天皇の譲位後の住まいだった京都仙洞御所の参観へ
9月24日(水)は、京都仙洞御所の参観を予約してました。9月17日(水)に京都御所を訪れて桂宮邸跡を見るつもりが時間の都合で行けず、再訪を考えていたところ、たまたま京都仙洞御所の参観に開きがあるのが分かり申し込んだところ、運良く抽選に当たりました😊。
京都仙洞御所には、2024年(令和6年)4月26日(金)に来ています。今回は抽選にあたりましたが、紅葉時には抽選当たらないですね、今年も申込みしようかなぁ😊。
この日も車で向かいました。何故か混んでましたが、行きのコースを代えたので、「京都御苑 中立売駐車場」に8時55分着きました。
駐車場に、自家用は数台だけ止まってましたが、観光バスが3台も。朝早くから京都御所に来られているんですね。見てないので、外国人観光客か修学旅行生かは分かりません😊。
歩いていると、京都御所の向こうに「比叡山」の山頂が見えてました。
このとき、9時3分。京都御所の参観始まっています。遠目から見て「清所門」から入って行かれるのが見えました。今日は9月17日(水)に入っているのいので京都御所には入りません。
かつての参観入口だった「宜秋門」の前を通りました。仙洞御所には9時10分から入れます。ゆっくり歩いても充分間に合いそうです。
京都御所の南側に出ました。正面に見えているのが「京都仙洞御所」。それにしても京都御所広いです。気温は低いですが湿気が出て来ました。
9月17日(水)の京都御所の参観では、内側から見た「建礼門」です。向こうにある「承明門」の屋根は見えました。
京都御所の東側に出ました。帰りは、この東側を歩いて北に向かう予定です。
京都仙洞御所の北西角まで来ました。この先のテントの前に北門があります。

あとの京都仙洞御所の参観で、ガイドさんが、五山の送り火の一つである「如意ヶ嶽 大の字」が見えていると案内されました。私は入る前に撮ってました😊。
9時15分に「北門」から入りました。入口の皇宮警察官に参観証を見せます。そして案内にしたがってマイナーカードを受付で見せ「休憩所」に入りました。
ざっと見て30数名は来られていたかと思います。半分以上は外国人観光客でした。ガイドは日本語でされるので、どうも翻訳機借りられていたように思います。知らんけど😊。いつものように京都仙洞御所を紹介されるビデオが流れます。9時28分頃に終わるのでガイドさんが入って来られ、注意事項を日本語と英語で話されます。終わり次第、ガイドさんに付いて外に出て参観が始まりました。
最初に「大宮御所御車寄」の前でガイドが始まりました。最初は大宮御所と仙洞御所についての案内です。
仙洞とは、天皇の譲位後の住まいのこと。京都仙洞御所は、幕府との軋轢で突然譲位した後水尾上皇(第108代天皇)の御所として江戸時代初期の1630年(寛永7年)に完成し、小堀遠州が作庭した。それと同時に東福門院(後水尾上皇の皇后・徳川幕府2代将軍秀忠の娘和子)の女院御所も建てられ、渡り廊下で結ばれていた。後水尾上皇の存命の間に3度火災により焼失し、その都度再建され、以後、霊元(第112代天皇)、中御門(第114代天皇)、桜町(第117代天皇)、後桜町(第117代天皇)、光格(第119代天皇)は仙洞御所を使用。1854年(嘉永7年)の大火で京都御所とともに焼失したのを最後に再建されなかった。大宮御所とは、皇太后の御所をいう。現在の大宮御所は、1867年(慶応3年)に英照皇太后(孝明天皇の女御)のため女院御所の跡に造営されたもの。1872年(明治5年)に英照皇太后が東京に移られた後は、御常御殿のみを残し整理され、現在は、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下が入洛された際の御宿舎として用いられる。

案内によると、この南側の松林に仙洞御所の御殿が建てられいました。仙洞御所と女院御所は小堀遠州によって造営され、1630年(寛永7年)に完成したものです。

皇室の方は、仙洞御所の「正門」から車で入られ、この「大宮御所御車寄」に横付けされ入って行かれます。
京都大宮御所の玄関で、現在も天皇皇后両陛下や上皇上皇后陛下が入洛されてるときに使用される。銅板葺の屋根が三層重なっているのが特徴。
今回のガイドさんは「御車寄」から離れて話されたのと、丁寧にも「ここから写真を撮られてら良いです」と案内ありました。いつもは玄関前で話されるのに😊。次にガイドさんの後に付いて歩いて行きます。

