第50回記念「京の夏の旅」上賀茂神社(賀茂別雷神社) 本殿・権殿へ

世界文化遺産に指定されている賀茂別雷神社(上賀茂神社)には、最近で8月14日(木)に行ってます。ただ本殿の拝観は、2015年(平成27年)5月2日(土)に「平成27年度 春季京都非公開文化財特別公開」で、本殿・権殿のある神域に入ってから、それ以来見てません。

ここからは通称の上賀茂神社と言うことにします。上賀茂神社では、今年の第50回記念京の夏の旅上賀茂神社(賀茂別雷神社) 本殿・権殿が神職さんの案内のもと、特別公開されてて、昨年も同時期に公開がありました。2024年(令和6年)9月9日(月)に特別公開に入ろうとしたんですが、団体さんが拝観時間前に先に入られたので、この日、年中行事の「烏相撲」を境内でされていたので、それを見ることにしました。今年も暑い日が続いていますが、昨年も暑くて暑くて、烏相撲を見ている途中で帰路についたので、特別拝観は断念したわけです😢。

今年は当初、8月27日(水)に訪れた「仁和寺・観音堂」に行くつもりにしてませんでした。そこでスタンプラリーのスタンプ1個が余ることになったので、残り1個を下鴨神社、旧三井家下鴨別邸、そして上賀茂神社の中から、10年も行ってない上賀茂神社に行くことにしました。

本殿・権殿の特別拝観は10時から。まだまだ時間があるので、暑いなか境内を散策します。

IMG_5833.jpg9時15分に上賀茂神社 参拝者駐車場に車を止めて、上賀茂神社の御祭神が降臨したと伝わる「神山(こうやま)」を撮りました。

IMG_5835.jpg車を止めたとき、駐車場に観光バスが1台止まっていたので、嫌な予感的中です。境内には見たところ団体さんが多く居るようです。

IMG_5836.jpgIMG_5837.jpgIMG_5908.jpg西鳥居から入ったので、最初に見るのが「細殿」(重文)です。前には神山に見立てた「立砂」があります。

かつては天皇や斎王のみが昇殿を許された建物。正面の立砂は「神山」を象ったもの。陰陽道の教えに基づいて右側が陰を表し松の葉が2本、左側が陽を表し松の葉が3本立てられ陽と陰の一対になっている。

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時間が早かったので、先に御朱印をいただきました。本当は「京の夏の旅」限定の御朱印が欲しかったですが売り切れと書いてありました。残念。

IMG_5838.jpg今日は、まだ「二の鳥居」をくぐってませんが、その側にある建物は重要文化財に指定されている「楽屋(がくのや)」です。

神仏習合時代の万僧供養に用いたもの。一切経楽屋ともいう。1628年(寛永5年)造替。

IMG_5840.jpgIMG_5842.jpg次に「土舎(つちのや)」(到着殿)(重文)の側で流れる「ならの小川」を下って行きます。その先にある「渉渓園(しょうけいえん)」に入ります。

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この大木は「睦の木」と呼ばれ、300年以上の昔より、この大地に根ざし一つの根より大樹が何本も伸びてているところから、一つに結ばれた仲睦まじい家族の砂や家内安全を見守っています。

IMG_5846.jpgIMG_5847.jpgIMG_5849.jpg庭園を奥に進むと「願い石」(陰陽石)があります。この石があるので、今は常時入れるようにされたのかも知れません。

古くは、ここに池があってそこには龍が住んでいたそうで、池の底から出土したのが「陰陽石」だそうです。両手で同時に手で触れ、その力をいただいてから「賀茂山口神社」にお参りします。

IMG_5848.jpgIMG_5850.jpgIMG_5852.jpg賀茂山口神社」の「拝殿」です。「願い石」(陰陽石)にさわり、ここでお参りします。本殿は庭園外にあります。御祭神は御歳神(みとしのかみ)で、御利益が商売繁盛、子供の成長を見守る神様とありました。

IMG_5851.jpgこの庭の作庭は、昭和の名作庭家である中根金作だそうです。ここでは、毎年4月の第2日曜日に行われる「賀茂曲水宴」が行われます。

上賀茂神社境内を流れる「ならの小川」からの分水にある庭園「渉渓園」では、毎年4月の第2日曜日の当日に、前年の葵祭の斎王代が歌題を披露し、一流の歌人らが即興で和歌を詠み、短冊にしたためる。平安時代さながらの衣装で、詩歌の吟詠、管弦の演奏も行われ、平安の「雅」が再現されます。参観は有料。

