高雄山の神護寺、栂尾山の高山寺とともに三尾の名刹の一つ、槇尾山 西明寺へ
嵐山高雄パークウェイの高雄大駐車場に車を止めて、2010年(平成22年)6月3日(木)以来、行ってない槇尾山 西明寺に向かいます。
9時1分、ここから「もみぢ家 本館 高雄山荘」まで、急な階段を下ります。帰りは登ることになるので、いつもフラフラになりますが。
参考までに、もみぢ家 本館 高雄山荘には、2013年(平成25年)10月30日(水)の「京の奥座敷 高雄・栂尾と常照皇寺」の定期観光バスツアーで、昼食をいただきました。
9時4分に「もみぢ家 本館 高雄山荘」まで降りて来ました。
こちらが国道162号線で、周山街道とも呼ばれています。この先に世界文化遺産 高山寺があって、車で5分程度でしょう。ただ徒歩は怖いです。歩道が無いので。




ここから、清滝川沿いまで下ります。9時4分に下り初めて、9時13分に降りました。神護寺には左手の「高雄橋」を渡りますが、私は清滝川の上流に向かって歩いて行きます。

過去に西明寺には、2005年(平成17年)8月17日(水)、2006年(平成18年)5月5日(金・祝)、2010年(平成22年)6月3日(木)の3回行ってます。紅葉の時にも行ったように思うですが、写真が残ってないで・・・。
それより、何処から行ったのか記憶がありません。神護寺の後に行ったのか、高山寺の後に行ったのか?。残っている写真を調べると、2005年(平成17年)8月17日(水)は、高山寺に行ったあと行ったようで、多分、高山寺に車を止めて徒歩で向かったのでしょう。2006年(平成18年)5月5日(金・祝)、2010年(平成22年)6月3日(木)は、ともに神護寺に行ったあとに行ったようです。2010年(平成22年)6月3日(木)は、国道162号線を歩いて「もみぢ家 本館 高雄山荘」まで行ったみたいです。少しばかり怖かった記憶が・・・😢。
次に「灌頂橋」に来ました。この橋は、2020年(令和2年)8月9日(日)に「愛宕山登山」の時に、車で通りました。橋を渡って左手の山道を登って行きます。
ようやくゴールの「指月橋」が見えて来ました。もう少しですし頑張ります。足は相当疲れてますが。



9時20分に「指月橋」まで来ました。紅葉のときは、ここに拝観受付所があって、入山料を納めたように思ったから。


清滝川に掛かる「指月橋」を渡る時、涼しい風が吹き抜けました。陽射しは強いけど、風は爽やかです。
今日は、高雄パークウェイの「コスモス園」で登ったり下ったりで足が疲れているので、もう階段は・・・と思いましたが、また登りです。



神護寺なら登り8分ぐらいですが、ここは2分で登り切りました。
9時22分に「表門」前に着きました。一間薬医門で、1700年(元禄13年)の造営。ここまで来ると何となく思いだしたかなぁ😊。
槇尾山(まきのおさん)と号する、真言宗大覚寺派の準別格本山である。古くは平等心王院とも称した。高雄山の神護寺、栂尾山の高山寺とともに三尾の名刹の一つとして知られ、紅葉の名所として名高い。平安時代の天長年間(824~834)に、弘法大師(空海)の高弟の智泉(ちせん)大徳が神護寺の別院として開創し、鎌倉時代の建治年間(1275~1278)に、和泉国(現在の大阪府南西部)槙尾山の我宝自性上人(がほうじしょうしょうにん)が中興したと伝わる。その後、1290年(正応3年)に、後宇多天皇(第91代天皇)により名前を賜り、神護寺から独立した。西明寺は神護寺と同様に荒廃と再建を繰り返し、現在の本堂は、江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母、桂昌院が1700年(元禄13年)に寄進したものと伝えられ、正面の須弥壇に本尊の釈迦如来立像(重文)が祀られている。この像は、高さ51㌢の小像で、清涼寺(嵯峨釈迦堂)の釈迦如来像を模して、鎌倉時代に運慶によって造られたものである。とりわけ、門前に掛かる朱塗りの指月橋(しげつきょう)付近の眺めは格別で、多くの参詣者が訪れる。境内には槇の古木に埋もれ、春には薄紫の山躑躅で華やぎ、秋には全山紅葉に包まれる。
表門を入ったら正面に「本堂」があります。以前来たときも入ったように記憶しています。御朱印もいただいたように・・・。


