紫陽花咲く真言宗 智山派総本山 智積院へ
6月12日(金)は、5月28日(木)に行っている真言宗智山派 総本山智積院に行きました。
智積院に着く前、8時50分頃に京都国立博物館の前を通ると、行列が出来てました。6月14日(日)まで「北野天神」が開催中で、5月28日(木)に行ってます。その時と同じぐらいの行列でしたね。まもなく会期末のため混雑しているかなぁと思いましたが。
8時52分に智積院の駐車場に車を入れました。参考までに、ここは無料で止められます。



智積院は何度か来てますが、ここの紫陽花は見たことがありません。場所は金堂の裏手としか分かってなかったです。
とりあえず金堂に向かうことにして、駐車場から向かう途中に「桔梗(キキョウ)」が咲いてました。キキョウも早いかなぁ😊。
突き当たりが「金堂」です。場所は裏手と聞いてましたが、左手を行くのか右手を行くのか分かりません。
「金堂」ですがお参りは後程。先ずは左手(北側)に行ってみます。



金堂に着いて、左手を見たら「紫陽花(アジサイ)」が見えたので来てみました。ただ金堂の裏手には行けません。

それで金堂の南側に来てみました。こちらから金堂の裏手に行けるようですね、南側には「明王殿」がありますが寄りません。

ここが智積院の「あじさい園」のようです。入口は寄付箱があったので入れたいところ小銭が無かったので、あとで御朱印と宝物館に入ります。
金堂の裏手にある「あじさい園」には約500株の「紫陽花(アジサイ)」が植えられ、無料(維持協力金100円以上)で鑑賞できます。「あじさい園」は2012年(平成24年)に整備されたもので、まだ14年しかたっていません。以前は空き地でした。2021年(令和3年)も新たな背丈の低い「紫陽花(アジサイ)」が植えられたりしています。


初めて来ましたが「あじさい園」広いです。人も5名~6名程度来られてました。








智積院金堂の裏手の「紫陽花(アジサイ)」、色も品種も多彩です。ここの「あじさい園」を以前から知ってましたが、来年も来たいですね。






ここの「あじさい園」、思っていたより広くて、奥にも「紫陽花(アジサイ)」が咲いていたので行ってみます。





少しだけ階段を上がった先まで「紫陽花(アジサイ)」が咲いてました。ここから引き返します。





これで「あじさい園」を出て、金堂の正面に回り込んでに上がります。
智積院の金堂に歴史を感じないのは、鉄筋コンクリート制だからでしょう。ご本尊は「金剛界大日如来(こんごうかいだいにちにょらい)」でお参りさせて貰いました。
智積院の本堂にあたる金堂は、宗祖弘法大師生誕1200年記念事業として1975年(昭和50年)に14億円を投じて再建された鉄筋コンクリート造の建物。桂昌院の寄付によって1701年(元禄14年)に建てられた金堂は1882年(明治15年)に焼失し、100年近く金堂は無かった。金堂は再建建物とはいえ、コンクリート造の寺院建築としては最大規模の建築である。桃山時代の流麗壮大な建築様式が取り入れられている。大成建設の天野正樹を中心に設計された。

智積院ではあじさいと同時期に桔梗も見頃を迎えます。桔梗が植えられているのは金堂へと続く参道の両側です。
金堂の全面に青紫の桔梗を中心に、一部白い桔梗も植えられています。智積院の寺紋は桔梗だそうで、加藤清正公が祥雲寺(智積院の前身)の造営奉行を務めたため、家紋である桔梗紋を寺紋としてもらったことに由来します。桔梗の見頃は6月半ばから7月半ばまでなので、あじさいより長く楽しめそうです。
そして「あじさい園」のあと智積院の宝物館に向かいました。その前に納経所によって、特別御朱印をいただきます。
この日に智積院の紫陽花を見に来たのは、この御朱印をいただくためです。限定御朱印の第一弾は、限定200枚のため、8日(月)に終了となり、10日(水)から第二弾の授与を開始されました。
御朱印をいただいあと、目的の宝物館に行きました。ここの宝物館には、今年の1月14日(水)に「智積院のいのり」を見ています。

