関西花の寺第一三番霊場 法金剛院「秋の特別公開」へ
妙心寺塔頭 桂春院を出て、次に11月15日(土)から「秋の特別拝観」が始まっていた関西花の寺第一三番霊場 法金剛院に向かいました。
10時10分に着きました。ここの紅葉も定評があって、昨年は2024年(令和6年)12月3日(火)に来てました。
拝観料は500円でした。入口から見たところ、紅葉は綺麗に色づいてて見頃のようです。

丸太町通り沿いにある「山門」は、特別公開でも開門されません。その前のドウダンツツジの紅葉が鮮やかです。
ここが庭園の入口です。ここは紅葉よりも蓮の花が有名で、見たところ人も少なそうです😊。

天龍寺でも述べましたが、昨日の雨降りでミモジ散ってます。ただ散りモミジも綺麗です。
すっかり忘れてましが、例年この時期には「礼堂」前に嵯峨菊の展示があります。こちらは最後に見てみます。
早朝の天龍寺では快晴でしたが、俄に曇ってきて雨が降りそうな天気となりました。曇り空でも紅葉綺麗です。





今年の7月16日(水)に行った「夏の特別公開」では、蓮の葉で池面は見えませんでしたが、鯉が泳いでいるのが分かります。





ここで「苑池」に突き出た「鶴島」を石橋から渡れるので行ってみます。ただ、その先の木橋は怖いので行きません。

「夏の特別拝観」では、苑池には一面蓮の花が見られます。何も無い苑池は新鮮です。鶴島も見えるしね😊。

苑路に戻り奥に進みます。こちらには、百人一首の「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」の歌碑があります。
待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)の作。父は神祇伯源顕仲。待賢門院に仕えて堀河と呼ばれました。待賢門院の出家に伴い自らも出家されました。
奥へ奥へと進むと、特別名勝「青女(せいじょ)の滝」があって、ここは外せません。いつもながら、ここは空いています。
鳥羽天皇皇后璋子(待賢門院)が極楽浄土を願い作らせた浄土庭園の中にある滝の石組みは、平安時代の遺構が残る貴重な石組みです。

苑池を一周し「礼堂」前まで来ました。ここで嵯峨菊を見てみます。


嵯峨菊の咲かせ方が、大覚寺の方が断然、綺麗です。やっぱり本家には叶わないと思いました。


スリッパに履き替えて、「仏殿」に入りました。ここから先は撮影厳禁です。お賽銭をしお参りさせて貰いました。
本尊「阿弥陀如来坐像」(国宝・平安時代作)は、平等院や法界寺の阿弥陀如来と合わせて、日本三大阿弥陀と言われている。1130年(大治5年)に仏師の院覚によって造られ、高さは5㍍もあり、その大きさから「丈六の阿弥陀如来」とも呼ばれている。座っているの蓮の花を模した「蓮台」、花片の一枚一枚に緻密な彫刻が施してあり、平安時代の貴族が理想とした仏の姿が表現されている。
ご本尊の向かって左手の「十一面観世音菩薩」(重要文化財・鎌倉時代作)は、手が四本で造られているのは、大変珍しいとか。細やかな意匠で造られた装飾部も見応えがあります。また、十一面観世音菩薩が治まっている「厨子」(重要文化財・鎌倉時代作)には、彩色画が綺麗に残っている。厨子の内側の「十二天彩色画」など、今でも鮮やかな色彩で見ることができる。
向かって右手の「僧形(そうぎょう)文殊菩薩」(重要文化財・平安時代作)は、一木彫り。僧形文殊菩薩は、表情が見事なまでに巧みに彫られている。

次に「地蔵堂」に向かいました。地蔵堂内も撮影禁止です。内部には「丈六の地蔵菩薩坐像」(重文・平安時代)が安置されてて、硝子越しにお参りしました。
中央に安置されているのが「金目(かなめ)地蔵菩薩坐像」(重文・平安時代後期)です。こちらも丈六の地蔵菩薩で、白目の所に金箔が貼ってあり、目が金色ということで金目(かなめ)地蔵と呼ばれているし、信者の願いを叶えるということで別名「叶え地蔵」とも呼ばれている。仏教では六道の世界があって平安時代より信仰されてきました。六道とは、天道、地極道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道です。この金目地蔵の回りには、六道それぞれの世界で救済にあたるお地蔵様が安置されている。向かって左に天道で救済にあたる「日光地蔵」、人間道で救済にあたる「除蓋障(じょがいしょう)地蔵」、修羅道で救済にあたる「持地地蔵」を安置。次に向かって右に畜生道で救済にあたる「宝印地蔵」、餓鬼道で救済にあたる「宝珠地蔵」、地獄道で救済にあたる「檀陀(だんだ)地蔵」を安置。