京都大宮御所で残る建物の一つである「御常御殿(おつねごでん)」です。この「南庭」で説明がありました。正面には白梅・紅梅が植えられています。
大正年間に内部を洋風に改められ、周りにはガラス戸がはめられている。紅梅・白梅・竹林・松が植樹され「松竹梅の庭」とも伝えられている。

次に京都大宮御所御常御殿からその東側にある築地塀の「御庭口(潜り門)」を通って、「北池(きたいけ)」に出ます。ここからは建物が無いので庭園の鑑賞です。


東山を借景にした雄大な眺望が「北池」の全景です。参加者の中には、あまりにも綺麗なんで歓声を上げられてました。
北池は、紅葉谷の堀割を境にして、南池と分かれいる。造営当時は女院御所の庭であった。今は木々が覆い茂ってて東山の山並みは少ししか見えない。元々別の庭であった池がが繋がったのが1747年(延享4年)のことでした。


次に北池の左を進むと、案内されたのが、「阿古瀬淵(あこせがふち)」と、それに架かる「六枚橋」で、御影石を6枚並べています。

この古びた入江が「阿古瀬淵(あこせがふち)」です。かつて小高い丘の上には紀貫之の邸宅があったそうです。
阿古瀬淵の名の由来は。紀貫之の幼名が「阿古久曽(あこくそ)」から名付けられたという説と、近くに住んでいた「尼御前(あまこぜ)」が名の由来だとする説とがあるそうです。



ここ北池から正面を見ると、堀割が見えます。奥が南池で、紅葉橋が架かっているのが見えます。

左手の土堤上に鳥居と社殿がありますが、「鎮守社」だそうです。伊勢神宮、上賀茂神社、下鴨神社、石清水八幡、春日神社の神様が祀られています。自由に出歩けない皇族方のためだとか。
美しい汀の苑路を進むと、鷺島と呼ばれる中島にかかる「土橋」まで来ました。
「土橋」は、長さ5㍍、「束橋(つかばし)」や「鷺橋」とも呼ばれています。ガイドさんが案内して分かったことが、菊の御紋の釘隠しがあったことです。
この左手が「中島(鷺島)」です。人が多いので橋を渡る途中で撮りました。

「鷺の森」と呼ばれる樹木のなかを歩いて行くと、対面に「御庭口(潜り門)」が見えました。今日は何故かトラックが止まってて景観が台無しです。
「中島(鷺島)」を出るのに、もう一つの「石橋(白川橋)」を渡ります。ここには「百日紅(サルスベリ)」咲いてました。



ガイドさんの後を付いて歩くと、次に案内されたのが「雌滝」です。錦鯉が1匹泳いでましたね。

雌滝を見たあと、苑路を歩いていくと、ガイドさんより左手に「社殿」があることを聞きました。何回か来てますが、ここに社殿があるのを知ったのは初めてです。



次に1914年(大正3年)に架けられた「紅葉橋」を渡ります。この橋は北池と南池の堀割に架かかっています。
紅葉橋を渡って、ここで初めて「南池」を見ました。先の北池が女院御所の庭で、この南池が仙洞御所の庭園です。


