10年振りの参観 修学院離宮へ

10月に入って、4日(土)と5日(日)は、夏日から解放され、ようやく秋の訪れを感じましたが、南海上に非常に強い台風22号の影響で、暑さがぶり返してきました。10月7日(火)の最高気温は29.2℃と、真夏日の手前まで気温があがり、湿気の多さも感じるようになりました。そして、翌日の8日(水)です。この日は、今年の9月15日(土)に修学院離宮の参観を申込みしました。抽選に当たったのは良かったですが、まさか10月8日(水)に暑くなるなんて、想像もしてなかったです。

この日の最低気温は、21.4℃と、一時に比べると涼しさを感じましたが、天気予報では曇りで、最高気温30℃と出てました。この時期に、真夏日復活?と思いましたが、抽選に当たったこともあって、当然出掛けます。暑さ対策は、何もしてません。吹く風は涼しいでしょうし。

IMG_7923.jpg修学院離宮の最寄り駅は叡山電鉄「修学院」です。私は京阪神宮前駅から向かいます。バスが早く着いたので、地下に降りる前に鴨川を撮りました。空には秋らしい雲が出ています。

京阪電車神宮前駅から出町柳まで乗って、叡山電鉄に乗り換えです。出町柳8時14分発、市原行きに乗り、修学院に8時21分に着きました。車内は学生さんで一杯でした。多分、京都産業大学の学生さんでしょう。

IMG_7924.jpg修学院離宮に向かって歩いて行くと、前方に比叡山が見えました。我が家から見る比叡山と大違い、あんなに大きく雄大に見えるとは。

IMG_7926.jpg前方に修学院離宮「表総門」が見えて来ました。このとき、8時38分で拝観者が表で待たれてました。

私が着いたのが8時40分。開門されたばかりです。予約書を係の方に見せ2015年(平成27年)4月9日(木)以来、10年振りに門をくぐりました。

IMG_7927.jpgこの「参拝者休憩所」で、本人性の確認をされます。私はマイナーカードを見せました。

IMG_7929.jpgいつものように、ここで修学院離宮の紹介ビデオを見ます。終わったのが9時ちょうど。終わり次第、今日のガイドさんが来られました。

あとで分かったことですが、定員50名に対して、参観者は40名。その半分が外国人観光客とガイドさんは話されてましたが、私の見立ては、もっとですね、半分以上は外国人観光客のようでした。

IMG_7930.jpg修学院離宮では、「下離宮」、「中離宮」、「上離宮」を、約3㌔を1時間15分かけて巡ります。ここで先ず、修学院離宮の歴史について話されました。

修学院離宮は、1655年(明暦元年)から2年にかけて後水尾上皇(第108代天皇)によって造営が始まり、1659年(万治2年)頃に完成した山荘庭園である。離宮の造営より早く上皇の第一皇女梅宮(うめのみや)が得度し大通文智尼になられ、現在の中離宮付近の草庵を結び、円照寺を創建されたが、修学院離宮の造営が始まったことから、円照寺を大和の八嶋に移し、上と下の二つからなる御茶屋を建設した。広大な山荘造営は上皇の長年の夢で、みずから作事のいっさいを取り仕切り、細部に渡って上皇の意志が反映された。上皇は31回もの御幸、多くは正室の東福門院を伴った。上皇の第8皇女光子(てるこ)内親王のために建てられた山荘に東福門院亡き後の女院御所の一部を移築し拡張。上皇崩御のあと、光子内親王は落飾得度してこれを林丘寺(りんゅうじ)とされた。1885年(明治18年)、林丘寺門跡から境内の半分が楽只軒、客殿とともに宮内省に返還さたので、離宮に編入されたもの。

IMG_7932.jpg最初は「下離宮(下御茶屋)」から。杮葺の屋根と花菱紋の透かし彫りが施してある板戸の下離宮の正門にあたる「御幸門(みゆきもん)」から入ります。

IMG_7933.jpgIMG_7934.jpg今日は、曇りの予報が朝から晴れました。そのため太陽が眩しく、また気温と湿度が上がって、参観には辛い気候になりました。写真は寿月観の「御輿寄(おこしよせ)」で、上皇はここで輿を降りたようです。

