夏の千灯供養で知られる奥嵯峨 化野念仏寺へ
1217日(水)は、昨年の2024年(令和6年)12月25日(水)以来の化野念仏寺に行ってみました。
12月9日(火)、京都府立植物園に名残の紅葉を見に行ってから、家の用事が細々あって、15日(月)に出かける予定が雨降りで断念。この日は、午後から雨降りを予報していたので、天気の良い午前中に出かけることにしました。
愛宕街道から清凉寺(嵯峨釈迦堂)に入ってみると、紅葉も散ったので普段の様子に戻りました。仁王門前から見ると、五山の送り火の「鳥居形」、奥に「愛宕山」の山頂が見えています。

愛宕街道をグングン登って行きます・・・と言っても緩やかですが😊。今は晴れてますが、天気予報では午後から雨降りと出てました。降水確率も70%と高かったです。

8時59分に拝観受付所前の石段下に着きました。
余談ですが、この愛宕念仏寺のずっと奥の清滝トンネル手前に、愛宕念仏寺があって何がバズったのか、ここ最近は外国人観光客に大人気なんです。バズる前には定休日は無かったのに、水曜日と最近では土曜日も定休日とされました。この日は水曜日で、ここから先にある愛宕念仏寺には外国人観光客の皆さんも行かれません。それで、化野念仏寺が空いているか、逆に化野念仏寺が休みのため混むのか分からずに来てみましたが・・・?。


「表門」前に9時00分に着きました。開門されてて、何組か先に外国人観光客が入って行かれるのが見えました。
拝観料の500円を自販機で購入し、拝観受付所に出すと由緒書きが貰えます。
化野念仏寺は、華西山東漸院(かさいざんとうぜんいん)と号する浄土宗の寺で、境内はに付近から出土した多数の石塔や石仏が建ち並んでいる。化野は古来より鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)とともに葬地として知られ、「誰とても とまるべきかは あだし野の 草の葉ごとに すがる白露」という西行の和歌にもあるように「化野の露」は、人生の無常の象徴として和歌などで広く使われている。寺伝によれば弘仁年間(810~824)に、弘法大師空海がこの地に葬られた人々を追善するため、小倉山寄りを金剛界、曼荼羅山寄りを胎蔵界と見立てて千体の石仏を埋め、中間を流れる曼荼羅川の河原に五智如来(ごちにょらい)の石仏を立て、一宇を建立して五智山如来寺と称したのが始まりといわれている。当初は真言宗であったが鎌倉時代の初期に法然の常念仏道場となり浄土宗に改められ、名も念仏寺と呼ばれるようになった。1712年(正徳2年)に黒田如水の外孫の寂道が再建したといわれている本堂には、本尊の阿弥陀如来坐像を安置されている、境内には西院(さい)の河原を現出した多数の石塔石仏が立ち並ぶ。なお、毎年8月最終の土曜・日曜日の両日には、これらの石塔石仏に灯を供える「千灯供養」が行われ、八千体にも及ぶ無縁の石仏等に灯りが供えられて、多くの参詣者で賑わう。


拝観料を納め境内に入ると、2024年(令和6年)12月25日(水)で撮り忘れていた地蔵さんを見に行きます。
こちらが由緒書きにも記載のある「吐夢(とむ)地蔵菩薩像」です。何度も来ていたのに、いつも素通りでした。
このお地蔵さんは、日本が誇る映画監督である内田吐夢(1898~1970)が、自宅の庭に安置していたものを死後、映画人の手により化野念仏寺へと移されたようです。
その裏には石碑があって、「念仏寺 都忘れの 淡さかな」(三魚)と書いてありました。由緒は分かりません。

こちらは「虫塚」と読み取れます。ただ由緒は分かりません。
この虫塚から入口の表門の方を撮りました。先に入られた外国人観光客は足早に先に行かれたようで、後続の方は来てません。