渡って先には、こんもりとした「紅葉山」です。秋には見事な紅葉が見られます。2014年(平成26年)11月25日(火)に抽選に当たり、見せて貰いました。

次に南池に架かる「八つ橋」の手前でガイドさんより説明を聞きました。この日は、最高気温が27.5℃でした。それでも、湿気か多く汗を掻きましたね。

南池の南岸から桜の馬場沿いの広大な州浜に敷き詰められた丸石。小田原藩主が領民に集めさせた石のひとつを米1升と交換したことから、「一升石」と呼ばれています。
中島に導くつなぎ橋が「八つ橋」です。2024年(令和6年)4月26日(金)に来た時は、老木のため開花はイマイチでした。今年は見事に咲いたようです。
「八つ橋」から、先程渡ってきた「紅葉橋」を見ています。このガイドツアーで遅れている人は、今頃「紅葉橋」を渡られてました。
南池北岸にあるのが落差2㍍の「雄滝」です。青い滝添石を持つ水落石から流れ落ちます。
雄滝の近くに、三畳敷ほどの平石は「草紙洗いの石」と呼ばれ、小野小町の伝説を伝え、ここで草紙を洗って和歌の盗作を見破ったと言われています。
歌合(うたあわせ)において、小野小町が大伴黒主(おおとものくろぬし)の差し出した草紙を池の水で洗い、盗作の疑いを晴らしたという伝説が残る。
こちらは「生込灯籠(いけこみとうろう)」です。このガイドツアーの直前まで植木の剪定をされていました。その袋でしょう。
この中島にある大きな「寒水石灯籠(雪見灯籠)」は、寒水石(茨城県産の大理石)で造られ、水戸家から献上されました。
南池に突き出た「出島」。その石組みは、切石と自然石を組み合わせた独特の手法で造られました。
この南池の南端に「醒花亭(せいかてい)」がありますが、来年の3月まで杮葺の葺き替え作業のため非公開となっています。事前に調べて知ってました。

中島を石橋で渡ります。向こうに見えているは、拝観できませんが「土佐橋」です。拝観ルートから離れているので行くことはできません。
南池に浮かぶ「葭島」です。こちらの案内は無かったです。
南池の南端まで来ました。先に案内したとおり桜の馬場沿いの広大な州浜が、この仙洞御所の名所です。粒ぞろいの丸石がびっしり敷き詰められてます。
ご覧のように「醒花亭(せいかてい)」は、工事用の覆いで見られません。2024年(令和6年)4月26日(金)では内部まで見られました。

前途したとおり「醒花亭(せいかてい)」が工事中のため、拝観ルートは少し短縮されてました。こちらは少し小高い所がある「さざえ山」で、古墳跡だそうです。

次に案内されたのが「柿本社」です。歌人で知られる柿本人麻呂が祀られている社で、霊元上皇(第112代天皇)が、度重なる京都御所・仙洞御所の火災から御所を守る守り神として勧請したものです。



先程、通ってきた「紅葉橋」を通過すると、前方に「紅葉山」が見えてきます。まもなく参観終わりですが、この日のガイドさん早いです😊。このとき、まだ10時6分でした。
この日のガイドさんはスルーされましたが、こちらは「蘇鉄山」と呼ばれています。そして次が最後の案内となります。
苑路を進むと左手に、1884年(明治17年)に近衛家から献上された茶室「又新亭(ゆうしんてい)」が最後の案内です。

茅葺きの中門の南方には、飛石伝いに「外腰掛(そとこしかけ)」の待合があります。接待客はここで亭主の迎付を待ちます。



この「又新亭」の北池に面した大丸窓の下部は直線。丸い窓は禅の究極「円相(えんそう)」に通じるものです。
もとは修学院離宮上御茶屋より移築した茶屋「止々斎(ししさい)」があったが火災により焼失。英照皇太后(孝明天皇皇后)のたっての希望で移設されたのが、茶室「又新亭(ゆうしんてい)」である。茅葺きと杮葺の屋根と大きな円窓を備えた茶室で、中門から内露地と外露地に隔てられ、四つ目垣で囲まれている。
北池の「舟着場」です。下に降りることはできません。今も使われているようです。
最後に、もう一度「北池」を撮りました。これで庭園を出て行きます。それにしても綺麗な庭園でした。

