京都随一の眺望 西国三十三ヵ所二十番札所 西山 善峯寺へ
西国三十三ヵ所二十番札所 西山 善峯寺では、境内の釈迦堂や薬師堂から京都市内を望め、その眺望は京都随一と言われている。今日は三鈷寺には行かないので北門から境内を散策します。
疲れていたら北門前から引き返しますが、今日は大丈夫です。ここからはずっと登りが続きます。

ここから先ほどまで居た「白山あじさい苑」を見ています。

北門からずっと登りが続いてて、ここで釈迦堂に至る階段まで来ました。
「釈迦堂」に8時50分に着きました。2021年(令和3年)1月11日(月)には、靴を脱いで堂内に入りお参りしました。
1885年(明治18年)の建立。合掌姿のお釈迦様は、ここより2㌔離れた釈迦岳(海抜650㍍)に安置されていた。昔から険しい山を登り御利益を得られたといいます。その後、1880年(明治13年)に下山され、1885年(明治18年)にお堂が出来ました。


ここからも眺望は楽しめますが、まだまだ凄い所があります。「紫陽花(アジサイ)」越しに京都市外地は見えました。
善峯寺はサツキでも知られています。この日は唯一、ここは綺麗に咲いてました。


ここには秋篠宮家悠仁親王さまのお印に選定された「高野槙(コウヤマキ)」が植えられていました。


釈迦堂から善峯寺の奥之院に向かいます。ここからは、かなりきつい登りが続きます。

その前に「稲荷社」があって、正一位稲荷大明神が祀られていました。



まだ登りの途中ですが、ここからも眺望は綺麗です。目立つのは「二デック本社ビル」ですね。高さ地上22階、100㍍もあります。
ここから上に見えている「けいしょう殿」向かいます。そこからは遮るものがないので眺望は素晴らしいです。

8時56分に「けいしょう殿」に着きました。桂昌院は、犬を寵愛していたようで一緒に仲良く座っています。


「けいしょう殿」の外に床几があって、しばらく座りました。写真は木と木の間に「ニデック京都タワー」が見えます。
「比叡山」は山頂隠れてます。手前には「大文字山」も見えてます。ここでは全面に遮るものが無いので強い風がまともに当たって気持ち良かったです。
湿気で霞んでいるので分かりませんが京都競馬場も見えた筈です。多分、石清水八幡宮も。大阪平野は、ここからは見えないです。
長いこと座ってましたね、15分ぐらいでしょうか、それまでに2組ほど来られたので、私は出て行きました。


最後の登りの階段です。この先に奥之院があります。この辺りは2025年(令和7年)10月24日(金)には「秋明菊」が綺麗でした。

「善峯寺奥之院 薬師堂」に着きました。本尊は薬師如来、1701年(元禄14年)建立です。1988年(昭和63年)現在の地に移築しました。桂昌院出生の由緒により出世薬師如来と云われています。

先ほどまで約15分座っていた「けいしょう殿」の屋根が見えています。一見すると雨が降りそうな空模様も降水確率は午前は0%です。




「善峯寺奥之院 薬師堂」の奥には「蓮華寿院旧跡庭」があって、2025年(令和7年)10月24日(金)には「秋明菊」が池の周りに咲き誇ってました。
源算上人は『妙法蓮華経』を一字三礼と6ヶ年無言の行によって写経され、この地に蓮華寿院を建立された。この旧跡は現在の薬師堂西側の地にあって、観性法橋、慈鎮和尚が住されて以降、道覚、慈道、尊円、尊道各親王が住まわれたことから「御所屋敷」と呼ばれていた。


ここを右手に行けば、善峯寺歴代の「青蓮院親王御陵」(宮内庁管轄)がありますが、今日は行きません。2025年(令和7年)10月24日(金)に来たとき行きました。


前途した所を左手に下って行った先には「青蓮の滝」があって寄りました。ここでは「名残のあじさい供養」として、剪定した紫陽花を滝の水面に浮かべられ、約1000以上の紫陽花の額で水面が覆われます。




9時24分に「釈迦堂」まで降りて来ました。ここを出たのが8時52分、約30分で戻ってきたことになります。

釈迦堂から下って「阿弥陀堂」まで来ました。1673年(寛文13年)の建立。本尊は宝冠阿弥陀如来。常行三昧(阿弥陀仏を讃えて極楽往生を願う勤行)道場にて常行堂ともいう。

