西国三十三ヵ所二十番札所 西山 善峯寺「秋明菊」が咲き誇る
昨日の10月23日(木)は、洛東遺芳館に行きましたが、朝の冷え込みが嘘のように、前日より8℃も高い24.1℃まで気温が上がりました。ただ夕方の18時40分には、17.6℃まで下がり、翌日の24日(金)の最低気温は、今季最低の11.8℃まで下がり、外出時には今季初めて上着を着て出掛けました。
出掛けた先は、境内に約5000株もの秋明菊(しゅうめいぎく)が自生しており、見頃と出ていた西国三十三ヵ所二十番札所 西山 善峯寺です。今年の6月20日(金)に紫陽花を見に来て以来の訪問です。
6月20日(金)に来てましたが、念のためにナビを入れて、ここまでやって来ました。ここは「山門(楼門)」前まで車で入れます。料金は500円の前払い制。8時24分に着きました。
開門は、事前に調べて8時30分だったので、先に「東門」を撮りました。歩いて来たら、ここまで登って来ます。
余談ですが、令和7年5月31日の運行をもって、阪急バス66号系統峯寺行きが廃止となりました。平日は「小塩」からでしたが、今は「灰方」までしか行きません。車かタクシーで行くしかないでしょう。距離的には1時間ぐらでしょうけど、小塩からずっと急な登りです。徒歩はお勧めできないでしね。一度、小塩から登った経験では。
時間前に来たのは初めてだったので、時間前では「山門(楼門)」前で行けません。手前に柵があって、30分過ぎに鍵を開けに来られました。
拝観受付所で拝観料500円を納めます。この山門から見ても秋明菊が綺麗に咲いているのが分かりました。






「山門(楼門)」から「観音堂(本堂)」に至る参道脇には、八重の秋明菊や一重の秋明菊が咲いてました。階段脇に咲いている秋明菊も綺麗です。

私の後から来られた方は「観音堂(本堂)」に行かれましたが、私は最後にお参りします。
先ずは「観音堂(本堂)」に向かって右手の階段を登ります。
この数字の番号順に巡拝します。約30分~40分と書いてあります。6月20日(金)は、あまりにも暑かったので上まで行けなかったけど、今日は頑張ります😊。
1688年(貞享3年)建立の「鐘楼堂(つりがね堂)」が最初です。江戸幕府5代将軍徳川綱吉の厄年にあたり桂昌院が寄進したもの。
鐘楼まで来ると、早速、京都市街地の眺望を楽しめました。肉眼でも「ニデック京都タワー」分かります。

次は「護摩堂」の前まで行きました。2021年(令和3年)1月11日(月)に来た時は、扉開いてましたが、今日は閉まってます。1692年(元禄5年)桂昌院により建立。ご本尊は五大明王(不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉)の五尊。



次が「遊龍の松」(国指定の天然記念物)です。主幹が地を這うように伸びる巨大な五葉松。臥龍の遊ぶ様に見えることから、1857年(安政4年)に、花山前右大臣家厚(かさんのいんいえあつ)より「遊龍」と命名され。
2024年(令和6年)に松くい虫の被害により、全長50㍍ほどの松が15㍍余り切断され、現在は全長37㍍だそうです。標石は1893年(明治26年)鳥尾小弥太中将の書。
「多宝塔」です。修復工事を終え随分、綺麗になりました。1621年(元和7年)建立。本尊は愛染明王。

「経堂」です。今年の6月20日(金)に来た時は工事中でした。2021年(令和3年)1月11日(月)に来た時は扉が開いて「傅大士(ふだいし)」が見えました。
1705年(宝永2年)の建立で、桂昌院により寄進されました。「傅大士(ふだいし)(中国南北朝時代の僧)」を奉安し、鉄眼版一切経が納められてい.る。


次が「開山堂」でした。そこに至る眺望も素晴らしかったです。
高い所が好きな私でも、「開山堂」の正面に行くと少々怖かったです。1685年(貞享2年)の建立で、開山源算上人のご廟所です。上人117歳の尊像が祠られているようです。