IMG_5856.jpg渉渓園を出て、まだ時間が早かったので、境内の南側に行ってみます。こちらは摂社「奈良神社」で、御祭神は奈良刀自神(ならとうじのかみ)。学業成就・料理技術向上の神様だそうです。

IMG_5858.jpgここにも鳥居があるんですね、調べると「なら鳥居」でした。この鳥居から出ずに、この辺りを散策です。

IMG_5859.jpgこの辺りには滅多に来ないので😊。「庁屋(北神饌所)」(重文)で、往古の神饌調達所、中古政庁として活用したものて。5月賀茂競馬または、能舞台などとして使用。1628年(寛永5年)造替。

IMG_5861.jpg特に、あとでいただいた境内マップにも載ってませんでした。校倉造りの宝物庫でしょう。

IMG_5863.jpgこちらも案内がありませんでしたが、マップでは「井戸舎」とありました。境内の東端まで来たので、ここから上がって行きます。

IMG_5864.jpg二葉姫稲荷神社(ふたばひめいなりじんじゃ)」の麓まで来ました。2018年(平成30年)3月17日(土)に一度だけ登ってます。

IMG_5865.jpg摂社「賀茂山口神社」で参拝される方が居て、そこをすり抜け「ならの小川」の側に佇む末社「岩本神社」。御祭神は底筒男神(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神の三柱一座。交通安全の神様と書かれてました。

IMG_5867.jpgIMG_5868.jpgこの日、来てみて気づいたことで、それは「風鈴」の音色でした。調べたら1000個の風鈴が吊されているそうです。

IMG_5869.jpgこちらは「紫式部の歌碑」です。紫式部が片山御子神社(片岡社)に参拝したときに詠んだ歌が「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしずくに 立ちやぬれまし」(新古今和歌集 巻第三夏歌 191番)が刻まれています。

IMG_5870.jpgならの小川」の起点まで戻って来ました。百人一首にも詠まれた整流で、楢の林の間を流れることから、あるいは奈良神社の横を流れることから名付けられたとか。

IMG_5871.jpg境内には先の団体さんが多いです。写真、手前が「橋殿」で、奥に「細殿」を撮りました。今日は風が吹いているので、風鈴の音色聴くことができました。

IMG_5872.jpg土舎(つちのや)」(到着殿)(重文)にも風鈴が吊されています。「重陽神事 烏相撲」では、ここで神事が執り行われてましたね。

IMG_5873.jpgIMG_5875.jpg御物忌川と御手洗川の合流地点建つ「橋殿」(重文)にも、風鈴が吊され心地良い音色が響いています。

1863年(文久3年)の造替。御手洗川の上に建てられた殿舎。かつて、勅使参詣の際に御拝した殿舎で重要文化財に指定。

IMG_5874.jpg最初に見た「細殿」にも風鈴が吊されていました。「重陽神事 烏相撲」では、斎王代がここに座り見守られます。

IMG_5877.jpg10時からの本殿・権殿特別参拝に備えて清めます。この「手水舎」には柄杓はありません。流れ出る名水は、「神山湧水」が使われています。

名水「神山湧水(こうやまゆうすい)」について、御祭神の賀茂別雷大神が、降臨された神山の「くぐり水」を汲み上げて使用。歴史上由緒深い携帯の井戸水と同じ水脈の名水で、飲料用水質基準にも適合しているそうです。

ここに来たら、いつも本殿参拝前に上賀茂神社第一摂社「片山御子神社(通称:片岡社)」に参拝しますが、先の団体さんが集合されてて、近寄ることができません。嫌な予感が的中しましたね、引率の方が本殿参拝の説明をされてました。このあと団体さんが本殿に入って行かれたので、10時に参拝するのは断念しました。

IMG_5879.jpg昨年と同じパターンになりました。こちらは楼門近くにある末社「橋本神社」です。御祭神は、衣通姫神(そさおりひめのかみ)、延命長寿・心身を美しく輝かせる神様だそうです。

この時、10時を過ぎていたので、10時開店の神山湧水珈琲「煎」に行き、美味しい珈琲を飲んで休憩していたら、団体さんの声が近くに聞こえてきて、以外に早く出て来られたようです。

