歴代天皇の居所「京都御所」参観へ

今年の「京の夏の旅」では、涼味スタンプラリーをされてて、スタンプを2個貯めると提携店で特典を受けることができます。「東本願寺 渉成園 燕申堂」と「先斗町歌舞練場」で、スタンプを2個貯めたので、京都御苑内にあるお店に行くため、車で向かいました。

9月16日(火)の最高気温は、36.7℃まで上がりました。もう9月の中旬で猛暑日を記録。京都では61日目となりました。最多記録は福岡県太宰府市の62日だそうです。そして翌日の9月17日(水)の最低気温は27.6℃もあって、当初はバスで行くつもりにしていたんですが、朝から暑いので車で出掛けることに。この日も猛暑日となると最多タイ記録と並ぶんですが・・・。

IMG_6579.jpg9時頃に着く予定にしていましたが、「京都御苑 中立売駐車場」に9時7分入れました。まだ観光バスは止まってないし、空いてました。向こうに見えているのが「中立売御門」で、車はそこから入ってきます。

今日は、京都御所の参観に入るつもりで来ました。参観は、今年の2月26日(水)令和7年春の特別公開「京都御所 宮廷文化の紹介」以来です。

現在の京都御所は、1331年(元弘元年)、光厳天皇(北朝初代天皇)が即位して以来、1869年(明治2年)に明治天皇(第122代天皇)が東京に移られるまでの歴代天皇の居所。周囲に高い築地塀をめぐらし、内部には紫宸殿や清涼殿など平安時代の面影を色濃く残す建物が並ぶ。現在の建物は江戸時代末期の造営。春・秋に一般公開が行われていたが、2016年(平成28年)7月26日より一年を通して事前申込み不要で参観できるようになった。旧京都御所の場所は、桓武天皇(第50代天皇)が794年(延暦13年)に平安京に都を移された当初は、現在の場所から約2㎞西にありました。その後、内裏が度重なる火災で焼失し、里内裏(さとだいり)の一つである土御門東洞院殿)が皇居として定着した。

IMG_6580.jpgIMG_6581.jpg京都御所の参観入口は「清所門」から。入ると鞄を開けて、皇宮警察の方が中を確認されます。そして「首掛けストラップ」貰い参観開始です。参考までに番号は「056」でした。

IMG_6582.jpgこのところの猛暑が続いてて、私が訪れた時間では「厳重警戒」でした。ただ今日は熱中症警戒アラートは出て無かったです。

IMG_6583.jpg9時13分に入ったですが、既に50数名が入られたということでしょう。見たところ、ほぼ外国人観光客のようでした。

IMG_6584.jpgこちらは「宜秋門番所」で、「京都御所 宮廷文化の紹介」では、杉戸絵の展示がありました。

IMG_6585.jpgそして、こちらが「宜秋門」です。「平成28年 京都御所春季一般公開」の参観入口は、ここでした。

上皇や宮家、及び廷臣が正式に参内する際に用いられ、「公家門」とも称されたようです。

IMG_6586.jpgこの向かいが「御車寄(おくるまよせ)」です。「京都御所 宮廷文化の紹介」では、「牛車」の展示がここで見られます。

儀式や天皇との対面のために参内した者を迎える玄関。公卿・殿上人など、限られた物だけが使用した。

IMG_6588.jpgIMG_6589.jpg
平日だし、空いていると思ってました。こんなに海外の方が多いとは、思って無かったです。英語と中国語によるガイドツアーもあったかと思いますが。

最初に見るのが「諸大夫の間(しょだいぶのま)」です。

諸大夫の間とは、参内した者の控えの間のこと。格の高い順に「虎の間」、「鶴の間」、「桜の間」と襖の絵にちなんで呼ばれる。右に行くほど格が高く、身分に応じて部屋が決まった。部屋の格は畳縁の色の違いなどにも反映されている。「虎の間」と「鶴の間」を使用するの者は御車寄から参入するが、「桜の間」を使用する者については、左の靴脱石から参入した。

