京都国立博物館 特別展「北野天神」へ
京都国立博物館では、4月18日(土)~6月14日(日)まで特別展「北野天神」が開催されてて、この展覧会では、重要文化財「太刀 国綱ト銘ガアル(鬼切丸・髭切)」(北野天満宮蔵)と重要文化財「太刀 銘口忠(薄緑・膝丸)」(大覚寺蔵)がそろって通期展示されるほか、国宝「北野天神縁起絵巻(承久本)」が初めて全巻・全場面公開されると知り、行くことは以前から決めていて、それが5月28日(木)に行くことになりました。
会期は6月14日(日)まででしたが、理由は、国宝「北野天神縁起絵巻(承久本)」巻第5「時平抜刀」のシーンが5月31日(日)までで、雷神となった道真公が自らに無実の罪を着せた藤原時平に天誅を下ろすシーンです。 巻第6「清涼殿落雷」のシーンと併せて見られるのが今月末までと知ったから。特に前売りチケットは購入してませんでしたが😊。
三井リパーク京都国立博物館前駐車場に8時45分、車を入れました。車が駐車場に着く前に京都国立博物館前を通ので予想どうり行列ができてました。

行列の後ろに並びました。このあとグングン行列が伸びたようです。開門は定刻どおり9時ちょうどでした。


チケットは前日に購入したので、比較的早く入れました。こちらは明治古都館で1897年(明治30年)5月1日に「帝国京都博物館」として開館しました。

現在「明治古都館」は使われてません。「平成知新館」に9時2分入りました。

案内されるのは3階です。先ずはエレベーターで3階に上がります。
3階から見ていきますが、大きなプラカードを係の方がもたれていて「撮影禁止」と大きく書かれています。聞くと1階の1フロアだけ写真が撮れるようです。
全部を紹介するのは無理なんで国宝や重要文化財が中心になります。私が訪れた事が神社や寺にはリンクを貼っておきます😊。
「毛抜形太刀」(重文)(平安時代)は太宰府天満宮所蔵。「寛平御遺誡」(重文)(鎌倉時代)千葉県国立歴史民俗博物館所蔵。「理趣釈」(重文)(平安時代)仁和寺所蔵。「菅家文草 巻第十」(江戸時代)北野天満宮所蔵。
「天王立像」(重文)(平安時代)滋賀県天満神社所蔵。「鬼神像(13軀)」(重文)(平安時代)北野天満宮所蔵。「天神坐像」(重文)(鎌倉時代)奈良県與喜天満神社所蔵。「天神坐像」(重文)(鎌倉時代)神奈川県荏柄天神社所蔵。「天神立像」(重文)(鎌倉時代)神奈川県荏柄天神社所蔵。「束帯天神像(根本御影)」(南北朝時代)北野天満宮所蔵。天神さまが萎装束(なえしょうぞく)と呼ばれる平安時代の装束を着けています。「束帯天神像」(室町時代)東向観音寺所蔵。
「板絵神像(4 面のうち1面)」(重文)(鎌倉時代)宝積寺所蔵。「日吉山王垂迹神曼荼羅図」(室町時代曼殊院所蔵。曼殊院門跡には最近行ったぱかりです😊。北野天満宮が造営されるとその別当寺に曼殊院はなったのでゆかり深いです。「天神講式 伝尊円親王筆」(南北朝時代)大阪府道明寺天満宮所蔵。「舎利講式 尊応法親王筆」(室町時代)京都市右京区常照皇寺所蔵。「紫紙金字金光明最勝王経 巻第一後宇多天皇筆」(重文)(鎌倉時代)北野天満宮所蔵。「千手観音立像」(重文)(平安時代)大報恩寺(千本釈迦堂)所蔵。「十一面観音立像」(平安時代)曼殊院所蔵、神仏習合の名残ですね。「十一面観音坐像」(南北朝時代)平等寺。「長谷寺縁起絵巻 巻上・中 3 巻」( 室町時代)奈良県長谷寺所蔵。