冬に入っても苔は綺麗です。その苔庭にも石仏が置いてあります。それを見ながら私は竹林に向かいます。

今日は、仏舎利塔に寄らず参拝順路を進みます。正面に見えているのが本堂です。ここの手前には「お迎え地蔵」が祀られていました。
正面に「本堂」がありますが、先に竹林に向かいます。ここに来られている大半の外国人観光客の目的は竹林でしょう。


竹林の手前には「水子地蔵」がありますが撮影禁止です。9時4分に着きましたが、既に海外の方が来られてました。




ここも「竹林の小径」と呼ばれてて、外国人観光客に人気があります。この写真は海外の方を写さないようにしただけです。数組の方が来られてました。
竹林を抜けると、そこには「六面六体地蔵」があります。地獄・飢餓・畜生・修羅・人道・天道の6つの世界を六道といい、写真は「大清浄地蔵」(人道)(左)、「大堅固地蔵」(天道)(右)です。
こちらは「清浄無垢地蔵」(修羅)です。
「大徳清浄地蔵」(餓鬼)。
最後は「大定智悲地蔵」(地獄)(左)、「大光明地蔵」(畜生)(右)でした。
早々に竹林を降りて、「角倉素庵(すみのくらそあん)の墓」を探してみます。何度来ても分からない・・・。

降りて行く右手に、竹林の中の階段を見つけました。そして、その先にあるのが「角倉素庵の墓」かもしれません。
角倉素庵は、角倉了以の長男で、土木事業家や貿易商。高瀬川の開運や朱印船貿易に父親とともに大事業に携わりました。角倉家の菩提寺である二尊院ではなく、この地に墓があるのは、不治の病を煩ったため自ら葬送地である化野を選んだとされています。



竹林から降りてきて、水子地蔵の前に石碑があるのを見つけました。「秋思深し 菩薩になれぬ仏たち」(一会)と書いてありました。由緒は不明です。
前途したとおり帰りに「本堂」に寄りお参りしました。堂内の中央にご本尊「阿弥陀如来像」(鎌倉時代、湛慶作)が、その左右には「法然上人像」と「善導大師像」が祀られています。また、左の脇壇には「十一面観音像」、右の脇壇には「阿弥陀如来像」が祀られています。

本堂の前には「センリョウ(千両)」の、赤と黄色の実がなってました。


次に「地蔵堂」に行きますが。可愛い八相縁起地蔵がありました。


「地蔵堂」の正面に行き、お参りしました。この地蔵堂には藤原孚石画家の「地獄極楽絵図」が描かれています。
こちらが「寺務所」で、御朱印や御守りをいただけます。以前に御朱印貰っているので、今日は寄りません。
寺務所の横には石碑があったんですが、さすがに掠れて読み切れません。

「西院(さい)の河原」の入口には、名残の紅葉が残ってました。この時期に紅葉が見られるなんて😊。
ここから先は撮影禁止と書いてあったですが、ありません。外国人観光客が増えたからでしょうか。その入口にある「茶沸かしの鐘」です。毎朝11時30分に鳴らしていて、周辺の地に時間を知らせると書いてありました。


