真言宗総本山泉涌寺派総本山 御寺 泉涌寺寺「涅槃会」へ
真言宗 大本山 随心院を出て、醍醐通りを西に進み山科川を渡った先の新小栗栖街道を右折し北上します。ナビの案内とは違うコースで目的地に向かうためです。ナビは稲荷山トンネルを通るように案内してましたが、目的地近くの道路が右折となるので、少しだけ遠回りになりますが、左折する方が行きやすいので自分の判断です😊。話は逸れましたが、そのまま北上し、新十条通りに出て、左折し西に進みました。そして、ナビが案内する稲荷山トンネルの前まで来ましたが、ここで右折し稲荷山トンネルには入らず大石道を通ることに。こちらは3月2日(月)に醍醐寺に行ったときのコースで、やっぱり知っている道路の方が安心できます。国道1号線を西に進み峠を越えて、京都市街地に入ると前に、東山五条側に降りることです。3月2日(月)には堀川五条側に降りました。東山五条に出ると左折し、東大路通りを南下。七条通りを超えると、ほどなくすると泉涌寺道の信号を左折し登って行きます。前途した東大路通りを右折するより、左折した方が、自分自身が分かりやすかったから😊。多分、10分も違わないかと思います。後は目的地まで、ずっと登り目的地の駐車場に着きました。
この日やって来たのは、真言宗総本山泉涌寺派総本山 御寺 泉涌寺で、今日まで仏殿にて「大涅槃図」が公開されてましたし、数量限定で「涅槃特別朱印」の授与をされていたので随心院のあと寄ってみました。
10時14分に泉涌寺の駐車場に車を入れました。ここでは無料で止められて駐車場も広いですが、多くの車が止められてました。写真は拝観受付所入口にある「大門」です。
重要文化財に指定されている「大門」を入って右手に拝観受付所があって、拝観料500円を納めます。聞くと御朱印は、寺務所で貰えるとのことでした。
入って左手に楊貴妃観音像を祀るお堂がありますが帰りに寄ります。先ずは下って「仏殿」を目指します。

2024年(令和6年)3月14日(木)に「第58回 京の冬の旅」で、この「大涅槃図」は見ています。堂内は撮影禁止のため写真はありません。
仏殿(重文)は、泉涌寺の本堂。江戸幕府4代将軍徳川家綱の再建で、運慶派作と伝える過去・現在・未来を表す三世仏の釈迦如来坐像、右に弥勒菩薩坐像、左に弥勒菩薩坐像を安置。天井には狩野探幽筆で「蟠龍」はとぐろを巻く姿。高さ16㍍にあり、京畳の八畳分の大きさ。絵を保護するために金網越しに見ることになります。
泉涌寺の「大涅槃図」は、あまりにも巨大で、天井から床まで折り返しになって架かっています。この日までご本尊や天井の龍は見えません。
毎年3月14日、15日、16日に開帳される「大涅槃像」は、明誉古磵(みょうよこかん)上人の筆、享保年間(1716~1736)に作られたもので、縦58尺(17.5㍍)、横25尺(7.6㍍)、画幅としては日本一広大なものである。
この日は、大涅槃図が架かっていて、天井は見えませんでした。通常拝観の時には、狩野探幽が描いた「蟠龍」が見られます。

仏殿を出て、奥に「舎利殿」があって、ここは通常非公開です。前途した2024年(令和6年)3月14日(木)の「第58回 京の冬の旅」で入りました。
泉涌寺では、御座所庭園に入るのに別料金が必要です。こちらが「本坊」の入口にある門です。


ここを入った右手に拝観受付所があって、御座所庭園を拝観するので500円と、特別御朱印などお願いしました。ここでは帰りに受け取ります。
御座所とは、泉涌寺本坊の南の部分を御座所と呼び、東南にある御陵に両陛下をはじめ皇族方がご参拝になる際、御休所としてしようされる部屋のこと。この建物自体が皇室ゆかりのもので、京都御所内にあった皇后の御里御殿(おさとごでん)が下賜され、1884年(明治17年)に移築・再建されたもの。
順路に従って奥に進みます。最初に見るのは「大玄関」です。襖絵も京都御所から移された。絵は中国・前漢の劉向(りゅうきょう)の著作「列女伝(れつじょでん)」の賢明(けんめい)伝・周宣姜后の章を描いている。
手前から「侍(さむらい)の間」で、両陛下をはじめ皇族方が御在所を休所として使用される際に、お付きの方々が使われる部屋。
次が「女官の間」で、侍の間と同様に、お付きの方々が使われる部屋。障壁画は「四季耕作図」で農村の移り変わる季節の平和な風景を描いている。
「門跡の間」で、全国六ヶ所の玉川の風景を描き、御座所の障壁画の中でも特筆される。筆者は狩野永岳と近年あきらかになった。
最後が「皇族の間」。御座所の一番奥にあたる部屋で、ここが御里御殿での出産の間と推定されている。障壁画は「奈良八景」。ここに描かれたのは、春日大社、東大寺、興福寺といった皇室と藤原氏にゆかりの深い神仏の加護を祈ったため。
そして、この奥に非公開の「海会堂(かいえどう)」があります。もとは京都御所にあった護摩堂を移築したもの。ご本尊は「阿弥陀如来坐像」で、「開山俊荷律師像」(京都府指定)をはじめ歴代先住代々宗師の位牌なども併記されています。