本堂に靴を脱いで上がります。拝観料は700円と書いてありました。多分、2010年(平成22年)6月3日(木)よりは値上げされたように・・・。
本堂は、表門と同様に1700年(元禄13年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の寄進により再建された。本堂内陣の須弥壇上に二重の厨子内に安置されているのが、本尊の釈迦如来立像(重文)を安置されている。
お参りはご本尊の目の前まで行けます。撮影は禁止とありました。その時に思ったのが、清涼寺(嵯峨釈迦堂)の本尊で国宝の「釈迦如来立像」に似ているなぁと思いました😊。由緒には、鎌倉時代に仏師運慶によって彫られた立像で、清涼寺式釈迦如来像で生前の釈迦如来の面影を伝えていると。良く居ている筈です。
写真は、本堂の東です。ご本尊の向かって右手の「東脇陣」にも仏像が祀られているのでお参りしました。
中央には重要文化財に指定されている「千手観世音菩薩像」が安置されていました。頭上に十面を戴き、宝冠をかぶり、合掌する真手を含め四十二手でした。そして向かって右手には「愛染明王像」が、左手には「弘法大師空海像」も安置されていました。愛染明王像は、鎌倉時代後期に慶派に連なる仏師によって彫られた坐像のようです。
次に「西脇陣」にも行ってみました。厨子の中に「明忍(みょうにん)律師像」が祀られていました。「明忍(みょうにん)律師」って誰?と、由緒書にも載ってないのでね。ネットで調べると、明忍律師は、1602年(慶長7年)に現在の西明寺には入り復興させたようです。1623年(元和9年)、「平等心王院僧制」を制定。宗派を超えて戒律復興運動の拠点としたのが平等心王院だったようです。


本堂の東側に、綺麗な「苔庭」がありました。そして渡り廊下の先が「聖天堂」ですが、あとで外からお参りしました。
「本堂」の南側です。境内のモミジが秋には赤く染まるのでしょう。多分、混雑するでしょうけど。
「本堂」の西側の奥に行ってみました。苔生した土橋の奥に階段があって建物が見えます。調べても出てこないんですが開山堂かなぁ・・・?
そして「本堂」の西側には、渡り廊下と繋がる「客殿」があります。このあと受付に行き、朱印帳を受取ました。
御朱印は、前途したとおり500円でした。ここではご本尊の釈迦如来と書かれてました。


本堂を出て、ここまで頑張って歩いて来たので、境内を散策します。先ずは「聖天堂」から。
由緒書きによると、聖天堂は元禄時代(1688~1704)の造営。堂内には歓喜天が秘仏として祀られているようです。正面の扉が少し開いていたので、内部は見えました。ご本尊が見えなかったのは秘仏だったですね。


我宝自性上人のお手植えの高野槙、その樹下に上人の歌碑「白露のおのが姿をそのままに 紅葉におけば紅の玉」が立てられています。
秋になれば、この高野槙を取り囲んだ紅葉は綺麗でしょうね、この西明寺の紅葉を見たくなりました。

こちらは本堂のお隣にある「客殿」です。非公開ですが、紅葉の時期には内部で呈茶されてるようです。その頃にでも行ってみようかなぁ😊。
客殿は、本堂と短い渡廊下で結ばれている。造営は本堂より古く、江戸時代前期に移築されたようです。由緒によると、当時は食堂(じきどう)と称し、僧侶の生活や戒律の道場として使用されていたようです。

さらに奥に行けば「庫裏」があって、神護寺への矢印が出ています。多分、清滝川に架かる「灌頂橋」に出てくるのかと思います。
庫裏から奥も行けるようでしたが、ここで引き返します。奥には車も止まっていたので、間違いなく「灌頂橋」に出ると思います。

