浄土宗西山禅林寺派 総本山 永観堂 禅林寺「寺宝展」へ
南禅寺 天授庵を出て、南禅寺境内を横切り、東天王町に向かう途中に、京都では古くから紅葉の名所として知られる永観堂 禅林寺の前を通りました。事前の紅葉情報では一部見頃と出てましたが、せっかく前を通ったので寄って行くことにしました。
永観堂「総門」に9時31分に着きました。入口から、この紅葉です。混んでても行ってみようと思いましたね。
総門を入ると、個人用の方からテントに行き、拝観料1000円を納めました。そして拝観券を持ったまま「中門」に行きます。そこでチケットに日付印を押されました。
さすがに「もみじの永観堂」です。中門から見ても鮮やかな紅葉が広がっていますし、色も鮮やかです。


先に堂内を見ても良いし、外の紅葉を見て回っても良いんですが、基本通り堂内から見て回ります。
永観堂は、聖楽来迎山(しょうじゅうらいごうざん)と号する浄土宗西山(せいざん)禅林寺派の総本山で、正しくは無量寿院禅林寺とう。中興の祖である永観律師(1033~1111)に因み、広く「永観堂」(通称)と呼ばれている。853年(仁寿3年)空海の弟子真紹(しんじょう)が藤原関雄(ふじわらのせきお)の山荘を譲り受け、尊像を安置、真言宗の道場としたのが始まり。平安時代後期の1082年(永保2年)2月15日未明、念仏を唱えながら本堂を歩く修行をしていた永観の前に、本尊の阿弥陀如来が一緒に加わった。夢ではないかと立ち止まる永観に阿弥陀如来は、後ろを振り返り「永観、遅し」と発したと伝えられ、その姿を仏像にした「阿弥陀如来立像」(重文)は、首を左に向けて微笑みを湛える珍しい逸品で「見返り阿弥陀」として親しまれている。鎌倉時代中期には浄土宗西山派開祖である證空(しょうくう)の弟子、浄音が住持となり、浄土宗一派の本山の基礎を固めた。その後、応仁の乱により堂宇が焼失したものの、1497年(明応6年)に後土御門天皇第(103代天皇)の命により再興され、以後逐次諸堂が再建され、現在の伽藍が整えられた。国宝「絹本着色山越阿弥陀図」をはじめ、「当麻曼荼羅図」(重文)などの寺宝を多数所蔵する。また、「もみじの永観堂」と広く知られ、秋には色鮮やかな紅葉まが見られる。
靴を袋に入れ持ち歩きます。寺宝は撮影禁止のため室内の写真はありません。入ると、右手が「釈迦堂」と左の「古方丈」の間には、紅葉の綺麗な「中庭」があります。
拝観順路にしたがって「古方丈」に入りました。室内は前途したとおり撮影禁止ですが、人が多くて襖絵見るのスルーしました。
手前が「孔雀の間」。襖絵は「牡丹孔雀図」(重要美術品)で原在明筆。つがいの孔雀、牡丹、岩が主要な題材でそれからの組み合わせ以外はほとんど余白です。「次の間」の正面の襖絵は「桐鳳凰菊孔雀図」(桃山時代)で狩野派と思われる。

次に「釈迦堂」に入りました。写真は、中庭を挟んだ「古方丈」です。中庭の紅葉、綺麗です。
釈迦堂は二間で、「虎の間」と「四季の間」です。虎の間には「竹虎図」(桃山時代)で長谷川派の筆によるものと思われる。「四季の間」の西側が「桜菖蒲図」(江戸時代)で、狩野派による筆によるものと思われる。東側が「松鳥図」(桃山時代)で、狩野派による筆だと思われる。

「釈迦堂」の正面に来ました。正面には「勅使門(唐門)」と、その前に「盛砂」が見えます。釈迦堂の、ご本尊は「釈迦如来」、右に「文殊菩薩」、左に「普賢菩薩」の釈迦三尊が安置されています。
現在の釈迦堂は1627年(寛永4年)の建立であるが、室内の襖絵が寛永以前の慶長期であることから、前身となる古方丈があったと推定される。また、勅使門は、唐様式で別名を「唐門」といい、1811年(文化8年)江戸時代の再建。この寺は863年(貞観5年)平安時代に清和天皇(第56代天皇)の勅願によって建立された。昔、天皇の勅使参詣のためこの勅使門が設けられた。今日では当寺住職の遷化(逝去)の時のみ使われる。勅使門前の盛砂は清めの砂で勅使の方がこの門を入られ砂の上を歩いて身を清められた。また、昔は夜の月明かりをこの盛砂にうけて“あかり取り”として利用されたと言います。