IMG_7935.jpg御幸門をくぐって、「下離宮(下御茶屋)」の「寿月観(じゅげつかん)」に着きました。下離宮の中心的な建物である寿月観は6室からなる数奇屋風の建物です。

IMG_7937.jpg寿月観一の間」を覗くと、中央奥の1段高い場所が上皇の御座所です。一の間は15畳敷きの広さがありました。

IMG_7940.jpg床を間口いっぱいに取り、右脇に「琵琶床(びわどこ)」、その隣の違い棚の上には、鶴を描いた天袋、下段の地袋には白い蘭の花が描いてあります。作者は、ともに原在中(はらざいちゅう)です。

IMG_7941.jpg左手の襖には岸駒(がんく)の筆により水爆画「虎渓三笑」が4面見られました。

IMG_7938.jpg二の間」です。正面に杉戸がありますが、これは光格上皇(第119代天皇)のお好みで仙洞御所から移したと伝わる。絵は夕顔で筆者は不詳だそうです。

IMG_7939.jpg三の間」です。この部屋はお供の控えの間で襖絵は「泊舟(とまりぶね)」で、筆者は岡本豊彦(江戸時代後期の画家)。参考までに、この建物は江戸時代の文政年間(1818~30)に再建されたもの。

IMG_7944.jpgIMG_7945.jpg寿月観の前を見ると、富士山の石組を滝口に見立てて、「白糸の滝」が流れてて、その流れが鑓水となり前庭の中を流れて行きます。

IMG_7943.jpg9時12分に「下離宮(下御茶屋)」をガイドさんのあとについて出て行きます。それにしても今日は暑い・・・。

IMG_7949.jpg次に大きく開けた所に出ました。ガイドさんより、この修学院離宮の広さは東京ディズニーランドと、ほぼ同じだそうです。正面の丸い山が「修学院山」、左が「比叡山」です。

IMG_7957.jpg後続が出て来られるのを待って、9時17分に松並木を歩きます。

IMG_7959.jpgのどかな水田風景を見ながら、下離宮(下御茶屋)から、「中離宮(中御茶屋)」まで歩いて行きます。

約8万㎡に及び水田は、宮内庁が買い上げ附属農地として農家に耕作してもらっています。

IMG_7960.jpgIMG_7961.jpg松並木の合間に、京都市街地が見えました。遠くの背の高い山は、私の地元「愛宕山」ですね。

IMG_7962.jpg歩いて4分ぐらいで「中離宮(中御茶屋)」の「表門」前に9時20分に着きました。案内は簡単に、上皇の第8皇女光子(てるこ)内親王のお住まいだったところと話され、この門の右側から入ります。

IMG_7965.jpgIMG_7966.jpgIMG_7967.jpg表門を入って石段を上がった先に、また門がありました。こちらは「中門」のようです。

中離宮(中御茶屋)には、後水尾上皇の第8皇女朱宮光子(あけのみやてるこ)内親王に賜った朱宮御所(音羽御所)があったが、上皇が崩御し朱宮は出家。御所を林丘寺に改めるが、1885年(明治18年)、林丘寺が寺領の半分を宮内省に返還、新たに中離宮が整備された。

IMG_7969.jpgIMG_7970.jpgIMG_7971.jpgIMG_7972.jpgあとで案内があるでしょう「客殿 一の間前庭」を見ながら歩いて行きます。鑓水が静かに流れていました。

IMG_7973.jpg中門を入ってガイドさんに付いて行きます。今日は、人が多いので、なかなか灯籠の写真を撮るのが難しかったけど、こちらは「織部灯籠」です。

IMG_7974.jpg9時26分に「客殿」前に着きました。今日は外国人観光客が多いので、なかなか人が揃いません。この縁側に腰を下ろして待ちました。

IMG_7975.jpgここの見所は「客殿の霞棚」です。桂離宮新御殿の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下の三名棚」と称される。側面には修学院の八景を詠んだ和歌の色紙が貼られている。

IMG_7981.jpgIMG_7991.jpgIMG_7990.jpgこちらは「二の間」のようで、案内は無かったです。宮内庁HPに載ってました。四西側の襖4面、南側の腰障子4面には、奈良・長谷寺の「桜花爛漫の風景」(昭和時代)が画かれています。

