大徳寺塔頭 芳春院「芳春院の襖絵 竹内浩一」へ
4月25日(土)に妙心寺を訪れたとき、帰りに花園会館に寄ったですが、そこに置いてあったパンフを貰って来ました。そのパンフが、この日、最後に訪れた大徳寺塔頭 芳春院の襖絵 竹内浩一のもので、通常非公開の芳春院が公開されるのは珍しいので、行ってみたいなぁと思ったわけです
この日、大徳寺塔頭 興臨院「春の特別公開」に行ったあとに訪れたのが前途した芳春院でした。 興臨院で3寺院共通券を買わなかったのは、この芳春院に行くためでした。芳春院は、非公開で特別公開も少ないので、2023年(令和5年)2月22日(水)の「第57回 京の冬の旅」以来です。
この通路の先が芳春院があって、左手には非公開の「聚光院」があって、その西隣が春の特別公開が始まった「総見院」があります。 興臨院で共通券を購入しなかったので行きません。
ここで右手を行くと常時拝観している「大仙院」が、さらに奥に行くと非公開の「真珠庵」があります。今日は大仙院にも行きません。


芳春院は通常非公開です。特別公開も春や秋に定期的に公開されることもありません。このような展覧会が行われるのも珍しいので来てみたわけです。
芳春院は前田利家の正室まつ(芳春院)が、1608年(慶長13年)に建立し、戦国武将である前田家の菩提寺となる。敷地内には芳春院をはじめ、利長などの前田家代々の墓所がある。本堂の背後にある「飽雲池(ほううんち)」と、池の上に架かる「打月橋(だげつきょう)」、二重楼閣の「呑湖閣(どんとかく)」からなる庭園は小堀遠州らが作庭した楼閣山水庭園として知られる。「呑湖閣」は、金閣・銀閣・飛雲閣とともに「京の四閣」と呼ばれている。



左を行けば「芳春院 盆栽庭園」があって、この展覧会に行けば、ここも入れるので帰りに寄ります。
この左手に拝観受付所があって、拝観料1500円を納めます。書き置き御朱印もお願いし、帰りに受取ることにして先に進みます。
こちらが妙心寺に置いてあったパンフです。後で知りましたが、室内は撮影禁止で写真はありません。

この「表門」から入りますが、出て来られたのが外国人観光客でした。後で聞くと3分の2は海外から来られていると。

表門を入って右手の庫裏は後にして、先に「唐門」から入ります。


唐門を入って、正面に花頭窓から方丈を撮りました。ただ、靴を脱いで上がるとガイドさんより庭園も室内も禁止と言われたので、この先の写真はありません。
この芳春院に初めて来たのが2005年(平成17年)11月26日でした。その時は室内の写真はNGでしたが、庭園は撮れました。この先、写真が撮れないので、20年以上前の写真を使います。
ご本尊は中央に「釈迦如来像」、右に「文殊菩薩」、左に獅子に乗られている「普賢菩薩」で、いずれも冠を被っています。右に安置されているのは開山の「玉室宗珀像(大徳寺第147世住職)」、左に「芳春院(まつ)」の木像を安置。本堂(方丈)の扁額は、1798年(寛政10年)に再建されたとき、加賀藩11代藩主前田治脩(まえだはるなが)の揮毫によるもの。
そして本堂(方丈)の襖絵ですが、芳春院400年遠忌の2016年(平成28年)に日本画の竹内浩一氏が描かれた水墨画が見られました。静寂のなかに現れる動物、啼く猿、飛ぶウサギ、キツネ、ナマズ、モロコなど表の「礼の間」「室中の間」「檀那の間」は入室でき間近で見られ、裏の「衣鉢の間」は入室はできませんでしたが、「書院の間」ではプロジェクトマッピングで趣向を凝らした演出もありました。
方丈前の庭園は、花岸庭と呼ばれ作庭家中根金作によるもの。芳春院が好んだと言われる桔梗の花が生い茂る庭で、白砂が広がる枯山水庭園。煩悩や迷いに満ちた彼岸(彼岸)から白砂に浮かぶ岩を船に見立てて、その船に乗って海を渡って到達する悟りの世界を此岸(しがん)を表しています。山深い渓谷から流れ出る水は湖にそそぎ、大海に帰る模様を枯山水で表現されている。ガイドさんの話では、この「方丈(本堂)」から南を見ると電柱など何も見えません。大徳寺で最も北に位置する芳春院は、東寺の国宝「五重塔」の先端と同じ高さにあると聞きましたが、私にとっては二度目でしたね😊。
次に本堂(方丈)北側に建つ、昭堂の「呑湖閣(どんとかく)」の案内がありました。内容は前回と同じでしたが聞いてました😊。
この芳春院で一番大切な方を祀るお堂が昭堂で、「呑湖閣」の上層部には、菅原道真公が祀られて、下層部には玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)の師である春屋宗園(しゅんおくそうえん)の木像が祀られている。「京の四閣」(金閣・銀閣・飛雲閣)とも称される優美な二階楼閣の呑湖閣。屋上からは比叡山を望み、その向こうにある琵琶湖の水を飲み干すという意を込めて名付けられた。加賀藩初代藩主前田利長公の依頼により、玉室宗珀に参禅していた医者横井等怡(よこいとうい)と、茶人で武将でもある小堀遠州によって建てられた呑湖閣、その前に広がる「飽雲池」と、そこに架かる「打月橋(だげつきょう)」とともに楼閣山水庭園が築かれた。
呑湖閣の右側(東側)には、1916年(大正5年)に完成した「書院」あって、京都帝国大学(京都大学)の学生であった、近衛文麿元首相が勉強をしていたと案内で聞きました。非公開でしたが、襖絵は下保昭(かほあきら)画伯ものだそうです。
10時41分に出ました。この「庫裏」の前にある大木は「沙羅双樹」です。「平家物語」の冒頭で知られてて、無常を象徴する花として知られている。