釈迦堂の「前庭」です。2022年(令和4年)12月7日(水)に来た時は、既に散りモミジになってました。綺麗な紅葉をやってみられました😊。
釈迦堂の、こちらの部屋も二間あって「松の間」と「仙人の間」。「松の間」北側の襖絵は「松水禽図」(江戸時代)で作者は、漢画系画人か大和絵の伝統を踏まえて描いたものかと推定される。「松の間」南側の襖絵は、「楓撫子図」(桃山時代)で作者は、長谷川派画人の手によるものとか。「仙人の間」北側の襖絵は、「群仙図」(江戸時代)で、「仙人の間」西側の襖絵は「鷺花卉図」(桃山時代)で作者は、長谷川派画人によるものとか。同じく西側の「高士乗舟図」(江戸時代)で、作者は江戸時代初期漢画系画人の手によるものとか。


釈迦堂から、次に「御影堂」に向かいます。冷えた廊下で足元は冷たいなか・・・。
今日は、多分行かない、多宝塔に通じる階段が見えています。紅葉が綺麗で行くかもですが、人が多いので。
この下の通路が、多宝塔に通じています。見たところ多くの方が向かわれてました。
永観堂の最大の建物である「御影堂」に着きました。堂内は撮れないので、正面から紅葉を撮りました。
御影堂内中央の祭壇には、「法然上人像」が、左側の祭壇には「証空像」が、右側の祭壇には「善導像」が、安置されている。



御影堂から、最も高い位置にある「阿弥陀堂」に向かいます。そこには有名な仏像が安置されています。


ここにはエレベーターがありますが乗りません。開山堂に行くつもりにしてましたが、まさかの紅葉の時期は通行止めにされてました。
それならエレベーターに乗れば良かったかなぁ😊。

ようやく「阿弥陀堂」に着きました。こちらにご本尊の「みかえり阿弥陀如来立像」が祀られています。
ご本尊「みかえり阿弥陀」が祀られているお堂で、1607年(慶長12年)に大阪より移築。堂内は極彩色で、格天井には「百花」が描かれているが、両端の長方形の部分だけには、白く塗った「散り蓮華」となっている。木造「阿弥陀如来立像」は重要文化財に指定。像高77㌢、平安時代後期の作。
ここで自分の靴に履き替えて降ります。紅葉時は混雑するので一方通行にされてるようです。まさか、ここで靴を履くのかと思いました。

阿弥陀堂から階段を降りてきました。出口専用で、ここから阿弥陀堂に入ることはできません。それにしても紅葉綺麗です。




次に「御影堂」の見えに出ました。眺望の良い多宝塔は、御影堂の向かって左から上がります。やっぱり今日は登りません。



御影堂から下がって「放生池」に出ました。この池の周りの紅葉が見事なんです。


紅葉の色が真っ赤で見事です。猛暑に負けずに、綺麗に色づいてくれました。





紅葉の時期だけかどうか知りませんが「弁財天」の近くには行けません。

ここから紅葉に包まれた「多宝塔」が見えました。肉眼では多宝塔の周りに人が居るのが見えましたが。
紅葉ばかりなんで、黄色い花の「ツワブキ」が咲いていたので撮りました。



