東本願寺の飛び地にある国の名勝 渉成園(枳殻邸)へ

東本願寺別邸にある渉成園(しょうせいえん)では、今年の「京の夏の旅」で、燕申堂(えんしんどう)が初公開されました。渉成園には何度か来てますが、燕申堂には入ったことがありません。「京の夏の旅」は7月11日(金)から始まりましたが、梅雨が6月27日(金)に明けてしまって、それから記録的高温状態となりました。9月に入って涼しくなってから行くつもりが、長期予報を見ても、涼しくなる気配がありません。それなら涼しくなるのを待つのを諦めて、東本願寺 渉成園(枳殻邸)に9月3日(水)に行くことにしました。理由は、4日(木)~5日(金)にかけて、南海上の熱帯低気圧が台風に発達し近畿地方に接近しそうただし、大雨になるとの予報が出ていたからです。ただし、歩いて行くのは熱中症の危険があるので、車で向かうことにしました😊。

燕申堂の公開が10時からのため、その前に渉成園(枳殻邸)を散策するつもりで、9時30分頃に着くように向かいました。車は渉成園(枳殻邸)内に停めるつもりが、まさかの「車乗り入れ禁止」の看板が。この特別公開の期間中でしょうね、仕方ないので近くのコインパーキングに向かうことに。事前にコインパーキングも何箇所か調べてて焦りはありません。ここから北にある「キョウテク 渉成園西門北パーキング」に9時29分に入れました。

IMG_6051.jpg車を停めて間之町通りを渉成園(枳殻邸)を南に向かって歩いて行くと、修学旅行生が出て来ました。先の天龍寺でも学生さん見ましたが、こんなに暑いのに気の毒やね。

IMG_6052.jpgIMG_6225.jpg「渉成園(枳殻邸)」には、「西門」から入ります。拝観受付所は、入って右手にあって、そこで庭園維持費用を払います。その前に渉成園の歴史を😊。

渉成園は、1641年(寛永18年)に、江戸幕府3代将軍徳川家光公から土地の寄進を受けたことに始まる。東本願寺第13代宣如(せんにょ)上人が、1653年(承応2年)に退隠した際、現在の渉成園の土地を隠居所と定め、居住地と庭園の整備が本格的に進められた。作庭は詩仙堂を開いた石川丈山と伝わる。14代啄如(たくにょ)上人以後、東本願寺歴代の隠居所となり、また、茶室や書院も整備され、来賓をもてなす迎賓施設としての役割も担ってきた。江戸時代後期には、儒学者で漢詩人でもある頼山陽(らい さんよう)が「渉成園記」を記した中で、主な景色を「渉成園十三景」として紹介している。渉成園は、かつて幾度かの火災により、その都度再建され、現在の建物は1864年(元治元年)の禁門の変(蛤御門の変)による火災以後に再建されたもの。1936年(昭和11年)には、文人趣味にあふれる仏寺庭園として、国の名勝の指定されている。

IMG_6053.jpgここでは庭園維持費用として700円を納めます。昨年は500円だったので値上げされたようです。ずっと以前は、檀家かどうかも尋ねられましたが、ここ最近はありません。

拝観料700円を納めると、昨年まで、A4版の豪華なパンフいただけましたが、一回り小さなものに変わってました。そして拝観ルートも時計回りから反時計回りになってましたね、受付で教えて貰いました。

IMG_6054.jpgこちらが園内にある駐車場です。乗り入れ禁止のため、1台も止まってません。当初はここに止めるつもりでした。

IMG_6056.jpgIMG_6057.jpgここに来るのは2024年(令和6年)1月22日(月)に「第58回 京の冬の旅」で訪れて以来です。先ずは最初の見所です。それは「高石垣」で、石橋のような長い切石や、礎石、石臼、瓦など多様な素材を組み合わせて築かれています。

IMG_6059.jpgIMG_6060.jpg以前と拝観ルートが逆になったので、最初に見るのが「大玄関」です。正面四間、切妻造の車寄に、二間の内玄関が設けられ、内部には八畳二間があるようです。こちらは非公開です。

