京都文化博物館「特別展 世界遺産 縄文(4階)」へ
10月30日(木)の朝も冷え込みました。最低気温は、昨日に引き続いて一桁の8.5℃まで下がりました。そんな寒い朝でしたが、この日は当初から決めていた、京都文化博物館で開催中の「世界遺産 縄文」を見に出掛けました。
四条烏丸でバスを降りて、途中に「頂法寺(六角堂)」に寄りました。ここも外国人観光客多いですね。私はお参りを済ませてら早々に出ました。
市バスに乗って思ったのは、こんな所のバス停に、以前なら外国人観光客がバスを待っていることは絶対になったこと。多分、民泊かゲストハウスなんかがあるのでしょうね、知らんけど😊。通勤時間帯では無かったけど、あんな大きなスーツケースを持ち込まれて・・・。

京都文化博物館の本館は、イベントの準備で入れません。展覧会は別館にあるので、そちらに向かいました。私は10時ちょうどに着きました。
遠目から見て、10数名が並ばれていたようです。ドアが開いたので、入って行かれるのが見えました。
入ると、遠目から見えていたとおり行列が出来てました。受付が終わったのが10時7分頃でしたね、けっこう時間かかりました。入館料は1800円でした。

最初に4階にエレベーターで上がります。この展覧会、一部の作品を除いて写真撮影はOKで、主催者から「写真を撮ってSNSにあげてください」とHPには書いてありました😊。
2021年(令和3年)に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」。この地域には、日本最大級の縄文遺跡である特別史跡・三内丸山遺跡(青森市)や特別史跡・大湯環状列石(秋田県鹿角市)をはじめ、数多くの縄文遺跡があります。これらは日本の歴史と文化の成り立ちを考える上で非常に重要で、貴重な文化遺産です。本展覧会では、世界に誇る縄文文化と、豊かな自然環境のもとで一万年以上の長きにわたって持続した縄文社会について、世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」をはじめとした遺跡から出土した土偶や装飾品を中心にご紹介し、縄文人の豊かな暮らしや精神性を考えます。


「第一章 北の縄文文化一万年~世界遺産 北海道・北東北の縄文遺跡群~」。「1.北の縄文文化のはじまり」から。
「無文土器片(複製)」(重文)(大平山元I遺跡)(青森県外ヶ浜町)。鉢の形をした平底の土器。両面に炭化物が残っていることから煮炊きに用いられたとみられる。
「無文土器片」(大平山元I遺跡)(青森県外ヶ浜町)。鉢の形をした平底の土器。両面に炭化物が残っていることから煮炊きに用いられたとみられる。

「大平山元遺跡」(青森県東津軽郡外ヶ浜町にある旧石器時代終末期から縄文時代草創期の遺跡)。左、「打製石斧」(青森県重宝)(大平山元I遺跡)(青森県外ヶ浜町)。右、「石錐(せきすい)」(青森県重宝)(大平山元I遺跡)(青森県外ヶ浜町)。
右、「削器(さっき)」(青森県重宝)(大平山元I遺跡)(青森県外ヶ浜町)。石刃の測辺を打ち欠いて刃を付けた石器。左、「彫掻器(ちょうそうき)」(青森県重宝)(大平山元I遺跡)(青森県外ヶ浜町)。

「隆起線文系土器」(青森県重宝)(表館(1)遺跡)(青森県六ヶ所村)。土器の表面に、細かい粘土を何段も平行に巡らせて貼り付けている。底は尖るように作られている。
「爪形文土器」(黄檗遺跡)(青森県八戸市)。土器の表面全体に、縄文人の爪やヘラ状の工具を押しつけて装飾している。底は丸く作られている。
「多縄文土器(複製)」(重文)。「縄文」という装飾が使われるのはこの時期の土器から。2種類の縄目を用いて装飾されている。

右、「銛頭(もりがしら)」(長七谷地貝塚)(青森県八戸市)。鹿角を素材に、この地域で最も古い銛の一つ。左、「銛頭(もりがしら)」(七戸町指定文化財)(二ツ森貝塚)(青森県七戸町)。鹿角を素材に、縄で結んで使用された。

「円筒(上層式)土器」(大船遺跡)(北海道函館市)。4つの突起の粘土紐で装飾されている。粘土紐とその周りには縄文を押しつけた装飾がある。
「円筒(上層式)土器」(三内丸山遺跡)(青森県青森市)。4つの突起と幅の広い粘土紐で装飾。粘土紐には縄文を押しつけた装飾がある。

左、「円筒(上層式)土器」(御所野遺跡)(岩手県一戸町)。突起を4つ巡らせ、口縁には粘土紐を貼り付けている。右、「円筒(上層式)土器」(三内丸山遺跡)(青森県青森市)。幅の広い粘土紐を貼り付けている。