阿弥陀堂から、急な階段を降りた右手には非公開の「本坊」がありますが、今日も門は閉まったままです。


行きは寄らなかった「経堂」まで来ました。驚いたことに扉が開いているので入ります。


「傅大士(ふだいし)像」が安置されてて、お堂の中を回れました。残念ながら「輪蔵」を回すことはできません。

今日は2025年(令和7年)10月24日(金)に来たときに、行くのを忘れてしまった所に、この階段を登って見に行きます。


その前に「鎮守社」に寄りました。右から「護法堂」、「毘沙門堂」、「弁財天堂」、「十三仏堂」と並んでおり、1692年(元禄5年)の建立。善峯寺守護のための祠である。


桂昌院廟の手前にあったのが「宝篋印塔」です。鎌倉時代、慈鎮和尚(慈円)により伝教大師筆を収めるために建立された重要な石塔です。
この参道の奥に「桂昌院廟」がありました。1705年(宝永2年)建立。桂昌院の遺髪を納めた廟所です。何度も来ている善峯寺ですが、ここには初めて来ました。







この「経蔵」の周りにも「紫陽花(アジサイ)」が咲き誇ってました。ここは穴場でしたね、人が殆ど居ません。
最初に見た国指定天然記念物の「遊龍の松」の先端です。行きは真ん中を見てました。樹齢は600年以上とか。




観音堂(本堂)まで降りて来ました。こちらは手前から「弘法大師堂」、「地蔵堂」、「地蔵堂」と並んでいます。


善峯寺にも「花手水」があります。ここに来る人は、必ず写真を撮って行かれますね😊。
私が、ここ「観音堂(本堂)」に降りて来たときは納経所に数人並ばれていました。ただ暫くすると誰も居なくなって、私は堂内に入ってお参りさせて貰いました。
本堂内陣は2つの厨子が並んでて、中央の厨子に安置されているのは平安時代、後朱雀天皇(第69代天皇)の勅命により東山にあった鷲尾寺(わしおじ)から遷座された本尊の千手観世音菩薩像が。右側の厨子に安置されているのが善峯寺の開山となった源算上人(げんさんしょうにん)自刻の千手観音像が。2躰の観音像はともに秘仏。開山一千年の2028年(令和10年)に本尊とともにご開帳の予定となっている。
ここの次に行く店が10時開店のため、ここで暫く時間調整しました。この横にトイレはあります。
この休憩所には賓頭盧さんが祀られてました。痛いとこをさすってお参りしました。お賽銭も😊。


9時48分に善峯寺の「山門(楼門)」を出ました。来る時には空いていた駐車場は、多くの車が止まってました。
今日は、拝観ではありませんが寄りたい所があるので、ここから向かいます。
帰りに寄ったのは高島屋洛西店です。今年の8月3日(月)で閉店するので来てみました。
何度か来てますが、1階の食料品店を回りました。規模は小さいですが、高島屋京都店と出店されているは同じです。時々来ていたので閉店されるのは残念ですね、閉店までに後一回は来てみたいです。
1885年(明治18年)の建立。合掌姿のお釈迦様は、ここより2㌔離れた釈迦岳(海抜650㍍)に安置されていた。昔から険しい山を登り御利益を得られたといいます。その後、1880年(明治13年)に下山され、1885年(明治18年)にお堂が出来ました。
源算上人は『妙法蓮華経』を一字三礼と6ヶ年無言の行によって写経され、この地に蓮華寿院を建立された。この旧跡は現在の薬師堂西側の地にあって、観性法橋、慈鎮和尚が住されて以降、道覚、慈道、尊円、尊道各親王が住まわれたことから「御所屋敷」と呼ばれていた。
本堂内陣は2つの厨子が並んでて、中央の厨子に安置されているのは平安時代、後朱雀天皇(第69代天皇)の勅命により東山にあった鷲尾寺(わしおじ)から遷座された本尊の千手観世音菩薩像が。右側の厨子に安置されているのが善峯寺の開山となった源算上人(げんさんしょうにん)自刻の千手観音像が。2躰の観音像はともに秘仏。開山一千年の2028年(令和10年)に本尊とともにご開帳の予定となっている。
今日は、拝観ではありませんが寄りたい所があるので、ここから向かいます。
何度か来てますが、1階の食料品店を回りました。規模は小さいですが、高島屋京都店と出店されているは同じです。時々来ていたので閉店されるのは残念ですね、閉店までに後一回は来てみたいです。
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