国宝の長谷川等伯の障壁画の展示は変わりません。手前の特別室の展示が1月14日(水)に来たときと変わってました。
拝観料は500円で、自販機でチケットを購入します。パンフは置いてあるので自分で取ります。リュックサックは無料のロッカーに預け入りました。
今回は「智積院境内の変遷~荘厳の美」として5月1日(金)~令和9年4月29日(木・祝)まで開催されます。館内は撮影禁止です。
入ると鎌倉時代作の釈迦如来坐像が安置されているので先ずはお参りです。「明治26年改修関係絵図」(明治時代)、「客殿方丈額字本書(方丈)」(江戸時代)、「水滴・筆架・人形」(明時代)、「青磁硯屏」(明時代)、「瀧図(瀑布図)」(南宋時代)、「古文書(絵図)」、「東福門院様旧殿拝領関係文書」(江戸時代)、「日誌」(明治時代)以上が企画展示室で見られたものです。
次に国宝障壁画展示室に入ります。ここでは大書院上段の間が再現されています。智積院の大書院は1947年(昭和22年)の火災により焼失し、翌年再建されました。1968年(昭和43年)に国宝障壁画の肖像庫が完成するまで間、「松に立葵図」は「上段の間」に、「楓図」「桜図」「雪松図」「松に秋草図」「松に黄蜀葵図」は大書院に収められていた。
最初は椅子に座って再現された「上段の間」を見てみます。ガラス越しですが、ここには「松に立葵図(まつにたちあおいず)」(国宝)が見られて、長谷川等伯一門の筆と考えられている。元は臼間だったものが再構築されたものと伝わる。
次が「松に黄蜀葵図(まつにとろろあおいず)」(国宝)で長谷川等伯の筆によるもの考えられる。こちらでは生い茂る松葉の下には黄蜀葵(トトロアオイ)や薄(ススキ)、芙蓉、菊の花なとが見られる。現在のものは大床に仕立て直す際に上部へ別の部分が継ぎ足され、本来の大きさから変わっている。
向きを変えて次は「松に秋草図」(国宝)で、こちらも長谷川等伯の筆によるものと考えられる。参考までに、今回のパンフの表紙は、この秋草図です。元は祥雲寺客殿の障壁画として飾られていた時と縦の長さがほぼ変わらないが、現在は屏風装であるが、引手跡が認められることから元は襖であったことが分かる。
「上段の間」の向かいに移動し左側から。こちらは「楓図」(国宝)で、長谷川等伯の筆によるもの。金地にまばゆいばかりの多彩な色を用いて描かれた大作。画面の一部に引手跡があり、かつては襖であったことが分かる。
右側に移動し「桜図」(国宝)は長谷川等伯の息子である久蔵の筆によるものされる。画面全体に咲き誇る八重桜は胡粉の盛り上げにより立体的に表現され、繊細な表現が目を引く。本作にも引手跡が残っている。
最後は「雪松図(ゆきまつず)」(国宝)で、長谷川等伯一門の筆と考えられている。左から右へと大きく伸びる松の幹や、生い茂る葉の上には薄ら雪が積もる。この作は、画面の右側に切り継ぎや貼り重ねが多く見られ、左から2面と3面も描写がわずかに連続していない。3両目を下げると描写が続くことから、上下に切り縮めが施されたことがうかがえる。
この国宝障壁画ですが、よくよく見ると画面の一部が連続していません。これは継ぎ合わせているためでしょう。1682年(天和2年)と1947年(昭和22年)の火災や1892年(明治25年)の盗難により多くを失っています。残された障壁画は絢爛豪華で見応え充分です。また時間をおいて見てみたいです。写真が撮れないのは残念ですが。
宝物館の向かいが駐車場です。ここを9時28分頃に出て行きました。今日は、あと一箇所寄って行きます。
この日の最高気温は、30.5℃と真夏日を記録。最低気温は、19.3℃と朝は過ごしやすいです。これが梅雨明けしたら熱帯夜が続くのでしょうね、今年も暑い夏になりそうで困ったもんです。地球温暖化は・・・。
智積院に着く前、8時50分頃に京都国立博物館の前を通ると、行列が出来てました。6月14日(日)まで「北野天神」が開催中で、5月28日(木)に行ってます。その時と同じぐらいの行列でしたね。まもなく会期末のため混雑しているかなぁと思いましたが。
とりあえず金堂に向かうことにして、駐車場から向かう途中に「桔梗(キキョウ)」が咲いてました。キキョウも早いかなぁ😊。
金堂の裏手にある「あじさい園」には約500株の「紫陽花(アジサイ)」が植えられ、無料(維持協力金100円以上)で鑑賞できます。「あじさい園」は2012年(平成24年)に整備されたもので、まだ14年しかたっていません。以前は空き地でした。2021年(令和3年)も新たな背丈の低い「紫陽花(アジサイ)」が植えられたりしています。
智積院の本堂にあたる金堂は、宗祖弘法大師生誕1200年記念事業として1975年(昭和50年)に14億円を投じて再建された鉄筋コンクリート造の建物。桂昌院の寄付によって1701年(元禄14年)に建てられた金堂は1882年(明治15年)に焼失し、100年近く金堂は無かった。金堂は再建建物とはいえ、コンクリート造の寺院建築としては最大規模の建築である。桃山時代の流麗壮大な建築様式が取り入れられている。大成建設の天野正樹を中心に設計された。