IMG_5881.jpgIMG_5898.jpg10時17分に重要文化財に指定されている「楼門」前まで戻って来ました。

1628年(寛永5年)造替。御物忌川(おものいがわ)沿いに建つ入母屋造り、檜皮葺の朱塗りの楼門。

IMG_5882.jpg楼門から本殿前にある「中門」を見ています。この中門の左手に拝観受付所がありました。通常は、この中門前で参拝します。

IMG_5884.jpg楼門を入って右手(東側)にあるのが「弊殿(祈祷殿)」で重要文化財に指定されています。今日の特別参拝のあと、宝物を見るのは対面の高倉殿でした。

IMG_5883.jpg中門前から楼門を見ています。拝観受付所で800円を納め、スタンプ押して貰いました。2個貯まったので帰りに寄ります😊。

靴を下駄箱に預け、エアコンの効いた「直会殿(西局)」に入りました。ここからは撮影できません。神職さんが来られるまで、展示されている宝物を見てました。神職さんは10時30分頃に来られ案内が始まりました。神職さんパネルの絵を見ながら神話の説明をされました。それより団体さんが去ったので、聞くのは2組だけでした。

上賀茂神社は通称で、正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちのじんじゃ)と言います。山城の北部一帯に定住する賀茂一族の賀茂茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、丹波国から妻として伊賀古夜比売命(いがこやひめのみこと)を迎え、玉依比古命(たまよりひこのみこと)と賀茂玉依比売命(かもたもよりひめのみこと)り二人の御子をもうけた。ある日、妹の賀茂玉依比売命が賀茂川で身を清めている時、川上から丹塗矢(にぬりのや)が流れて来て、それを家に持ち帰って床にに祀っておやすみになったところ、御子(のちの御祭神である賀茂別雷大神)を授かった。その御子が成人なされる際、祖父である賀茂茂建角身命が神々を招いて、七日七夜の宴を催をし、祖父は、御子の父が誰なのか探す目的もあって御子に「汝の父と思う神に盃を捧げよ」と申され、盃を渡された御子は「我が父は天神である」と申されて雷鳴徒共に天上に昇らた。賀茂玉依姫命が御子を恋い慕い悲しんでいたところ、御子が夢枕にたち「吾に逢はんとには、天羽衣(あまのはごろも)・天羽裳(あまのはも)を造り、火を炬き鉾を擎げ之を持ち、又走馬を錺り、奥山の賢木を取りて阿礼に立て、種種の綵色を悉し、又葵楓の蔓を造り、厳しく錺りて之を待てば吾将に来む」と仰せになり、その通り神迎えの祭を行ったところ、現在の本殿の北北西約2㎞にある神山(こうやま)の頂きにある磐座へ御降臨になったのが上賀茂神社の起源である。飛鳥時代にはすでに現在の社殿の礎が造営されたという。広大な境内に建ち並ぶ檜皮葺きの典雅な社殿のうち、賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)を祀る「本殿」と常設の仮殿「権殿」が国宝、その他の41棟が重要文化財で、21年毎の「式年遷宮」によって修復され、古の姿そのままに守られてきた。

IMG_5930.jpg約7分ほど案内されたあと、お祓いをうけたあと、靴を履いて神域「内庭」に入りました。このとき受付でいただいた「浄掛(きよかけ)」を首から掛けて入っています。写真撮影はできません。

写真は看板を使いました。写っているのは「権殿」です。その権殿の前の縁側に座り、神職さんの話しを聞きます。権殿(ごんでん)の右横に本殿があって、賀茂別雷大神がお鎮まりになっています。権殿・本殿は同じ造りで東西に並ぶ。権殿は本殿修復などの間に御祭神が遷されるもので、現在は何もありません。本殿・権殿は供に1863年(文久3年)の造替。三間社流造の典型として国宝に指定。式年遷宮時に国宝に指定されているため、社殿を壊すことができないので、21年の毎の遷宮時には修復を行う。次の式年遷宮は2036年(令和18年)。社殿の正面には右に金色の狛獅子が左には同じく金色の狛犬が鎮座し、壁には絵も描かれて居ます。屋根の上には金色の二葉葵が描いてある。

神職さんの案内が終わった、お賽銭をし参拝しました。そして靴を履いたまま高倉殿に移動します。高倉殿内もエアコンが効いて涼しかったです。戦後80年と言うことで戦争に関わるものを展示されている。宮司さんの息子さんが24歳で出征され特攻隊で戦死されたようで、その方の軍刀や日記も展示されていました。

