線の持ち味を活かし、アールデコ調にまとめられ、床材にはコルクを用い、マントルビースを模した部分は、冬になると電気ストーブが置かれたようです。ビアノは改装当時から置かれてて、当初はYAMAHA制、現在はドイツ制のが置かれています。


「台所」、「おくどさん」も見せて貰いました。私が子供の頃、実家にもありました。使って無かったけど、いちいち下に降りるのが、本当に面倒でした。
私は「打ち水」体験はしませんでした。参加者の中にはされてましたが、暑いので涼しい間に帰りたかったので。

8時5分頃に出ました。涼しい間と書きましたが、既に暑かったです。この日の最高気温は、京都市が36.9℃、福知山が37.2℃、舞鶴市と京田辺市が36.7℃と全て猛暑日に、京都市の猛暑日が、この日45日となりました。
ここから歩いて5分ぐらいの四条烏丸から市バスに乗って帰りました。久しぶりの通勤通学時間帯にバス乗りましたが、バスは空いてました。懐かしの京町屋楽しめました。
私は、8月22日(金)に予約し、何より嬉しいのは、8月の公開時間が7時30分からで、日中の猛暑を避けられる。このプランを申し込んだ最大の理由は、これでした😊。なお、杉本家住宅には、2019年(令和元年)9月20日(金)「第44回 京の夏の旅」での特別公開以来です。
朝早くに京都市バスに乗り、四条西洞院で下車しました。このとき7時23分、朝は道が空いているので、ほぼ時間通りに着きました。降りると少しだけ西に進み、四条西洞院を信号で渡り、今度は東に向かって歩きます。次に南行きの路地があるので、そこを下がります。この路地は膏薬辻子(こうやくのずし)と言います。
膏薬辻子とは、四条通りから中程で折れ曲がり綾小路通りまで走る細い道の名勝である。また、膏薬辻子を挟む地域が、1869年(明治2年)に新釜座町と命名されるまでは、地域の名称としても用いられた。この地域は、皇后を何代も輩出した大納言藤原公任(ふじわらのきんとう)の邸宅である四条宮のあった場所である。参考までに、2024年(令和6年)のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、町田啓太さんが演じてました。そして、この地域において、踊念仏で知られ、後に西光寺(現在の六波羅蜜寺)を創建した空也上人が938年(天慶元年)、この地に道場を設けて念仏修行を始めた。940年(天慶3年)に、「天慶の乱」により戦死した平将門の首が京都の町で晒されて以降、全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨念の仕業とされたため、各地で平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれた。京都でも、空也上人が道場の一角に塚(現在の神田神宮)を建て供養したことから、空也供養の道場と呼ばれた。そして、空也供養の発音が訛り、細い道を意味する辻子と合わせて、大河ドラマ「光る君へ」で、膏薬辻子と呼ばれるようになったとされている。(京都市)
この路地を抜けて綾小路通りに出て、東に入った所にあるのが重要文化財に指定されている京町家「杉本家住宅」です。
なお、ここで鞄は預けます。そして「スマホなら何処を撮って貰っても結構です」と。2019年(令和元年)9月20日(金)「第44回 京の夏の旅」では、決められた所だけ写真撮れましたが、随分変わりましたね。そのことは事前に注意事項に書いてあったので知ってました。それと夏の暑い時期ですが素足で上がるのはNGとありましたが当然でしょうね。「特に案内はしないので自由に見て回って下さい」と最後に言われました。