ご覧のようにモミジが覆い茂っているので、秋の紅葉は見事でしょうね。狭い境内混雑しそうですけど😊。

ここの最後は「鐘楼」です。近くで読んだわけではありませんが、100円納めると撞けるようです。知らんけど😊。
9時44分「表門」から出ました。やっぱり紅葉でも無いし躑躅が咲いているわけでも無いので誰も来なかったです。



行きは一生懸命に登って来たので、見る余裕は無かったけど、珍しい灯籠や苔庭も綺麗でした。


ご覧のように、結構階段です。ここを登って来ました。下りは一段づつ降りて行きます。

ここで横を見ると、この岩石「層状チャート」ですね、ブラタモリを見て覚えました。太古の京都は深海の底だった名残です。



9時50分に「指月橋」まで来ました。この辺りも秋には赤く染まります。
指月橋を渡って、左手に行けば世界遺産「高山寺」へ、右手に行けば「神護寺」に行けます。私は駐車場に戻るので、右手を進みます。
写真の先を行けば高山寺に3分ぐらいで着きました。西明寺には、ここに駐車して向かいます。ただし有料ですが。




9時54分に「灌頂橋」まで戻って来ました。橋を渡って右手を登れば西明寺に着けると思います。左手に行けば「愛宕山」に登れます。
写真の先に「高雄橋」があって、神護寺から降りて来た団体さんと一緒に、周山街道まで登ることになりました。
10時10分に登り切り、嵐山高雄パークウェイの高雄口大駐車場に、表門から26分で着きました。
何度か、ここに車を止めて主に神護寺に来てますが、清滝川からのずっと登りは体に堪えます。おまけに、今日はコスモス園でのアップダウンもあったのでなおさらで、以前から痛めている膝が当然のことながら痛みました。ここから高雄口から出ずに、清滝口に戻って出て行きました。たっぷり往復、楽しめました😊。
参考までに、もみぢ家 本館 高雄山荘には、2013年(平成25年)10月30日(水)の「京の奥座敷 高雄・栂尾と常照皇寺」の定期観光バスツアーで、昼食をいただきました。
それより、何処から行ったのか記憶がありません。神護寺の後に行ったのか、高山寺の後に行ったのか?。残っている写真を調べると、2005年(平成17年)8月17日(水)は、高山寺に行ったあと行ったようで、多分、高山寺に車を止めて徒歩で向かったのでしょう。2006年(平成18年)5月5日(金・祝)、2010年(平成22年)6月3日(木)は、ともに神護寺に行ったあとに行ったようです。2010年(平成22年)6月3日(木)は、国道162号線を歩いて「もみぢ家 本館 高雄山荘」まで行ったみたいです。少しばかり怖かった記憶が・・・😢。
槇尾山(まきのおさん)と号する、真言宗大覚寺派の準別格本山である。古くは平等心王院とも称した。高雄山の神護寺、栂尾山の高山寺とともに三尾の名刹の一つとして知られ、紅葉の名所として名高い。平安時代の天長年間(824~834)に、弘法大師(空海)の高弟の智泉(ちせん)大徳が神護寺の別院として開創し、鎌倉時代の建治年間(1275~1278)に、和泉国(現在の大阪府南西部)槙尾山の我宝自性上人(がほうじしょうしょうにん)が中興したと伝わる。その後、1290年(正応3年)に、後宇多天皇(第91代天皇)により名前を賜り、神護寺から独立した。西明寺は神護寺と同様に荒廃と再建を繰り返し、現在の本堂は、江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母、桂昌院が1700年(元禄13年)に寄進したものと伝えられ、正面の須弥壇に本尊の釈迦如来立像(重文)が祀られている。この像は、高さ51㌢の小像で、清涼寺(嵯峨釈迦堂)の釈迦如来像を模して、鎌倉時代に運慶によって造られたものである。とりわけ、門前に掛かる朱塗りの指月橋(しげつきょう)付近の眺めは格別で、多くの参詣者が訪れる。境内には槇の古木に埋もれ、春には薄紫の山躑躅で華やぎ、秋には全山紅葉に包まれる。