1880年(明治13年)に明治天皇が京都に来られ、渉成園で休息された際、東本願寺の宮御殿とともに大宮御所から移築を約され、後に移築されたもの。

IMG_6065.jpgIMG_6064.jpgこちらは大玄関の正面にある「馬繋ぎ()」で、当時のまま残されたようです。

IMG_6063.jpgそれでは「庭園南口」から庭園内に入ります。この日も朝から暑いです。9月に入ったのに、この猛暑・・・。

IMG_6066.jpg入ると左手には紅梅・白梅が20株植えられている「双梅檐(そうばいえん)」です。

IMG_6067.jpg次に見るのが、非公開の茶室「漱枕居(そうちんきょ)」です。1865年(慶応元年)の再建。一度は見てみたいですね。

印月池(いんげつち)の西南に位置し、水上にのりだすよに建てられています。四畳半に三畳敷の続く座敷と土間からなり、三畳の東には左右に手摺付の縁があります。

IMG_6069.jpgこの池が「印月池(いんげつち)」と言います。京都は高さ制限があるので、高いビルが見えないようにされているのが良いです。

庭園の6分の1を占める美しい広い園池です。東山から上る月影を水面に映して美しいことから、この名が付いたとか。

IMG_6070.jpg池畔に咲いていた、この花の名を帰ってから調べたら「禊萩(ミソハギ)」と出てきました。知らんけど😊。

IMG_6072.jpg先の非公開の茶室「漱枕居(そうちんきょ)」です。ご覧のように、水上にのりだすよに建てられているのが、ここから見ると良く分かります。

IMG_6073.jpg10時から拝観が始まる「燕申堂(えんしんどう)」です。矢印が出ているので、後程向かいます。場所は庭園の案内図にも出て無かったので分かりません。
IMG_6074.jpgこの辺りも2月から3月にかけて紅白の梅が咲き誇り甘い香りを漂わせる「双梅檐(そうばいえん)」です。

双梅檐の「檐」とは「ひさし」の意味で、1864年(元治元年)の「禁門の変」(蛤御門の変)による焼失以前は、今より閬風亭(ろうふうてい)の規模が大きく屋根がこのあたりまでかかっていたことに由来する名前です。

IMG_6075.jpgIMG_6077.jpgこちらが前途した「閬風亭(ろうふうてい)」です。非公開ですが、2018年(平成30年)11月27日(火)の「ライトアップ」と2024年(令和6年)1月22日(月の「第58回 京の冬の旅」で入りました。

渉成園の中では、一番広い大広間。軒を深く差し出し、規模の大名建物ながら、穏やかな姿を見せる。室内は通常の書院造の間取りとは若干異なり、畳みを外せば能が演じられるようになっている。1880年(明治13年)7月14日な明治天皇が休息された場所。閬風とはも中国の崑崙山脈の頂部にあると言われる山の名前で、仙人が住むとされ、賓客を迎える大書院にふさわしい名前を付けられました。

IMG_6078.jpgIMG_6079.jpg「閬風亭(ろうふうてい)」の奥に行ってみると、二階建ての茶室「蘆庵(ろあん)」があります。通常非公開ですが、2017年(平成29年)の「 京の夏の旅」で内部が公開されました。

二階建ての茶室(煎茶席)です。階下は七畳で、西側に床をかまえ、二方に縁がついています。階上は主室四畳半に、通常の3/4の大きさの畳三畳の次の間を附しています。階上の窓から渉成園を一望できるようです。

IMG_6081.jpg露地庭園内に立つ、この石灯籠も注目です。「蘆庵(ろあん)の春日灯籠」といいます。

江戸時代初期の制作と伝わり、六角形の傘の屋根には降り積もった雪が刻みだされているのが特徴。

IMG_6082.jpgIMG_6084.jpg8年前のことで、どうして行かなかったのか覚えてないけど、あれから公開されないので残念です。この渉成園には5組程度の方が来られてましたが、ここまでは入って来られなかったです。

IMG_6087.jpg再び「閬風亭(ろうふうてい)」まで戻ってくると、前方に「ニデック京都タワー」が見えました。

IMG_6088.jpgIMG_6089.jpgIMG_6090.jpgIMG_6093.jpg次の見所は「傍花閣(ぼうかかく)」です。私が知る限り内部の公開は、されてないかと思います。

園林堂の前、山門にあたる位置に建てられている。庭園内には珍しい楼門造りで、左右側面に山廊と呼ばれる階段の入口があり、階上には四畳半の部屋を設けている。傍らには桜並木が広がり、春にはその名にふさわしい佇まいを目にする。

IMG_6092.jpgここにも燕申堂の案内が出ています。このとき9時42分、まだまだ散策します。

IMG_6095.jpgその「傍花閣(ぼうかかく)」の向かいにあるのが「園林堂(おんりんどう)」で、2024年(令和6年)1月22日(月)に「第58回 京の冬の旅」で内部に入りました。

堂内に本尊阿弥陀遼来を安置する持仏堂が「園林堂」である。園林堂竣工時1957年(昭和32年)に板画家・棟方志功(むなかたしこう)の肉筆の襖絵44面が収められている。独特の大胆な構図と繊細な筆致で描かれた。「天に伸ぶ杉木(すぎき)」「河畔(かはん)の呼吸」と題した襖絵は圧巻。また、仏間の襖絵はには、ボタンの花が描いてて、それは東本願寺の寺紋がボタンの花だからのようです。「園林」とは、元来、中国宮廷に設けられた庭園の意であるが、仏典では「浄土」を表す表現として用いる。