IMG_6591.jpg手前から「桜の間」で、絵は「桜図」。1855年(安政2年)原在照筆によるもの。畳縁は緋曽代絹縁(紅絹縁)。

IMG_6593.jpg次が「鶴の間」で、襖絵は「鶴図」。1855年(安政2年)に狩野永岳が描きました。畳縁は絹経小紋縁(小紋高麗縁)となっています。

IMG_6595.jpg最後が「虎の間」で、襖絵は「虎図」。1855年(安政2年)に岸岱(がんたい)が描きました。畳縁は絹経小紋縁(小紋高麗縁)となっています。

IMG_6597.jpg次が、「新御車寄(しんみくるまよせ)」です。内部は、ガラスや照明器具があって、絨毯敷となっており洋風になっています。

1915年(大正4年)の、大正天皇(第123代天皇)の「即位の礼」に際して、馬車による行幸に対応するために新設された玄関である。天皇が御所の南面から出入りされた伝統を踏まえて南向きに建てられている。当初は北側に、御常御殿への経路となる廊下があったが、第二次世界大戦中に撤去され、現在は独立した建物となっている。

IMG_6600.jpg新御車寄(しんみくるまよせ)から「月華門」を撮りました。平安京内裏内郭の門の一つ。紫宸殿南庭の西側にあり、日華門と対しています。

IMG_6601.jpg月華門の南側に「武徳門」がありました。東側に見えているのは「延政門」です。紫宸殿前の南庭は、ここから出るようです。

IMG_6608.jpg次に「承明門」を見ました。五間三戸、一重、瓦葺、白壁に木部は丹塗りの門となっています。

承明門は、元々平安宮内裏の内郭門(ないかくもん)の一つで、紫宸殿南庭の南に置かれた檜皮葺の門である。中世に一度廃絶しましたが、儀式に用いる重要な建造物として、寛政時代の御造営において再建される。儀式では、公卿らの参入口として使用されるなど、重要な役割を果たしている。

IMG_6607.jpgIMG_6602.jpgIMG_6606.jpgこの承明門から紫宸殿を臨むことができます。一般公開でも、紫宸殿の全景は見ることができます。近くには寄れません。

IMG_6603.jpg南庭に入る前に、承明門の対面にあるの「建礼門(けんれいもん)」を撮りました。この門が開いているを、見たことありません。

京都御所南面にある正門です。かつては即位の礼など紫宸殿で行われる儀式の時には開かれました。現在は、天皇・皇后両陛下や外国の国家元首が通る時だけ使用される格式の高い門です。

承明門の東側の「長楽門」から、紫宸殿の南庭に入りました。前途したとおり、遠くからですが、紫宸殿を望めます。南庭を「延政門」が出て行くコースでした。

IMG_6609.jpg紫宸殿」です。春と秋の特別参観の時は、近くで見られ高御座を見ることができます。今日は閉まってました。

京都御所において最も格式の高い正殿。「即位の礼」などの重要な儀式がここで行われる。平安時代の紫宸殿は宸殿造りの原形として多くの貴族住宅に影響を与えた。この建物は1855年(安政2年)の造営であるが、伝統的な儀式が行われるように平安時代の復古様式で建てられた。1868年(慶応4年)には「五箇条の御誓文」の舞台にもなった。明治・大正・昭和の三代の天皇の即位礼はこの建物で行われた。回廊に囲まれた南庭は儀式の場として重要な役割をもっとおり、紫宸殿上から見て左側に「左近の桜」、右側に「右近の橘」が配されている。

IMG_6610.jpg南庭を「延政門」から出て、東側に「建春門」を撮りました。今日は近くまで行きません。平安京内裏の外郭門の一つ。内裏東側の正門で内郭宣陽門(せんようもん)に相対しています。

IMG_6611.jpgこの「春興殿(しゅんこうでん)」も遠くから。1915年(大正4年)大正天皇即位礼に際し、皇居から神鏡を一時的に奉安するために建てられたものです。昭和天皇の即位礼でも使用されました。内部は板敷で、外陣・内陣・神鏡を奉安する内々陣に分かれています。

IMG_6612.jpgIMG_6613.jpgこちらは「日華門」です。「京都御所 宮廷文化の紹介」では、ここから入り、紫宸殿前まで行く訳です。

IMG_6614.jpg今日は、日課門には入れないので、そのまま進みます。こちらは「宣陽殿(ぎようでん)」と言って、令和6年 春の特別公開「京都御所 宮廷文化の紹介」では、十二単の展示がありました。

このあと清涼殿に向かいますが、通路が狭いです。外国人観光客の集団が先に入られたので、写真を撮らず清涼殿前まで行きました。

IMG_6615.jpgIMG_6617.jpg清涼殿」の前まで来ました。平安時代中期(10世紀中頃)以降、天皇の日常の住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われました。

