世界文化遺産 臨済宗相国寺派 慈照寺(銀閣寺)へ
3連休の間、家族が帰省したこともあって、京都を案内したり、退院後初めて食事に行ったりしました。何より天気が凄く良かったですね。そして3連休明けの3月23日(月)は、10年以上訪れて無かった寺院の特別公開に行く前に、2025年(令和7年)10月2日(木)以来の世界文化遺産 臨済宗相国寺派 慈照寺(銀閣寺)に行きました。
京都市銀閣寺観光駐車場に8時34分に車を入れました。ここでは入口で1040円払います。時間制じゃありません。この時間ではガラガラでした。

銀閣寺の特別拝観の看板が出てますが、2025年(令和7年)10月2日(木)に行っているので今日は入りません。
駐車場から上がると「哲学の道」に出ます。ここの桜並木は有名ですが、まだ蕾み。まもなく満開の桜が楽しめそうです。
1890年(明治23年)東山山麓に完成され、1912年(明治45年)に伸延された琵琶湖疎水分線沿いの桜並木の散策路(若王子橋から浄土寺橋の間約1.8㎞)です。近隣には世界遺産の銀閣寺をはじめ、著名な社寺が点在し、京都の伝統的な歴史や文化が今も息づいている。
「哲学の道」から銀閣寺の入口まで、ずっと登っています。両側には土産物店などが点在してて、もう営業されてました。



先ずは「総門」から入ります。この総門までが登りでした。8時42分、このとき外国人観光客はがり目にしました。
「東山(とうざん)慈照寺」と書かれた総門を入ると、右手に進み「銀閣寺垣」を目にします。
総門から中門までの間は「銀閣寺垣」と呼ばれてて、石垣、竹垣、椿の生垣で構成され、綺麗に刈り込みされてます。
この銀閣寺垣の先に拝観受付所があって、拝観料500円を納めると、お札を貰えます。そのお札に拝観券が付いているので、「中門」を入った時に拝観券を切られます。

いつも、「観音殿」(銀閣・国宝)」を早く見たいので、ここはスルーなんですが😊。左手には「庫裏」が、それに綺麗な砂紋が描いてある庭も見ることができます。

そのまま進むと、唐門の「宝処閣(ほうしょかく)」が見えますが出入りできません。右手の通用門から庭園内に入ります。
門を入ると直ぐに銀閣寺の守護神とされる八幡神を祀る「八幡社」があります。いつもは人が多いので、立ち寄ることはありません。

庭園に入ると、間近に「観音殿」(銀閣・国宝)」を見られます。また、錦鏡池を見ると「北斗石」と書かれた木札もありました。

次の見所小は「向月台」です。今回は「観音殿」(銀閣・国宝)とをセットで撮れました。
向月台は高さ1.8㍍。富士山の頭を削ったような形が特徴。初めて登場したのは、1780年(安永9年)の「都名所図会」で、盛砂は低く描いてある。1799年(寛政11年)の「都林泉名勝図会」では、既に高く描いてあり、時代が下がるたびに高くなっている。

次の見所は、「方丈(本堂)」にある「銀沙灘(ぎんしゃだん)」です。
銀沙灘は高さ35~40㌢。江戸時代初期、宮城丹波守豊盛が荒れ果てたお堂や庭の整備にとりかかった際、池は白い流砂で埋まっていたそうで、その砂を盛り上げことから、砂盛りが始まったという。

南に庭園を面する「方丈(本堂)」は、外周の大部分を舞良戸(まいらど)という桟を密に組み付けた板戸で囲んであります。
江戸時代に知恩院の普請奉行を務めた宮城丹波守豊盛(元は豊臣秀吉配下の武将)の援助により造営された「方丈(本堂)」には、3つの間があり、与謝野蕪村と池大雅の作になる襖絵がある。
非公開ですが、春と秋に特別公開があります。2025年(令和7年)10月2日(木)に堂内に入った「東求堂(とうぐどう)」(国宝)です。
桧皮葺の東求堂は、元は足利義政の持仏堂として阿弥陀三尊像を安置し、1486年(文明18年)に建立された。仏間の北東には同仁齋(どうじんさい)と呼ばれる四畳半の書院があり、初期の書院造りを代表する名建築である。

順路に従って進みます。この石橋は、「白鶴島(はっかくとう)」の西側に架かる「仙柚橋(せんしゅうきょう)」です。
余談ですが、錦鏡池には七つの石橋があります。「濯錦橋」「分界橋」「迎仙橋」「龍背橋」「臥雲橋」「仙桂橋」「仙袖橋」が参考までに😊。

