本山修験宗総本山 聖護院門跡「令和7年 秋の特別公開」へ

12月4日(木)は、今季最強寒波が日本列島を覆い、京都市では初雪が降りました。平年より7日、昨年より15日も早かったですし、最低気温は1.7℃まで下がり、震え上がる朝を迎えたわけです。

そして翌日の最低気温も、2.0℃まで下がり、まだまだ寒気は去ってません。この日も寒かったです。この5日(金)は、10月11日から始まった本山修験宗総本山 聖護院門跡令和7年 秋の特別公開」が12月7日(日)までと会期末が迫っていたこともあって、当初からこの日に行く予定にしてました。

聖護院門跡には、2019年(平成31年)4月27日(土)に、「春期京都非公開文化財特別公開」に行って以来です。

IMG_1874.jpgバスに乗って「神宮丸太町バス停」まで行き、9時38分頃に着いて降りました。

IMG_1875.jpgそこから春日北通りを東に向いて歩いて行きます。この通り沿いに京都大学病院があるので、結構歩く人はお多かったです。9時54分に門前に着きました。

IMG_1876.jpg久しぶりに見る「聖護院門跡」の大きな石標を超えて「山門」から入ります。多分、数組の方が待たれていたかと思います。

聖護院門跡は役行者、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)の法脈を継ぐ僧誉(ぞうよ)増正が創立した本山派修験の門跡寺院である。全盛期には2万以上の末寺を有したが明治政府の「神仏分離令・修験道廃止令」で減少し、明治以降一時期天台宗寺門派に帰属させられたが、現在は本来の姿てある本山修験宗の総本山となっている。1090年(寛治4年)白川上皇(第72代天皇)の熊野参詣の折、増誉僧正が先達を務め、賞として寺を賜わり、聖体護持から2字をとり聖護院と名づけた。1788年(天明8年)、内裏大火災に際し、光格天皇(第119代天皇)の仮の皇居として用いられた。このことは聖護院門跡が格式高い寺院であったことを物語っている。その光格天皇がお住まいになれらた一夜御殿、御所より拝領した女院御所など多くの建物を賜った。この辺りは古くより「聖護院の森」と呼ばれる紅葉の美しい森で「錦の林・錦林」と呼ばれていたほど、静かに佇む堂宇に、かつての皇居としての風格が今も息づいている。

IMG_1877.jpg「大玄関」前では、数名が待たれています。拝観時間まで時間があるので先に庭園を見ます。

IMG_1951.jpgIMG_1878.jpgIMG_1880.jpg拝観が始まると、参拝者が行き来するので先に建物の外観を撮っておきます。正面の建物が「宸殿」で、後ほど室内を拝観します。

宸殿には150面に及ぶ狩野益信(かのうますのぶ)・狩野永納(かのうえいのう)の筆と伝わる襖絵が伝わる。明治の修験道廃止令によって廃寺となった末寺の本尊などを祀った所は往時の姿と少し変わったが、光格天皇の仮御所となった上段の間等多くの部屋は当時の様子を残している。

IMG_1881.jpgIMG_1885.jpgこちらも後ほど拝観できる「本堂」です。ここから上がってお賽銭しお参りはできますが、堂内には入れません。

聖護院は宮様の住居としての側面が強く、また創建以来3度に渡る全焼と移転により徐々に規模を縮小した結果、本堂は私的なお参りの場所として境内の奥に建てられた。伽藍は1965年(昭和40年)代に建て替えられた。ただ位地規模は江戸期のままである。

IMG_1886.jpgIMG_1887.jpgIMG_1888.jpgIMG_1889.jpgIMG_1890.jpgそろそろ10時なるので、大玄関に戻る前に鎮守社でしょうか寄りました。右から「宇賀弁財天」、「山王権現」、「稲荷大明神」が祀られています。