平安宮内裏に由緒をもつ清涼殿は、平安時代中期(9世紀中頃)以降、天皇の日常の住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われた。平安時代には、源氏物語や枕草子など王朝文学の舞台ともなった。豊臣秀吉による内裏造営を契機に、1590年(天正18年)御常御殿にお住まいが移ってからは、主に儀式の際に使用された。伝統的な儀式を行うために、平安時代中期の建築空間や調度が古制に則って伝えられている。建物は、1855年(嘉永7年)に平安時代の様式を用いて再建された宸殿造風になっている。

IMG_6620.jpgIMG_6622.jpgIMG_6623a.jpg清涼殿を見て、「小御所(こごしょ)」の南側を通り案内に従って門を入ります。

IMG_6625.jpg門を入って左手に見るのは「小御所(こごしょ)」です。1954年(昭和29年)に焼失したため、1958年(昭和33年)に復元されたものです。

小御所は、鎌倉時代以降に建てられるようになった御殿で、江戸時代は将軍や大名などの武家との対面や儀式の場として使用された。幕末の1867年(慶応2年)には、ここで明治天皇隣席の下、新政府の政治家が集まり、江戸幕府15代将軍徳川慶喜に対する処置を定めた「小御所会議」が行われたことでも有名。上段・中段・下段の3室のまわりに広い板敷(廂)が付き、様々な儀式に対応できる実用的な建物である。

IMG_6624.jpgIMG_6626.jpgIMG_6627.jpgIMG_6628.jpg先程の門を入って右手(東側)には日本庭園の「御池庭」が広がっています。1606年(慶長11年)に造営が始まり、数多くの名園を作庭した小堀遠州も関わったとされています。

御池庭は、1606年(慶長11年)に造営が始まった。広い池の中央に蓬莱島、その左右には橋を架けた2島を配する。州浜から池泉へと10個の飛石が打たれ、先端が舟着場になっている。春の舟遊び、秋の月見の宴と回遊を楽しんだ。

IMG_6629.jpg小御所と御学問所の間の四角い庭を「蹴鞠の庭」と呼ばれ、ここで貴族が蹴鞠をされたようです。海外の方は、ほぼスルーされてました。

蹴鞠とは、革製の鞠を地面に落とすこと無く、蹴り続ける伝統的な球戯である。その歴史は古く、古来以来、主として公家社会で伝えられ、武士や庶民にも広がった。蹴鞠は、勝負を争うものではなく、いかに蹴りやすい鞠を相手に渡すかという精神のもと行われるもの。この場所で行われ蹴鞠の催しを御学問所から天皇が御覧になったという記録がある。

IMG_6630.jpg「蹴鞠の庭」の横には、「御学問所」があります。1613年(慶長18年)に清涼殿から独立した御殿。御読書始や和歌の会などの対面に用いられた。

現在の御学問所は、紫宸殿や清涼殿と同じく、1855年(安政2年)に建てられ、小御所の北側、御常御殿に西南に位置する。御殿内はすべて畳敷きで、6室の部屋があり、西側は廊下が接し、それ以外の三方には御縁座敷が設けられている。この御殿は、床や違棚、明かり障子、遺戸、畳みが用いられるなど書院造りの特徴が見られる。1867年(慶応3年)に、明治天皇が親王・諸臣を引見され「王政復古の大号令」を発せられたところでもある。

IMG_6633.jpgIMG_6634.jpg次のエリアに行く前に、日本庭園の「御池庭」を北側から見ました。綺麗に整備された庭園、これ以上は進めません。

IMG_6635.jpg京都御所の参観も最後のエリアに入ります。ここまで来ると、人も疎らになってきました。御池庭の北端の「長押門(なげしもん)」をくぐります。

IMG_6636.jpgIMG_6638.jpgIMG_6639.jpgIMG_6640.jpgIMG_6641.jpgIMG_6642.jpg「長押門」を入って(東側)には、日本庭園の「御内庭(ごないてい)」があります。先程の御池庭と趣きが違っています。ススキの穂(花)が見頃を迎えてました。

IMG_6643.jpgIMG_6644.jpgIMG_6645.jpgススキの他に、こちらは多分「藤袴(フジバカマ)」でしょう綺麗に咲いています。この建物は「泉殿」です。杮葺の建物で、茶会や歌会で使われました。