3階から2階には階段を利用。エレベーターもありましたが。
2階には、この展覧会のメインでしょう国宝「北野天神縁起絵巻(承久本)」が展示されています。私は2019年(令和元年)11月4日(月・祝)に「第55回京都非公開文化財特別公開」で北野天満宮宝物館内で第三巻と第六巻は見ています。
「北野天神縁起絵巻」(承久本)(国宝)(鎌倉時代)北野天満宮所蔵「巻第一」「巻第二」「巻第三」「巻第四」「巻第五」「巻第六」「巻第七」「巻第八」「巻第九」、期間中に巻替あり。
主なシーンでは、930年(延喜8年)、天神の眷属によって再び清涼殿に落雷する。
清涼殿に雷神となった菅原道真が出現し雷を落とす。藤原時平のみ太刀を執り立ち向かう。無念のうちに大宰府で薨去され、その祟りにより災いが降りかかる場面が描かれている場面は迫力ありました。
次に北野天満宮の縁起(弘安本)を描いた絵巻の断簡三幅。北野天満宮所蔵本下巻末尾に「弘安元年」(1278)とあるところから、「弘安本」と呼ばれるもの。
「北野天神縁起絵巻(弘安本)(巻下)」(重文)(鎌倉時代)北野天満宮所蔵。「北野天神縁起絵巻(弘安本)(乙巻)」(重文)(鎌倉時代)東京国立博物館所蔵。「北野天神縁起絵巻(光起本)(巻中・巻下)」(重文)九条尚実他詞書、土佐光起筆(江戸時代)北野天満宮所蔵。 など。
そして1階へ。このフロアでは仏像が中心のようです。
「十一面観音立像(六観音菩薩像のうち)」(国宝)肥後定慶作(鎌倉時代)大報恩寺(千本釈迦堂)所蔵。「傅大士坐像および二童子立像」(重文)院隆作(室町時代)大報恩寺(千本釈迦堂)所蔵。これは北野の経王堂にあった輪蔵(応永20年建立)の前に安置されていた像のようです。「雲龍図屏風」(重文)海北友松筆(桃山時代)北野天満宮所蔵。海北友松は北野社の社僧と親交のあったようですね。「渡唐天神像」海門承朝賛(室町時代)曼殊院所蔵。「弁慶・昌俊図絵馬」(重文)長谷川等伯筆(桃山時代)北野天満宮所蔵。豊臣秀頼による絵馬舎創建当初の絵馬だそうです。
右:重要文化財 太刀 国綱ト銘ガアル(鬼切丸・髭切) 鎌倉時代(14世紀) 北野天満宮所蔵、左:重要文化財 太刀 銘口忠(薄緑・膝丸) 鎌倉時代(13世紀) 大覚寺所蔵。

こちらの「鬼切丸・髭切」(重文)は、北野天満宮の宝物館で、2021年(令和3年)5月10日(月)に見ています。その時は写真も撮れました。
北野天満宮所蔵の太刀 銘 安綱(鬼切丸・髭切)は、平安時代中期(十世紀)、清和源氏の祖・源基経の嫡男である源義仲が、国を守るように勅宣を受け、それにふさわしい天下守護の太刀を、異国からきた刀工が八幡神の駕籠を受け作り上げたものと伝わる。その後は、足利泰氏(1216~70)から子の足利(斯波)家氏に伝わり、その後斯波氏の子孫である最上家が継承した。明治に入り最上家の手を離れるにあたって滋賀県令を勤めた籠手田安定(こてだやすさだ)と有志が力を尽くし、1880年(明治13年)に北野天満宮に奉納された。

