有楽椿が見頃の臨済宗 天龍寺派 等持院へ
3月11日(水)の前日、NHK京都「京いちにち」のコーナーで、「今が見頃、落ち椿名所めぐり」と題して、妙蓮寺、等持院、城南宮を紹介されました。等持院の有楽椿は何度か見に来てますが、2024年(令和6年)3月27日(水)以来来てません。それで、当初は別の所に行くつもりにしてましたが、2025年(令和7年)7月23日(水)以来の等持院に行くことにしました。
3月7日(土)の雨降りのあと寒の戻りとなり、このの最低気温は0.8℃まで下がりました。真冬並の寒さのなか、車で家を出て、8時52分に等持院の駐車場に着きました。

まだ門は閉まっているので、車を止めあと「マキノ省三像」を撮りに戻りました。1912年(明治45年)に「等持院撮影所」が誕生し、1932年(昭和7年)に閉鎖されましたが、映画の歴史は現在京都にある二つの撮影所に受け継がれています。




普段は、この「鐘楼」はスルーですが、時間があるので上がって釣り鐘を撮ってみました。
この鐘楼から降りると、下に野良猫が居たので撮りました。ただ直ぐに逃げてしまい探したですが、何処に行ったのか分かりませんでした。

そしたら、「表門」が開く音がしたので、慌てて戻り入りました。このとき8時59分でした。
拝観料600円を納めました。いつもは茶席も申し込みをしますが、まだ食事制限があるので断念。今日は拝観だけにします。

いつもの通り?拝観ルートとは逆の、先に庭園を巡ります😊。


先に「芙蓉池」越しの茶室「清漣亭(せいれんてい)」を撮りました。今日は天気が良いので綺麗に撮れています。




今日は「有楽椿(ウラクツバキ)」を見に来たので、先ずは茶室「清漣亭(せいれんてい)」まで登りました。

茶室横にある「司馬温公形手水鉢(しばおんこうがたちょずばち)」は忘れずに撮っておきました。
昔の中国(北宋)の政治家である、司馬温公(しばおんこう)が、子供の時に水甕にはまって溺れかけた友達を石で高価な甕を割って助けた故事にちなんで名付けられました。
何度か来ていますが、この清漣亭の内部には入れません。ただいつも室内は開いています。


茶室「清漣亭」から降りる前に、こちらの灯籠を撮りました。「等持院型石灯籠」といい、竿は四角形、中台は六角形で、火袋に日月文様が穿ってあります。


茶室には寄りましたが、ようやく「有楽椿(ウラクツバキ)」まで来ました。結構椿の花が落ちています。




木にも多くの花を付けているので、まだまだ見頃は続きそうだと思います。知らなかったけど、室町時代の頃に中国から輸入されたツバキ属の原種と、日本のヤブツバキとの間にできた珍しいツバキのようです。
「有楽椿(ウラクツバキ)」は、織田信長の実弟である織田有楽斎が茶花として愛用したのでこの名がついたといわれています。安土桃山時代から江戸時代にかけて、将軍家・公家・大名など上流階級の間で重宝されていました。
こんな小さな木にも、綺麗に「有楽椿(ウラクツバキ)」の咲をさかせています。
このあと「心地池」を巡ります。
この桜の老木、今年も花を咲かせるのでしょうか。




心地池を巡っていると、途中で椿か山茶花の花が咲いていました。時期的に見たら椿かなぁ。



この心地池にも鯉が泳いでましたね、錦鯉でしょうか。


「心字池」の畔を歩きながら、池に突き出た「蓬莱島」まで来ました。いつものように入ってみます。


ここにはかつて「妙音閣」がありましたが、1950年(昭和25年)にジェーン台風により倒壊し、今は礎石しか残っていません。



「蓬莱島」も、あっさり見て出て行きます。見たところ、まだ誰も来られてないようです。


苑路に戻り、直ぐの右手には、足利家15代供養塔の「十三重塔」と、その左横には、赤松柳史の高弟 青山柳為句碑「芙蓉池に風あるやなし 落下舞ふ」と書いてあります。
その先には、「臨済宗天龍寺派管長 関牧翁胸像」(左)と「中興天龍牧翁和尚大禅師」(右)がありました。

「心字池」を巡ったあと、「足利尊氏公のお墓」に寄りました。室町幕府初代将軍の宝篋印塔がそれです。台座には足利尊氏の命日、延文3年4月30日の文字「延文三年」、左に「四月三十日」が書かれています。





