臨済宗 天龍寺派 等持院庭園の半夏生が白く色づく
元離宮二条城の第一駐車場を出ると竹屋町通りに出ます。車は竹屋町通りにしか出られないので西に進むと突き当たるので右折し美福通りを北上し、丸太町通りに出ます。車は左折し西へ道なりに進むと千本通り、西大路通りを通過し馬代通りを右折し北上。嵐電北野線を越えると北上し角に桜谷文庫住宅があるので、西に入り笹屋町通りを進むとほどなくして等持院と書かれた大きな看板があるので、右折し「山門」を入り「中門」を通過し9時43分に着いたのが臨済宗 天龍寺派 等持院でした。最近では先月にサツキを見に5月25日(月)に来てました。
今日、等持院に来たのはSNSで「半夏生(ハンゲショウ)」が見頃になったと発信されていたから。京都で「半夏生(ハンゲショウ)」と言えば建仁寺 両足院でしょう。今年は両足院に行く機会が無いので、等持院に来てみました。
私が駐車場に車を止めたときに、「表門」からお二人の方が出て来られました。いつも空いている等持院ですが、この時間ではガラガラは無理でしょう。
私が「表門」を入るとすれ違いにお一人の方が出て来られました。「半夏生(ハンゲショウ)」でも見に来られたのかなぁ。

靴を下駄箱に預け上がります。左手にある拝観受付所で拝観料600円を納め堂内へ。
受付で拝観ルートを案内されますが、何度もきているので書院から先に庭に降ります。スリッパを見ると誰も庭に居ないような・・・。

先ずは「芙蓉池」越しで茶室「清漣亭(せいれんてい)」を撮りました。5月25日(月)にサツキの花が咲き誇ってましたが・・・。
「半夏生(ハンゲショウ)」は心地池の周りにありますが、先に茶室「清漣亭(せいれんてい)」に向かいます。

茶室は小高い所にあるので上から書院と方丈を見ています。この時間に来ても空いてて良かったです。ただ帰る頃には一変するんですが・・・?。

茶室横にある「司馬温公形手水鉢(しばおんこうがたちょずばち)」です。昔の中国(北宋)の政治家である、司馬温公(しばおんこう)が、子供の時に水甕にはまって溺れかけた友達を石で高価な甕を割って助けた故事にちなんで名付けられたものだそうです。

茶室「清漣亭」の前に、「等持院型石灯籠」があります。竿は四角形、中台は六角形で、火袋に日月文様が穿ってあります。茶室から少し下って撮ってみました。


茶室「清漣亭(せいれんてい)」から再び「書院」前まで降りて来ました。ここから「半夏生(ハンゲショウ)」がある心地池に向かいます。


心地池の手前にある「足利尊氏公のお墓」に寄りました。室町幕府初代将軍の宝篋印塔がそれです。台座には足利尊氏の命日、延文3年4月30日の文字「延文三年」、左に「四月三十日」が書かれています。



心地池に着いてみると、鮮やかに色づいている「半夏生(ハンゲショウ)」がありました。何度か見てますが、今年のは別格に綺麗です。








心地池の「半夏生(ハンゲショウ)」は、ここまでです。あと心地池を一周します。天気も曇ってて写真にはちょうど良かったですね。


この辺りは、アヤメが咲くですが、そこに少しだけ色づいている「半夏生(ハンゲショウ)」を見つけました。



心地池を歩いて行くと、何処からかカメが、こちらに向かった泳いで来ました。餌でも欲しかったのかなぁ。諦めて直ぐ何処か行きましたが。
この花「ネジバナ(モジズリ)」といい、アジアからオーストラリアまで広く分布。この花は「右巻き」と「左巻き」があるそうです。それを知ったのは、翌日に行く京都府立植物園でした😊。

こちらは心地池の池畔に咲いていた、多分「クチナシ」の花でしょう。




ここで心字池に突き出た「蓬莱島」に入ります。ここにはかつて「妙音閣」がありましたが、1950年(昭和25年)にジェーン台風により倒壊し、今は礎石しか残っていません。


蓬莱島から苑路に戻りました。そして右手に見えて来たのが足利家15代供養塔の「十三重塔」と、その左横には、赤松柳史の高弟 青山柳為句碑「芙蓉池に風あるやなし 落下舞ふ」と書いてありました。

その先には、「臨済宗天龍寺派管長 関牧翁胸像」(左)と「中興天龍牧翁和尚大禅師」(右)がありました。



再び、心地池の「半夏生(ハンゲショウ)」が見える所まで戻って来ました。それより、何だか騒がしい音が何処からか聞こえて来ます・・・。


書院に上がり、抹茶とお菓子をお願いました。抹茶が来るのを待っていると、外国人観光客の皆さんが入って来られました。約10名程度でしょうか、日本人のガイドさんが連れて来られたようです。

