紅葉の臨済宗南禅寺派 大本山 南禅寺へ

11月20日(木)は、最低気温が3.8℃と今季最低を記録。寒気は去っていたということを話されてましたが、朝は我が家の周りの田んぼを見ると、薄ら霜が降りてました。

そんな寒い朝に出掛けた先は、臨済宗大本山 南禅寺で、紅葉が目当てです。南禅寺の紅葉は有名で混雑必至で、今まで足が遠のいてました。ただ紅葉以外の最近では、3月10日(月)に、南禅寺の方丈に入っています。

IMG_0570.jpg地下鉄東西線蹴上駅から歩いて南禅寺の境内に8時38分に入りました。噂通り、紅葉が綺麗ですが、ただ人は多いです。

余談ですが、南禅寺で屈しの紅葉の名所は、南禅寺塔頭の天授庵です。その天授庵の前を通ると既に並ばれていました。まだ22分もあるというのに。

IMG_0571.jpg8時40分拝観開始の「三門」(重文)です。高い所が好きな私ですが、今日は登りません。

IMG_0572.jpgIMG_0573.jpg三門から法堂に通じる参道の紅葉が綺麗でした。今年の猛暑に負けずに綺麗に色づいてくれたものです。

IMG_0574.jpg振り返って「三門」(重文)を撮りました。まもなく拝観開始で登られる方もいるでしょう。

三門は、入母屋造り、本瓦葺。高さは約22㍍、正面の柱間は五間、内中央三間が出入口となる、2階二重の豪壮な門。本堂を悟りの境地として、悟りに至る三つの門の象徴である「三解脱門」を意味する。全てが実態を持たないとする「空門」(写真右)、あらゆる執着から離脱する「無想門」(中)、欲望の念を捨て去る「無限門」(左)を一つに統合したもの。

IMG_0575.jpgIMG_0576.jpgIMG_0577.jpgこのとき、8時40分で、通常非公開の「法堂」の特別公開は9時からです。まだ準備中のため、先に「方丈庭園」に向かいます。

IMG_0579.jpg8時41分に拝観受付所がある「庫裏」に行くと、ちょうど入口を開けられている所でした。現在の庫裏は、寛政年間(1789~1801)の再建といわれている。

臨済宗南禅寺派の大本山で、山号は瑞龍山(ずいりゅうざん)、正しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)という。亀山天皇(第90代天皇)が大宮院(亀山天皇の母)の御所として造営した離宮を1291年(正応4年)に、無関普門(むかんふもん)禅師(大明国師)を開山として日本最初の勅願禅寺に改めたものである。1334年(建武元年)には、禅寺の格付け制度である五山の制の下で京都五山の第一となり、更に室町幕府第3代将軍足利義満によって、京都・鎌倉の禅刹「五山」の最上位、別格として「五山之上」に位置づけられ、今も正式名称を「五山之上瑞龍山太平興国南禅禅寺」といいます。隆盛を極めたが、応仁の乱などにより次第に衰退。南禅寺を再建したのが、徳川家康の側近以心崇伝(いしんすうでん)。徳川家の庇護のもと今に繋がる堂宇が再建された。「方丈」(国宝)は「大方丈」(清涼殿)と「小方丈」から成り、内部の障壁画の多くは重要文化財に指定されている。「小方丈」には狩野探幽の筆といわれる「群虎図」(重文)があり「虎の間」と呼ばれている。また、「大方丈」の前庭は小堀遠州の作とされる代表的な枯山水庭園で「虎の子渡し」として有名である。禅宗様式の巨大な三門(重文)は藤堂高虎が寄進したもので、楼上からは京都市街が一望できる。

IMG_0580.jpg拝観料は600円でした。紅葉の時期で、まさか誰も並んでないとは。ここに来たのは紅葉が綺麗だと言われていたから。

IMG_0635.jpg今朝の今季最低気温を記録しただけに、屋根には霜が降りてました。今朝は手袋が欲しかったです🥶。

IMG_0582.jpgIMG_0583.jpgIMG_0584.jpgIMG_0585.jpg方丈庭園」をは、大方丈前に白砂を敷き、東南隅から筑地塀にそって大中小の3石を配し、さらにその前に小さな石を3石を配している。この配しが虎が子を連れて川を渡るように見立ていることから、「虎の児渡し」と呼ばれている。

1951年(昭和26年)に国の名勝に指定。小堀遠州作と伝えられ、江戸時代初期の代表的枯山水庭園。南から西にかけて5本の定規線を配した薄青色の筋塀(築地塀)をめぐらし、東西に細長い地形に作庭されている。石組はこの筋塀に添って配置されており、大きな石組を方丈側から見て左奥に配し、前方と右手には、白砂の広い空間を残しています。大きな石は母虎、小さな石は子虎、そして白砂に描かれた模様は水を表し、母虎が子虎を従えて、川を渡る光景を見立てているそうで、通称「虎の子渡しの庭」と呼ばれている。