順路に従って進むと「錦鏡池(きんきょうち)」の中にある名石「大内石」と書かれて木札があります。
室町時代の守護大名大内政弘(おおうちまさひろ)が東山山荘造営に際し、室町幕府第8代将軍足利義政に献上した石と言われている。



少し順路を外れて、先に「観音殿」(銀閣・国宝)」を撮っておきました。この撮影スポットが空いていたから😊。
「観音堂(銀閣)」は、中世の楼閣建築や庭園建築の代表とされている銀閣。その名は、金色に輝く鹿苑寺の舎利殿が金閣と呼ばれたのに対する呼称だが、近年の調査でも、建物の外側に銀箔を貼った痕跡は認められない。1階は「心空殿(しんくうでん)」と呼ばれた住宅風、2階は花頭窓に囲まれた禅宗様の造りで「潮音閣(ちょうおんかく)」といい、ここに観音菩薩坐像が安置されている。
帰りに撮影スポットに寄ると、外国人観光客の団体さんが居たので、上記のような写真は撮れなかったです。以前、ガイドさんに聞いた話では、観音菩薩坐像は人の指のサイズだそうです。
コースに戻って山に上がる前に、山麓に築かれた小さな滝が「洗月泉(せんげつせん)」に寄りました。
錦鏡池の南東端にある一筋の小さな滝。山から出た湧き水が、下段にある錦鏡池に流れ落ちる。足利義政造営時の姿を今に伝えている。

ここから「仙桂橋(せんけいきょう)」越しに「東求堂(どうぐどう)」(国宝)を見ています。春の特別拝観が始まっているので、扉が開いてます。



山へ上がるコースと、辨財天に行くコースがあって、私は奥に進みました。そこには鎮守社七福神の一つ「辨財天」が祀られています。音楽・才智・福徳の神とありました。
辨財天から見た「東求堂(どうぐどう)」(国宝)です。
こちらは非公開の「弄清亭(ろうせいてい)」です。木々で見にくいですが。2025年(令和7年)2月17日(月)の「第59回 京の冬の旅」で初めて入りました。




元のコースに戻って、ここから登ります。










結構、きついつづら折りの苑路を登ると山腹には「お茶の井 相君泉(そうくんせん)」がありました。
慈照寺(銀閣寺)の山腹あり、足利義政はこの泉の水を汲んでお茶を点てたという。相君泉(そうくんせん)は茶の湯の蹲踞の原型とされる。西方寺の龍淵水を写したともいわれる。この石組は昭和初期に庭師の田中泰阿弥らによって発掘・復元されたもので、現在も湧水が続いている。
こちらは「漱蘚亭跡(そうせんていあと)」です。昭和初期に山畔石組、泉、水流などの跡が見つかった。
この上下二段からなる庭の構成は、西方寺(苔寺)に似ているという。上段の庭を苑路から望み、漱蘚亭跡付近には崩れかかったような珍しい石組みが見られる。


再び、結構きつい階段を登ると「展望台」に着きました。




「展望台」からの眺望を見たあと、下ります。ここから長い長い下りが続きます。






降りて来て、撮影スポットから、団体さんをかき分け1枚だけ撮りました😊。





9時4分に庭園を出て、「圓通殿(売店)」まで来ました。ここで9時30分頃まで休憩します。

休憩をしていると、人が途切れたので、売店の横にある「室町時代の銀閣彩色の再現」を見に行きました。
こちらは銀閣2階の一部分を復元したものです。創建以来520年の経年変化のため2階の外観前面及び堂内に描かれていた彩色や塗装は劣化して剥げ落ちてしまってます。銀閣は尾根葺き替えを主した修復工事を実施し、室内は前面に漆黒の施されていた空間が存在していたが分かりました。そして、ここに彩色復元をされ展示されているわけです。
20分以上、座っていると、子供の賑やかな声が近づいて来ました。バスガイドさんに連れられた小学生でしょうね、修学旅行でしょうか生徒さんが何組も来られました。春休み中に修学旅行されるんですね、次に清水寺に行かれるみたいで、その前にトイレを済ませるようにガイドさんや先生に言われてました😊。
売店で購入したお土産のお菓子です。「向月台」と「銀沙灘」がモデルになってて、京菓子司 俵屋吉富の和菓子で美味しかったです。






