真言宗 大本山 随心院 名勝「小野梅林」へ
3月16日(月)の最低気温は4.2℃と、相変わらず寒い朝を迎えましたが、この日から天気予報では、久しぶりに気温が上昇すると言われてて、朝から快晴の天気となってました。京都では、梅の見頃は過ぎつつありましたが、真言宗 大本山 随心院にある小野梅園に咲く、遅咲きの「はねずの梅」は、八重の大きな花弁が特徴的な白梅と紅梅が見頃と出てました。
随心院のある京都市山科区の土地勘はありませんが、3月2日(月)に醍醐寺に行ってるので、ほぼ同じルートで行きました。国道1号線から東野の交差点を右折するのも同じで、随心院は醍醐寺の手前にあるので、事前に地図を調べて駐車場の位置も頭に入ってて、良かったのは、私の前に走っていた車も随心院の駐車場に入られたので迷うこと無く8時56分に着きました😊。
今まで随心院には、地下鉄東西線の小野駅から歩いて来てました。初めて車で来ましたが、駐車場は広かったですし無料で止められました。9時拝観開始でしたが、2024年(令和6年)3月22日(金)に来たとき見損ねていた所を先に向かいました。
こちらは「仁海僧正(にかいそうじょう)供養塔」です。弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正(にかいそうじょう)が随心院を991年(正暦2年)に創建された方ですね。


想像していた以上に奥まった所にあったのが「小野文塚」です。ここの存在は帰ってから知ったわけで、この日随心院に来たら寄りたいと思っていました。
百夜通いで有名な不覚さ少将をはじめ当時の貴公子たちから小野小町に寄せられた恋文を埋めたと伝えられている。





少し寄り道したので、「小野梅園」には9時3分に着きました。入園料は300円で2024年(令和6年)3月22日(金)と同じでした。


出遅れたので、既に数名の方が入られており、私は空いているエリアから梅の花を見ていきます。







この小野梅園に初めて来たのは、2006年(平成18年)3月25日でした。印象に残っているのは枝垂れ梅で、大変綺麗でしたが、園内を見たところ無さそうです。



遠目から見ると見頃が過ぎているように思います。ただ、まだ綺麗な梅の花は残ってました。












さほど広くない園内を何周か回って出ました。この時、9時12分と時間が早かったので、随心院の本堂を拝観します。



9時16分に拝観受付所のある「庫裏」に入りました。拝観料は500円。ただし知らなかったですが奥書院が令和9年3月末頃まで工事中でしたね。

堂内に入る前に御朱印をお願いしました。帰りに受取ります。この随心院は小野小町ゆかりの寺で、「小野小町像」が出迎えてくれます。
ここで初めて知りました。「奥書院」が工事中だったこと。令和9年3月頃までと書いてありましたが、結構長くかかりますね。紅葉も綺麗な随心院ですが、当分行かないです。
順路にしたがつて進むと、中庭に「山茱萸(サンシュ)」が綺麗に咲いてました。


順路にしたがって最初に見るのは「大玄関」です。向こうに見えているのが「医薬門」です。案内はありませんが寺宝の展示もありました。
医薬門は、寛永年間(1624~1631)の再建。五摂家の一つだある九条家にゆかりのあるの江戸幕府2代将軍徳川秀忠の正室の娘、天真院尼(てんしんいんに)の寄進によるもの。左右には「小玄関」と「使者の間」が備えてあります。

次に見るのが「表書院」です。室内は撮影禁止とありました。
写真奥の部屋から。向かって左に「卒塔婆小町坐像」(江戸時代)、右に「文張地蔵尊」(平安時代)が祀られていました。襖絵は奥に「四季花鳥図」、手前に「四愛図」(江戸時代)が共に狩野派の襖絵でした。
表書院は、玄関と同じく天真院尼(江の娘)の寄進にして、襖絵は江戸初期から中期にかけて狩野派の絵師によって描かれた。



次の「能の間」は、宝暦年間(1751~1764)に九条家の寄進によるもの。1991年(平成3年)に改修された。
京都の絵描きユニット「だるま商店」が奉納した作品「極彩色梅匂小町絵図」といい、2009年(平成21年)に奉納されたました。絶世の美女と言われた小野小町の一生を描いた作品です。





次に「本堂」に行きました。本堂内陣中央に本尊の「木造如意輪観世音菩薩坐像」(重文)を安置。右に「金剛薩埵坐像」(重文)、左に「阿弥陀如来坐像」、他に「不動明王立像」、「弘法大師坐像」、開山「仁海僧正坐像」、「薬師如来坐像」、「釈迦三尊」(文殊菩薩坐像・釈迦如来坐像・普賢菩薩坐像)が祀られていました。


「本堂」から見た「表書院」です。ことあと、通常拝観では奥書院に行きますが工事中のため行けません。

本堂から表書院の裏側へ進むと、廊下の左手に「聖天壇」があって、「大聖歓喜双身天王(聖天さま)」が祀られています。
聖天さまのご縁日である毎月1日と16日に、大根・酒・歓喜団(かんぎだん)等が供えられ、秘法浴油供が修されます。聖天さまの妙智力と、行者(僧侶)の法力と、祈願者(衆生)の信力の「三力」が一つに固まったとき、そこに光明が差し込み、あらゆる願いが叶うとされます。



