京都最古の松尾大社でヤマブキが咲き誇る
京都最古の松尾大社(おつのうたいしゃ)では、毎年4月の中頃になると新緑が映える境内に、ヤマブキの花が咲き誇ります。地元の新聞やメディアでも取り上げられるので、満開を迎えた時期に必ず行ってます。
松尾大社の周辺一帯は古来からヤマブキが自生する地域だったそうです。宅地開発などで減少しましたが、戦後に近くの住民と同大社により植栽が続けられ、現在は一重咲きと八重咲きが合わせて3千株ほど根付いているという。境内を流れる一ノ井川沿いでヤマブキが垂れ下がるように咲き誇り、一面黄色に染まる光景は圧巻です。そんな満開のヤマブキを見に4月20日(月)行きました。


8時28分に松尾大社の駐車場に車を入れました。いつもより遅く来たのは、このあとの予定のため。天気は青空が広がる快晴です。




「山吹(ヤマブキ)」も八重咲きの方が綺麗ですね、一重より開花が遅れるので、今頃見頃となりました。


駐車場から江戸時代初期の建立と伝わる「楼門」まで来ました。ここから境内に入ります。

この楼門の左右に「随神」が松尾大社を守っています。随身とは平安時代、貴族の外出時に護衛のために随従した近衛府の官人のことです。
楼門を入ると、境内に一ノ井川が流れています。その川沿いには垂れ下がるように「山吹(ヤマブキ)」が咲いています。










この辺りが、松尾大社で「山吹(ヤマブキ)」を撮るビュースポットでしょうね、今年も綺麗な花を見られました。
後で本殿前に行って参拝するので、ここの「手水舎」で清めました。



私が本殿前に行った時は空いてました。お賽銭をして参拝させて貰いました。
余談ですが、ある新聞記事を目にしたんですが、神社にとってお賽銭は小銭よりお札の方が喜ばれるみたいです。小銭だと持ち運びが重いのと、銀行に預ける時に手数料が射るようですね。それでも私は小銭です😊。


本殿前の近辺にも「山吹(ヤマブキ)」が咲いてました。境内の至る所で見られます。
太古この地方に住んでいた住民が、松尾山の神霊を祀って守護神としたのが松尾大社の起源。五世紀の頃、朝鮮半島から渡来した秦氏がこの地に移住して松尾山の神を一族の総氏神と仰ぎ、山城・丹波の両国を開拓し河川を治めて農林業を興しました。文武天皇の701年(大宝2年)勅命により、秦忌寸都理(はたのいちきどり)が現在地に社殿を創建してより、平安時代以降は賀茂両社と共に皇城鎮護の社、また「四神相応」白虎の地に坐す社とされた。
次ぎに本殿の南側にある南末社に行きました。ここには滅多に足を運びませんが、ここも「山吹(ヤマブキ)」が綺麗に咲いてました。




ここも綺麗でしたね、天気も良かったしね。まだまだ境内で咲いているので散策します。


この一ノ井川沿いの「山吹(ヤマブキ)」も、川沿いに垂れ下がってて大変綺麗です。









ここで8時45分になってました。実は社務所が開くのが9時と聞いていたので待ってました。ただ社務所開いているので聞いて見ると・・・。
時間前でしたが、開いていたので受付してくれました。この山吹の時期の特別御朱印をいただけました。
帰りに「楼門」から出た所で「山吹(ヤマブキ)」を撮りました。ここから撮るのは珍しいです。
この「赤鳥居」の先にも「山吹(ヤマブキ)」が咲いてますが、今日は車で来たので行きません。