芳春院の表門を出て、拝観受付所でお願いしていた御朱印を受取ります。書き置きのみで500円を納めました。

ここから「芳春院盆栽庭園」に入ります。今回は芳春院とのセットとなっているのでチケットを見せるだけです。


奥に見えている門を超えると有料となります。ここでも外国人観光客の皆さんが出て行かれました。現在、海外の方に盆栽が人気のようです。
ここに入るのは、2023年(令和5年)2月22日(水)以来です。芳春院が拝観出来ない時は、盆栽庭園は1000円だと思います。


盆栽庭園の入口で、「ここは何処を撮って貰ってもOKです」と案内がありました😊。そして「通玄庵」まで来ると「如意輪観音」が祀られていました。
こちらは「通玄庵」の「床飾り」です。左から木彫「歌仙」、掛け軸は「雲」、盆栽は「荒皮もみじ」でした。


入口で盆栽の目録を貰ってて、番号は46番まであります。そんなに盆栽興味ある訳じゃないので、今まであっさり見てました。
参考までに、手前の盆栽は44番で、「山桜」樹齢80年、(一財)慶雲庵 所蔵とありました。
ここが「竹内浩一展 第二会場」となっており入ります。売店もありましたね。作品を一つづつ見ていきます。




左から「赤いページ The Red Page」、「音のゆくえ The Whereabouts of sound」、「伍の三 The third of five」、「伍の二 The second of five」。
正面に回って「十 The Ten」。



上から「西域・祈り The Western Region・Prayer」、「密の朱 Cinnabar of the Secret」、「西域・祈り The Western Region・Prayer」、「Untitled」。
竹内浩一は、1941年(昭和16年)京都市生まれ。1960年(昭和35年)に京都市立日吉ヶ丘高校日本画科を卒業。1966年(昭和41年)に晨鳥社に入塾し、仕事のかたわら京都画壇の重鎮・山口華楊に師事すると、すぐに頭角をあらわして日本画家の道を歩み始めた。40歳を過ぎると禅の教えと中国宋時代の絵画との出会いが、新たな画境を拓く契機となり、淡くデリケートな色調と生なるものへの深い慈しみを込めた独自の世界を築き上げた。また後進の育成にも尽力し、京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)の教授を経て、2002年(平成14年)より京都市立芸術大学の教授をつとめた。親交を温めてきた大徳寺芳春院の秋吉則州和尚から襖絵制作の依頼を受け、2016年(平成28年)に72面にもわたる襖絵を奉納した。
第二展示室を出て、最初にみたのが「山査子(サンザシ)」でした。読めなかったので帰って調べました。樹齢60年と書いてありましたね。
こちらは樹齢を見てビックリ、200年と書いてありました。「五葉松」(一財)慶雲庵 所蔵でした。