ここで「御座所庭園」に出ました。下の写真は、外から見た「海会堂(かいえどう)」です。
紅葉の綺麗な「御座所庭園」ですが、今は何もありません。晩秋に再訪したいですね。
こちらは非公開の「霊明殿」です。時々忘れた頃に特別公開はあります。今日も入れません。

今日は、けっこう人が多いです。大涅槃図を見に来られたのでしょうか。縁側に座ってる人も居たので早々と出ました。
御座所庭園は、御座所の東から南側にかけて、東山を借景とする庭園。現在の庭は(明治17年)に御座所建物が造営された時に、御所風の庭園として作庭された。築山と岩石と苔、池が巧みに配されており、大小の樹木の彩りが季節ごとに池に映えて、小さいながらも一つの仙境の趣があって、とくに新緑と紅葉の頃が美しい。また置かれている雪見灯籠は仙洞御所から移されたもので、近世初期の古いものである。桂離宮のものと共に雪見灯籠の双璧と称される。
庭を出て、最初の部屋が「王座の間」。御座所の中で最も格が高く、両陛下を初め宮様の御休所となる部屋で玉座があり、東は床の間となる。障壁画は錦花鳥図と呼ばれ、鳳凰と四季の花々が一面に描いてある。
次が「勅使の間」。ここには「子(ね)の日の遊び」という王朝風俗が描いてある。御里御殿にふさわしく、子供の穏やかな成長を願った吉祥画で、土佐派の宮廷絵師が描いたと推定される。
最後が「侍従の間」。ここには貴族や武家の勇壮な遊びである「鷹狩」が描いてある。鷹狩の様子を見て楽しむと共に、将来、このような遊びに興じる男子の誕生を願ったんでしょう。

ここは「御車寄せ」といい、皇族方や天皇の勅使が寺を訪れた際の昇降口となる所である。牛車の時代には車が寄せられたであろうが、今は門からお入りになっている。
御在所を出て行く前に、拝観受付所に寄って、御朱印を受取りました。上の御朱印が、大涅槃図の公開中しかいただけないものです。



御在所を出てから、今日も公開されていない「舎利殿」の前を通ると、綺麗な生け花を目にしました。

次に寄ったのが、清少納言の歌碑です。「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」これは、清少納言が藤原行成と交わしたものだそうです。
2024年(令和6年)に放送された、NHK大河ドラマ「光る君へ」では、清少納言をファーストサマーウイカさんが演じてますした。藤原行成(ふじわらのゆきなり)は、渡辺大知さんが演じてましたね。行成は、藤原道長よりも6歳下。道長政権下で蔵人頭に抜擢されると、細やかな気遣いで実務に能力を発揮、欠かせない存在として支え続けました。そして、文字の美しさでは右に出る者がおらず、もてはやされた。とNHKでは紹介されてました。行成が最初に仕えたのが一条天皇(第66代天皇)。 一条天皇には、塩野瑛久さんが演じました。その后である藤原定子には高畑充希さんが演じ、藤原定子に仕えていたのが清少納言でした。清少納言は晩年には、藤原定子が眠る鳥辺野近くの東山月輪に隠棲したのだという。その東山月輪には、清少納言の父・清原元輔(演者は大森博史さん)の邸宅があったと云われています。
歌碑の横には、泉涌寺の名前の由来になった井戸「泉涌水屋形」があって、今も泉が湧き続け1667年(寛永7年)の再建。京都府文化財に指定されています。
さらに奥に進むと「浴室」があります。こちらは、京都指定文化財です。非公開のため入ったことはありません。



再び「大門」に向かって登ると、右手にある「楊貴妃観音堂」に行きました。
この御朱印は、先の寺務所で貰いました。堂内は撮影禁止です。外が明るかったので目が慣れるまで時間かかりましたが、しっかりお顔は見えました。
内陣の中央には「聖観音(楊柳観音)」が安置されています。聖観音は湛海(たんかい)律師が1230年(寛喜2年)に南宋から請来した木像です。像容の美しさから、玄宗(げんそう)皇帝が亡き楊貴妃の面影を写させて造像したとの伝承を生み、江戸時代初め頃から「楊貴妃観音像」と呼ばれ信仰されている。