IMG_0581.jpgIMG_0636.jpg大方丈」は、向かって右から入口にあたる「柳之間」、「麝香(じゃこう)之間」、障壁画は、麝香猫の親子が対峙している「牡丹麝香猫図」(重文)で、描いたのが狩野永徳。「御昼之間(室中)」、障壁画は狩野永徳の「二十四孝図」(重文)。「花鳥之間(西の間)」、障壁画は狩野永徳。そして庭に面した「狭屋之間」。裏手が西から「鶴之間」、内陣を挟んで、「鳴滝之間」。以上が大方丈です。なお、襖絵は全て複製です。

南禅寺の大方丈は、江戸時代初期、徳川家康の最有力ブレーンのひとりであった、第270世住職の以心崇伝によって再興された。前身は女院御所の建物を下賜されたもの。普通の方丈は六間(6室)型を典型とする禅宗方丈にあって、わきに細長い「狭屋の間」が附属するなど、近世宮廷建築を今に伝える遺構となっている。1953年(昭和28年)国宝に指定された。

IMG_0586.jpg大方丈の西側から次に「小方丈」に入ります。その小方丈前に庭園があって、この石庭は「如心庭」と呼ばれています。

IMG_0587.jpgIMG_0588.jpgIMG_0589.jpgIMG_0590.jpg国宝小方丈」の西側に作られた庭園で、「如心庭(にょしんてい)」といい、その名の如く、心字形に庭石を配置した枯山水の石庭となっています。

庭の配置につては「心を表現せよ」と当時の南禅寺は派管長である柴山全慶(しばやまぜんけい)老師が自ら熱心に指導されたとのこと。

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小方丈の手前から「一之間」、「二之間」、「三之間」とあり、狩野探幽筆と伝わる「群虎図」(重文)40面があり「虎の間」と呼ばれています。雌の虎と、雄の虎が水を飲んでいる絵が有名。雌はヒョウ柄、この時代に虎が日本に居なかったので、ヒョウを虎の雌だと思われていたそうです。

IMG_0591.jpg小方丈」を出て、いよいよ紅葉を見に行きます。この方丈の紅葉は、余り知られてないのか空いています。

IMG_0592.jpgIMG_0593.jpgIMG_0602.jpg小方丈を出ると、苔の綺麗な「六道庭」に出ます。1967年(昭和42年)に作庭されました。六道輪廻の教えを考える庭となっています。

六道輪廻とは、天上道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六つの世界を私たちは生まれ変わり続けるという仏教の世界観をいう。道とは世界のことである。一面の杉苔の中に配石された景色を眺めながら静かに現実を直視すると煩悩に迷い涅槃の境地に達することなく六道を輪廻する我々凡夫の儚さを想う。

IMG_0596.jpgIMG_0598.jpgIMG_0599.jpgIMG_0615.jpgこの紅葉の綺麗な庭は、「華厳庭(けごんてい)」で、庭は「南禅寺垣」に囲まれている。1984年(昭和59年)に造られたものです。

IMG_0604.jpgIMG_0605.jpgIMG_0611.jpg次に見えて来たのが、茶室窮心亭」です。1968年(昭和43年)に開基亀山法皇の650年御遠諱を記念し茶道宗徧流一門の寄進によって建立されました。

修学院離宮の「上の茶屋」にある後水尾天皇(第108代天皇)御命名の茶亭「窮邃軒(きゅうすいてい)」の趣を慕って命名された。

IMG_0606.jpgIMG_0617.jpgIMG_0608.jpg渡り廊下の突き当たりには、見事に紅葉している庭がありました。1984年(昭和59年)に作庭された「龍吟の庭」と「涵龍池」が、そして遠くに1954年(昭和29年)に建てられた茶室「不識庵」が見えます。

不識庵は、1954年(昭和29年)開基亀山法皇の650年遠忌の際、茶道茶道宗徧(そうへん)流有宗匠から寄進されたものである。「不識」とは昔、達磨大師が梁の武帝と対面したとき「私の前にいるのは誰か」と問われ「不識(しらず)」と答えた。自分を説明しようとしても言葉では真の自分を説明しつくすことはできず、自分から離れてします。本当の自分とは何なのか知るためには、心を窮(きわ)めていかなければならない。

IMG_0610.jpgここで、遠い昔、研修と精進料理をいただきました。建物は当時と同じかどうか分かりませんが。

IMG_0613.jpgIMG_0614.jpgIMG_0619.jpgIMG_0621.jpgIMG_0622.jpgIMG_0629.jpg最後に見る庭園は、「還源(げんげん)」です。この庭には「大硯石」がありました。