開山堂から「幸福地蔵」に行きました。ここでは「自分以外の幸せを願いましょう」と書いてありました。
今日は紫陽花が咲いてないので降りません。順番では「白水 桜あじさい苑」でした。6月20日(金)には降りました。「白山名水」がありましたね。
あまりにも暑かったので、降りて登ってバテました。ただ紫陽花は綺麗でした。ここから、また階段を登って行きます。
ここで6番の「桂春院廟」に行くのを忘れました。私は勘違いしたんですね、「けいしょう殿」と。こちらは後程、紹介します。

何度か来てますが、ここは知らなかったです。「鎮守社」で、右から「護法堂」、「毘沙門堂」、「弁財天堂」、「十三仏堂」と並んでおり、1692年(元禄5年)の建立。


また急な階段を登ります。先程の経堂前にあるのは、有名な「桂昌院しだれ桜」です。

けっこうな急な階段を登り「釈迦堂」に8時46分に着きました。2021年(令和3年)1月11日(月)には、靴を脱いで堂内に入りお参りしました。
1885年(明治18年)の建立。合掌姿のお釈迦様は、ここより2㌔離れた釈迦岳(海抜650㍍)に安置されてました。昔から険しい山を登り御利益を得られたといいます。その後、1880年(明治13年)に下山され、1885年(明治18年)にお堂が出来ました。





この「釈迦堂」の境内には、八重の秋明菊や一重の秋明菊も、見事に咲いてました。余談ですが、この時間でも誰も登って来られません。



まだまだ善峯寺の奥之院は先にあります。その前に「稲荷社」がありました。正一位稲荷大明神が祀られていました。




写真では伝わらないでしょうけど、ずっと急な登りを頑張って、8時52分に「けいしょう殿」に着きました。先の「桂昌院廟」と、ここを勘違いしたんです。

ここには床几がありました。ただ奥の崖の前の床几は座れませんでした。疲れてフラフラし落ちるのが怖かったから😊。
ここで、もう一踏ん張りして、階段を上がります。この先が善峯寺の奥之院です。


8時55分に「「善峯寺奥之院 薬師堂」」に着きました。本尊は薬師如来、1701年(元禄14年)建立です。1988年(昭和63年)現在の地に移築しました。桂昌院出生の由緒により出世薬師如来と云われています。
「手水舎」の回りにも秋明菊が咲いてました。ここまで頑張って登ってきたかいが、ありました。この模様は善峯寺のX(旧Twitter)で紹介されてました。

薬師堂から見た「けいしょう殿」です。眺望素晴らしいで、天気が良かったら大阪まで見えそうです。





薬師堂の奥には「蓮華寿院旧跡庭」があって、池の回りにも八重の秋明菊や一重秋明菊が咲いてました。本当に境内の至る所に咲いています。
源算上人は『妙法蓮華経』を一字三礼と6ヶ年無言の行によって写経されました。その地に蓮華寿院を建立されます。この旧跡は現在の薬師堂西側の地にあって、観性法橋、慈鎮和尚が住されて以降、道覚、慈道、尊円、尊道各親王が住まわれたことから「御所屋敷」と呼ばれました。
この薬師堂が最高点で、ここからは下る一方です。膝には下りの方が堪えるですが。
少しだけ下ると、案内が出ていて、善峯寺歴代の「青蓮院親王御陵」(宮内庁管轄)と出ていたので、行ってみることに。多分、初めてだと思います。

「聖観音菩薩像」がありましたが、もう階段を登る元気はありません。ズームで撮りました。
「本庄家一族の塔」がありました。江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院の実家、本庄家一族の供養塔のようです。
本廟は、この上に見えています。ここまで頑張って登りましたが、あそこまで行く元気は残ってません。宮内庁が管轄しているので、中にははいれないでしょうし、ここから引き返しました。
善峯寺歴代の「青蓮院親王御陵」(宮内庁管轄)は、ここから上がるようです。ただ前途したとおり断念しました。
次に案内にしたがって「青蓮の滝」に向かいます。ここからは下る一方です。
9時7分に「青蓮の滝」に着きました。2021年(令和3年)1月11日(月)に来た時は、凍ってましたね。



下りながら思ったのは、まもなく、この辺りは紅葉で赤く染まるのでしょう。ここの紅葉も見てみたいです。



9時11分に「阿弥陀堂」まで降りて来ました。1673年(寛文13年)の建立。本尊は宝冠阿弥陀如来。常行三昧(阿弥陀仏を讃えて極楽往生を願う勤行)道場にて常行堂ともいう。

