第60回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開「華光寺」へ
福勝寺を10時18分に出て、次に向かったのが、第60回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開の華光寺(けこうじ)で、福勝寺から西に歩いて直ぐの所にありました。参考までに、華光寺の向かいが光清寺です。
10時19分に「山門」前に着きました。向かいの光清寺にも多くの方が入っていかれました。
この山門、一般寺院では珍しい伏見城から移築されたと伝わる六足門だそうです。知ってたら、じっくり見たのになぁ😊。
華光寺には初めて来ましたと言うより名前すら知らなかったです。ここは当初から来る予定にしてました。
表門を入ると右手に臨時の拝観受付所がありました。ここで拝観料800円を納めます。そしてスタンプラリーの印も押してもらい3個貯まりました。
高台寺、福勝寺、華光寺の三箇寺で貯めました。近々何処か行きたいと思います。

受付を済ませると、「本堂」に上がるように案内されます。受付で写真撮影は聞きました。堂内はNGとのことです。
蓮金山と号する寺院で、「出水の毘沙門さま」の通称で古くから京都の人々に親しまれてきた日蓮宗の寺院でる。1583年(天正11年)、豊臣秀吉の外護を受け、大本山 妙顕寺第十二世顕彰院日堯上人(けんしょういんにちようしょうにん)の隠居所として寺町今出川の地に創建されたことに始まり、1663年(寛文3年)に現在の出水の地へ移転された。開山以来、武家の菩提寺として栄え、四ヶ院の塔頭が甍を並べ、京都21ヶ本山の一つに準ずる程であった。本堂の堂内に祀られている毘沙門天像は平安後期の作とされ、豊臣秀吉が伏見城で信仰していた像を寄進したと伝えられる。古くから宗教宗派問わず、開運勝利・財運招福の御利益で信仰を集めてきた。山門は創建当初、伏見城から移築されたと言われる。かつて秀吉が植えた松は、晴天でも枝から雫を落とし、その様子が時雨のように見えたことから、「時雨松」と呼ばれ、同じく秀吉お手植えの「五色椿」とともに「出水の七不思議」の一つに数えられた。現在は、ともに枯れており「時雨松」の古株が保管されるのみである。境内の梵鐘は鎌倉後期の作で、京都府文化財に指定されている。池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」の主人公「鬼の平蔵」こと長谷川平蔵宣以の父である長谷川平蔵宣雄の葬儀を執り行ったとされ、葬儀記録が保存されている。幕末の絵師宇喜多一蕙や山稜研究科平塚飄斎、加藤清正の累代子孫一族の墓碑がある。
堂内に入ると、前の回が終わったばっかりで、直ぐに案内が始まりました。本堂内陣の正面は、日蓮宗寺院に見られる「一塔両尊四士」形式となってます。中央に日蓮上人像。その後ろの塔が日蓮宗の本尊にあたる「十回曼荼羅」。その向かって左に釈迦如来、右側が多宝如来を安置。それを囲むように金色の菩薩を安置し、またそれを囲むように四天王が配置されてました。そして両側に不動明王と愛染明王を配置。それはすべて「十回曼荼羅」を具体化したものだそうです。
次に本堂と隣接する毘沙門堂に移動です。そこで毘沙門天像の案内がありました。写真が撮れないのでチケットから。
平安時代後期、鞍馬寺の毘沙門天像と同じ木で作られたと伝わり、甲冑をまとい三叉戟(さんさげき)を手にした像は高さ160㌢の木像で、豊臣秀吉が伏見城で信仰していたものと伝わります。
毘沙門天像の横には、鬼子母神像や、華光寺ゆかりの豊臣秀吉像も安置されていました。話が終わると、書院へ行くように案内されます。ただ、私は内陣や毘沙門天像を見たいので遅れて書院へ。もう少しゆっくり見せてほしいものです。


唯一、写真撮影が許されたのが「時雨松(しぐれまつ)」の古株です。
豊臣秀吉お手植えの松で、聖典でも枝が雫を落とし、その様子が時雨れているように見えたことから、「時雨松」と呼ばれ、「出水の七不思議」の一つに数えられた。境内にある松は時雨松の二代目だそうです。
書院では、寺宝の「日蓮上人御真筆断簡」や京都ゆかりの狩野派の掛け軸、日蓮聖人の直筆の手紙などが展示されていたので、ゆっく拝観しあと納経所へ。
今日は朱印帳は持参してなかったけど、聞くと書き置きのみでした。こちらは毘沙門堂の本尊で、豊臣秀吉ゆかりの毘沙門天を。
華光寺は日蓮宗のため、お題目をいただきました。