9時42分に「総門」から出て行きました。来られた方の大半は、外国人観光客のように思いました。
今日は、これから目的の特別公開に寺院にゆっくり歩いて向かいます。
1890年(明治23年)東山山麓に完成され、1912年(明治45年)に伸延された琵琶湖疎水分線沿いの桜並木の散策路(若王子橋から浄土寺橋の間約1.8㎞)です。近隣には世界遺産の銀閣寺をはじめ、著名な社寺が点在し、京都の伝統的な歴史や文化が今も息づいている。
向月台は高さ1.8㍍。富士山の頭を削ったような形が特徴。初めて登場したのは、1780年(安永9年)の「都名所図会」で、盛砂は低く描いてある。1799年(寛政11年)の「都林泉名勝図会」では、既に高く描いてあり、時代が下がるたびに高くなっている。
銀沙灘は高さ35~40㌢。江戸時代初期、宮城丹波守豊盛が荒れ果てたお堂や庭の整備にとりかかった際、池は白い流砂で埋まっていたそうで、その砂を盛り上げことから、砂盛りが始まったという。
江戸時代に知恩院の普請奉行を務めた宮城丹波守豊盛(元は豊臣秀吉配下の武将)の援助により造営された「方丈(本堂)」には、3つの間があり、与謝野蕪村と池大雅の作になる襖絵がある。
桧皮葺の東求堂は、元は足利義政の持仏堂として阿弥陀三尊像を安置し、1486年(文明18年)に建立された。仏間の北東には同仁齋(どうじんさい)と呼ばれる四畳半の書院があり、初期の書院造りを代表する名建築である。
余談ですが、錦鏡池には七つの石橋があります。「濯錦橋」「分界橋」「迎仙橋」「龍背橋」「臥雲橋」「仙桂橋」「仙袖橋」が参考までに😊。
室町時代の守護大名大内政弘(おおうちまさひろ)が東山山荘造営に際し、室町幕府第8代将軍足利義政に献上した石と言われている。
「観音堂(銀閣)」は、中世の楼閣建築や庭園建築の代表とされている銀閣。その名は、金色に輝く鹿苑寺の舎利殿が金閣と呼ばれたのに対する呼称だが、近年の調査でも、建物の外側に銀箔を貼った痕跡は認められない。1階は「心空殿(しんくうでん)」と呼ばれた住宅風、2階は花頭窓に囲まれた禅宗様の造りで「潮音閣(ちょうおんかく)」といい、ここに観音菩薩坐像が安置されている。
帰りに撮影スポットに寄ると、外国人観光客の団体さんが居たので、上記のような写真は撮れなかったです。以前、ガイドさんに聞いた話では、観音菩薩坐像は人の指のサイズだそうです。
錦鏡池の南東端にある一筋の小さな滝。山から出た湧き水が、下段にある錦鏡池に流れ落ちる。足利義政造営時の姿を今に伝えている。
慈照寺(銀閣寺)の山腹あり、足利義政はこの泉の水を汲んでお茶を点てたという。相君泉(そうくんせん)は茶の湯の蹲踞の原型とされる。西方寺の龍淵水を写したともいわれる。この石組は昭和初期に庭師の田中泰阿弥らによって発掘・復元されたもので、現在も湧水が続いている。
この上下二段からなる庭の構成は、西方寺(苔寺)に似ているという。上段の庭を苑路から望み、漱蘚亭跡付近には崩れかかったような珍しい石組みが見られる。
こちらは銀閣2階の一部分を復元したものです。創建以来520年の経年変化のため2階の外観前面及び堂内に描かれていた彩色や塗装は劣化して剥げ落ちてしまってます。銀閣は尾根葺き替えを主した修復工事を実施し、室内は前面に漆黒の施されていた空間が存在していたが分かりました。そして、ここに彩色復元をされ展示されているわけです。
20分以上、座っていると、子供の賑やかな声が近づいて来ました。バスガイドさんに連れられた小学生でしょうね、修学旅行でしょうか生徒さんが何組も来られました。春休み中に修学旅行されるんですね、次に清水寺に行かれるみたいで、その前にトイレを済ませるようにガイドさんや先生に言われてました😊。
今日は、これから目的の特別公開に寺院にゆっくり歩いて向かいます。
この記事へのコメント
空いてる事があるんですね。
中学の時、高校の時の修学旅行では、
銀閣寺は必ずコースに含まれてましたし、
その後、個人的にも2~3度訪れてますが、
いつだって見学客でいっぱいで…。
向月台と観音殿の建物が、こんな風に
見事に一枚に収まるなんてびっくりしました。
朝早く行っても、結構多くの外国人観光客の皆さん来られています。写らないようにしているたけなんです。
コロナ禍が過ぎて、まだ外国人観光客や修学旅行生が来なかったとき、お昼前でしたが、私一人の時もありました。
煌びやか金閣寺より、質素な銀閣寺の方が私は好きです。公開されることは無いでしょうけど、観音堂の内部も見てみたいものです。