IMG_1893.jpgここを出る前に、白砂が綺麗な庭園を撮りました。市松模様でしょうか、綺麗な砂紋です。毎年2月の節分会、6月の高祖会ではそれらの石も活用され、庭の中央で採燈大護摩供が厳修されます。

IMG_1950.jpg9時58分に「大玄関」に行くと、既に開いてましたし、先の人は上がられてました。上がる前に右手の拝観受付所で拝観料800円納めます。

下駄箱に靴を預けますが、番号札が置いてあります。これなら安心して預けられますね。そして上がった先に納経所があったので、御朱印お願いました。ここは、いまどき珍しい300円でした。帰りに受け取ります。スタッフの方より「10時から案内があります」と紹介されましたが、私は個人で見て回ることにしました。

IMG_1894.jpg堂内に入ってみて、やっぱり忘れていることが多いです。なお、お寺の方より「室内は撮影禁止です」と紹介がありました。

まず「大玄関」には三面の襖絵の「老松図」があって、東西の二面は狩野永納(京狩野)の作。北面は狩野益信(江戸狩野)の作。玄関口の松の絵には権力の象徴としての意味があるそうです。

最初に見る部屋は「太公望の間」です。控えの間の一つで、西面には宋代の詩人林和靖(りんなせい)の「愛梅図」。北面には田園詩人陶淵明(とうえんめい)の「愛菊図」。一段高くなった上段の東面には、山中で隠棲生活を送っていた呂尚(後の太公望)が周の文王に見いだされる図が描いてある。

次の「波の間」は狩野永納が、長谷川等伯の著名な屏風絵「波濤図」を模写した波の迫る廊下。

IMG_1896.jpg宸殿の「鶴の間」の前から、正面の庭園を撮りました。先ほど、向こうの塀沿いに歩いていたわけです。

宸殿」の外陣は、30畳敷きの内陣と併せて「鶴の間」と呼ばれている。

宸殿内陣」は、聖護院の宮様が使われた祭礼用の広間。明治の修験道廃止令の折、末寺から託された客仏を祀るために現在の形となった。客仏は鎌倉時代~江戸時代の作とされた不動明王を安置。蔵王権現像役行者坐像三宝荒神像孔雀明王像も安置され、修験の本尊が一同に会した聖護院の中心である。

IMG_1897.jpgこちらが唯一「宸殿」で写真が撮れる部屋です。手前から「三の間」、「二の間」、「上段の間」となっています。

今年の8月16日の「五山の送り火」。地元KBS京都の生中継は、ここから中継されました。俳優の木村多江さんと歴史学者の磯田道史さんが出演されたので、BSでも放送されました。この時から特別公開されたら行ってみようと思いましたね😊。

IMG_1898.jpgIMG_1900.jpg三の間」には、9人の仙人が描かれていることから「九老の間」と呼ばれている。対面者はこの部屋の下手に座し、許されたなら「二の間」手前まで進んだそうです。

IMG_1904.jpgIMG_1905.jpg二の間」は畳の敷き方が特徴的で、中央は通路として南北に、左右は侍者の席として東西に目が向いている。

部屋を彩る狩野益信の「花鳥図」には、南面西側に立つ吐綬鶏(とじゅけい)など珍しい鳥もちらほらと。

IMG_1903.jpg上段の間」は、歴代の宮や、一時は光格天皇の御座所となった対面所(謁見の間)の最上部。

床の間の雄大な滝と松は主の威厳を象徴するもの。筬欄間(おさらんま)に飾られた「研覃(けんたん)」は後水尾天皇の宸筆で、手入れした農具で耕された畑のように、多様な機縁を受け入れる柔軟な心を意味する。

IMG_1917.jpg宸殿を出ると、次に「本堂」に向かいます。

IMG_1918.jpg普段から「本堂」前にはお参りできますが、堂内に入るのは特別公開のみです。さっそく堂内に入ってお参りさせて貰います。

IMG_1924.jpg「不動堂」は、聖護院の「本堂」にあたります。1965年(昭和40年)代初め、旧本堂を模して再建された。

中央に智証大師御作と伝えられる創建当初の「不動明王立像」(重文)を中心に「役行者(神変大菩薩)座像」(左)、「智証大師円珍座像」(重文)(右)、左右に歴代住職・天皇の位牌を祀る。