EPSON033a.jpgここで注目は、「孝明天皇賀茂行幸絵馬」でした。長さが7㍍を超える一枚板に、幕末、攘夷祈願をするのに孝明天皇が上賀茂神社に訪れたことを描いた大絵馬です。

1863年(文久3年)3月11日、孝明天皇(第121代天皇)が攘夷祈願として上賀茂神社に行幸されたときの絵馬。近年の2011年(平成23年)に復元修復されたものが架かってました。絵馬には孝明天皇の他に、江戸幕府14代将軍徳川家茂公や一橋慶喜(後の15代将軍徳川慶喜)も描いてあります。

IMG_5900.jpgIMG_5901.jpg高倉殿を出て、案内で聞いた絵馬の原本を見に行きました。楼門に通じる回廊に展示されてました。ご覧のように、ほぼ真っ黒で分かりません😊。 鳳輦(ほうれん)だけは分かったように思います。「浄掛(きよかけ)」は持って帰っても良かったですが、私はここにお返ししました。

IMG_5902.jpgIMG_5903.jpg本当は本殿・権殿参拝前にお参りしたかった上賀茂神社第一摂社「片山御子神社(通称:片岡社)」です。前途したとおり団体さんがここに集合されててお参りできなかったので、最後に来ました。

片山御子神社の御祭神が玉依比売命(たまよりひめのみこと)、上賀茂神社の御祭神である賀茂別雷大神の母神のため、上賀茂神社では、本殿に参拝する前に、ここに寄るのが基本です。縁結び、子授け、家内安泰、安産の神として知られています。

IMG_5904.jpg御物忌川(おものにいがわ)に架かる唐破風造りの「片岡橋」は重要文化財に指定されています。

IMG_5906.jpgこちらは片岡社近くにある末社「須波(すわ)神社」(重文)です。御祭神が、阿須波神(あすはのかみ)、波比祇神(はひぎのかみ)、生井神(いくいのかみ)、福井神(ふくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)の五柱一座。心を静める癒やしの神様と書いてありました。

IMG_5907.jpg私が「楼門」(重文)を最後に撮ろうとしたら外国人観光客の1組が出て来られました。世界文化遺産に指定されているので外国人観光客の皆さん来られてますね。

IMG_5878.jpgこの「細殿」の奥にテントが見えるでしょう。この時は閉まってましたが、帰りは開いてました。「クーリングスポット」と言って、拝観券を見せると記念品が貰えます。

IMG_5939.jpg高倉殿でガイドさんから話しがありましたが、私は事前に調べて知ってました。熱中症対策の品を先着200名で貰えるとか書いてあって、ご覧の記念品を貰いました。

IMG_5911.jpg行きは、くぐって無い「二の鳥居」から出ました。このあとは、スタンプ2個貯まったので、特典を受けに向かうことにしました。

IMG_5912.jpgその前に「神馬舎」を覗いてみました。今日は神馬(白馬)居ませんね、平日だからでしょう。

IMG_5914.jpg左手(東側)に「御所舎(ごしょのや)」があって、向こうの先に見えて居るのが「一の鳥居」です。店は、その前にあります。

8月29日(金)に京都市では、猛暑日と熱帯夜の日数がともに50日に到達し、2年連続で暑さの「50ー50」に全国一番乗りとなったようです。暑さの「50ー50」を2回記録したのは、全国に約910カ所ある気温の観測点で史上初めてとみられている。京都地方気象台によると、京都市は盆地で強い日射で気温が上昇しやすく、夜間も都市化のため気温が下がりにくくなっているみたいで、今夏は高気圧の勢力が強く、長期的な地球温暖化も相まって2年連続の記録的猛暑となったという。京都市は、昨年も9月15日に「50ー50」を国内で史上初めて記録しており、最終的に猛暑日54日、熱帯夜64日となった。今年も9月にかけてかなりの高温が続く見通しで、記録更新の可能性があるそうで、猛暑の終わりが見えないみたい。全国の他都市は29日(金)14時現在、国内史上最高気温41・8℃を記録した群馬県伊勢崎市が「42ー36」、大阪市「38ー62」、名古屋市「42ー58」、東京都「23ー43」などとなっているようです。

このあとの、涼味スタンプラリーのお店に行ったもようは次頁へ😊。

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