京都御所 令和8年春の特別公開「京都御所 宮廷文化の紹介」へ
京都地方気象台が3月23日(月)に「京都市で桜(ソメイヨシノ)が開花したと」発表されました。この日を境に、気温がグングン上がって3月27日(金)には最高気温が21.1℃まで上がり、桜の開花が一気に進みそうな、平年や前年より早く満開になりそうに思います。
そんな暑くなった27日(金)に、25日(水)から始まった京都御所 令和8年春の特別公開京都御所 宮廷文化の紹介に行き、京都御苑に咲く枝垂れ桜が満開になったとの情報も出ていたので、合わせて見てこようと思い車で出掛けました。
もう少し早く着きたかったですが、京都御苑中立売駐車場に8時33分に車を入れました。京都御所で春の特別公開をやっているからでしょうか、この時間でも多くの車が止まってました。京都御所の特別公開は9時に開門されます。それまでに、この日の目的である枝垂れ桜を見に行くことにしました。


駐車場の向かいにピンクの花が咲いてて、桜かなぁと思い近寄ると「サラサモクレン」でした。(多分😊)
京都御所の参観入口にあたる「清所門」を遠くから撮りました。驚いたことに、もう数名が並ばれていますね。
ゆっくり歩いて京都御所の北側まで来ました。ここまで来ると綺麗に咲いている枝垂れ桜が見えました。

この辺りは、旧近衛邸があったところで、この時期には枝垂れ桜(糸桜)が咲き誇るで有名でした。ただ今まで来たことが無かったです。




ここには戦後、佐野藤右衛門らが1935年(昭和10年)に移植した若い糸桜が6株でしたが、1955年(昭和30年)に佐野藤右衛門が枝垂桜と八重紅枝垂桜を計10株移植しされたそうです。その桜が70年をかけて京都を代表する立派な枝垂桜へと育ちました。




今日は天気が良いので、青空に綺麗な桜の花が映えます。実は、京都が満開になりそうな週の天気予報が良くないんです。








この場所は、五摂家の一つ、摂政や関白を多く出した近衞家の邸宅跡で、枝垂れ桜が約60本植わっています。御苑で一番早く咲き始める桜です。
京都御所参観開始の10分前になったので、ここを離れ参観入口の清所門に向かいます。
8時52分に並び始めました。9時ちょうどに開門され、順々に入って行きます。持ち物のチェックをされ番号札を渡されました。首掛けストラップは036番でした。



最初の見所は「宜秋門番所」にある初めて公開された襖絵です。ガラス越しの見学でした。
江戸時代後期の絵師勝山琢眼(かつやまたくがん)が手がけた襖絵を初公開。この襖絵は中国の皇帝たちの話を集めた図録を元に描かれていて、京都御所の殆どが燃えた1854年(嘉永7年/安政元年)の大火の際に焼失を逃れた貴重な作品だそうです。
最近は閉まってますが、以前は参観入口だった「宜秋門」です。上皇や宮家、及び廷臣が正式に参内する際に用いられ、「公家門」とも称されたようです。
この向かいが「御車寄(おくるまよせ)」です。儀式や天皇との対面のために参内した者を迎える玄関で、公卿・殿上人など、限られた物だけが使用しました。
次に門をくぐって最初に見るのが左手にある「諸大夫の間(しょだいぶのま)」です。こちにもガラス越しの見学となり、人の顔が写り込むで写真は、これだけです。
諸大夫の間とは、参内した者の控えの間のこと。格の高い順に「虎の間」、「鶴の間」、「桜の間」と襖の絵にちなんで呼ばれる。右に行くほど格が高く、身分に応じて部屋が決まった。部屋の格は畳縁の色の違いなどにも反映されている。「虎の間」と「鶴の間」を使用するの者は御車寄から参入するが、「桜の間」を使用する者については、左の靴脱石から参入した。
次が、「新御車寄(しんみくるまよせ)」で、展示物は今回も無かったです。内部は、ガラスや照明器具があって、絨毯敷となっており洋風になっていると聞きました。
1915年(大正4年)の、大正天皇(第123代天皇)の「即位の礼」に際して、馬車による行幸に対応するために新設された玄関である。天皇が御所の南面から出入りされた伝統を踏まえて南向きに建てられている。当初は北側に、御常御殿への経路となる廊下があったが、第二次世界大戦中に撤去され、現在は独立した建物となっている。