IMG_7986.jpgこの杉戸絵には、江戸時代での祇園祭の山鉾の様子を住吉具慶(1631~1705)が描きました。

IMG_7984.jpgこの杉戸絵に描いた「」の作者は円山応挙と言われている。

IMG_7982.jpgIMG_7989.jpg庭の東側には滝口があって、鑓水が客殿の前を西へ流れ、楽只軒(らくしけん)前の池に注いでいる。

IMG_7978.jpg次に、この石段を上がっていくのかなぁと思っていたら、降りて行くことに。10年も来て無いと覚えてないことも多いです。

IMG_7993.jpgIMG_7994.jpg次に客殿から一段低い「楽只軒(らくしけん)」に向かいます。9時32分に着きました。

IMG_7995.jpgIMG_7996.jpgIMG_7997.jpg楽只軒(らくしけん)」は、光子内親王の朱宮御殿の最初の建物。6室からなり、瓦葺の裾に杮葺の屋根を持つ。

一の間」には、狩野探信(1785~1835)が描いた、奈良県の「吉野山の桜」が、奥の「二の間」には、同じく奈良県の「龍田川の紅葉」が描いてあるそうです。遠くて肉眼では分からないですね。また、「楽只軒」の扁額の文字は、後水尾上皇の宸筆だそうです。林丘寺の二代目住職が疱瘡にかかったため、護摩を幾日も焚き続けたので、室内は黒ずんでましたが、近年の修復で、かつての面影が蘇ったそうです。所々に少し黒ずんでいるが分かります。

IMG_7999.jpg楽只軒から客殿を見ると、「網干の欄干」と呼ばれる、漁村で網を干した形を表した低い手すりが付いています。

IMG_8002.jpgIMG_8009.jpgIMG_8010.jpg9時37分に中離宮(中御茶屋)を出ました。次が上離宮で、小高い所にあるので少し時間がかかります。

IMG_8011.jpg9時40分に、皆が出て来るのを確認されて出発です。行きと同様に「御馬車道」をゆっくり歩いて行きます。

IMG_8013.jpg最初は北に向かって歩いていき、途中で東に向いて歩いて行きます。今日は天気が良いので、松並木も綺麗です。

IMG_8015.jpg上離宮(上御茶屋)」の「御成門」前に9時46分に着きました。この門を入ると、急な石段を登ります。

上離宮は、修学院離宮の本領であって、谷川を堰き止め浴龍池(よくりゅうち)と呼ぶ大きな池を中心に据えた回遊式庭園となっている。

IMG_8017.jpgIMG_8018.jpg御成門から高い刈り込みの間をぬって急な石段を登り9時50分に「隣雲亭(りんうんてい)」の前に着きました。先ずは、ここに腰を下ろして休憩です。

上離宮の隣雲亭(りんうんてい)は、上離宮の最高所に建っていて、修学院離宮随一の眺望を誇る建物である。隣雲亭は修学院離宮の本格的な造営前から存在しており、1678年(延宝6年)に焼失後、翌年に新造された建物を霊元(れいげん)上皇(第112代天皇)もご使用になったが、再び失われたらしく、現在の建物は1824年(文政7年)に光格上皇(第119代天皇)の御幸に際して再興されたもの。

IMG_8019.jpg北側(左手)は吹き放しの「洗詩台(せんしだい)」があるとパンフに書いてあったけど雨戸があって、これでは景色が見られないですね。

IMG_8021.jpgIMG_8022.jpg隣雲亭」は眺望が目的の茶亭で、飾り気が全くありません。6畳と3畳の控えの間があるようです。

IMG_8034.jpg土間は白漆喰で固められ、赤と黒の賀茂川石(チャート)が散りモミジのように埋め込まれて「一二三石」と呼ばれています。

余談ですが、今日は外国人観光客が多くて、ガイドさんが案内したても、なかなか揃わないです。後続がかなり後方に置いていかれて、と言うより早く行くようにと言っても言葉が通じないし、気にせず写真を撮っているので、時間がかなり押しているように思いました。

IMG_8029.jpg9時54分頃に、やっと全員上がってきたので、この写真が撮れました。今日は天気予報が外れ、綺麗に晴れたので、この素晴らしい眺望が撮れました。

