臨済宗妙心派塔頭 養徳院 11月の月例直書き御朱印授与へ
11月1日(土)は、特に用事も無かったので、臨済宗妙心派塔頭 養徳院 11月の月例直書き御朱印授与に行きました。11月入って、特別拝観が増える時期なんですけど、何件かどうしても外せない家の用事が入ってて、まで未訪の冷泉家住宅の特別拝観に行きたかったですが、また来年にします😊。
9時に妙心寺 第一駐車場に車を入れました。
妙心寺境内の石畳みの参道を北に向かって歩いて行きます。
最近、NHK連続テレビ小説「ばけばけ」のロケ地で、妙心寺が使われています。この写真から見る光景が度々出て来て直ぐに分かりました。
北川景子さんが物乞いをしている場所も、妙心寺の境内です。場所は分かっていますが、写真がありません。今度、妙心寺に行ったときに撮ってみます。

脱線しましたが、9時7分に妙心寺塔頭 養徳院の「山門」前に着きました。
この日、駐車場から山門まで学生さんと、ずっと一緒でした。多分、京都先端科学大学附属中学校高等学校の生徒さんでしょう。いつも土曜日に来ても、ほぼ学生さんは居ないのに・・・。





この日も御朱印は、「帯谷庵」でした。入ると、お一人居ましたが、直ぐに出て行かれました。番号札は4番でしたね。
ご本尊は、こちらに安置されているので、待ってる間にお参りさせて貰いました。
見開きです。「勝手なもので あんたがわしを 布袋にした」と書かれました。いつものように養徳院Instagramから。
契此(かいし)という実在した禅僧がモデルとなっているのが布袋さんです。福々しくでっぷりとした巨漢で物乞いをして歩き、頂いたものは大きな袋に詰め込んで、何かを必要とする人がいれば頂いたものの中から分け与えていたそうです。素直な気持ちの持ち主で、人々を満ち足りた心に導く不思議な力を持っていたとも言われています。そのようなことから弥勒菩薩の化身と中国では信仰されているのが布袋さんです。
片面です。「〇△□(まるさんかくしかく)」と書かれました。
仙厓和尚が描いた謎多き「まる さんかく しかく」を書きました。鈴木大拙氏はこれを「〇」は無限、「△」は「すべての形体の初め」、「□」は△を2つ重ねたものであり、「この二重過程は、無限に続き、無数の事象が生じる」と述べ、本作は「仙厓の描いた宇宙」だと言いました。
また中山喜一郎氏は、仙厓は書簡で悟りに達することができていない自分のことを「三角」と呼んでおり、三密を全うした状況を円に見立てて自らその状態を目指すことを述べ、こうした仙厓の哲学が反映されていると言いました。因みに子供たちが見ると「おでん」だそうです。私の考えは「見ようによっては何とでも捉えられる」そんな感じでしょうか。しかし「私はこう思う」というような、闊達な思考の働きを促すことこそ大切ではないでしょうか。もしかすると仙厓さんは、「〇△□」を見た人間が必死に考えている姿を見て微笑んでいる気がします。
書き置きです。「迷己逐物(めいこちくぶつ)」と書いてあります。
迷己(めいこ)とは自分自身の本質や方向性を見失い、迷ってしまうこと。逐物(ちくぶつ)は外的世界にある物質的なもの、人の心を引きつける現象や出来事を追い求めることです。咲いた花を見て喜ぶ心があるのなら、咲かせた根っこの恩も知っている。しかし我々はきれいな花しか目に留まらないことが多いと思いませんか。春、日本各地で菜の花が咲き乱れる畑に多くの人がカメラをもって押しかけます。きれいな花が咲いている時は賑やかですが、畑の緑肥となってしまえばだれも見向きもしません。菜の花の有難さは見て美しいなんてことではなく、その命が肥料となり、転作障害を起こさないという何とも有難い存在なのです。
9時18分に「帯谷庵」を出ました。今日は、私のあと、誰も来られませんでした。


まだ、紅葉も早いので、何処も寄らず駐車場に戻り帰りました。
今日は天気も良く、最高気温は、21.3℃まで上がりました。最近の冷え込みで紅葉は進むでしょう、今日は家に用事があるので、早々に帰路に着きました。
北川景子さんが物乞いをしている場所も、妙心寺の境内です。場所は分かっていますが、写真がありません。今度、妙心寺に行ったときに撮ってみます。
この日、駐車場から山門まで学生さんと、ずっと一緒でした。多分、京都先端科学大学附属中学校高等学校の生徒さんでしょう。いつも土曜日に来ても、ほぼ学生さんは居ないのに・・・。
契此(かいし)という実在した禅僧がモデルとなっているのが布袋さんです。福々しくでっぷりとした巨漢で物乞いをして歩き、頂いたものは大きな袋に詰め込んで、何かを必要とする人がいれば頂いたものの中から分け与えていたそうです。素直な気持ちの持ち主で、人々を満ち足りた心に導く不思議な力を持っていたとも言われています。そのようなことから弥勒菩薩の化身と中国では信仰されているのが布袋さんです。
片面です。「〇△□(まるさんかくしかく)」と書かれました。
仙厓和尚が描いた謎多き「まる さんかく しかく」を書きました。鈴木大拙氏はこれを「〇」は無限、「△」は「すべての形体の初め」、「□」は△を2つ重ねたものであり、「この二重過程は、無限に続き、無数の事象が生じる」と述べ、本作は「仙厓の描いた宇宙」だと言いました。
また中山喜一郎氏は、仙厓は書簡で悟りに達することができていない自分のことを「三角」と呼んでおり、三密を全うした状況を円に見立てて自らその状態を目指すことを述べ、こうした仙厓の哲学が反映されていると言いました。因みに子供たちが見ると「おでん」だそうです。私の考えは「見ようによっては何とでも捉えられる」そんな感じでしょうか。しかし「私はこう思う」というような、闊達な思考の働きを促すことこそ大切ではないでしょうか。もしかすると仙厓さんは、「〇△□」を見た人間が必死に考えている姿を見て微笑んでいる気がします。
迷己(めいこ)とは自分自身の本質や方向性を見失い、迷ってしまうこと。逐物(ちくぶつ)は外的世界にある物質的なもの、人の心を引きつける現象や出来事を追い求めることです。咲いた花を見て喜ぶ心があるのなら、咲かせた根っこの恩も知っている。しかし我々はきれいな花しか目に留まらないことが多いと思いませんか。春、日本各地で菜の花が咲き乱れる畑に多くの人がカメラをもって押しかけます。きれいな花が咲いている時は賑やかですが、畑の緑肥となってしまえばだれも見向きもしません。菜の花の有難さは見て美しいなんてことではなく、その命が肥料となり、転作障害を起こさないという何とも有難い存在なのです。
今日は天気も良く、最高気温は、21.3℃まで上がりました。最近の冷え込みで紅葉は進むでしょう、今日は家に用事があるので、早々に帰路に着きました。
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