次に見たのが「月華門」と「武徳門」でした。月華門は、平安京内裏内郭の門の一つ。紫宸殿南庭の西側にあり、日華門と対しています。
次に見る承明門の対面にあるの「建礼門(けんれいもん)」です。建礼門、承明門、紫宸殿と一直線に並んでいます。
京都御所南面にある正門です。かつては即位の礼など紫宸殿で行われる儀式の時には開かれました。現在は、天皇・皇后両陛下や外国の国家元首が通る時だけ使用される格式の高い門です。


建礼門の向かいにあるのが「承明門」です。出入り出来ませんが紫宸殿は見えました。五間三戸、一重、瓦葺、白壁に木部は丹塗りの門となっています。
元々平安宮内裏の内郭門(ないかくもん)の一つで、紫宸殿南庭の南に置かれた檜皮葺の門である。中世に一度廃絶しましたが、儀式に用いる重要な建造物として、寛政時代の御造営において再建される。儀式では、公卿らの参入口として使用されるなど、重要な役割を果たしている。

回廊の北側にある「長楽門」から、次に東側に移動し「延政門」の北側にある展示物の見学です。
「桜花爛漫」の題して嵯峨御流の、生け花の展示です。嵯峨天皇が大覚寺大沢池の菊ヶ島に咲く菊を手折られ殿上の花瓶に挿されたことが始まりとか。
次が御室流の「山笑う」でした。仁和寺が行う生け花の流派が御室流華道だそうです。
最後が「聴徳(ちょうとく)之花」と題して月輪未詳流とありました。そして、その南にある「日華門」から入り紫宸殿を間近に見ます。

「日華門」から入って、「承明門」と白砂を敷き詰めた広々とした「南庭」を見ました。
入ると、真っ先に確認したかったのが、紫宸殿前にある「左近の桜」です。開花は期待してませんでしたが、蕾みも膨らんで無かったです。遅咲きかなぁ。
まだ空いていたので「紫宸殿」の全景が撮れました。次は近づいて滅多に見られない天皇の御座「高御座(たかみくら)」を撮ってみます。
天皇の御座「高御座(たかみくら)」です。肉眼では暗くて遠くて視力の良い私でも辛うじて見える程度です。ズームで撮って写ってました。
高御座(たかみくら)の脇には、皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」です。こちらの方が遠いので、ズームで捉えたかどうか帰って見るまで分かりませんでした。
「高御座」「御帳台」とともに即位の礼で用いられる調度品です。現在の高御座と御帳台は、1913年(大正2年)に制作され、大正・昭和・平成、令和の即位の礼で使用されました。高御座は朱塗りの高欄を巡らした黒漆塗りの台上にあり、天蓋の形は八角形で、8本の円柱で支えており、天蓋には大鳳1羽と小鳳8羽を載せています。
春と秋の特別公開以外では見られない「紫宸殿」の横側です。
紫宸殿は、1855年(安政2年)の再建。京都御所で、即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿であり、京都御所の象徴ともいえる存在です。第122代天皇の明治天皇、第123代天皇の大正天皇、第124代天皇の昭和天皇の三代天皇の即位礼もここで行われました。階段脇には,東に左近の桜、西に右近の橘があり、前面には回廊に囲まれた白砂の南庭が広がり、建物と同様に庭も重要な役割を果たしています。
紫宸殿の西側から入ると「清涼殿」でがあって、期待していた人形の展示はありませんでした。
平安宮内裏に由緒をもつ清涼殿は、平安時代中期(9世紀中頃)以降、天皇の日常の住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われた。平安時代には、源氏物語や枕草子など王朝文学の舞台ともなった。豊臣秀吉による内裏造営を契機に、1590年(天正18年)御常御殿にお住まいが移ってからは、主に儀式の際に使用された。伝統的な儀式を行うために、平安時代中期の建築空間や調度が古制に則って伝えられている。建物は、1855年(嘉永7年)に平安時代の様式を用いて再建された宸殿造風になっている。

清涼殿の北側に、「滝口(たきぐち)」があります。調べると「御溝水(みかわみず)」の落ち口を「滝口(たきぐち)」と言ったそうです。
中央には畳みがあって「昼御座(ひのおまし)」と言い、天皇の日常の御座(ござ)だそうです。また、向かって左には「石灰壇(いしばいだん)」(白の屏風の前)があって、ここで天皇が毎朝、伊勢神宮や賢所など、遠く離れた場所に祈りを捧げられました。

清涼殿を見た後、門を出て右手に行き、「宣陽殿(ぎようでん)(大臣宿所)」に向かいます。そこには特別展示がされているから。
「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」(十二単)の展示がありました。いわゆる十二単は、平安時代中期に成立したとされる宮中の女性装束で一般に呼ばれている「十二単」は俗称である。