10時43分に「大門」から出ました。
大門の向かいに駐車場があるので多くの車が止まっています。ラッキーにも手前で止められたので、奥まで歩かずに済みました。今日は随心院と泉涌寺を回りましたし、今日はこれで帰りました。
この日やって来たのは、真言宗総本山泉涌寺派総本山 御寺 泉涌寺で、今日まで仏殿にて「大涅槃図」が公開されてましたし、数量限定で「涅槃特別朱印」の授与をされていたので随心院のあと寄ってみました。
仏殿(重文)は、泉涌寺の本堂。江戸幕府4代将軍徳川家綱の再建で、運慶派作と伝える過去・現在・未来を表す三世仏の釈迦如来坐像、右に弥勒菩薩坐像、左に弥勒菩薩坐像を安置。天井には狩野探幽筆で「蟠龍」はとぐろを巻く姿。高さ16㍍にあり、京畳の八畳分の大きさ。絵を保護するために金網越しに見ることになります。
毎年3月14日、15日、16日に開帳される「大涅槃像」は、明誉古磵(みょうよこかん)上人の筆、享保年間(1716~1736)に作られたもので、縦58尺(17.5㍍)、横25尺(7.6㍍)、画幅としては日本一広大なものである。
御座所とは、泉涌寺本坊の南の部分を御座所と呼び、東南にある御陵に両陛下をはじめ皇族方がご参拝になる際、御休所としてしようされる部屋のこと。この建物自体が皇室ゆかりのもので、京都御所内にあった皇后の御里御殿(おさとごでん)が下賜され、1884年(明治17年)に移築・再建されたもの。
次が「女官の間」で、侍の間と同様に、お付きの方々が使われる部屋。障壁画は「四季耕作図」で農村の移り変わる季節の平和な風景を描いている。
「門跡の間」で、全国六ヶ所の玉川の風景を描き、御座所の障壁画の中でも特筆される。筆者は狩野永岳と近年あきらかになった。
最後が「皇族の間」。御座所の一番奥にあたる部屋で、ここが御里御殿での出産の間と推定されている。障壁画は「奈良八景」。ここに描かれたのは、春日大社、東大寺、興福寺といった皇室と藤原氏にゆかりの深い神仏の加護を祈ったため。
そして、この奥に非公開の「海会堂(かいえどう)」があります。もとは京都御所にあった護摩堂を移築したもの。ご本尊は「阿弥陀如来坐像」で、「開山俊荷律師像」(京都府指定)をはじめ歴代先住代々宗師の位牌なども併記されています。
御座所庭園は、御座所の東から南側にかけて、東山を借景とする庭園。現在の庭は(明治17年)に御座所建物が造営された時に、御所風の庭園として作庭された。築山と岩石と苔、池が巧みに配されており、大小の樹木の彩りが季節ごとに池に映えて、小さいながらも一つの仙境の趣があって、とくに新緑と紅葉の頃が美しい。また置かれている雪見灯籠は仙洞御所から移されたもので、近世初期の古いものである。桂離宮のものと共に雪見灯籠の双璧と称される。
庭を出て、最初の部屋が「王座の間」。御座所の中で最も格が高く、両陛下を初め宮様の御休所となる部屋で玉座があり、東は床の間となる。障壁画は錦花鳥図と呼ばれ、鳳凰と四季の花々が一面に描いてある。
次が「勅使の間」。ここには「子(ね)の日の遊び」という王朝風俗が描いてある。御里御殿にふさわしく、子供の穏やかな成長を願った吉祥画で、土佐派の宮廷絵師が描いたと推定される。
最後が「侍従の間」。ここには貴族や武家の勇壮な遊びである「鷹狩」が描いてある。鷹狩の様子を見て楽しむと共に、将来、このような遊びに興じる男子の誕生を願ったんでしょう。
御在所を出て行く前に、拝観受付所に寄って、御朱印を受取りました。上の御朱印が、大涅槃図の公開中しかいただけないものです。
2024年(令和6年)に放送された、NHK大河ドラマ「光る君へ」では、清少納言をファーストサマーウイカさんが演じてますした。藤原行成(ふじわらのゆきなり)は、渡辺大知さんが演じてましたね。行成は、藤原道長よりも6歳下。道長政権下で蔵人頭に抜擢されると、細やかな気遣いで実務に能力を発揮、欠かせない存在として支え続けました。そして、文字の美しさでは右に出る者がおらず、もてはやされた。とNHKでは紹介されてました。行成が最初に仕えたのが一条天皇(第66代天皇)。 一条天皇には、塩野瑛久さんが演じました。その后である藤原定子には高畑充希さんが演じ、藤原定子に仕えていたのが清少納言でした。清少納言は晩年には、藤原定子が眠る鳥辺野近くの東山月輪に隠棲したのだという。その東山月輪には、清少納言の父・清原元輔(演者は大森博史さん)の邸宅があったと云われています。
この御朱印は、先の寺務所で貰いました。堂内は撮影禁止です。外が明るかったので目が慣れるまで時間かかりましたが、しっかりお顔は見えました。
内陣の中央には「聖観音(楊柳観音)」が安置されています。聖観音は湛海(たんかい)律師が1230年(寛喜2年)に南宋から請来した木像です。像容の美しさから、玄宗(げんそう)皇帝が亡き楊貴妃の面影を写させて造像したとの伝承を生み、江戸時代初め頃から「楊貴妃観音像」と呼ばれ信仰されている。
大門の向かいに駐車場があるので多くの車が止まっています。ラッキーにも手前で止められたので、奥まで歩かずに済みました。今日は随心院と泉涌寺を回りましたし、今日はこれで帰りました。
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