IMG_6098.jpgIMG_6099.jpg再び「傍花閣(ぼうかかく)」に来て、庭園の奥へ奥へと進みます。ここからは初めて見る景色となります。

IMG_6100.jpgIMG_6101.jpg石橋を渡ると、苑路の両側に楓が植えられてて、秋には綺麗な紅葉が見られるそうです。「丹楓渓(たんぷうけい)」と呼ばていますが、見過ごしました。

IMG_6103.jpg印月池北東岸に入り組んだ、入江の奥にある築山の石組みの「獅子吼(ししく)」まで来ました。

印月池の水源の一つで、古くは高瀬川の水が引かれていた。現在は地下水を汲み上げて、流れとしています。通常見られるような滝の石組みではなく、山腹から湧き出す泉のような形式に造られている点が、渉成園の中でも大変珍しい。

IMG_6104.jpgIMG_6109.jpg碧(悟桐)、句佛、虚子の句碑があって、その先に「回棹廊(かいとうろう)」を初めて渡ります。(後で調べた2度目でした😊)

IMG_6110.jpg渉成園の奥まった所にあるので、今まで何度か来てても、気づかなかった橋です。段差があって渡るの注意ですね。

北大島と「丹楓渓(たんぷうけい)」とを結ぶ木橋。1858年(安政5年)の「安政の大火」における焼失以前は、朱塗りの欄干を持つ反り橋だったと伝わる。現在は檜皮葺の屋根を持つ橋と変わりました。中央の唐破風屋根の天井部には掛け釘が設けられ、かつては夜半の来客の折り、金灯籠を吊って火を灯した。

IMG_6111.jpg回棹廊(かいとうろう)」の東岸には「紫藤岸(しとうがん)」があって藤棚があるんですが、木々に覆われて分かりにくいです。

印月池にせり出すように藤棚があって、当初の藤は野生であったよう。現在は棚が設けられている。

IMG_6112.jpgIMG_6113.jpg渉成園の庭園に入ったとき、外国人観光客を含め、数組が来られてましたが、ここには誰も来られてません。

IMG_6114.jpgここでは、春には桜が、秋には紅葉が楽しめますが、この時期は「百日紅(サルスベリ)」が咲いてました。

IMG_6116.jpgこの石灯籠は「碧玉の石幢(へきぎょくのせきどう)」と言いますが、青味がかかってないのに何故「碧玉」と言うのかは分かってないそうです。

石幢というのは通常の石灯籠と違って、笠の部分に蕨手と呼ばれる竿に節が無いなどの特徴がある。火袋にあたる部分は平面が六角形の仏像を安置するための龕となっている。

IMG_6117.jpgIMG_6118.jpgここで印月池に浮かぶ北大島にある茶室「縮遠亭(しゅくおんてい)」に向かうため、階段を登ります。2024年(令和6年)1月22日(月)に「第58回 京の冬の旅」で訪れてた時は工事中でした。

西側の土間から奥に入ると茶室がり、四畳間が付く構成となっている。南端から斜めに続く板間を経て三畳敷の上段の間が連結れさ、上段は床を高く支えた舞台造りとなっている。通常非公開。

IMG_6120.jpgIMG_6121.jpgこの茶室「縮遠亭(しゅくおんてい)」の前には、「塩釜の手水鉢」があります。

六条河原院は、源融が宮城県塩釜市の風景を模して造成したと言われ、庭園には「塩釜の手水鉢」と呼ばれる筒型の鉢が残されている。石造宝塔の塔身を手水鉢に転用したもので、鎌倉時代の制作とみられる。

IMG_3186.jpgこの時期、木々が覆い茂っているので、源融ゆかりの「九重の塔」が撮れませんでした。昨年の冬の時期のものを使います。

左大臣源融は、嵯峨天皇の皇子でしたが源の姓を賜った。源氏物語の光源氏のモデルの一人とも言われている。この塔は源融の供養塔といわれいる九重の石塔で、塔身なは四方仏が刻まれ、基礎の格狭間と呼ばれる部分には蓮華が彫刻されている。鎌倉時代中期の制作と推定され、笠は宝篋印塔で代用されている。

IMG_6122.jpgIMG_6123.jpg茶室「縮遠亭(しゅくおんてい)」は小高い丘にあります。ここから印月池に浮かぶ「臥龍堂」を撮りました。

印月池に浮かぶ南大島のことを臥龍堂と称している。元来、この南大島には鐘楼堂がありました。二階建ての瓦葺の建物で、かつては茶室「漱枕居(そうちんきょ)」に集まった茶会の客人に、茶室「縮遠亭(しゅくおんてい)」へと船で向かう刻限を告げる鐘を鳴らしてた。1858年(安政5年)の「安政の大火」による焼失以降、再建されず礎石のみ残る。