仏殿から戻って来ると、庭園内に人が見えません。あとで分かったことで1組だけ来られてました。皆さん出て行かれたようです。





人が居なくなったので、「苑池」を撮りました。ここから見ると「鶴島」も分かるし、蓮が無い池を見るのも新鮮でした。


何だか雨が降りそうで、ここを出て行くことにしました。帰りも綺麗だったので「ドウダンツツジ」を撮りました。奥に見えているのが「鐘楼」です。


こちらが、コロナ禍前まで常時拝観されていた時は、丸太町通り沿いにある山門を入って、ここから入りました。
コロナ禍が開けて、今では拝観受付所は、ここにあります。次回は桜の開花でしょうね。
10時30分に駐車場に戻りました。帰りの途中、小雨降って来たので早めに出て良かったです。
いつも帰りにスーパーに寄るんですが、今日は真っ直ぐ帰りました。明日、家族の検診があるので、少々気が重いモミジ狩りでした。明後日には結果が分かるので、どうでしょうか?。
待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)の作。父は神祇伯源顕仲。待賢門院に仕えて堀河と呼ばれました。待賢門院の出家に伴い自らも出家されました。
鳥羽天皇皇后璋子(待賢門院)が極楽浄土を願い作らせた浄土庭園の中にある滝の石組みは、平安時代の遺構が残る貴重な石組みです。
本尊「阿弥陀如来坐像」(国宝・平安時代作)は、平等院や法界寺の阿弥陀如来と合わせて、日本三大阿弥陀と言われている。1130年(大治5年)に仏師の院覚によって造られ、高さは5㍍もあり、その大きさから「丈六の阿弥陀如来」とも呼ばれている。座っているの蓮の花を模した「蓮台」、花片の一枚一枚に緻密な彫刻が施してあり、平安時代の貴族が理想とした仏の姿が表現されている。
ご本尊の向かって左手の「十一面観世音菩薩」(重要文化財・鎌倉時代作)は、手が四本で造られているのは、大変珍しいとか。細やかな意匠で造られた装飾部も見応えがあります。また、十一面観世音菩薩が治まっている「厨子」(重要文化財・鎌倉時代作)には、彩色画が綺麗に残っている。厨子の内側の「十二天彩色画」など、今でも鮮やかな色彩で見ることができる。
向かって右手の「僧形(そうぎょう)文殊菩薩」(重要文化財・平安時代作)は、一木彫り。僧形文殊菩薩は、表情が見事なまでに巧みに彫られている。
中央に安置されているのが「金目(かなめ)地蔵菩薩坐像」(重文・平安時代後期)です。こちらも丈六の地蔵菩薩で、白目の所に金箔が貼ってあり、目が金色ということで金目(かなめ)地蔵と呼ばれているし、信者の願いを叶えるということで別名「叶え地蔵」とも呼ばれている。仏教では六道の世界があって平安時代より信仰されてきました。六道とは、天道、地極道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道です。この金目地蔵の回りには、六道それぞれの世界で救済にあたるお地蔵様が安置されている。向かって左に天道で救済にあたる「日光地蔵」、人間道で救済にあたる「除蓋障(じょがいしょう)地蔵」、修羅道で救済にあたる「持地地蔵」を安置。次に向かって右に畜生道で救済にあたる「宝印地蔵」、餓鬼道で救済にあたる「宝珠地蔵」、地獄道で救済にあたる「檀陀(だんだ)地蔵」を安置。
いつも帰りにスーパーに寄るんですが、今日は真っ直ぐ帰りました。明日、家族の検診があるので、少々気が重いモミジ狩りでした。明後日には結果が分かるので、どうでしょうか?。
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