こちらは大覚寺所蔵の「薄緑・膝丸」(重文)で、2022年(令和4年)7月19日(水)に「第47回 京の夏の旅」で見ています。ただ大覚寺霊宝館は写真撮影が禁止されてて写真が撮れませんでした。
大覚寺に所蔵されている源氏の重宝「膝丸」との伝承を持つ太刀。付属する「薄緑太刀伝来」記に、源満仲(みなもとのみつなか)は「鬚切」「膝丸」の二振りの太刀を所持したと記されている。安井門跡(蓮華光院)を中興した性演(しょうえん)から江戸時代前期-中期の高僧道恕(どうじょ)(1668~1733)へ継承されたとの記があり。明治に入り安井門跡が廃された際に御影堂などが大覚寺に移築され、この太刀も大覚寺に納められた。「口忠」と銘の一文字目が大きく破損しているのは、刀身を造った時の共鉄で造られた鉄鎺はばきの影響とされる。地鉄はよく詰んだ小板目肌で、直調に小足の入った小丁子・小互の目め交じりの刃文に淡く映が立つ。本品は作風から見て鎌倉時代の備前国古備前派の特徴が顕著であり、古備前派の中で2文字目に「忠」を用いる近忠や実忠、家忠を作者として想定することができる。しかしながら、近忠には在銘確実な作例が現存せず、本品との作風および銘振の比較検討ができないため、決定力を断じることはできないが、家忠の在銘作品と比較すると銘字の書体が極めて近しいため、おおよその作者像がつかめる。
京都国立博物館同一展示記念の御朱印を5月4日(月・祝)に大覚寺で5月20日(水)に北野天満宮でいただきました。台紙は北野天満宮にありました。
このフロアでは写真が撮れます。次に「綱絵巻」(室町時代)東京国立博物館所蔵。
有名な源頼光の鬼(酒呑童子)退治の後日譚を描いた絵巻。頼光に仕えた四天王の1人である渡辺綱が主人公となり、羅城門に住む鬼や、頼光を病にした牛鬼を退治する。筋書きが似通う「羅城門絵巻」(前期展示)では退治に使われたのが「膝丸」と「髭切」であったとされ、清和源氏の名刀の由来として語られている。





主なシーンでは、羅城門の鬼と「膝丸」で対決。「髭切」で牛鬼の手を斬り落とす。


(上)「鬼切丸伝来記写(おにきりまるでんらいきうつし)」、(中)「奉剣寄進録(ほうけんきしんろく)」、(下)「薄緑太刀伝来(うすみどりたちでんらい)」(大覚寺)。
写真撮影エリア以外にも展示物はあります。出口まで、まだまだ見ていきます。
「三十六歌仙図帖 1帖」(江戸時代)北野天満宮所蔵。「能面」(重要美術品)大飛出 徳若作(室町時代)東京 観世文庫所蔵。「浅黄糸威褄取鎧 兜付 立挙臑当 鎧唐櫃」(重文)(南北朝~室町時代)山口県 防府天満宮所蔵。「浅黄糸威鎧」(重文)(南北朝~室町時代)山口県 防府天満宮所蔵。「紫韋威鎧」(重文)(鎌倉時代)山口県 防府天満宮所蔵。「能面」大天神 寶来作(江戸時代)東京国立博物館所蔵。など。
展覧会を出て、次に売店へ。せっかく来たので何点か買って帰ります。
(上)「北野天神縁起絵巻(承久本)」巻第6(部分)北野天満宮所蔵、亀屋良長のお菓子。(下)「北野天神縁起絵巻(承久本)」巻第3(部分)北野天満宮所蔵、塩芳軒の落雁。