書院内は人が多かったです。お題目をいただいたので、書院を出て本堂から下に降ります。



10時40分に「山門」から出ました。山門の西側には、京都府指定文化財の鐘楼があったんですがスルーしてしまいました。
ここから車を停めている「七本松一番町パーキング」に戻る前、向かいのローソンで買い物を済ませてから精算すると9時40分~10時54分、400円で済みました。今日は、ここだけで帰りました。

詳細は、今は言えませんが、2月21日(土)に、この近辺に行ったので華光寺によって、「鐘楼」(京都府指定文化財)を撮りました😊。
この山門、一般寺院では珍しい伏見城から移築されたと伝わる六足門だそうです。知ってたら、じっくり見たのになぁ😊。
高台寺、福勝寺、華光寺の三箇寺で貯めました。近々何処か行きたいと思います。
蓮金山と号する寺院で、「出水の毘沙門さま」の通称で古くから京都の人々に親しまれてきた日蓮宗の寺院でる。1583年(天正11年)、豊臣秀吉の外護を受け、大本山 妙顕寺第十二世顕彰院日堯上人(けんしょういんにちようしょうにん)の隠居所として寺町今出川の地に創建されたことに始まり、1663年(寛文3年)に現在の出水の地へ移転された。開山以来、武家の菩提寺として栄え、四ヶ院の塔頭が甍を並べ、京都21ヶ本山の一つに準ずる程であった。本堂の堂内に祀られている毘沙門天像は平安後期の作とされ、豊臣秀吉が伏見城で信仰していた像を寄進したと伝えられる。古くから宗教宗派問わず、開運勝利・財運招福の御利益で信仰を集めてきた。山門は創建当初、伏見城から移築されたと言われる。かつて秀吉が植えた松は、晴天でも枝から雫を落とし、その様子が時雨のように見えたことから、「時雨松」と呼ばれ、同じく秀吉お手植えの「五色椿」とともに「出水の七不思議」の一つに数えられた。現在は、ともに枯れており「時雨松」の古株が保管されるのみである。境内の梵鐘は鎌倉後期の作で、京都府文化財に指定されている。池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」の主人公「鬼の平蔵」こと長谷川平蔵宣以の父である長谷川平蔵宣雄の葬儀を執り行ったとされ、葬儀記録が保存されている。幕末の絵師宇喜多一蕙や山稜研究科平塚飄斎、加藤清正の累代子孫一族の墓碑がある。
堂内に入ると、前の回が終わったばっかりで、直ぐに案内が始まりました。本堂内陣の正面は、日蓮宗寺院に見られる「一塔両尊四士」形式となってます。中央に日蓮上人像。その後ろの塔が日蓮宗の本尊にあたる「十回曼荼羅」。その向かって左に釈迦如来、右側が多宝如来を安置。それを囲むように金色の菩薩を安置し、またそれを囲むように四天王が配置されてました。そして両側に不動明王と愛染明王を配置。それはすべて「十回曼荼羅」を具体化したものだそうです。
次に本堂と隣接する毘沙門堂に移動です。そこで毘沙門天像の案内がありました。写真が撮れないのでチケットから。
平安時代後期、鞍馬寺の毘沙門天像と同じ木で作られたと伝わり、甲冑をまとい三叉戟(さんさげき)を手にした像は高さ160㌢の木像で、豊臣秀吉が伏見城で信仰していたものと伝わります。
毘沙門天像の横には、鬼子母神像や、華光寺ゆかりの豊臣秀吉像も安置されていました。話が終わると、書院へ行くように案内されます。ただ、私は内陣や毘沙門天像を見たいので遅れて書院へ。もう少しゆっくり見せてほしいものです。
豊臣秀吉お手植えの松で、聖典でも枝が雫を落とし、その様子が時雨れているように見えたことから、「時雨松」と呼ばれ、「出水の七不思議」の一つに数えられた。境内にある松は時雨松の二代目だそうです。
書院では、寺宝の「日蓮上人御真筆断簡」や京都ゆかりの狩野派の掛け軸、日蓮聖人の直筆の手紙などが展示されていたので、ゆっく拝観しあと納経所へ。
華光寺は日蓮宗のため、お題目をいただきました。
ここから車を停めている「七本松一番町パーキング」に戻る前、向かいのローソンで買い物を済ませてから精算すると9時40分~10時54分、400円で済みました。今日は、ここだけで帰りました。
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