IMG_8030.jpgこの方向には、「愛宕山」が山頂まではっきり見えています。手前には五山の送り火の一つである「船形」も見えました。

IMG_8032.jpgここから京都市街地を撮りました。ガイドさんより「今日は天気が良いので、大阪のあべのハルカスも見えますよ」と。

IMG_8035.jpg案内では無かったけど、「ニデック京都タワー」が見えました。天王山の山裾の奥を見ると、あれが「あべのハルカス」と。

IMG_8036.jpgあべのハルカス」を狙いにズームをすると、「ニデック京都タワー」は見えなくなりますが、微かに見えているんですけど。

IMG_8039.jpgIMG_8040.jpg10時になって、ガイドさんに付いて下に降ります。すっかり忘れてましたが、違う所から降りて行くんですね。逆光で綺麗に撮れませんでしたが「滝見灯籠」です。

IMG_8042.jpg急な階段を降りてきました。ここから浴龍池を巡るわけです。今日は案内が無かったので、気づきませんでしたが・・・?。

CIMG2170.jpg隣雲亭の東に、高さ6㍍の垂直に滝から白い布のような滝水がごれています。「大滝(雄滝)」と言って、1663年(寛文3年)、後水尾上皇は滝の前に舞台を造って「滝見の宴」を催したと伝わります。

IMG_8044.jpg前方に「千歳橋」が見えて来ました。中島と万松塢 (ばんしょうう)を繋ぐ廊橋のようです。

IMG_8046.jpgIMG_8047.jpgIMG_8048.jpg浴龍池東岸から中島へ渡る木橋を「楓橋」と呼ばれています。この辺りは楓が多く秋の紅葉が見事だとか。

IMG_8051.jpg10時4分に「窮𨗉亭(きゅうすいてい)」に着きました。ただ後続が遅れているので、案内は休憩してからになりました。

宝形造りの茶屋「窮𨗉亭」は上離宮での後水尾上皇時代の唯一の建物。18畳一室のみで、鉤形の「上段の間」は、上皇の玉座に相当する。

IMG_8054.jpgIMG_8056.jpgIMG_8057.jpg屋根は杮葺、瓦の露盤と宝珠が載せられています。菊の御紋も見えました。後続が遅いので、集まってのガイドは無かったですね。

IMG_8062.jpgIMG_8065.jpgIMG_8050.jpgIMG_8067.jpgほんま後続が遅いので、ここで自由時間のようでしたし、聞きたいことは直接ガイドさんに聞いてました。ここから「千歳橋」の屋根に乗ってる鳳凰が見えました。

1824年(文政7年)、光格上皇の御幸のため、幕府が離宮大修理の際に建造。右の屋根に宝形屋根に鳳凰が、左は寄棟の四阿風。後水上皇の好みとは違う中国風の建築で、離宮の新しい名所となった。

IMG_8063.jpg10時10分頃に窮𨗉亭を下って中島を「土橋」を渡って出ます。

IMG_8070.jpg土橋を渡る際、右手を見ると浴龍池に突き出た「三保ケ島」が見えました。

IMG_8069.jpgIMG_8068.jpgこの時間では、本来なら参観が終わって休憩所に戻っています。それほど遅れていると言うこと。左手を見れば「御舟屋」が見えました。

IMG_8071.jpgIMG_8072.jpgIMG_8075.jpgご覧のように、後ろ全然来てません。右手に見えた「水盤」について質問されたので、ガイドが止まられたわけです。

1709年(宝永6年)に仙洞御所に移された茶屋の跡。石船と呼ばれる水盤が残っている。

IMG_8076.jpgIMG_8077.jpgここが「御舟着」です。浴龍池の名は、中島の万松塢は、かつて岩盤が露出しており、それが水浴びする龍の背中に見えたからと伝わる。

IMG_8078.jpgIMG_8080.jpg後続が全然来ないので案内は無かったです。以前来たときに聞いた話しで、中島にある「腰掛け待合」に、来日されていたチャールズ皇太子とダイアナ妃が座られた待合です。

1986年(昭和61年)5月9日に、日本政府が公賓として招待した英国のチャールズ皇太子とダイアナ同妃ご夫妻が、修学院離宮を訪問されました。案内役の浩宮さま(今上天皇)とともに、腰掛け待合に座られ庭園をながめられました。