9時47分に平成知新館を出ました。西南の方向には「ニデック京都タワー」が見えました。
次回の特別展「源氏物語 王朝のかがやき」は、10月6日(火)~11月29日(日)まで開催されるようです。
明治古都館(旧帝国京都博物館 本館)の対面にあるのが西門で開館当時の正門です。明治古都館は耐震工事のため閉館中です。
この京都国立博物館の前が三十三間堂です。開館前に並んでいると何台もの観光バスが入って行かれました。多分、修学旅行生でしょう。ここを出る時もそうでした。
京都国立博物館を出て、七条通り出ないで「三井リパーク京都国立博物館前」に戻りました。精算すると8時45分~9時50分、600円で済みました。今日は、この近辺でのサツキの名所に寄って行きます。
会期は6月14日(日)まででしたが、理由は、国宝「北野天神縁起絵巻(承久本)」巻第5「時平抜刀」のシーンが5月31日(日)までで、雷神となった道真公が自らに無実の罪を着せた藤原時平に天誅を下ろすシーンです。 巻第6「清涼殿落雷」のシーンと併せて見られるのが今月末までと知ったから。特に前売りチケットは購入してませんでしたが😊。
全部を紹介するのは無理なんで国宝や重要文化財が中心になります。私が訪れた事が神社や寺にはリンクを貼っておきます😊。
「毛抜形太刀」(重文)(平安時代)は太宰府天満宮所蔵。「寛平御遺誡」(重文)(鎌倉時代)千葉県国立歴史民俗博物館所蔵。「理趣釈」(重文)(平安時代)仁和寺所蔵。「菅家文草 巻第十」(江戸時代)北野天満宮所蔵。
「天王立像」(重文)(平安時代)滋賀県天満神社所蔵。「鬼神像(13軀)」(重文)(平安時代)北野天満宮所蔵。「天神坐像」(重文)(鎌倉時代)奈良県與喜天満神社所蔵。「天神坐像」(重文)(鎌倉時代)神奈川県荏柄天神社所蔵。「天神立像」(重文)(鎌倉時代)神奈川県荏柄天神社所蔵。「束帯天神像(根本御影)」(南北朝時代)北野天満宮所蔵。天神さまが萎装束(なえしょうぞく)と呼ばれる平安時代の装束を着けています。「束帯天神像」(室町時代)東向観音寺所蔵。
「板絵神像(4 面のうち1面)」(重文)(鎌倉時代)宝積寺所蔵。「日吉山王垂迹神曼荼羅図」(室町時代曼殊院所蔵。曼殊院門跡には最近行ったぱかりです😊。北野天満宮が造営されるとその別当寺に曼殊院はなったのでゆかり深いです。「天神講式 伝尊円親王筆」(南北朝時代)大阪府道明寺天満宮所蔵。「舎利講式 尊応法親王筆」(室町時代)京都市右京区常照皇寺所蔵。「紫紙金字金光明最勝王経 巻第一後宇多天皇筆」(重文)(鎌倉時代)北野天満宮所蔵。「千手観音立像」(重文)(平安時代)大報恩寺(千本釈迦堂)所蔵。「十一面観音立像」(平安時代)曼殊院所蔵、神仏習合の名残ですね。「十一面観音坐像」(南北朝時代)平等寺。「長谷寺縁起絵巻 巻上・中 3 巻」( 室町時代)奈良県長谷寺所蔵。
2階には、この展覧会のメインでしょう国宝「北野天神縁起絵巻(承久本)」が展示されています。私は2019年(令和元年)11月4日(月・祝)に「第55回京都非公開文化財特別公開」で北野天満宮宝物館内で第三巻と第六巻は見ています。
「北野天神縁起絵巻」(承久本)(国宝)(鎌倉時代)北野天満宮所蔵「巻第一」「巻第二」「巻第三」「巻第四」「巻第五」「巻第六」「巻第七」「巻第八」「巻第九」、期間中に巻替あり。
清涼殿に雷神となった菅原道真が出現し雷を落とす。藤原時平のみ太刀を執り立ち向かう。無念のうちに大宰府で薨去され、その祟りにより災いが降りかかる場面が描かれている場面は迫力ありました。
次に北野天満宮の縁起(弘安本)を描いた絵巻の断簡三幅。北野天満宮所蔵本下巻末尾に「弘安元年」(1278)とあるところから、「弘安本」と呼ばれるもの。
「北野天神縁起絵巻(弘安本)(巻下)」(重文)(鎌倉時代)北野天満宮所蔵。「北野天神縁起絵巻(弘安本)(乙巻)」(重文)(鎌倉時代)東京国立博物館所蔵。「北野天神縁起絵巻(光起本)(巻中・巻下)」(重文)九条尚実他詞書、土佐光起筆(江戸時代)北野天満宮所蔵。 など。
そして1階へ。このフロアでは仏像が中心のようです。