本堂は、表門と同様に1700年(元禄13年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の寄進により再建された。本堂内陣の須弥壇上に二重の厨子内に安置されているのが、本尊の釈迦如来立像(重文)を安置されている。
お参りはご本尊の目の前まで行けます。撮影は禁止とありました。その時に思ったのが、清涼寺(嵯峨釈迦堂)の本尊で国宝の「釈迦如来立像」に似ているなぁと思いました😊。由緒には、鎌倉時代に仏師運慶によって彫られた立像で、清涼寺式釈迦如来像で生前の釈迦如来の面影を伝えていると。良く居ている筈です。
中央には重要文化財に指定されている「千手観世音菩薩像」が安置されていました。頭上に十面を戴き、宝冠をかぶり、合掌する真手を含め四十二手でした。そして向かって右手には「愛染明王像」が、左手には「弘法大師空海像」も安置されていました。愛染明王像は、鎌倉時代後期に慶派に連なる仏師によって彫られた坐像のようです。
次に「西脇陣」にも行ってみました。厨子の中に「明忍(みょうにん)律師像」が祀られていました。「明忍(みょうにん)律師」って誰?と、由緒書にも載ってないのでね。ネットで調べると、明忍律師は、1602年(慶長7年)に現在の西明寺には入り復興させたようです。1623年(元和9年)、「平等心王院僧制」を制定。宗派を超えて戒律復興運動の拠点としたのが平等心王院だったようです。
御朱印は、前途したとおり500円でした。ここではご本尊の釈迦如来と書かれてました。
由緒書きによると、聖天堂は元禄時代(1688~1704)の造営。堂内には歓喜天が秘仏として祀られているようです。正面の扉が少し開いていたので、内部は見えました。ご本尊が見えなかったのは秘仏だったですね。
客殿は、本堂と短い渡廊下で結ばれている。造営は本堂より古く、江戸時代前期に移築されたようです。由緒によると、当時は食堂(じきどう)と称し、僧侶の生活や戒律の道場として使用されていたようです。
何度か、ここに車を止めて主に神護寺に来てますが、清滝川からのずっと登りは体に堪えます。おまけに、今日はコスモス園でのアップダウンもあったのでなおさらで、以前から痛めている膝が当然のことながら痛みました。ここから高雄口から出ずに、清滝口に戻って出て行きました。たっぷり往復、楽しめました😊。
この記事へのコメント
神護寺や高山寺といった名刹が有名ですね。憧れでもあります。
今回はもう一つの名刹、西明寺でしたか。
こちらも起伏をいかした見事な境内の景観。特にモミジの木が多いなと感じます。今頃、もう真っ赤に染まりきっている頃でしょうか。
ここは、しっかりと体力を温存してから登らないといけないなと思いました。
紅葉の季節は一段と華やかになるでしょう。
もう遥か昔の話ですが、高山寺・西明寺・神護寺の
三つのお寺さんは、5月の初め頃にお参りした
事があります。正直言って、西明寺さんの
印象は、他の二つのお寺さんに比べて薄いんですが、
とにかく青もみじが美しくて、こんな
気持ちのいいお寺さんがあったのかと驚いた事を
覚えてます。今頃は紅葉狩りのお客さんで賑わってるでしょうね。
西明寺は、近くの高山寺や神護寺にくらべて、行かれる方は少ないです。実は、このあと紅葉時にも行ってみたんですが、空いてました。
ここも久しぶりに訪れてみて、思い出したことお、新たに分かったこともあって、のちほど行く、紅葉ときの参考になりました。
この日に西明寺行ったときは、紅葉はまだまだでしたが、のちほど11月中頃に行ったときは、清滝川沿いの紅葉は見事でした。
市バスやJRバスで行けますが、どうしても高山寺や神護寺に行かれるので、紅葉時で混雑感は無かったです。