大硯石の原石は、紅縞と呼ばれる大理石の一種で岐阜県大垣市赤坂町の金生山で採掘されたものである。1906年(明治39年)矢橋亮吉氏が加工し寄贈さたもので、この原石は既に掘り尽くされ現存しない大変貴重なもの。かすかに紅色を帯びた縞模様が見られ、紅縞石と呼ばれている。もともとは三億年も前、ハワイ諸島あたりの海底にあった地層が移動隆起したものといわれ、たくさんのウミユリという生物の化石が含まれていることで有名である。大理石は風雪雨露に弱く、この大硯石もすでにたくさんのヒビ割れが見られる。このような大きな紅縞石の加工されたものは、他には存在いたしません。加工れさてすでに約百年の年月を経ている。当時は未だ電動器具の無い時代ですので、すべて手作りものである。

IMG_0623.jpg大方丈の「鳴滝之間」に入りました。こちらの障壁画は「宮嬪図(きゅうひんず)」で狩野永徳でした。

IMG_0632.jpgIMG_0634.jpg次の予定があるので出口に向かいます。その見えに、こちらの部屋には「寒山像(左)・拾得像(右)」が置いてありました。唐津焼 中野寛林 作。唐津市 龍海寺寄贈。

IMG_0637.jpg南禅寺の正式名称である瑞龍山太平興国南禅禅寺の山号である瑞龍山の「瑞龍」と書かれています。第8代南禅寺管長 嶋田菊僊筆とありました。

IMG_0639.jpg向かいには「龍虎之間」がありました。少しだけ紅葉が見えています。参考までに、ここまでが「書院」です。

IMG_0641.jpgこちらは「茶席」です。3月10日(月)には入りました。この時間では、まだ準備中です。

IMG_0643.jpgIMG_0642.jpg8時56分に方丈を出ました。この時間になると、ようやく数名の方が入って来られました。そして、紅葉が綺麗な庫裏を出たお隣にある「庫裏大玄関」に行きました。

間口2間の広い玄関は、現在は国賓を迎えるなどの公的行事に使用される。1895年(明治28年)り火災からは類焼を免れ、大正時代に入ってから修理・改築が行われた。

方丈から戻ってきて、8時58分に「法堂」に入りました。3月10日(月)でも案内しましたが、入社して2日目に坐禅を社員研修として、ここでやりました。殆ど覚えてませんが。

通常非公開の「法堂内陣特別公開」は、11月16日(日)~11月29日(土)まで、9時~16時、拝観料500円。堂内の撮影は禁止。

IMG_0646.jpgIMG_0647.jpg法堂の裏手の紅葉です。北側の入口で靴を袋に入れ入りました。約半世紀ぶりかも知れません、ここに入るのは。

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法堂内には通常は入れませんが、外から見ることができます。ただ天井の今尾景年画伯畢生の大作と云われる蟠龍図は入らないと見えないです。

法堂の須弥壇には、ご本尊が祀られており、中央には「釈迦如来坐像」、脇侍に向かって右に「文殊菩薩坐像」、左に「普賢菩薩坐像」が安置されています。

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参拝記念に貰ったポストカードです。龍は仏法護持の神将の一つとして地区に禅宗では重んじられてきた。禅宗寺院の法堂の天井にはよく龍が描いてある。

IMG_0735.jpgIMG_0736.jpg南禅寺境内西側の紅葉です。見事なまでに鮮やかに紅葉していたので撮った1枚です。

時計の針は9時を既に回ってました。この日は、南禅寺 天授庵に行く予定にしてました。有名なだけに開門の20分前から並ばれてましたが、私も、そちらに向かいます。

この記事へのコメント

2025年12月29日 00:13
いや~、南禅寺の紅葉、本当に素晴らしい。
今年の春、南禅寺にも訪れて桜を見ましたが、正直、他の名所と比べるとそれ程、桜の景観が際立っているという感じはしませんでした。
それでも、南禅寺の秋の紅葉シーンは別格ですね。
石庭やお堂に彩りを与え、全体の光景を気品ある美しさにしています。
ああ、また行って見たくなりますよ。
壬生里
2025年12月30日 10:27
ミクミティさんへコメントありがとうございます。

南禅寺の紅葉は以前から行こうと思ってて、この日になってしまいました。混雑必至の南禅寺ですが、法堂の特別公開が大きかったです。
社員研修で入って以来のことでした。方丈内の紅葉が綺麗なのは知ってて、それで最初に入ったですが、空いてましたね。次に行った天授庵が、凄く混んでたのと対象でした。綺麗な紅葉を見られて私的には満足でした。