IMG_6646.jpg参観コースの最後はここまでです。「龍泉門」の奥にある建物が「御涼所(おすずみしょ)」と、その先に吹き抜けの渡り廊下を通って、茶室「聴雪(ちょうせつ)」(非公開)があるそうです。

IMG_6648.jpg龍泉門の向かって右に、玉石を円形に敷き詰めた直径1㍍の座があり、そこで天皇は伊勢神宮へ向かって、毎朝遙拝されてました。

IMG_6637.jpgIMG_6650.jpgIMG_6651.jpgここから引き返します。「御内庭(ごないてい)」に面して建てられているが「御常御殿(おつねごでん)」です。清涼殿内に設けられていた常御所が、1590年(天正18年)から天皇の住まいとなった所です。

御常御殿内は、15室あって、全て畳敷で当時の生活に合わせた造りとにっている。この建物には天皇の日常のお住まいとし、お休みになるための「御寝の間」や、食事や身繕いに使用された部屋がある。建物の北側、向かって右手の方向には、細い渡り廊下を通って、書斎や茶室として使用された離れへと続いている。南面に上段・中段・下段を備え儀式や対面の場としても使われた。内部は、神器を納める「剣璽の間」、「御寝の間」などからなっている。

IMG_6654.jpg御常御殿の南面に出ました。ここでは白梅と紅梅が植えられています。

IMG_6661.jpgIMG_6658.jpg京都御所の参観では最後のみどころが、「御三間(おみま)」です。1709年(宝永6年)に御常御殿の一部が独立したもの。

御三間は、その名のとおり3つの部屋をもつ御殿であ。御常御殿に近い東側を上座として、「上段の間」「中段の間」「下段の間」の順に並ぶ。3室の東・南・西の3方には御縁座敷が廻るとともに、南側には簀子縁がつづく。七夕などの内向きの年中行事に使用されたほか、1860年(万延元年)祐宮(後の明治天皇)が8歳の時、成長を願う儀式「深曾木(ふかそぎ)」が、ここでおこなわれた。

IMG_6662.jpgIMG_6663.jpgIMG_6664.jpg御三間から出口に向かうこの広場。不自然なほど広い空間は、かつての「御台所跡」があった所です。

「御台所跡」は、戦前まで御台所などたくさんの建物や渡り廊下があった。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)に、空襲よる火災の延焼防止のため、取り壊された。現在は、四季折々の花が楽しめる空間となっている。

9時35分に休憩所に入って汗を拭いました。エアコンが効いて涼しかったです。そして9時46分清所門から出て行きました。次に向かったのが、京都御苑に来た目的でした。

この記事へのコメント

2025年10月18日 22:24
9月半ばで36,7℃ですか。
改めて、今年の夏の異常な暑さを
思い出しました。同じ日本記録でも、
猛暑日の日本記録なんて有り難くないような…。
そんな日に、京都御所に行かれたんですね。
京都御所には、遠い昔、まだ春秋の公開
のみだった時に訪問した事があります。
寝殿造りの蔀戸が印象的で、古典文学の世界が、
ちょっと身近に感じられる気がしましたっけ。
2025年10月21日 20:58
今年の春、京都御苑を散策しましたが、月曜日で御所の中には入れませんでした。もちろん何度か来ていますが、やはり早朝の静けさの中、より格式を感じるような写真だと思います。ただ、紫宸殿はいつも人を入れずに撮れますね。
夏から秋へ移り変わる時期の庭園も魅力的だと思います。
いつもながら、木々や池がきれいに整備されていて上品ですね。
日本人が外国人へ誇れる景観だと思います。
今では外国人の観光客の方が多いのでしょうね。
壬生里
2025年10月23日 15:24
yasuhikoさんへコメントありがとうございます。

パソコンが動かなくなって返事が遅くなりました。また動かなくなるかも知れませんが。

京都御所の参観も、以前のように申込みが必要じゃないので、自由に入れるで行ってみました。
やっぱり行くなら、春と秋の特別公開が良いですね。
また機会があれば寄りたいと思います。無料ですし。
壬生里
2025年10月23日 15:26
ミクミティさんへコメントありがとうございます。

パソコンが動かなくなって返事が遅くなりました。また動かなくなるかも知れませんが。

京都御所も申込み不要で、また無料で入れるので、この日寄ってみました。
庭園も綺麗に整備されているので、さすがに天皇の住まいだっだなぁと思います。優美な建物も。ただ、参観に来られているのは、ほぼ外国人観光客と修学旅行生の姿でしたね。