杉本家は、1743年(寛保3年)に呉服商「奈良屋」の屋号をもって四条烏丸に創業。1767年(明和4年)に現在地に移転。京呉服を仕入れて関東地方(主に佐原市・佐倉市・千葉市など)で販売する他国店持京商人として繁栄した。京都では度々大火に見舞われるが、現在の主屋は1864年(元治元年)の「禁門の変」による大火後に再建され、棟札によれば1870年(明治3年)4月23日に上棟により、築155年が経っている。この時の当主が6代目新左衛門為賢、棟梁は菱屋利三郎と近江屋五良右衛門でした。主屋の北寄りには、元治の大火に焼け残ったと伝えられる大蔵・隅蔵・中蔵が鍵型に並び、保存状況は良好で、大店の典型的な建築遺構として、きわめて高い価値を有する。1990年(平成2年)に、京都市有形文化財を、2010年(平成22年)には国の重要文化財に指定を受けた。その際には、土地があわせて保存を図る対象とされたほか、主屋の建築に関する史料として「棟札」(明治3年4月)「御本宅積り書」(明治3年2月)が、屋敷構えの変遷を伝えるものとして「旧米蔵」「旧漬物小屋」「高塀」がそれぞれ附指定された。また、この建物内の「庭」は「京町屋」とて初めて国の名勝指定を受けた。この名勝指定範囲には、「座敷庭」「露地庭」「仏間庭」と併せて「店庭」「走り庭」といった町屋の特徴である屋内に細く伸びる「通り庭」を含んでいる。これは従来の指定に見られる眺望または円遊する「庭」にとどまらず、日々の生活に欠かせない作業場としての「庭」が加えられたところに特徴がある。
この「座敷」には、「床の間」と「地袋(床面に接する高さの低い袋戸棚)」があります。これは先の案内で教えて貰ったことです。
これは夏のこしらえで、今は蔵の中に障子や襖が納められています。そして9月下旬から10月上旬に襖や障子を入替されます。その事は「建具替(たてぐがえ)」と案内されました。建具替えは夏と冬、年に二回行われるようです。
杉本家は初代より浄土真宗本願寺派を信仰し、代々の信仰の厚さが、独立した間取りと滑り石を敷く仏間庭が見られる。
この石の上にカニが居る庭は「仏間庭」です。この庭には滑り石と唐銅水盤があります。西本願寺の意匠を取り入れたとか。
創建当時、格子の間から仏間へは7畳の細長い畳敷の廊下で繋げられてて「長七畳」と呼びれていた。後に仏間に近い三畳分のところで区切られ、そこに一畳半を庭に張り出す形で増築され、(昭和10年)に四畳半の「茶の間」として改装されたようです。
この部屋の柱は、すべて北山杉磨き丸太を使用。西と北面に障子を建て込む明るい部屋とされてます。
表通りに面して嵌めた細目格子を通す陽射しは、季節や時刻の移ろいによって、趣き異なり京町屋独特の情緒を生んでます。
部屋全体は、格子の縦直線の持ち味を活かし、アールデコ調にまとめられ、床材にはコルクを用い、マントルビースを模した部分は、冬になると電気ストーブが置かれたようです。ビアノは改装当時から置かれてて、当初はYAMAHA制、現在はドイツ制のが置かれています。
ここから歩いて5分ぐらいの四条烏丸から市バスに乗って帰りました。久しぶりの通勤通学時間帯にバス乗りましたが、バスは空いてました。懐かしの京町屋楽しめました。
この記事へのコメント
IJ東海の初夏のCMで使われていますか。それは気が付きませんでした。
最近は、奈良のCMの方が多いような気がするんです。
中も重厚でありながらシンプルな和の趣、素敵だなと思います。
奥には洋室も。大正期から昭和初期の和洋折衷の魅力が残っていますね。
見たいと思ってました。素敵な京町屋ですね。
いかにも京都らしい坪庭に風情を感じます。
特別な案内なしで自由に見学できるのも
いいなと思って…。確か、ご当主の
杉本さんは、フランス文学者で日本の古典文学に
ついても著作のある方ですよね。昔々、
何か読んだ事があったのを思い出しました。
さすがに、この夏の暑さで、拝観も早朝の7時30分から。これは良かったです。確か9月もそうされていたように思います。
四条烏丸に近いのに、このように重要文化財に指定されている京町屋が残っているとは。ゆっくり見学させて貰いました。
京町屋も年々数は減っているようで、このような貴重な建物が残っているのは嬉しいです。
最初の案内では、クラウドファンディングもお願いされてました。
以前は、特別公開時にしか入れなかったし、写真撮影も制限されてました。今回はスマホのみ写真ができて良かったです。
特別公開のように、ガイドさんの案内はありませんが、自由に見て回れて良かったですし、私は特別公開に来ているので概要は分かってました。