「大木式土器(複製)」(重文)(繁V遺跡)(岩手県盛岡市)。
「大木式土器」(御所野遺跡)(岩手県一戸町)。円筒土器とは、器形や装飾に違いが見られる。ヘラ状の工具を用いて渦巻が表現されている。表面全体に粘土紐を貼り付け、唐草状の渦巻文が装飾されている。大きな孔をもつ把手が3つ付く。
「大木式土器」(大木囲貝塚)(宮城県七ヶ浜町)。全体にくびれをもつ形をしており、粘土紐とヘラ状の工具で渦巻なとが表現されている。


こちらには模型が置いてありました。「野中堂環状列石 日時計状組石」(大湯環状列石)(秋田県鹿角市)。北海道・北東北地域では4000年前の前後の時期に作られたもの。

左から、「装飾突起をもつ台付深鉢形土器」(秋田県指定文化財)(大湯環状列石)(秋田県鹿角市)、「燭台形台付土器」(秋田県指定文化財)(大湯環状列石)(秋田県鹿角市)、「壺形土器」(秋田県指定文化財)(伊勢堂岱遺跡)(秋田県秋田市)、「焼成前に彩色された土器」(小牧野遺跡)(青森県青森市)。
右から、「鉢形土器(複製)」(大湯環状列石)(秋田県指定文化財)。花弁が外面と内面に描かれている。左、「鉢形土器」(鷲ノ木遺跡)(北海道森町)。土器の表面全体に縄文が施してある。

写真は「小牧野遺跡」(青森市野沢字小牧野)。左から「円形土製品」(秋田県指定文化財)(大湯環状列石)(秋田県鹿角市)、「円形土製品」(秋田県指定文化財)(伊勢堂岱遺跡)(秋田県秋田市)、「円形土製品」(小牧野遺跡)(青森県青森市)、「円形土製品」(鷲ノ木遺跡)(北海道森町)、「三角形土製品」(秋田県指定文化財)(大湯環状列石)(秋田県鹿角市)、「三角形土製品」(秋田県指定文化財)(伊勢堂岱遺跡)(秋田県秋田市)。

写真は、「鷲ノ木遺跡」(北海道茅部郡森町)。左から、「三角形土製品」(小牧野遺跡)(青森県青森市)、「三角形土製品」(鷲ノ木遺跡)(北海道森町)、「三角形岩板」(小牧野遺跡)(青森県青森市)、「三角形岩板」(鷲ノ木4・鷲ノ木遺跡)(北海道森町)、「三脚石器」(秋田県指定文化財)(大湯環状列石)(秋田県鹿角市)、「三角形岩板」(伊勢堂岱遺跡)(秋田県秋田市)。


やっと私が好きな土偶の登場です😊。「遮光器土偶」(重文)(手代森遺跡)(岩手県盛岡市)。発掘調査で、バラバラの状態で発見された。顔がやや右に傾くように作られている。
「遮光器土偶」(豊岡遺跡)(岩手県磐手町)。全身がやや丸みをおびた土偶。後頭部が強く擦れた跡があるので、動かして使用していたらしいです。
「遮光器土偶(複製)」(重文)(亀ヶ岡遺跡)。1887年(明治20年)に田んぼから出土。胴の部分に唐草模様の装飾がある。
「遮光器土偶」(青森県重宝)(八日市遺跡)(青森県三戸町)。頭部には粘土を波状につけたあとがあって、上から覗くと空洞があるそうです。
「遮光器土偶」(藤株遺跡)(秋田県北秋田市)。両脚が架けている。頭頂部のやや大きな突起、1個の孔で表現された口、二叉になる手が特徴。
「遮光器土偶」(星宮遺跡)(秋田県大仙市)。胴部に唐草文様の装飾が巡る。上半身に赤彩が残っており、全体が赤く塗られいたとおもわれる。

「皿形土器」(藤株遺跡)(秋田県北秋田市)。外面には雲形文とよばれる円弧を組み合わせた複雑な文様を描いてある。
「壺形土器」(槻の木遺跡)(青森県平内町)。羊歯状文と呼ばれる植物のシダに似た文様が、外面のほぼ全体を巡る。
「注口土器」(十腰内遺跡)(青森県弘前市)。注ぎ口の付く土器。羊歯状文と呼ばれる植物のシダに似た文様が、外面のほぼ全体を巡る。
「彩文漆塗り浅鉢形土器」(青森県重宝)(亀ヶ岡遺跡)。土器の両面全体に黒色の漆が塗られ、内面には円弧を組み合わせた文様が赤色の漆により描いてある。
「壺形土器」(亀ヶ岡遺跡)。外面の大部分が丁寧に磨かれている。装飾された突起が付き、底部には小さな脚が4本ある。
「壺形土器」(川原遺跡)(青森県西目屋村)。外面全体に装飾があり、赤色の漆が塗られている。

