臨済宗 天龍寺派 等持院でサツキの花が見頃
仁和寺の駐車場を9時30分に出て、次に向かったのが臨済宗 天龍寺派 等持院で、この時期の等持院庭園では、サツキの花が咲き誇るので見に来ました。
仁和寺や龍安寺、金閣寺が「きぬかけの路」沿いにあるのに対して、等持院は入り組んだ所にあるので分かりにくいです。私は何度も来ているので、道は覚えたので問題なく行けますが、最初は戸惑いました。
等持院の駐車場は「表門」の前にあって、9時36分に車を止めました。



まだ等持院庭園に入ってませんが、外からでもツツジやサツキが綺麗に咲いています。
いつも空いている等持院ですが、この時間に来たのでガラガラは期待できないです。拝観料は600円でした。
受付では拝観ルートは言われますが何度も来ているので、いつも書院から庭に降ります。

先ずは「芙蓉池」越しで茶室「清漣亭(せいれんてい)」を撮りました。期待通りにサツキの花綺麗です。


ここから茶室「清漣亭(せいれんてい)」まで行き、上から芙蓉池を見てみます。



上から庭園を見てみるとサツキの花が綺麗です。ただ、この時間に来たので、やっぱりガラガラは無理でしたね😊。


茶室横にある「司馬温公形手水鉢(しばおんこうがたちょずばち)」は忘れずに撮っておきました。
昔の中国(北宋)の政治家である、司馬温公(しばおんこう)が、子供の時に水甕にはまって溺れかけた友達を石で高価な甕を割って助けた故事にちなんで名付けられた。
茶室「清漣亭」の前に、「等持院型石灯籠」があります。竿は四角形、中台は六角形で、火袋に日月文様が穿ってあります。

下から見上げて撮った「等持院型石灯籠」です。ここから見るのは私自身珍しいです。






再び書院前まで降りて来て、次に心地池に向かいます。その前に「足利尊氏公のお墓」に寄りました。
室町幕府初代将軍の宝篋印塔がそれです。台座には足利尊氏の命日、延文3年4月30日の文字「延文三年」、左に「四月三十日」が書かれています。


心地池に着いてみると、ここにもサツキが咲いています。殆ど期待してなかったので少々驚きです。







この辺りは秋には紅葉が綺麗です。今はサツキも綺麗ですが、新緑の青モミジも綺麗です。




ここで心字池に突き出た「蓬莱島」に入ります。ここにはかつて「妙音閣」がありましたが、1950年(昭和25年)にジェーン台風により倒壊し、今は礎石しか残っていません。


「蓬莱島」に入って写真を撮って早々に出ました。いつも、ここに来て思うのは「妙音閣」って、どんな建物だったのかなぁ・・・と。

苑路に戻り、直ぐの右手には、足利家15代供養塔の「十三重塔」と、その左横には、赤松柳史の高弟 青山柳為句碑「芙蓉池に風あるやなし 落下舞ふ」と書いてあります。
その先には、「臨済宗天龍寺派管長 関牧翁胸像」(左)と「中興天龍牧翁和尚大禅師」(右)がありました。
心地池を巡って、再び茶室「清漣亭(せいれんてい)」まで戻って来ました。



先ほども見ているので、直ぐに降りて書院に戻りました。このあとは本堂へ向かいます。
書院から本堂へ向かう途中の、方丈裏から見た芙蓉池庭園です。下から見ているのと上から見ているのと少しだけ違います。

本堂の前次に「霊宝殿」に入ります。ここは撮影禁止のため写真はありません。ここで用意してきたお賽銭をしお参りしました。
正面には、室町幕府初代将軍・足利尊氏公が日頃信仰されていた地蔵尊(弘法大師空海作)を本尊に左右に達磨大師像と夢想国師像が祀られてます。次に向かって右から若き日の徳川家康(東照大権現)坐像から、歴代足利将軍木像の室町幕府初代将軍足利尊氏(等持院殿)坐像、2代将軍義詮(よしあきら)(宝筐院殿)坐像、3代将軍義満(鹿苑院)坐像、4代将軍義持(勝定院殿)坐像、6代将軍義教(普広院殿)坐像、7代将軍義勝(慶雲院)坐像、8代将軍義政(慈照院)坐像、9代将軍義尚(よしひさ)(常徳院)坐像、10代将軍義稙(よしたね)(恵林院殿)坐像、11代将軍義澄(よしずみ)(法住院殿)坐像、12代将軍義晴(萬松院)坐像、13代将軍義輝(光源院)坐像、15代将軍義昭(霊陽院)坐像が安置されています。なお、5代将軍義量(よしかず)(長得院殿)、14代将軍義栄(よしひで)(光徳院)は、ありません。

霊宝殿を出て最後に「方丈(本堂)」に行きました。ご本尊は「釈迦牟尼仏」が祀られています。「方丈前庭」もサツキがありました。




ここで腰を下ろして座りました。「方丈前庭」にもサツキが咲いていました。ただタクシーの運転手さんに連れられた修学旅行生が入ってきて、ここに来られるのは珍しいですね。


学生さんが来られたこともあって、10時6分に等持院を出て行きました。

10時10分頃に等持院の駐車場を出ました。参考までに等持院の駐車場は無料です。
今日は仁和寺から等持院と巡ったので、ここから帰りました。次は半夏生が色づいたときに来てみようかなぁと思います。
仁和寺や龍安寺、金閣寺が「きぬかけの路」沿いにあるのに対して、等持院は入り組んだ所にあるので分かりにくいです。私は何度も来ているので、道は覚えたので問題なく行けますが、最初は戸惑いました。
昔の中国(北宋)の政治家である、司馬温公(しばおんこう)が、子供の時に水甕にはまって溺れかけた友達を石で高価な甕を割って助けた故事にちなんで名付けられた。
室町幕府初代将軍の宝篋印塔がそれです。台座には足利尊氏の命日、延文3年4月30日の文字「延文三年」、左に「四月三十日」が書かれています。
正面には、室町幕府初代将軍・足利尊氏公が日頃信仰されていた地蔵尊(弘法大師空海作)を本尊に左右に達磨大師像と夢想国師像が祀られてます。次に向かって右から若き日の徳川家康(東照大権現)坐像から、歴代足利将軍木像の室町幕府初代将軍足利尊氏(等持院殿)坐像、2代将軍義詮(よしあきら)(宝筐院殿)坐像、3代将軍義満(鹿苑院)坐像、4代将軍義持(勝定院殿)坐像、6代将軍義教(普広院殿)坐像、7代将軍義勝(慶雲院)坐像、8代将軍義政(慈照院)坐像、9代将軍義尚(よしひさ)(常徳院)坐像、10代将軍義稙(よしたね)(恵林院殿)坐像、11代将軍義澄(よしずみ)(法住院殿)坐像、12代将軍義晴(萬松院)坐像、13代将軍義輝(光源院)坐像、15代将軍義昭(霊陽院)坐像が安置されています。なお、5代将軍義量(よしかず)(長得院殿)、14代将軍義栄(よしひで)(光徳院)は、ありません。
今日は仁和寺から等持院と巡ったので、ここから帰りました。次は半夏生が色づいたときに来てみようかなぁと思います。
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