10時1分に出ました。堂内は一方通行でしたし、紅葉の境内は自由に見て回れますが、入口と出口を分けられてて混雑防止のためでしょう。
永観堂の紅葉は、まだデジカメを持ってない頃に来ています。当時の写真はありませんが、混雑していたのを覚えてます。南禅寺の天授庵ライトアップに来た時、ここに寄ったことがあります。入口で2時間待ちと言われ、そのまま帰りました。多分、今年も大混雑するでしょうね。ここから東天王町まで歩き市バスに乗りました。嵐山行きでしたが、車内は凄く混みました。私は嵐山まで行かないので途中で降りましたが、降りられるかなぁと思うぐらい。停留所で乗れない人も居ましたね、京都市民が市バスに乗れない問題、解決して欲しいと前から思ってますが、改善されません。
永観堂は、聖楽来迎山(しょうじゅうらいごうざん)と号する浄土宗西山(せいざん)禅林寺派の総本山で、正しくは無量寿院禅林寺とう。中興の祖である永観律師(1033~1111)に因み、広く「永観堂」(通称)と呼ばれている。853年(仁寿3年)空海の弟子真紹(しんじょう)が藤原関雄(ふじわらのせきお)の山荘を譲り受け、尊像を安置、真言宗の道場としたのが始まり。平安時代後期の1082年(永保2年)2月15日未明、念仏を唱えながら本堂を歩く修行をしていた永観の前に、本尊の阿弥陀如来が一緒に加わった。夢ではないかと立ち止まる永観に阿弥陀如来は、後ろを振り返り「永観、遅し」と発したと伝えられ、その姿を仏像にした「阿弥陀如来立像」(重文)は、首を左に向けて微笑みを湛える珍しい逸品で「見返り阿弥陀」として親しまれている。鎌倉時代中期には浄土宗西山派開祖である證空(しょうくう)の弟子、浄音が住持となり、浄土宗一派の本山の基礎を固めた。その後、応仁の乱により堂宇が焼失したものの、1497年(明応6年)に後土御門天皇第(103代天皇)の命により再興され、以後逐次諸堂が再建され、現在の伽藍が整えられた。国宝「絹本着色山越阿弥陀図」をはじめ、「当麻曼荼羅図」(重文)などの寺宝を多数所蔵する。また、「もみじの永観堂」と広く知られ、秋には色鮮やかな紅葉まが見られる。
手前が「孔雀の間」。襖絵は「牡丹孔雀図」(重要美術品)で原在明筆。つがいの孔雀、牡丹、岩が主要な題材でそれからの組み合わせ以外はほとんど余白です。「次の間」の正面の襖絵は「桐鳳凰菊孔雀図」(桃山時代)で狩野派と思われる。
釈迦堂は二間で、「虎の間」と「四季の間」です。虎の間には「竹虎図」(桃山時代)で長谷川派の筆によるものと思われる。「四季の間」の西側が「桜菖蒲図」(江戸時代)で、狩野派による筆によるものと思われる。東側が「松鳥図」(桃山時代)で、狩野派による筆だと思われる。
現在の釈迦堂は1627年(寛永4年)の建立であるが、室内の襖絵が寛永以前の慶長期であることから、前身となる古方丈があったと推定される。また、勅使門は、唐様式で別名を「唐門」といい、1811年(文化8年)江戸時代の再建。この寺は863年(貞観5年)平安時代に清和天皇(第56代天皇)の勅願によって建立された。昔、天皇の勅使参詣のためこの勅使門が設けられた。今日では当寺住職の遷化(逝去)の時のみ使われる。勅使門前の盛砂は清めの砂で勅使の方がこの門を入られ砂の上を歩いて身を清められた。また、昔は夜の月明かりをこの盛砂にうけて“あかり取り”として利用されたと言います。
釈迦堂の、こちらの部屋も二間あって「松の間」と「仙人の間」。「松の間」北側の襖絵は「松水禽図」(江戸時代)で作者は、漢画系画人か大和絵の伝統を踏まえて描いたものかと推定される。「松の間」南側の襖絵は、「楓撫子図」(桃山時代)で作者は、長谷川派画人の手によるものとか。「仙人の間」北側の襖絵は、「群仙図」(江戸時代)で、「仙人の間」西側の襖絵は「鷺花卉図」(桃山時代)で作者は、長谷川派画人によるものとか。同じく西側の「高士乗舟図」(江戸時代)で、作者は江戸時代初期漢画系画人の手によるものとか。
御影堂内中央の祭壇には、「法然上人像」が、左側の祭壇には「証空像」が、右側の祭壇には「善導像」が、安置されている。
ご本尊「みかえり阿弥陀」が祀られているお堂で、1607年(慶長12年)に大阪より移築。堂内は極彩色で、格天井には「百花」が描かれているが、両端の長方形の部分だけには、白く塗った「散り蓮華」となっている。木造「阿弥陀如来立像」は重要文化財に指定。像高77㌢、平安時代後期の作。
ここで自分の靴に履き替えて降ります。紅葉時は混雑するので一方通行にされてるようです。まさか、ここで靴を履くのかと思いました。
永観堂の紅葉は、まだデジカメを持ってない頃に来ています。当時の写真はありませんが、混雑していたのを覚えてます。南禅寺の天授庵ライトアップに来た時、ここに寄ったことがあります。入口で2時間待ちと言われ、そのまま帰りました。多分、今年も大混雑するでしょうね。ここから東天王町まで歩き市バスに乗りました。嵐山行きでしたが、車内は凄く混みました。私は嵐山まで行かないので途中で降りましたが、降りられるかなぁと思うぐらい。停留所で乗れない人も居ましたね、京都市民が市バスに乗れない問題、解決して欲しいと前から思ってますが、改善されません。
この記事へのコメント
あまり桜の印象が無くて。でも、秋はまさに京都の紅葉随一の貫禄すら感じる経過が見られますね。青空に鮮やかな紅葉が映えて目に染みます。
贅沢な景観ですね。まだそんなに人がいないのがまた贅沢。
良く見せていただきました。またいつか行きたいのですが、天気と人混みをどう折り合いをつけるか、それが問題です。
モミジの永観堂と言われるぐらい、京都では屈指の紅葉の名所。ずっと以前に一度だけ紅葉見たように記憶しています。
噂通り紅葉は綺麗でしたが、凄く混雑してました。
ずっと以前、紅葉のライトアップに行ってみたところ、2時間待ちと言われ、見ずに帰りました。
帰りのバスも凄く混雑していたので、京都の紅葉を見に行くのも疲れます。