ここのは「京菓子司 笹屋守栄」さんのお菓子です。暑い時期になると抹茶の他に、冷たい梅昆布茶もありますが、今日は抹茶にしました。
このあと方丈裏を通って、次に「霊光殿」に入りました。ここは撮影禁止のため写真はありません。
正面には、室町幕府初代将軍・足利尊氏公が日頃信仰されていた地蔵尊(弘法大師空海作)を本尊に左右に達磨大師像と夢想国師像が祀られてます。次に向かって右から若き日の徳川家康(東照大権現)坐像から、歴代足利将軍木像の室町幕府初代将軍足利尊氏(等持院殿)坐像、2代将軍義詮(よしあきら)(宝筐院殿)坐像、3代将軍義満(鹿苑院)坐像、4代将軍義持(勝定院殿)坐像、6代将軍義教(普広院殿)坐像、7代将軍義勝(慶雲院)坐像、8代将軍義政(慈照院)坐像、9代将軍義尚(よしひさ)(常徳院)坐像、10代将軍義稙(よしたね)(恵林院殿)坐像、11代将軍義澄(よしずみ)(法住院殿)坐像、12代将軍義晴(萬松院)坐像、13代将軍義輝(光源院)坐像、15代将軍義昭(霊陽院)坐像が安置されています。 なお、5代将軍義量(よしかず)(長得院殿)、14代将軍義栄(よしひで)(光徳院)は、ありません。
次に方丈に向かいます。先の外国人観光客の皆さんは庭園を散策されてるみたいです。ただガイドさんは書院に残ったままでした。



順序は逆ですが、最後に「方丈」に入ってお参りしました。室内は撮影禁止です。本尊は「釈迦牟尼仏」が祀られています。ただ玄関から賑やかな声が聞こえてきて・・・。
賑やかな声の主は、外国人観光客の皆さんでした。先ほどとは違う団体さんで10数名来られてたようです。


等持院には観光バスは入れません。それで自転車で来られたようです。そう言えば以前、お寺の方から聞いた話で「10時頃には多くの外国人観光客の皆さんが来られます」と。
10時20分に等持院の駐車場を出ました。ここの「半夏生(ハンゲショウ)」は、ここ最近では一番綺麗でした。
私は何度か来ているので慣れてますが、初めて来られる方は、ここは迷うでしょう。外国人観光客の皆さんも仁和寺、龍安寺、金閣寺を結ぶ「ぬかけの路」から離れているので、今までは来られる方は少なかったです。このようにガイドさんに連れられてこれる方が増えてくるかも知れません。今日はこれで帰りました。
今日、等持院に来たのはSNSで「半夏生(ハンゲショウ)」が見頃になったと発信されていたから。京都で「半夏生(ハンゲショウ)」と言えば建仁寺 両足院でしょう。今年は両足院に行く機会が無いので、等持院に来てみました。
正面には、室町幕府初代将軍・足利尊氏公が日頃信仰されていた地蔵尊(弘法大師空海作)を本尊に左右に達磨大師像と夢想国師像が祀られてます。次に向かって右から若き日の徳川家康(東照大権現)坐像から、歴代足利将軍木像の室町幕府初代将軍足利尊氏(等持院殿)坐像、2代将軍義詮(よしあきら)(宝筐院殿)坐像、3代将軍義満(鹿苑院)坐像、4代将軍義持(勝定院殿)坐像、6代将軍義教(普広院殿)坐像、7代将軍義勝(慶雲院)坐像、8代将軍義政(慈照院)坐像、9代将軍義尚(よしひさ)(常徳院)坐像、10代将軍義稙(よしたね)(恵林院殿)坐像、11代将軍義澄(よしずみ)(法住院殿)坐像、12代将軍義晴(萬松院)坐像、13代将軍義輝(光源院)坐像、15代将軍義昭(霊陽院)坐像が安置されています。 なお、5代将軍義量(よしかず)(長得院殿)、14代将軍義栄(よしひで)(光徳院)は、ありません。
私は何度か来ているので慣れてますが、初めて来られる方は、ここは迷うでしょう。外国人観光客の皆さんも仁和寺、龍安寺、金閣寺を結ぶ「ぬかけの路」から離れているので、今までは来られる方は少なかったです。このようにガイドさんに連れられてこれる方が増えてくるかも知れません。今日はこれで帰りました。
この記事へのコメント