駐車場の戻る手前に「著莪(シャガ)」が咲いてました。そして車に戻る前に、ここで咲いていた「山吹(ヤマブキ)」を見に行きます。



ここの「山吹(ヤマブキ)」も綺麗でした。今年も綺麗な花を見られて良かったです。ちょうど見頃の時に来ましたね。
以前、聞いた話だ、山吹(ヤマブキ)には、「一重咲き」と「八重咲き」があって、八重は突然変異で生まれたもの。八重の花弁は雄しべが変化したもので、虫たちに見つけられやすいために変異したと考えられてて、雄しべが無いので花自体は受粉できないし、種ができません。増やすためには挿し木で行うよです。松尾大社の山吹は八重咲きが多かったので、増やすのに苦労されたのでしょう。
また山吹の花の和歌があって、「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき」中務卿兼明親王(かねあきら しんのう 914~986年)の作品です。15世紀に活躍した武将太田道灌が鷹狩に出かけたところ、急に雨が降ってきました。近くの粗末な小屋で蓑を借りようとしたところ、中から若い娘が出てきて、黙って山吹の花一枝を道灌に差し出します。花を求めたのではないのにと、道灌は娘の真意もわからぬまま怒って立ち去りました。後でそのことを家臣に話すと、それは、「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という古歌を踏まえたもので、娘は貧乏で道灌様にお貸しする蓑一つもございませんということを、山吹に託してそっと告げたのでしょうと語りました。それを聞いた道灌は自らの無学を恥じ、それ以来和歌に精進し、立派な歌人になったと言われています。
松尾大社の周辺一帯は古来からヤマブキが自生する地域だったそうです。宅地開発などで減少しましたが、戦後に近くの住民と同大社により植栽が続けられ、現在は一重咲きと八重咲きが合わせて3千株ほど根付いているという。境内を流れる一ノ井川沿いでヤマブキが垂れ下がるように咲き誇り、一面黄色に染まる光景は圧巻です。そんな満開のヤマブキを見に4月20日(月)行きました。
余談ですが、ある新聞記事を目にしたんですが、神社にとってお賽銭は小銭よりお札の方が喜ばれるみたいです。小銭だと持ち運びが重いのと、銀行に預ける時に手数料が射るようですね。それでも私は小銭です😊。
太古この地方に住んでいた住民が、松尾山の神霊を祀って守護神としたのが松尾大社の起源。五世紀の頃、朝鮮半島から渡来した秦氏がこの地に移住して松尾山の神を一族の総氏神と仰ぎ、山城・丹波の両国を開拓し河川を治めて農林業を興しました。文武天皇の701年(大宝2年)勅命により、秦忌寸都理(はたのいちきどり)が現在地に社殿を創建してより、平安時代以降は賀茂両社と共に皇城鎮護の社、また「四神相応」白虎の地に坐す社とされた。
時間前でしたが、開いていたので受付してくれました。この山吹の時期の特別御朱印をいただけました。
以前、聞いた話だ、山吹(ヤマブキ)には、「一重咲き」と「八重咲き」があって、八重は突然変異で生まれたもの。八重の花弁は雄しべが変化したもので、虫たちに見つけられやすいために変異したと考えられてて、雄しべが無いので花自体は受粉できないし、種ができません。増やすためには挿し木で行うよです。松尾大社の山吹は八重咲きが多かったので、増やすのに苦労されたのでしょう。
また山吹の花の和歌があって、「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき」中務卿兼明親王(かねあきら しんのう 914~986年)の作品です。15世紀に活躍した武将太田道灌が鷹狩に出かけたところ、急に雨が降ってきました。近くの粗末な小屋で蓑を借りようとしたところ、中から若い娘が出てきて、黙って山吹の花一枝を道灌に差し出します。花を求めたのではないのにと、道灌は娘の真意もわからぬまま怒って立ち去りました。後でそのことを家臣に話すと、それは、「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という古歌を踏まえたもので、娘は貧乏で道灌様にお貸しする蓑一つもございませんということを、山吹に託してそっと告げたのでしょうと語りました。それを聞いた道灌は自らの無学を恥じ、それ以来和歌に精進し、立派な歌人になったと言われています。
この記事へのコメント
今年は例年に増して、ヤマブキが綺麗に咲き誇ったのではないでしょうか。
こぼれ落ちるような鮮やかな黄色が印象的です。
これほど数多く咲くのを見たことが無いです。是非いつか行きたくなります。
こちらでは八重のヤマブキが多いのですね。
おかげでボリューム感たっぷりです。
松尾大社のヤマブキ、綺麗なんで毎年行ってます。境内に咲き誇るので、拝観料もいらないので。(^_^)
ここのは八重咲きが多くて見応えあります。種から増やせないので、ここまでにされるの苦労されたんでしょう。今年も見られて良かったです。