IMG_1925.jpg次に向かいに見えている「書院」に入ります。

IMG_1927.jpgIMG_1928.jpgIMG_1929.jpgIMG_1930.jpgここでは「法螺貝」を吹けるようで体験コーナーがありました。消毒液も置いてありましたが吹きませんでした。

IMG_1932.jpgIMG_1907.jpgここから「書院」に入ります。先の案内のとおり、室内は撮影禁止とありました。

書院は重要文化財に指定。内部は床・棚・付書院の八畳を主室とし、十二畳の次の間・背面の間(八畳・六畳・四畳)・玄関などからなっている。延宝年間(1673~1681)の再建時、京都御所より後水尾天皇の後宮、櫛笥隆子(くしげ たかこ)の御殿を賜って移築したものといわれ、桂離宮の建物と似た表情を持つ。襖絵は狩野派の絵師、袋戸棚の絵は呉春・景文の筆と伝わる。

IMG_1909.jpg黄檗宗の寺院で良くみかける開梆のようですね、叩かれて真ん中が凹んでいます。

IMG_1910.jpgIMG_1911.jpg入口から向かいにある「本堂(不動堂)」を撮りました。入って左手に入り書院内に入ります。

IMG_1936.jpg書院内から外の庭を撮りました。この書院は、全然記憶に無かったです。

1676年(延宝4年)に伽藍を整備した際に御所から移築され、書院に入ると雅な雰囲気があります。手前が「梅の間」、奥に「奥の間」があって、それぞれ金壁画で飾られています。もとは後水尾天皇が側室の櫛笥隆子(くしげのたかこ)のために建てた女院御殿で重要文化財に指定。「梅の間」には床、棚付が、「奥の間」には床と棚、附書院がありました。また、「奥の間」にある花頭窓には、当時は高級だった輸入ガラスがはめ込まれたいたようです。ただ割れてしまい、現在は明治期のものだそうです。この華やかな書院を撮れないは残念ですが仕方ないですね。

IMG_1938.jpgIMG_1944.jpg駅から、ずっと歩いて来たので、ここで休憩しました。特にビデオは頭に入ってません😊。

IMG_1945.jpgIMG_1946.jpgIMG_1947.jpgIMG_1943.jpg出口に向かう「中庭」に、聖護院オリジナルの「山伏たぬき」が置いてありました。これ販売されてて、11000円から4180円で予約販売されてました。

IMG_1949.jpgここから「大玄関」に戻りました。預けていた荷物を受け取り、朱印帳も受け取りました。

EPSON007.jpg右がご本尊の御朱印。左が「神変大菩薩」の御朱印で、2つの御朱印をいただきました。ここでは朱印帳に直書きして貰えます。

聖護院の本尊は、「不動明王」(重文)です。その本体を表す梵字(カーン)が書かれています。「神変大菩薩」の号は、役門正統である本山派修験の総本山聖護院に対して、光格天皇が1799年(寛政11年)に下賜された諡号勅書に由来します。

10時20分に聖護院を出ました。この日は、次に金戒光明寺に行くつもりで、少し東に向いて歩き始めたですが、止めました。10分ぐらで歩けたと思いますが、何だか膝の調子が悪く、元来た道を戻ることに。

IMG_1952.jpgIMG_1953.jpgIMG_1954.jpg帰りに寄った「聖護院八ッ橋 総本店」です。いつもは向かいの本家西尾八ッ橋 本店に行ってましたが、今日はこちらにして何点か買って帰りました。

ここから京阪神宮前駅から京阪電車に乗って、祇園四条駅まで乗り、阪急河原町駅まで歩きます。そして烏丸駅まで乗り、四条烏丸からバスに乗って帰りました。

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