奥書院に行けないので、早々に戻ってきました。拝観受付所に行って朱印帳を受取りました。
直書きして貰えるのは2種あったので「京都十三佛霊場」と「真言宗十八本山」のをいただきました。
9時28分に出ていくときに、貼ってあったポスターを撮りました。多分、ここで撮影されたのでしょう。
ここを出て、2024年(令和6年)3月22日(金)に撮り損ねた、もう一箇所を見に行きます。

その忘れ物は、「小町化粧井戸」でした。場所は「小野梅園」の南側にありました。



こちらも、結構奥まった所にありました。ここを目的に行かないと、見つけられないでしょう。
この地には、絶世の美人としてしられる平安前期の歌人小野小町(生没年未詳)の別荘があったという伝承があり、藪中の井戸水を小町が利用したことに因んで、その水を化粧水と名付けたという。


こちらは、堂内から見た「薬医門」です。次の予定があるので近くまで行きません。




駐車場に戻る前に「大乗院」に寄りました。除くと早咲きの桜が綺麗に咲いていたからです。




9時38分に駐車場に戻り、トイレを済ませてから、次の目的地をナビに入れて出て行きました。
今年の小野梅園の公開期間は、3月7日(土)~3月22日(日)でした。なお、奥書院改修工事は、令和7年5月12日~令和9年3月末頃予定だそうです。
随心院のある京都市山科区の土地勘はありませんが、3月2日(月)に醍醐寺に行ってるので、ほぼ同じルートで行きました。国道1号線から東野の交差点を右折するのも同じで、随心院は醍醐寺の手前にあるので、事前に地図を調べて駐車場の位置も頭に入ってて、良かったのは、私の前に走っていた車も随心院の駐車場に入られたので迷うこと無く8時56分に着きました😊。
百夜通いで有名な不覚さ少将をはじめ当時の貴公子たちから小野小町に寄せられた恋文を埋めたと伝えられている。
医薬門は、寛永年間(1624~1631)の再建。五摂家の一つだある九条家にゆかりのあるの江戸幕府2代将軍徳川秀忠の正室の娘、天真院尼(てんしんいんに)の寄進によるもの。左右には「小玄関」と「使者の間」が備えてあります。
表書院は、玄関と同じく天真院尼(江の娘)の寄進にして、襖絵は江戸初期から中期にかけて狩野派の絵師によって描かれた。
京都の絵描きユニット「だるま商店」が奉納した作品「極彩色梅匂小町絵図」といい、2009年(平成21年)に奉納されたました。絶世の美女と言われた小野小町の一生を描いた作品です。
聖天さまのご縁日である毎月1日と16日に、大根・酒・歓喜団(かんぎだん)等が供えられ、秘法浴油供が修されます。聖天さまの妙智力と、行者(僧侶)の法力と、祈願者(衆生)の信力の「三力」が一つに固まったとき、そこに光明が差し込み、あらゆる願いが叶うとされます。
直書きして貰えるのは2種あったので「京都十三佛霊場」と「真言宗十八本山」のをいただきました。
この地には、絶世の美人としてしられる平安前期の歌人小野小町(生没年未詳)の別荘があったという伝承があり、藪中の井戸水を小町が利用したことに因んで、その水を化粧水と名付けたという。
今年の小野梅園の公開期間は、3月7日(土)~3月22日(日)でした。なお、奥書院改修工事は、令和7年5月12日~令和9年3月末頃予定だそうです。
この記事へのコメント
寄せられた恋文を埋めたという伝説が
伝わってるんですか。それは面白いですね。
確かに、恋の恨みは時に怖いですから、
こうして大事に供養しておく方が
無難かも知れません。それほど、小町伝説が
人気があったという証拠でもありますね。
遅咲きの「はねずの梅」ですか。
確かに八重咲で大輪。普通見かける梅とは
少し印象が違って、個性的な魅力を感じます。
遅咲きの「はねずの梅」、3月中旬でバッチリのタイミングのようですね。
今回もお一人で独占撮影のよう、贅沢な時間を過ごされました。
小町化粧井戸なんて、伝説のような井戸が残っているのですね。
随心院の梅は遅咲きなんですが、数年前に行ったときより、花の勢いが少なくなったように思います。ちょうど見頃に来ましたが、イマイチでしたね。
随心院も堂内が工事中だったので残念でした。ここは紅葉も綺麗ですが、工事が終わるまで行かないですね。この日は、以前、見損ねた文塚や井戸が見られて良かったです。
随心院の小野梅園に咲く梅は、京都では遅咲きで知られています。この梅が見頃になると、早咲きの桜が楽しめるわけです。
京都では、城南宮や三室戸寺が枝垂れ梅で有名ですが、なかなか行けてないです。人も多く混雑するのでね。