今日は雅楽の演奏が10時からあるので、そちらに向かう人や、これを見ずに先に行かれた方も多かったです。向かって右から読んで行くと・・・?。
①「小袖(こそで)・長袴(ながぱかま)・単(ひとえ)」、②「五衣(いつつぎぬ)」、③「打衣(うちぎぬ)・表着(うわぎ)」、④「唐衣(からぎぬ)・裳(も)」。これで「五衣唐衣裳」の着装が完成するようです。十二単は、宮廷における女子の正装です。始まりは平安時代と言われています。時代の経過で様々なスタイルに変化しましたが、江戸時代中頃には、平安時代に近い形に戻りました。正式には、着用する各装束の名称をとって「五衣(いつづぎぬ)・唐衣・裳」と呼びます。そして、小袖の上から単・五衣・打衣(うちぎぬ)・表着・唐衣・裳の順にに重ね着して、装束を重ね、その際に襟元や袖口を少しずつずらすことで、装束の色目の重なりを見せていました。


門を入って左手には「小御所(こごしょ)」があります。1954年(昭和29年)に焼失したため、1958年(昭和33年)に復元されたものです。ガラス戸から内部が少しだけ見えました。
小御所は、鎌倉時代以降に建てられるようになった御殿で、江戸時代は将軍や大名などの武家との対面や儀式の場として使用されました。幕末の1867年(慶応2年)には、ここで明治天皇隣席の下、新政府の政治家が集まり、江戸幕府15代将軍徳川慶喜に対する処置を定めた「小御所会議」が行われたことでも有名です。上段・中段・下段の3室のまわりに広い板敷(廂)が付き、様々な儀式に対応できる実用的な建物でした。

その小御所の前には庭園が広がっています。日本庭園の「御池庭」といいます。1606年(慶長11年)に造営が始まり、数多くの名園を作庭した小堀遠州も関わったとされている。
御池庭は、1606年(慶長11年)に造営が始まりました。広い池の中央に蓬莱島、その左右には橋を架けた2島を配する。州浜から池泉へと10個の飛石が打たれ、先端が舟着場になっています。春の舟遊び、秋の月見の宴と回遊を楽しみました。
「小御所」と次に見る「御学問所」の間の四角い庭を「蹴鞠の庭」と呼ばれ、ここで貴族が蹴鞠をされたようです。
蹴鞠は、実際に天皇ご覧のもとに行われたこともありました。蹴鞠は7世紀、仏教とともに中国から伝わり、現在、京都では蹴鞠保存会によって古来の方式を受け継がれています。

次に見る建物は「御学問所」で、1613年(慶長18年)に清涼殿から独立した御殿。御読書始や和歌の会などの対面に用いられた。1867年(慶応3年)に、明治天皇が親王・諸臣を引見され「王政復古の大号令」を発せられたところでもある。
御殿での儀式では、雁の間に衣冠姿の公卿や殿上人などが列座した後、童髪に直衣姿の親王が上段の間から中段の間に入り着座されます。建築様式は書院造風となっています。


順路通りに進むと、次「長押門(なげしもん)」をくぐります。入ると右手に「御内庭(ごないてい)」があります。



その「御内庭(ごないてい)」に面して建てられているが「御常御殿(おつねごでん)」です。清涼殿内に設けられていた常御所が、1590年(天正18年)から天皇の住まいとなった所です。
御常御殿内は、15室あって、全て畳敷で当時の生活に合わせた造りとにっている。この建物には天皇の日常のお住まいとし、お休みになるための「御寝の間」や、食事や身繕いに使用された部屋がある。建物の北側、向かって右手の方向には、細い渡り廊下を通って、書斎や茶室として使用された離れへと続いている。南面に上段・中段・下段を備え儀式や対面の場としても使われた。内部は、神器を納める「剣璽の間」、「御寝の間」などからなっている。




日本庭園の「御内庭(ごないてい)」を右手に見ながら参観コースの終わりである「龍泉門」まで来ました。奥にある建物が「御涼所(おすずみしょ)」で、その先に吹き抜けの渡り廊下を通って、茶室「聴雪(ちょうせつ)」(非公開)があるそうです。
龍泉門の向かって右に、玉石を円形に敷き詰めた直径1㍍の座があり、そこで天皇は伊勢神宮へ向かって、毎朝遙拝されてました。
御常御殿の南面に出ました。ここでは梅の白梅と紅梅がありますが、とうに終わっています。