「十一面観音立像(六観音菩薩像のうち)」(国宝)肥後定慶作(鎌倉時代)大報恩寺(千本釈迦堂)所蔵。「傅大士坐像および二童子立像」(重文)院隆作(室町時代)大報恩寺(千本釈迦堂)所蔵。これは北野の経王堂にあった輪蔵(応永20年建立)の前に安置されていた像のようです。「雲龍図屏風」(重文)海北友松筆(桃山時代)北野天満宮所蔵。海北友松は北野社の社僧と親交のあったようですね。「渡唐天神像」海門承朝賛(室町時代)曼殊院所蔵。「弁慶・昌俊図絵馬」(重文)長谷川等伯筆(桃山時代)北野天満宮所蔵。豊臣秀頼による絵馬舎創建当初の絵馬だそうです。
北野天満宮所蔵の太刀 銘 安綱(鬼切丸・髭切)は、平安時代中期(十世紀)、清和源氏の祖・源基経の嫡男である源義仲が、国を守るように勅宣を受け、それにふさわしい天下守護の太刀を、異国からきた刀工が八幡神の駕籠を受け作り上げたものと伝わる。その後は、足利泰氏(1216~70)から子の足利(斯波)家氏に伝わり、その後斯波氏の子孫である最上家が継承した。明治に入り最上家の手を離れるにあたって滋賀県令を勤めた籠手田安定(こてだやすさだ)と有志が力を尽くし、1880年(明治13年)に北野天満宮に奉納された。
大覚寺に所蔵されている源氏の重宝「膝丸」との伝承を持つ太刀。付属する「薄緑太刀伝来」記に、源満仲(みなもとのみつなか)は「鬚切」「膝丸」の二振りの太刀を所持したと記されている。安井門跡(蓮華光院)を中興した性演(しょうえん)から江戸時代前期-中期の高僧道恕(どうじょ)(1668~1733)へ継承されたとの記があり。明治に入り安井門跡が廃された際に御影堂などが大覚寺に移築され、この太刀も大覚寺に納められた。「口忠」と銘の一文字目が大きく破損しているのは、刀身を造った時の共鉄で造られた鉄鎺はばきの影響とされる。地鉄はよく詰んだ小板目肌で、直調に小足の入った小丁子・小互の目め交じりの刃文に淡く映が立つ。本品は作風から見て鎌倉時代の備前国古備前派の特徴が顕著であり、古備前派の中で2文字目に「忠」を用いる近忠や実忠、家忠を作者として想定することができる。しかしながら、近忠には在銘確実な作例が現存せず、本品との作風および銘振の比較検討ができないため、決定力を断じることはできないが、家忠の在銘作品と比較すると銘字の書体が極めて近しいため、おおよその作者像がつかめる。
このフロアでは写真が撮れます。次に「綱絵巻」(室町時代)東京国立博物館所蔵。
有名な源頼光の鬼(酒呑童子)退治の後日譚を描いた絵巻。頼光に仕えた四天王の1人である渡辺綱が主人公となり、羅城門に住む鬼や、頼光を病にした牛鬼を退治する。筋書きが似通う「羅城門絵巻」(前期展示)では退治に使われたのが「膝丸」と「髭切」であったとされ、清和源氏の名刀の由来として語られている。
写真撮影エリア以外にも展示物はあります。出口まで、まだまだ見ていきます。
「三十六歌仙図帖 1帖」(江戸時代)北野天満宮所蔵。「能面」(重要美術品)大飛出 徳若作(室町時代)東京 観世文庫所蔵。「浅黄糸威褄取鎧 兜付 立挙臑当 鎧唐櫃」(重文)(南北朝~室町時代)山口県 防府天満宮所蔵。「浅黄糸威鎧」(重文)(南北朝~室町時代)山口県 防府天満宮所蔵。「紫韋威鎧」(重文)(鎌倉時代)山口県 防府天満宮所蔵。「能面」大天神 寶来作(江戸時代)東京国立博物館所蔵。など。
展覧会を出て、次に売店へ。せっかく来たので何点か買って帰ります。
(上)「北野天神縁起絵巻(承久本)」巻第6(部分)北野天満宮所蔵、亀屋良長のお菓子。(下)「北野天神縁起絵巻(承久本)」巻第3(部分)北野天満宮所蔵、塩芳軒の落雁。
京都国立博物館を出て、七条通り出ないで「三井リパーク京都国立博物館前」に戻りました。精算すると8時45分~9時50分、600円で済みました。今日は、この近辺でのサツキの名所に寄って行きます。
この記事へのコメント
博物館でと、少し意外な気がしましたが、広々とした展示室で充実の展示だったのではないでしょうか。国宝「北野天神縁起絵巻」、一度は見てみたいです。
当時の日本人の精神性が臨場感を持って伝わってきそうです。
写真撮影可の展示室もあるのですね。じっくりと鑑賞してみたいものです。
京都国立博物館で北野天神展が発表されたときから行って見ようと思ってました。国宝の北の天神縁起が全巻見られるんですが、それを見ようとしたら何度か行く必要があるので無理でした。
最近の刀剣ブームでしょうか、写真が撮れる刀の展示エリアでは、皆さん写真を何度も角度をかえて撮られてましたね。