縄文時代に漆製品があるとは思っても見なかったです。ここから漆製品を見て行きます。全て復元では無いでしょうけど。
左、「漆塗りのくし(複製)」(重文)(是川石器時代遺跡)(青森県八戸市)。ムラサシキブを削りだした棒を8本並べてくし歯としている。くし歯以外に赤色の漆が塗られている。右、「漆塗りの腕輪(複製)」(重文)(是川石器時代遺跡)。トチノキの木を環状に削り出して作られている。黒色の漆の上に、赤色の漆が重ね塗りされている。
「漆塗りの弓(複製)」(重文)(是川石器時代遺跡)。黒漆に赤漆を重ね塗りして、中央に紐を巻き付け装飾している。
「遮光器土偶(複製)」(重文)(恵比須田遺跡)(宮城県大崎市)。壊れたところがほぼ無く「石囲い」から見つかった。特別な扱いをされていたと想像される。

「入れ墨のある土偶」(二月田貝塚)(宮城県七ヶ浜町)。束ねてねじった髪や目・鼻・耳・口が表現されている。口の佐用にある三角形は入れ墨とみられる。
「入れ墨のある土偶」(根岸遺跡)(宮城県大崎市)。顔に小さな孔を列状にあけ、入れ墨を表現している。耳には大きな孔があり、耳飾りとみられる。
「髪結土偶」(重文)(釜淵C遺跡)(山形県真室川町)。束ねた髪を表現。胸や腰、両脚が強調される一方で、両腕や乳房は簡略化されている。
「縄文人の頭蓋骨」(台の下貝塚)(宮城県気仙沼市)。見つかった頭蓋骨から156㌢と推定され、復元されました。現代の日本人と比べて頭の形が前後に長く、彫りの深い顔立ちで、目鼻がはっきりとしている。頭蓋骨も展示されてました。
「虫歯のある縄文人骨」(里浜貝塚)(宮城県東松島市)。熟年の女性。残った歯16本のうちすくなくとも3本に虫歯があり、進行した虫歯も認められる。
「骨折し腕が曲がったまま治った腕」(青島貝塚)(宮城県登米市)。左腕は上腕骨、右腕は橈骨(とうこつ)、尺骨がそれぞれ骨折して、その箇所は曲がったままの状態で治癒したよう。
「くしをさす土偶」(美々4遺跡)(北海道千歳市)。粘土の貼り付けと刺突による小さな点で、乳房や膨らんだお腹、くしを刺した頭部などを表現している。
「くし」(川原平(1)遺跡)(青森県西目屋村)。ノリウツギを用い、くし歯が8本ある。くし歯以外に装飾があり、赤色の漆が塗られている。
「耳飾りを着けた土偶」(重文)(田柄貝塚)(宮城県気仙沼市)。耳に孔をあけ、細長い玉にしたツノガイをはめ込み耳飾り(ピアス)を表現している。
「鹿角製腰飾り」(重文)(里浜貝塚)(宮城県東松島市)。角が分岐する部分を用いて作られた。2個の貫通孔に紐を通してぶら下げたもの。

「ヒスイ玉をもつ首飾り」(川原平(4)遺跡)(青森県西目屋村)。勾玉などさまざまな形の玉がまとまって見つかっており、首飾りのように連ねていたとみられる。
「ヒスイの玉」(川目C遺跡)(岩手県盛岡市)。大規模ムラである川目C遺跡から出土。全体の形状や孔の開け方がさまざま。
「ヒスイの玉」(美々4遺跡)(北海道千歳市)。ヒスイは海を越え北海道まで運ばれた。ここの遺跡から、さまざまな形の玉が多く出土している。
「中空土偶(複製)」(国宝)(著保内野遺跡)(北海道千歳市)。中が空洞であり、頭部の突起と両腕を欠いている。顎は黒く、胴部は赤く塗られた痕がある。

「埋葬された縄文人」(田柄貝塚)(宮城県気仙沼市)。壮年から熟年の男性。関節症が多数みられ、晩年は日常生活に支障をきたしていたとみられる。

「副葬された縄文土器」(東要害貝塚)(宮城県大崎市)。埋葬されたのは30歳代の女性、墓を埋めた土から潰れた状態で出土。多くの部分が残っていることから、副葬品とみられる。
「副葬された首飾り(穿孔ヒト指骨)」(東要害貝塚)(宮城県大崎市)。埋葬された女性とは別の人物(夫?)の指骨に孔をあけ、それを連ねて首飾りとしたもの。