京都御所の参観の最後は、「御三間(おみま)」です。
御三間は、1709年(宝永6年)に御常御殿の一部が独立したもので、御常御殿に近い方から上段・中段・下段の3室が並ぶ。七夕などの内向きの年中行事に使用されたほか、1860年(万延元年)祐宮(後の明治天皇)が8歳の時、成長を願う儀式「深曾木(ふかそぎ)」が、ここでおこなわれた。
御三間から出口に向かうこの広場は、かつての「御台所跡」がありました。この辺りにも桜が咲いていたので寄って行きます。


いつもは、何も無いのでスルーですが、ちょうど綺麗に桜が咲いてて良かったです。






「御台所跡」は、戦前まで御台所などたくさんの建物や渡り廊下がありました。その名残でしょうか「井戸」も見られます。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)に、空襲よる火災の延焼防止のため、取り壊されました。現在は、四季折々の花が楽しめる空間となっています。
9時36分に「清所門」から出ました。これから入られる人の番号札を見ると500番台になってましたね。
京都御苑中立売駐車場に戻り、精算すると8時33分~9時42分、800円で済みました。
今シーズン初めてでしょうか、満開の桜を見られたのは。京都では、これからソメイヨシノが満開になるでしょう。ただし、天気予報が良くないですね、雨が多そうです。
そんな暑くなった27日(金)に、25日(水)から始まった京都御所 令和8年春の特別公開京都御所 宮廷文化の紹介に行き、京都御苑に咲く枝垂れ桜が満開になったとの情報も出ていたので、合わせて見てこようと思い車で出掛けました。
もう少し早く着きたかったですが、京都御苑中立売駐車場に8時33分に車を入れました。京都御所で春の特別公開をやっているからでしょうか、この時間でも多くの車が止まってました。京都御所の特別公開は9時に開門されます。それまでに、この日の目的である枝垂れ桜を見に行くことにしました。
江戸時代後期の絵師勝山琢眼(かつやまたくがん)が手がけた襖絵を初公開。この襖絵は中国の皇帝たちの話を集めた図録を元に描かれていて、京都御所の殆どが燃えた1854年(嘉永7年/安政元年)の大火の際に焼失を逃れた貴重な作品だそうです。
諸大夫の間とは、参内した者の控えの間のこと。格の高い順に「虎の間」、「鶴の間」、「桜の間」と襖の絵にちなんで呼ばれる。右に行くほど格が高く、身分に応じて部屋が決まった。部屋の格は畳縁の色の違いなどにも反映されている。「虎の間」と「鶴の間」を使用するの者は御車寄から参入するが、「桜の間」を使用する者については、左の靴脱石から参入した。
1915年(大正4年)の、大正天皇(第123代天皇)の「即位の礼」に際して、馬車による行幸に対応するために新設された玄関である。天皇が御所の南面から出入りされた伝統を踏まえて南向きに建てられている。当初は北側に、御常御殿への経路となる廊下があったが、第二次世界大戦中に撤去され、現在は独立した建物となっている。
京都御所南面にある正門です。かつては即位の礼など紫宸殿で行われる儀式の時には開かれました。現在は、天皇・皇后両陛下や外国の国家元首が通る時だけ使用される格式の高い門です。
元々平安宮内裏の内郭門(ないかくもん)の一つで、紫宸殿南庭の南に置かれた檜皮葺の門である。中世に一度廃絶しましたが、儀式に用いる重要な建造物として、寛政時代の御造営において再建される。儀式では、公卿らの参入口として使用されるなど、重要な役割を果たしている。
「高御座」「御帳台」とともに即位の礼で用いられる調度品です。現在の高御座と御帳台は、1913年(大正2年)に制作され、大正・昭和・平成、令和の即位の礼で使用されました。高御座は朱塗りの高欄を巡らした黒漆塗りの台上にあり、天蓋の形は八角形で、8本の円柱で支えており、天蓋には大鳳1羽と小鳳8羽を載せています。
紫宸殿は、1855年(安政2年)の再建。京都御所で、即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿であり、京都御所の象徴ともいえる存在です。第122代天皇の明治天皇、第123代天皇の大正天皇、第124代天皇の昭和天皇の三代天皇の即位礼もここで行われました。階段脇には,東に左近の桜、西に右近の橘があり、前面には回廊に囲まれた白砂の南庭が広がり、建物と同様に庭も重要な役割を果たしています。