いよいよ、ここを降りて行き、観音堂(本堂)に向かいます。ゴールは近いです。
秋明菊の咲く頃に、非公開の「本坊」の門が開けられると聞いたことがあって、ただ今日も閉まってました。




まっすぐ降りても良かったですが、先に見た「経堂」、「遊龍の松」、「多宝塔」の前を通って降りました。


9時18分に「観音堂(本堂)」に着きました。お参りをしたあと、誰も居なかったので「納経所」で御朱印いただきました。
薬師堂のご本尊の御朱印です。桂昌院が江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母となり大出世したことから「出世瑠璃光」と書かれています。
御詠歌は、1698年(元禄11年)、桂昌院が薬師如来に歌を献じた「たらちをの 願いをこめし 寺なれば われも忘れじ」と書かれています。

最後に「観音堂(本堂)」前に、一重の秋明菊が咲いていたので撮りました。
2021年(令和3年)1月11日(月)に来た時は、この「手水舎」の水は、カチカチに凍ってました。

本堂を出て、観音堂(本堂)の右横にある「修行大師像」や「地蔵堂」、「弘法大師堂」を撮りました。

ここを出ていいくので、この休憩所にあるトイレを済ませました。本堂には数名の方が来られてましたね、ただ団体さんでは無さそうです。
こちらは「カリン」の木のようです。沢山実が成ってました。



9時31分に、駐車場に戻ってきて、早々に出て行きました。帰りは、閉店を発表された高島屋 洛西店に寄ってみます。
来年の8月には閉店となるみたいです。そんなに行ってませんが、20数年ぶりに訪れました。
ここで買い物をして、帰りました。国道9号線は空いてましたが、嵐山は、修学旅行生の姿や海外の方が来られてて、観光バスは満杯状態でしたね。
出掛けた先は、境内に約5000株もの秋明菊(しゅうめいぎく)が自生しており、見頃と出ていた西国三十三ヵ所二十番札所 西山 善峯寺です。今年の6月20日(金)に紫陽花を見に来て以来の訪問です。
余談ですが、令和7年5月31日の運行をもって、阪急バス66号系統峯寺行きが廃止となりました。平日は「小塩」からでしたが、今は「灰方」までしか行きません。車かタクシーで行くしかないでしょう。距離的には1時間ぐらでしょうけど、小塩からずっと急な登りです。徒歩はお勧めできないでしね。一度、小塩から登った経験では。
拝観受付所で拝観料500円を納めます。この山門から見ても秋明菊が綺麗に咲いているのが分かりました。
2024年(令和6年)に松くい虫の被害により、全長50㍍ほどの松が15㍍余り切断され、現在は全長37㍍だそうです。標石は1893年(明治26年)鳥尾小弥太中将の書。
1705年(宝永2年)の建立で、桂昌院により寄進されました。「傅大士(ふだいし)(中国南北朝時代の僧)」を奉安し、鉄眼版一切経が納められてい.る。
1885年(明治18年)の建立。合掌姿のお釈迦様は、ここより2㌔離れた釈迦岳(海抜650㍍)に安置されてました。昔から険しい山を登り御利益を得られたといいます。その後、1880年(明治13年)に下山され、1885年(明治18年)にお堂が出来ました。
源算上人は『妙法蓮華経』を一字三礼と6ヶ年無言の行によって写経されました。その地に蓮華寿院を建立されます。この旧跡は現在の薬師堂西側の地にあって、観性法橋、慈鎮和尚が住されて以降、道覚、慈道、尊円、尊道各親王が住まわれたことから「御所屋敷」と呼ばれました。
本廟は、この上に見えています。ここまで頑張って登りましたが、あそこまで行く元気は残ってません。宮内庁が管轄しているので、中にははいれないでしょうし、ここから引き返しました。
御詠歌は、1698年(元禄11年)、桂昌院が薬師如来に歌を献じた「たらちをの 願いをこめし 寺なれば われも忘れじ」と書かれています。
ここで買い物をして、帰りました。国道9号線は空いてましたが、嵐山は、修学旅行生の姿や海外の方が来られてて、観光バスは満杯状態でしたね。
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