金堂の全面に青紫の桔梗を中心に、一部白い桔梗も植えられています。智積院の寺紋は桔梗だそうで、加藤清正公が祥雲寺(智積院の前身)の造営奉行を務めたため、家紋である桔梗紋を寺紋としてもらったことに由来します。桔梗の見頃は6月半ばから7月半ばまでなので、あじさいより長く楽しめそうです。
そして「あじさい園」のあと智積院の宝物館に向かいました。その前に納経所によって、特別御朱印をいただきます。
御朱印をいただいあと、目的の宝物館に行きました。ここの宝物館には、今年の1月14日(水)に「智積院のいのり」を見ています。
拝観料は500円で、自販機でチケットを購入します。パンフは置いてあるので自分で取ります。リュックサックは無料のロッカーに預け入りました。
今回は「智積院境内の変遷~荘厳の美」として5月1日(金)~令和9年4月29日(木・祝)まで開催されます。館内は撮影禁止です。
入ると鎌倉時代作の釈迦如来坐像が安置されているので先ずはお参りです。「明治26年改修関係絵図」(明治時代)、「客殿方丈額字本書(方丈)」(江戸時代)、「水滴・筆架・人形」(明時代)、「青磁硯屏」(明時代)、「瀧図(瀑布図)」(南宋時代)、「古文書(絵図)」、「東福門院様旧殿拝領関係文書」(江戸時代)、「日誌」(明治時代)以上が企画展示室で見られたものです。
次に国宝障壁画展示室に入ります。ここでは大書院上段の間が再現されています。智積院の大書院は1947年(昭和22年)の火災により焼失し、翌年再建されました。1968年(昭和43年)に国宝障壁画の肖像庫が完成するまで間、「松に立葵図」は「上段の間」に、「楓図」「桜図」「雪松図」「松に秋草図」「松に黄蜀葵図」は大書院に収められていた。
最初は椅子に座って再現された「上段の間」を見てみます。ガラス越しですが、ここには「松に立葵図(まつにたちあおいず)」(国宝)が見られて、長谷川等伯一門の筆と考えられている。元は臼間だったものが再構築されたものと伝わる。
次が「松に黄蜀葵図(まつにとろろあおいず)」(国宝)で長谷川等伯の筆によるもの考えられる。こちらでは生い茂る松葉の下には黄蜀葵(トトロアオイ)や薄(ススキ)、芙蓉、菊の花なとが見られる。現在のものは大床に仕立て直す際に上部へ別の部分が継ぎ足され、本来の大きさから変わっている。
向きを変えて次は「松に秋草図」(国宝)で、こちらも長谷川等伯の筆によるものと考えられる。参考までに、今回のパンフの表紙は、この秋草図です。元は祥雲寺客殿の障壁画として飾られていた時と縦の長さがほぼ変わらないが、現在は屏風装であるが、引手跡が認められることから元は襖であったことが分かる。
「上段の間」の向かいに移動し左側から。こちらは「楓図」(国宝)で、長谷川等伯の筆によるもの。金地にまばゆいばかりの多彩な色を用いて描かれた大作。画面の一部に引手跡があり、かつては襖であったことが分かる。
右側に移動し「桜図」(国宝)は長谷川等伯の息子である久蔵の筆によるものされる。画面全体に咲き誇る八重桜は胡粉の盛り上げにより立体的に表現され、繊細な表現が目を引く。本作にも引手跡が残っている。
最後は「雪松図(ゆきまつず)」(国宝)で、長谷川等伯一門の筆と考えられている。左から右へと大きく伸びる松の幹や、生い茂る葉の上には薄ら雪が積もる。この作は、画面の右側に切り継ぎや貼り重ねが多く見られ、左から2面と3面も描写がわずかに連続していない。3両目を下げると描写が続くことから、上下に切り縮めが施されたことがうかがえる。
この国宝障壁画ですが、よくよく見ると画面の一部が連続していません。これは継ぎ合わせているためでしょう。1682年(天和2年)と1947年(昭和22年)の火災や1892年(明治25年)の盗難により多くを失っています。残された障壁画は絢爛豪華で見応え充分です。また時間をおいて見てみたいです。写真が撮れないのは残念ですが。
この日の最高気温は、30.5℃と真夏日を記録。最低気温は、19.3℃と朝は過ごしやすいです。これが梅雨明けしたら熱帯夜が続くのでしょうね、今年も暑い夏になりそうで困ったもんです。地球温暖化は・・・。
この記事へのコメント
キキョウが素敵ですね。智積院には、学生時代に
一度お参りしたきりです。こんな素敵なアジサイ園が
ある事は知りませんでした。優しい色合いの紫陽花が、
よく手入れされたお庭に似合ってると思います。
智積院の紫陽花園は歴史浅いです。いつかは行ってみようと思いつつ、この日になりました。
思っていたより広くて、予想していたより多くの紫陽花が咲いてました。また来年も行ってみたいです。
キキョウは、まだ咲き始めでしたね。