最後に「展示場」に入りました。紹介するのは一つだけ「山もみじ」樹齢35年でした。

10時55分に芳春院盆栽庭園を出ました。ここでは日本の方より外国人観光客の皆さんの方が多かったです。

この「五葉松」なんと、樹齢100年と書いてありました。
こちらの「杜松(ネズ)」は、なんと樹齢200年。それより読めなかったですね、この松の名前😊。








11時3分に大徳寺の「総門」から出ました。ここから直接、駐車場に向かうことにしました。
大徳寺駐車場で、精算すると9時58分~11時6分、400円で済みました。以前は一律500円だったので、少しお得になりましたね、今日は、ここから帰りました。帰りに京都府立堂本印象美術館の前を通りました。案内では、芳春院拝観のチケットを見せると2割引になるそうです。ここでも竹内浩一展されてるみたいですね、多分行かないと思いますが。この日の最高気温は22.4℃で、暑くもなく寒くも無く、一年で一番良い季候だと思います。まもなくGWで、特別公開も多くなりますが、混雑するので考え中です。
この日、大徳寺塔頭 興臨院「春の特別公開」に行ったあとに訪れたのが前途した芳春院でした。 興臨院で3寺院共通券を買わなかったのは、この芳春院に行くためでした。芳春院は、非公開で特別公開も少ないので、2023年(令和5年)2月22日(水)の「第57回 京の冬の旅」以来です。
芳春院は前田利家の正室まつ(芳春院)が、1608年(慶長13年)に建立し、戦国武将である前田家の菩提寺となる。敷地内には芳春院をはじめ、利長などの前田家代々の墓所がある。本堂の背後にある「飽雲池(ほううんち)」と、池の上に架かる「打月橋(だげつきょう)」、二重楼閣の「呑湖閣(どんとかく)」からなる庭園は小堀遠州らが作庭した楼閣山水庭園として知られる。「呑湖閣」は、金閣・銀閣・飛雲閣とともに「京の四閣」と呼ばれている。
こちらが妙心寺に置いてあったパンフです。後で知りましたが、室内は撮影禁止で写真はありません。
この芳春院に初めて来たのが2005年(平成17年)11月26日でした。その時は室内の写真はNGでしたが、庭園は撮れました。この先、写真が撮れないので、20年以上前の写真を使います。
そして本堂(方丈)の襖絵ですが、芳春院400年遠忌の2016年(平成28年)に日本画の竹内浩一氏が描かれた水墨画が見られました。静寂のなかに現れる動物、啼く猿、飛ぶウサギ、キツネ、ナマズ、モロコなど表の「礼の間」「室中の間」「檀那の間」は入室でき間近で見られ、裏の「衣鉢の間」は入室はできませんでしたが、「書院の間」ではプロジェクトマッピングで趣向を凝らした演出もありました。
方丈前の庭園は、花岸庭と呼ばれ作庭家中根金作によるもの。芳春院が好んだと言われる桔梗の花が生い茂る庭で、白砂が広がる枯山水庭園。煩悩や迷いに満ちた彼岸(彼岸)から白砂に浮かぶ岩を船に見立てて、その船に乗って海を渡って到達する悟りの世界を此岸(しがん)を表しています。山深い渓谷から流れ出る水は湖にそそぎ、大海に帰る模様を枯山水で表現されている。ガイドさんの話では、この「方丈(本堂)」から南を見ると電柱など何も見えません。大徳寺で最も北に位置する芳春院は、東寺の国宝「五重塔」の先端と同じ高さにあると聞きましたが、私にとっては二度目でしたね😊。
この芳春院で一番大切な方を祀るお堂が昭堂で、「呑湖閣」の上層部には、菅原道真公が祀られて、下層部には玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)の師である春屋宗園(しゅんおくそうえん)の木像が祀られている。「京の四閣」(金閣・銀閣・飛雲閣)とも称される優美な二階楼閣の呑湖閣。屋上からは比叡山を望み、その向こうにある琵琶湖の水を飲み干すという意を込めて名付けられた。加賀藩初代藩主前田利長公の依頼により、玉室宗珀に参禅していた医者横井等怡(よこいとうい)と、茶人で武将でもある小堀遠州によって建てられた呑湖閣、その前に広がる「飽雲池」と、そこに架かる「打月橋(だげつきょう)」とともに楼閣山水庭園が築かれた。
呑湖閣の右側(東側)には、1916年(大正5年)に完成した「書院」あって、京都帝国大学(京都大学)の学生であった、近衛文麿元首相が勉強をしていたと案内で聞きました。非公開でしたが、襖絵は下保昭(かほあきら)画伯ものだそうです。
竹内浩一は、1941年(昭和16年)京都市生まれ。1960年(昭和35年)に京都市立日吉ヶ丘高校日本画科を卒業。1966年(昭和41年)に晨鳥社に入塾し、仕事のかたわら京都画壇の重鎮・山口華楊に師事すると、すぐに頭角をあらわして日本画家の道を歩み始めた。40歳を過ぎると禅の教えと中国宋時代の絵画との出会いが、新たな画境を拓く契機となり、淡くデリケートな色調と生なるものへの深い慈しみを込めた独自の世界を築き上げた。また後進の育成にも尽力し、京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)の教授を経て、2002年(平成14年)より京都市立芸術大学の教授をつとめた。親交を温めてきた大徳寺芳春院の秋吉則州和尚から襖絵制作の依頼を受け、2016年(平成28年)に72面にもわたる襖絵を奉納した。
大徳寺駐車場で、精算すると9時58分~11時6分、400円で済みました。以前は一律500円だったので、少しお得になりましたね、今日は、ここから帰りました。帰りに京都府立堂本印象美術館の前を通りました。案内では、芳春院拝観のチケットを見せると2割引になるそうです。ここでも竹内浩一展されてるみたいですね、多分行かないと思いますが。この日の最高気温は22.4℃で、暑くもなく寒くも無く、一年で一番良い季候だと思います。まもなくGWで、特別公開も多くなりますが、混雑するので考え中です。
この記事へのコメント