10時15分にガイドさんの案内が終わりました。何度か来てますが一番早かったですね。2024年(令和6年)4月26日(金)は、10時40分でも終わらなかったから途中退席させて貰いました。
次の予定もあるので、休憩所で休んでました。10時30分ぐらいまで休憩するつもりが、10時25分頃に追い出されました😊。外国人観光客も大勢いましたが、慌てて出て行かれましたね😊。
以前、仙洞御所の拝観は、一日2回でした。それで、なかなか抽選に当たらなかったけど、現在は一日5回もあります。毎朝、HPで当日受付人数を発表されます。空きがあれば8時40分から京都仙洞御所「北門」前で、整理券と配られるようです。ただし本人性の確認はされます。マイナーカードや免許証を持ってないと入れません。今日は、ここ京都御苑に来た目的地に向かいます。
京都仙洞御所には、2024年(令和6年)4月26日(金)に来ています。今回は抽選にあたりましたが、紅葉時には抽選当たらないですね、今年も申込みしようかなぁ😊。
駐車場に、自家用は数台だけ止まってましたが、観光バスが3台も。朝早くから京都御所に来られているんですね。見てないので、外国人観光客か修学旅行生かは分かりません😊。
ざっと見て30数名は来られていたかと思います。半分以上は外国人観光客でした。ガイドは日本語でされるので、どうも翻訳機借りられていたように思います。知らんけど😊。いつものように京都仙洞御所を紹介されるビデオが流れます。9時28分頃に終わるのでガイドさんが入って来られ、注意事項を日本語と英語で話されます。終わり次第、ガイドさんに付いて外に出て参観が始まりました。
仙洞とは、天皇の譲位後の住まいのこと。京都仙洞御所は、幕府との軋轢で突然譲位した後水尾上皇(第108代天皇)の御所として江戸時代初期の1630年(寛永7年)に完成し、小堀遠州が作庭した。それと同時に東福門院(後水尾上皇の皇后・徳川幕府2代将軍秀忠の娘和子)の女院御所も建てられ、渡り廊下で結ばれていた。後水尾上皇の存命の間に3度火災により焼失し、その都度再建され、以後、霊元(第112代天皇)、中御門(第114代天皇)、桜町(第117代天皇)、後桜町(第117代天皇)、光格(第119代天皇)は仙洞御所を使用。1854年(嘉永7年)の大火で京都御所とともに焼失したのを最後に再建されなかった。大宮御所とは、皇太后の御所をいう。現在の大宮御所は、1867年(慶応3年)に英照皇太后(孝明天皇の女御)のため女院御所の跡に造営されたもの。1872年(明治5年)に英照皇太后が東京に移られた後は、御常御殿のみを残し整理され、現在は、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下が入洛された際の御宿舎として用いられる。
京都大宮御所の玄関で、現在も天皇皇后両陛下や上皇上皇后陛下が入洛されてるときに使用される。銅板葺の屋根が三層重なっているのが特徴。
大正年間に内部を洋風に改められ、周りにはガラス戸がはめられている。紅梅・白梅・竹林・松が植樹され「松竹梅の庭」とも伝えられている。
北池は、紅葉谷の堀割を境にして、南池と分かれいる。造営当時は女院御所の庭であった。今は木々が覆い茂ってて東山の山並みは少ししか見えない。元々別の庭であった池がが繋がったのが1747年(延享4年)のことでした。
阿古瀬淵の名の由来は。紀貫之の幼名が「阿古久曽(あこくそ)」から名付けられたという説と、近くに住んでいた「尼御前(あまこぜ)」が名の由来だとする説とがあるそうです。
歌合(うたあわせ)において、小野小町が大伴黒主(おおとものくろぬし)の差し出した草紙を池の水で洗い、盗作の疑いを晴らしたという伝説が残る。
もとは修学院離宮上御茶屋より移築した茶屋「止々斎(ししさい)」があったが火災により焼失。英照皇太后(孝明天皇皇后)のたっての希望で移設されたのが、茶室「又新亭(ゆうしんてい)」である。茅葺きと杮葺の屋根と大きな円窓を備えた茶室で、中門から内露地と外露地に隔てられ、四つ目垣で囲まれている。
次の予定もあるので、休憩所で休んでました。10時30分ぐらいまで休憩するつもりが、10時25分頃に追い出されました😊。外国人観光客も大勢いましたが、慌てて出て行かれましたね😊。
以前、仙洞御所の拝観は、一日2回でした。それで、なかなか抽選に当たらなかったけど、現在は一日5回もあります。毎朝、HPで当日受付人数を発表されます。空きがあれば8時40分から京都仙洞御所「北門」前で、整理券と配られるようです。ただし本人性の確認はされます。マイナーカードや免許証を持ってないと入れません。今日は、ここ京都御苑に来た目的地に向かいます。
この記事へのコメント
京都仙洞御所の参観ですか、うらやましいです。入ったことはありません。
この春の京都御苑には来ましたが、西側の桜を見ることしかできず。
南東部の仙洞御所は、私にとって遠い存在です。
まるで時間が止まったような落ち着いた上品な庭園と邸宅が味わえるのですね。派手さは無いですが、ここが京都の都市の中というのも忘れさせてくれるでしょう。いいですね~。いつか行ってみたいと思っています。
抽選が問題ですね。
まもなく京都仙洞御所の庭は赤く染まるでしょう。普段なら、抽選なしに、現場に行って、空きがあれば入れるようですが。
一度だけ紅葉を見ましたが、ここの紅葉が一番綺麗です。
今年は申込みしてないので入れませんが、また紅葉見たみたいです。