IMG_8081.jpgここから見て、後続が土橋を渡ってましたね、相当遅れています。今日は天気が良く暑くなって、最高気温は、真夏日の31.0℃まであがりました。

IMG_8085.jpg10時18分に、上離宮御成門まで戻って来ました。暑くてバテたので早く帰りたかったのに、後続が来ない・・・。

IMG_8087.jpgIMG_8088.jpg単独行動が出来ないのは分かってましたが、次の門にも鍵が掛かっているので出られません。

8分ほど暑いなか待ちました。全員が揃ったので、ようやく鍵を開けられ戻ります。このとき10時26分になってました。

IMG_8089.jpg予定時間もすぎているので、回りに居る人だけに案内されたのは、上離宮に上がる松並木から見えた「大刈込み」でした。

谷川を堰き止め浴龍池を造った上堤に石垣で四段に土留めをし、石が上部の斜面を数十種類の常緑樹を混植して広大に刈り込んだ「大刈込み」で覆っているもの。石垣の目隠しとなる高生垣とともに四囲の自然とよく調和している。

IMG_8090.jpg予定より15分遅れの10時30分、休憩所に戻りました。ロッカーに預けていた荷物を取って、自販機でお茶を1本買い、それを飲んで休憩すること15分。11時からの人が入ってこられたので出て行くことにしました。

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売店で買った切り絵の記念品です。修学院離宮は遠いので、そう度々は来られ無いから。

今日も季節外れの暑さになって、相当汗をかきました。今年の京都は、猛烈に暑かったので、ガイドさんに参観の途中に倒れた人居なかったのかなぁ?と聞いてみたら、やっぱり救急車呼んだことがあったようです。ここは陽射しを遮るものが無いてので、真夏に3㎞も歩くのは私には無理です。今日は、先に述べたように真夏日の31.0℃まで気温が9日振りに上がりました。それより暑さよりも湿度が高かったです。18時40分現在では、気温が25.6℃で、湿度が68%もありました。

帰ってから調べると、修学院離宮には、2005年(平成17年)7月19日(火)、2007年(平成19年)4月9日(月)、2011年(平成23年)6月10日(金)、2011年(平成23年)10月14日(金)、2015年(平成27年)4月9日(木)に来ていたので、今日で6回目なんですけど、事前申込み不要で解放されたとき行ったことがあるように遠い遠い記憶にあって、多分、昭和かなぁ。写真も何も残ってないし、ネットでも出て来ないけど。

初めて行った、2005年(平成17年)7月19日(火)は、晴れて暑くて、油断してました。日傘も水分も何も持たずにきたわけです。上離宮に上がったときは、吐きそうになり倒れそうになりました。調べたら、その日の最高気温は34.1℃もありました。ただ最低気温は22.6℃でしたね。涼しいかったので、家を出るときに何も思わなかったのでしょうし、また、こんなに歩くとは思ってもみなかったら😊。 それから、ここに来たら必ず水分は持参するようにしたわけです。20年前の気温は今と比べ、気温低かったですね、今なら40℃近く上がっていたでしょう。

この記事へのコメント

2025年11月19日 21:13
修学院離宮の詳細なレポート、見ごたえがありますね。
もちろん行ったことはなく、いつか行きたいなとぼんやり思っています。
江戸時代初期の後水尾天皇の離宮として有名ですよね。
江戸幕府との駆け引きもいろいろあったことでしょう。将軍家も天皇家との縁を強固にするため、このような離宮の造園に協力したのでしょうね。
上品でありながら格式と素朴さを兼ね備えた建築と庭園。素晴らしいです。
結構、起伏もあるのですね。浴龍池に浮かぶ三保ケ島、これは絶景です。
10月初旬でも暑いとは、これがニューノーマルでしょうか。
散策も大変でしたね。
壬生里
2025年11月22日 07:24
ミクミティさんへコメントありがとうございます。

修学院離宮には駐車場が無いので、叡山電鉄からの往復となります。少し距離が離れているので、足が遠のいてました。
修学院離宮内も歩いて回るので、こんなに歩いたのは久々だったので、少々最後はお疲れでした。
10年振りということで、所々忘れていたこともあって、良かったです。ガイドさんも話されてましたが、紅葉時には、なかなか抽選あたらないみたいです。