「埋葬されたイヌ」(北小松遺跡)(宮城県大崎市)。縄文人が埋葬したものは、人間だけにとどまらず、最古の家畜であるイヌもその対象だったようです。
「目をアスファルトで表現した土偶」(秋田県指定文化財)(塚ノ下遺跡)(秋田県大館市)。アスファルトは接着剤以外にも用いられました。この土偶はアスファルトを塗って目を表現している。
縄文時代にアスファルトを使用していたと、これを読んで驚きました。当時、日本海側の秋田県や新潟県が産地だったようです。
「アスファルトが付着した大型土器片(パレット)」(御所野遺跡)(岩手県一戸町)。運ばれたアスファルトは、パレットを用いて熱を加えると再び液体となり、接着剤などに使われた。
「アスファルト塊」(御所野遺跡)(岩手県一戸町)。アスファルトは産地の近くで精製され、固形の塊として布や葉などに包まれて各地に運ばれた。

「アスファルトが付着した石器」(北小松遺跡)(宮城県大崎市)。柄に固定したり、括り付けた紐が外れないようにアスファルトが使われ、その痕が石器に残されている。
「アオトラ石製大型磨製石斧(ませいせきふ)」(日戸遺跡)(岩手県盛岡市)。長さ47.1㌢ある長大な石斧。中央には板材を分割して製作した痕(擦切痕)がみられる。

「結髪土偶」(山王囲遺跡)(宮城県栗原市)。中空の頭部に、アーチを描くように粘土を足して髪型を作り、線により髪を束ねたようすを描いてある。
「結髪土偶」(亀ヶ岡遺跡)(青森県つがる市)。粘土を成形して線と刺突で髪型を作ることで、頭の両側でお団子状に結い上げた髪を表現している。
「髪飾り」(宮城県指定文化財)(沼津貝塚)(宮城県石巻市)。鹿角を削り出し、そこに線を刻むなどして、人の顔や胴体、手または脚を表現したとみられる。
「髪飾り」(北小松遺跡)(宮城県大崎市)。鹿角を細長く削りだし、一端には装飾がみられる。装飾されたところには赤漆が塗られている。
「オオカミの意匠のふる髪飾り(複製)」(貝鳥貝塚)(岩手県一戸町)。鹿角をほぼ1本使って、細長く削り出している。先端にはオオカミの頭が表現されている。


これで4階は、全て見て行きました。ここに上げたのは、展示品の一部です。入口は混雑していたので、「北のムラと貝塚」は、見たんですが写真はありません。
私は歴史が好きで、特に戦国時代が好きで100名城を巡っています。古代の歴史も好きで、この展覧会を知ったのは最近のことでした。それで、この日に訪れたわけです。「世界遺産 縄文」の会場は、3階もあります。ここで少し座ってから3階に向かいました。
市バスに乗って思ったのは、こんな所のバス停に、以前なら外国人観光客がバスを待っていることは絶対になったこと。多分、民泊かゲストハウスなんかがあるのでしょうね、知らんけど😊。通勤時間帯では無かったけど、あんな大きなスーツケースを持ち込まれて・・・。
遠目から見て、10数名が並ばれていたようです。ドアが開いたので、入って行かれるのが見えました。
2021年(令和3年)に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」。この地域には、日本最大級の縄文遺跡である特別史跡・三内丸山遺跡(青森市)や特別史跡・大湯環状列石(秋田県鹿角市)をはじめ、数多くの縄文遺跡があります。これらは日本の歴史と文化の成り立ちを考える上で非常に重要で、貴重な文化遺産です。本展覧会では、世界に誇る縄文文化と、豊かな自然環境のもとで一万年以上の長きにわたって持続した縄文社会について、世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」をはじめとした遺跡から出土した土偶や装飾品を中心にご紹介し、縄文人の豊かな暮らしや精神性を考えます。
縄文時代にアスファルトを使用していたと、これを読んで驚きました。当時、日本海側の秋田県や新潟県が産地だったようです。
私は歴史が好きで、特に戦国時代が好きで100名城を巡っています。古代の歴史も好きで、この展覧会を知ったのは最近のことでした。それで、この日に訪れたわけです。「世界遺産 縄文」の会場は、3階もあります。ここで少し座ってから3階に向かいました。
この記事へのコメント
こちらでは泥ねい層から縄文時代の物が発掘されていて、漆塗りがあるのは知っていましたが、天然アスファルトまで使用していたとは@@
新潟産のヒスイが各地から出てきて、こちらでは東(東北)西(九州)の縄文土器が併存することから海上の交易圏が存在したと思っていましたが、東北と北海道を渡海してるというのは思いもしなかったです。
縄文展をネットでみつけて、本物の土偶を見たくて行きました。
東北・北海道が中心でしたが、いろんな縄文時代の貴重な品を見られて、暑いなか行ってよかったし、写真を撮れたのもよかったです。
テレビで2階の展示品を紹介されたので、それを見るのも目的でした。
2階での貴重な文化財の修復の過程を知ることができ見所ありました。