ゆっくり庭園を散策して、書院に戻りました。今日は茶席を申し込んでないので、早々に出て次へと向かいました。

次に「霊宝殿」に入ります。ここは撮影禁止のため写真はありません。ここで用意してきたお賽銭をしお参りしました。
正面には、室町幕府初代将軍・足利尊氏公が日頃信仰されていた地蔵尊(弘法大師空海作)を本尊に左右に達磨大師像と夢想国師像が祀られてます。次に向かって右から若き日の徳川家康(東照大権現)坐像から、歴代足利将軍木像の室町幕府初代将軍足利尊氏(等持院殿)坐像、2代将軍義詮(よしあきら)(宝筐院殿)坐像、3代将軍義満(鹿苑院)坐像、4代将軍義持(勝定院殿)坐像、6代将軍義教(普広院殿)坐像、7代将軍義勝(慶雲院)坐像、8代将軍義政(慈照院)坐像、9代将軍義尚(よしひさ)(常徳院)坐像、10代将軍義稙(よしたね)(恵林院殿)坐像、11代将軍義澄(よしずみ)(法住院殿)坐像、12代将軍義晴(萬松院)坐像、13代将軍義輝(光源院)坐像、15代将軍義昭(霊陽院)坐像が安置されています。なお、5代将軍義量(よしかず)(長得院殿)、14代将軍義栄(よしひで)(光徳院)は、ありません。




霊宝殿を出て最後に「方丈」に行きました。ご本尊は「釈迦牟尼仏」が祀られています。「方丈前庭」も白砂に砂紋が引かれ綺麗ですね。




9時25分頃、ここを出る頃には数組の方が来られてました。やっぱりテレビで放送された効果でしょうかね😊。
等持院を出て、今日は天気が良いので、あと一箇所寄って行きます。今日は、天気が良かったけど、最高気温は、11.2℃止まり。肌寒かったです。
3月7日(土)の雨降りのあと寒の戻りとなり、このの最低気温は0.8℃まで下がりました。真冬並の寒さのなか、車で家を出て、8時52分に等持院の駐車場に着きました。
昔の中国(北宋)の政治家である、司馬温公(しばおんこう)が、子供の時に水甕にはまって溺れかけた友達を石で高価な甕を割って助けた故事にちなんで名付けられました。
「有楽椿(ウラクツバキ)」は、織田信長の実弟である織田有楽斎が茶花として愛用したのでこの名がついたといわれています。安土桃山時代から江戸時代にかけて、将軍家・公家・大名など上流階級の間で重宝されていました。
正面には、室町幕府初代将軍・足利尊氏公が日頃信仰されていた地蔵尊(弘法大師空海作)を本尊に左右に達磨大師像と夢想国師像が祀られてます。次に向かって右から若き日の徳川家康(東照大権現)坐像から、歴代足利将軍木像の室町幕府初代将軍足利尊氏(等持院殿)坐像、2代将軍義詮(よしあきら)(宝筐院殿)坐像、3代将軍義満(鹿苑院)坐像、4代将軍義持(勝定院殿)坐像、6代将軍義教(普広院殿)坐像、7代将軍義勝(慶雲院)坐像、8代将軍義政(慈照院)坐像、9代将軍義尚(よしひさ)(常徳院)坐像、10代将軍義稙(よしたね)(恵林院殿)坐像、11代将軍義澄(よしずみ)(法住院殿)坐像、12代将軍義晴(萬松院)坐像、13代将軍義輝(光源院)坐像、15代将軍義昭(霊陽院)坐像が安置されています。なお、5代将軍義量(よしかず)(長得院殿)、14代将軍義栄(よしひで)(光徳院)は、ありません。
等持院を出て、今日は天気が良いので、あと一箇所寄って行きます。今日は、天気が良かったけど、最高気温は、11.2℃止まり。肌寒かったです。
この記事へのコメント
苔の緑と、椿の優しいピンクとが調和して、
一幅の絵のような見事な景色だと思います。
落ち椿の風情を、しみじみ感じる
事ができました。有楽椿は、こちらでは、
「太郎冠者」の別名で呼ばれることの方が
多いように思います。織田有楽斎が愛でたという
有楽椿。その歴史も、花の魅力を引き立てますね。
仁和寺・龍安寺・金閣寺は、きぬがけの路沿いですが、等持院は少し離れているので、いつ行っても空いてます。
私は、何度も来ているので、道は慣れているんですが。ここでは芙蓉池や心地池の庭園が美しいので、年に何回かは行ってます。
この日は、有楽椿が見頃と出ていたので行ってみました。