関西テレビ(フジテレビ)「赤い霊柩車シリーズ」のオープニングシーンは、ここで撮影されました。ただ久しく放送はありませんね。


次にトイレに行ったですが、その前に面白い狸がありました。野球、バスケット、相撲、テニス、サッカー、ゴルフ等など。面白いですね、ドジャースのユニホーム着ています。

次に出口へ向かうことにしました。「天満宮」は社殿を何か分かりませんが修復工事中でした。




9時31分に「表門」から出ました。入れ違いで数組の方が入って来られましたね、愛宕念仏寺休みなんですけど。


表門を出て左手にも、狸の置物がありました。奥の石碑には「白露の うつくしかりし 仏たち」(比古)と書いてあるようです。

表門を下って直ぐに、「二尊仏」があって、こちらは由緒書きにありました。帰りに忘れずに寄ったわけです😊。




帰りも愛宕街道を下ります。帰りは下るので楽ですね、それでも多くの外国人観光客が登って来られました。
この日は、最高気温が12.1℃までしか上がりませんでした。ここ最近は平年並みの気温が続いてて、結構寒いです。寒いなか出てきたので、今日は、あと一箇所寄って行きます。
12月9日(火)、京都府立植物園に名残の紅葉を見に行ってから、家の用事が細々あって、15日(月)に出かける予定が雨降りで断念。この日は、午後から雨降りを予報していたので、天気の良い午前中に出かけることにしました。
余談ですが、この愛宕念仏寺のずっと奥の清滝トンネル手前に、愛宕念仏寺があって何がバズったのか、ここ最近は外国人観光客に大人気なんです。バズる前には定休日は無かったのに、水曜日と最近では土曜日も定休日とされました。この日は水曜日で、ここから先にある愛宕念仏寺には外国人観光客の皆さんも行かれません。それで、化野念仏寺が空いているか、逆に化野念仏寺が休みのため混むのか分からずに来てみましたが・・・?。
拝観料の500円を自販機で購入し、拝観受付所に出すと由緒書きが貰えます。
化野念仏寺は、華西山東漸院(かさいざんとうぜんいん)と号する浄土宗の寺で、境内はに付近から出土した多数の石塔や石仏が建ち並んでいる。化野は古来より鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)とともに葬地として知られ、「誰とても とまるべきかは あだし野の 草の葉ごとに すがる白露」という西行の和歌にもあるように「化野の露」は、人生の無常の象徴として和歌などで広く使われている。寺伝によれば弘仁年間(810~824)に、弘法大師空海がこの地に葬られた人々を追善するため、小倉山寄りを金剛界、曼荼羅山寄りを胎蔵界と見立てて千体の石仏を埋め、中間を流れる曼荼羅川の河原に五智如来(ごちにょらい)の石仏を立て、一宇を建立して五智山如来寺と称したのが始まりといわれている。当初は真言宗であったが鎌倉時代の初期に法然の常念仏道場となり浄土宗に改められ、名も念仏寺と呼ばれるようになった。1712年(正徳2年)に黒田如水の外孫の寂道が再建したといわれている本堂には、本尊の阿弥陀如来坐像を安置されている、境内には西院(さい)の河原を現出した多数の石塔石仏が立ち並ぶ。なお、毎年8月最終の土曜・日曜日の両日には、これらの石塔石仏に灯を供える「千灯供養」が行われ、八千体にも及ぶ無縁の石仏等に灯りが供えられて、多くの参詣者で賑わう。
このお地蔵さんは、日本が誇る映画監督である内田吐夢(1898~1970)が、自宅の庭に安置していたものを死後、映画人の手により化野念仏寺へと移されたようです。
角倉素庵は、角倉了以の長男で、土木事業家や貿易商。高瀬川の開運や朱印船貿易に父親とともに大事業に携わりました。角倉家の菩提寺である二尊院ではなく、この地に墓があるのは、不治の病を煩ったため自ら葬送地である化野を選んだとされています。
この日は、最高気温が12.1℃までしか上がりませんでした。ここ最近は平年並みの気温が続いてて、結構寒いです。寒いなか出てきたので、今日は、あと一箇所寄って行きます。
この記事へのコメント
こんなに苔の綺麗なお寺でしたか。紅葉が終わり落ち着いた境内、苔の緑がひときわ美しく感じます。天気も良かったですね。
竹林の小径も風情があります。こんな景観は外国人の心を打つのでしょう。
何といっても圧巻なのは、西院の河原の石仏群。
これを静かにじっくりと味わえるのがいいですね。
現在、海外の方に大人気なのが愛宕念仏寺。寺では珍しいお休みの日があって、この日は、お休みでしたが、それでも手前にある化野念仏寺には多くの海外からの観光客が来られてました。
以前、2時間ドラマの赤い霊柩車シリーズのオープニングで使われていましたね。
余談ですが、愛宕念仏寺は、以前は六波羅蜜寺の近くにあって、こちらに移転されてきました。愛宕山の麓ですが、愛宕(おたぎ)の文字は愛宕山とは関係ないかも知れません。