平安宮内裏に由緒をもつ清涼殿は、平安時代中期(9世紀中頃)以降、天皇の日常の住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われた。平安時代には、源氏物語や枕草子など王朝文学の舞台ともなった。豊臣秀吉による内裏造営を契機に、1590年(天正18年)御常御殿にお住まいが移ってからは、主に儀式の際に使用された。伝統的な儀式を行うために、平安時代中期の建築空間や調度が古制に則って伝えられている。建物は、1855年(嘉永7年)に平安時代の様式を用いて再建された宸殿造風になっている。
①「小袖(こそで)・長袴(ながぱかま)・単(ひとえ)」、②「五衣(いつつぎぬ)」、③「打衣(うちぎぬ)・表着(うわぎ)」、④「唐衣(からぎぬ)・裳(も)」。これで「五衣唐衣裳」の着装が完成するようです。十二単は、宮廷における女子の正装です。始まりは平安時代と言われています。時代の経過で様々なスタイルに変化しましたが、江戸時代中頃には、平安時代に近い形に戻りました。正式には、着用する各装束の名称をとって「五衣(いつづぎぬ)・唐衣・裳」と呼びます。そして、小袖の上から単・五衣・打衣(うちぎぬ)・表着・唐衣・裳の順にに重ね着して、装束を重ね、その際に襟元や袖口を少しずつずらすことで、装束の色目の重なりを見せていました。
小御所は、鎌倉時代以降に建てられるようになった御殿で、江戸時代は将軍や大名などの武家との対面や儀式の場として使用されました。幕末の1867年(慶応2年)には、ここで明治天皇隣席の下、新政府の政治家が集まり、江戸幕府15代将軍徳川慶喜に対する処置を定めた「小御所会議」が行われたことでも有名です。上段・中段・下段の3室のまわりに広い板敷(廂)が付き、様々な儀式に対応できる実用的な建物でした。
御池庭は、1606年(慶長11年)に造営が始まりました。広い池の中央に蓬莱島、その左右には橋を架けた2島を配する。州浜から池泉へと10個の飛石が打たれ、先端が舟着場になっています。春の舟遊び、秋の月見の宴と回遊を楽しみました。
蹴鞠は、実際に天皇ご覧のもとに行われたこともありました。蹴鞠は7世紀、仏教とともに中国から伝わり、現在、京都では蹴鞠保存会によって古来の方式を受け継がれています。
御殿での儀式では、雁の間に衣冠姿の公卿や殿上人などが列座した後、童髪に直衣姿の親王が上段の間から中段の間に入り着座されます。建築様式は書院造風となっています。
御常御殿内は、15室あって、全て畳敷で当時の生活に合わせた造りとにっている。この建物には天皇の日常のお住まいとし、お休みになるための「御寝の間」や、食事や身繕いに使用された部屋がある。建物の北側、向かって右手の方向には、細い渡り廊下を通って、書斎や茶室として使用された離れへと続いている。南面に上段・中段・下段を備え儀式や対面の場としても使われた。内部は、神器を納める「剣璽の間」、「御寝の間」などからなっている。
御三間は、1709年(宝永6年)に御常御殿の一部が独立したもので、御常御殿に近い方から上段・中段・下段の3室が並ぶ。七夕などの内向きの年中行事に使用されたほか、1860年(万延元年)祐宮(後の明治天皇)が8歳の時、成長を願う儀式「深曾木(ふかそぎ)」が、ここでおこなわれた。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)に、空襲よる火災の延焼防止のため、取り壊されました。現在は、四季折々の花が楽しめる空間となっています。
今シーズン初めてでしょうか、満開の桜を見られたのは。京都では、これからソメイヨシノが満開になるでしょう。ただし、天気予報が良くないですね、雨が多そうです。
この記事へのコメント
読ませて頂いて、私の足ではとても無理だと思いましたよ(^^♪
枝垂れ桜がこれほど有るとは、満開になれば見事でしょうね
高御座(たかみくら)と、皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」
これ覚えました(^^♪
いま京都はオーバーツーリズムで行くところじゃないと言われて
いますが行って見たいですね。
京都御所のある京都御苑は広いです。砂利道で歩きにくいし、ただ無料で見られる枝垂れ桜は綺麗でした。何度か行ってる京都御苑ですが、桜を見るのは初めてでした。予約無しで入れて、おまけに無料で見られるので京都御所も入ってみたわけです。以前はガイドさんに付いて回りましたが、このように自由参観になって私は良かったです。自分のペースで見られるので。
初めまして、訪問ありがとうございます。
京都は、何処に行っても外国人観光客や修学旅行生が居るので、凄く混雑しています。京都市民が市バスに乗れない事態で困っているのが現状ですね。修学旅行も京都離れが進んでいるとか。あんなに混んでたら学生さんが可愛そうです。