IMG_6127.jpgここから向こうに茶室「漱枕居(そうちんきょ)」が見えています。さらに奥には「ニデック京都タワー」も見えていたので撮ってみました。

IMG_6128.jpgこちらは「閬風亭(ろうふうてい)」と「ニデック京都タワー」を撮りました。ニデック京都タワーからは渉成園が見えるようで、行ってみようかなぁ😊。

IMG_6130.jpgIMG_6131.jpg侵雪橋(しんせつきょう)」です。本来は、印月池の西北岸から茶室「縮遠亭(しゅくおんてい)」のある島へ渡る木造の反り橋です。

IMG_6132.jpg侵雪橋(しんせつきょう)」から「傍花閣(ぼうかかく)」の前まで行き、北に向かって歩いて行きます。

IMG_6133.jpgIMG_6134.jpgIMG_6135.jpgこの垣根に奥に見えている建物まで行ってみます。ここも入り組んだ所にあるので、ほぼ誰も居ません。

IMG_6136.jpgIMG_6137.jpgIMG_6139.jpgIMG_6140.jpg庭園の北部、生垣をめぐらせやって来ました。ここに「代笠席」(たいりつせき)がありました。ここは内部も開いていたので見ることができました。

南面に建つ煎茶席。代笠席とは、人里離れた地を訪れた旅人が「笠代わり」に雨宿りする席という意味だと考えられる。前面に間口が三間あり、深さ半間の土間と小縁が設けられ、内部は四畳半二室が東西に並ぶ。

IMG_3173a.jpg「代笠席」(たいりつせき)の先に「亀の甲の井戸」があります。この日、新しく貰ったパンフには記載されてませんでした。写真は昨年のもです。

上から見ると亀の形に石組みが成され、亀の甲にあたる部分が掘り込まれて中心に井筒が埋められており井戸になっている。

IMG_6141.jpg特別公開に行く前に、最後に「臨池亭(りんちてい)」(左)、「滴翠軒(てきすいけん)」(正面)に行きました。ともに非公開です。

「臨池亭(りんちてい)」は「滴翠軒(てきすいけん)」と吹き放しの廊下で繋がり、池に臨んで建てられたことからその名前が付けられた。主室は八畳二間で、二方に縁をめぐらし、さらに東側前面に幅一間の縁を張り出し、前面の池との一体感を強調する。1884年(明治17年)再建。

「滴翠軒(てきすいけん)」は書院群の北端に位置し、池に南面して建てられた。名前の由来は、池に落ちる小滝(滴翠)からつけられた。南側が池に張り出しているのが特徴。1884年(明治17年)再建。

IMG_6145.jpg私は知っていので撮ってみましたが、木々が覆い茂ってて、写真をズームにすると分かる程度です。「檜垣の燈篭」と言います。

「滴翠軒(てきすいけん)」の東側に建つ石燈篭で、檜垣という銘の由来については、はっきりとしたことは伝わってません。

IMG_6144.jpg庭園内には、こまめに案内が出ていたのに、最後に案内が出て無かったので探しました。この門は昨年まで庭園の入口でしたが、燕申堂はこの先にありました。(写真は燕申堂から門に向けて撮ったものです)

この門に案内が欲しかったです。皆さん燕申堂前の門の前に並ばれていたので分かりましたが、ちょっと不親切だなぁと。燕申堂前には9時56分に着きました。私で3組目でした。この模様は別頁で😊。

帰ってから調べると。渉成園には、2007年(平成14年)11月14日(水)、2010年(平成22年)2月24日(水)に来てました。2018年(平成30年)11月27日(火)の「ライトアップ」、2024年(令和6年)1月22日(月)に「第58回 京の冬の旅」、そして今日訪れたので、5回目でしたね。

この記事へのコメント

2025年10月12日 17:41
京都駅から程近い渉成園、いつも気になってはいるのですが、行ったことがないのです。広々とした庭園に、趣たっぷりの家屋や茶室が幾つもあるのですね。
池に映り込む空の風景が見事で気持ちがいいです。
ちょっと周囲のビルが視界に入ってきてしまうのは仕方がないですね。
京都タワーは逆に日本庭園に不思議なアクセントを添えているように思えます。
傍花閣の2階上がる階段の屋根。独特で魅力的だと感じます。
壬生里
2025年10月15日 17:11
ミクミティさんへコメントありがとうございます。

東本願寺から歩いて5分程度、離れている飛び地にあるのが渉成園です。四季、それぞれの花が楽しめますが、夏の旅で公開されたので、暑かったです。ガイドさんも言われましたが、連日37℃が超えてました。ただ室内はエアコンは効いてましたが。
燕申堂も初公開されたので、ここは外せなかったです。まだまだ非公開エリアがあったので、この先、公開されるかどうかですが、来て見て良かったです。