初夏の庭を見に臨済宗南禅寺派 瑞巌山 圓光寺へ
金福寺を出て、次に向かったのが2022年(令和4年)5月19日(木)以来、来てなかった臨済宗南禅寺派 瑞巌山 圓光寺です。


9時30分に圓光寺の山門前に着きました。この近くに詩仙堂がありますが、今日は行きません。

圓光寺は京都では屈指の紅葉の名所です。紅葉特別拝観は混雑を避けるため、日時指定事前予約制とされます。ただし空きがあれば当日予約もできますが・・・。
この山門を入った右手に拝観受付所があって、拝観料800円を納めます。御朱印をいただくかどうか帰るまでに考えることにして先を急ぎます。
圓光寺は、臨済宗南禅寺派の寺院で、開山は、三要元佶(さんようげんきつ)(閑室)禅師、開基は徳川家康。1601年(慶長6年)徳川家康は、国内教学の発展を図るため、下野足利学校九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とし、僧俗を問わず入学を許した。また孔子家語(こうしけご)・貞観政要(じょうかんせいよう)など多くの書籍を刊行し、これらの書物は伏見版または圓光寺版と称された。圓光寺には、出版に使用された木活字が現存しており、我国出版文化史上特筆すべき寺院であった。その後、圓光寺には相国寺山内に移り、さらに1667年(寛文7年)に現在の一乗寺に移転された。堂内には、本尊千手観音像(伝運慶作)、日本最古の木製活字五万千個(重文)、竹林図屏風六曲(円山応挙作・重文)などがある。庭園は山門を上がると枯山水の奔龍庭(ほんりゅうてい)が広がり、さらに中門を抜けると苔と紅葉の美しい十牛之庭がある。円山応挙の描いた竹林、水琴窟、栖龍池(せいりゅうち)とともに洛北の静寂さを醸し出している。また境内には徳川家康公の歯を埋葬した東照宮、花の生涯のヒロイン村山たか女、南方特別留学生サイド・オマール氏(マレーシア王族の出身で広島で被爆、その後京都にて死去)の墓がある。





石段を上がると最初に目にするのは、枯山水の「奔龍庭(ほんりゅうてい)」です。渦を巻き、様々な流れを見せる白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組みで表している。

こちらは平成の枯山水庭園で、伏見の藤井造園さんが作庭されたようです。龍の頭部と背中付近に聳える石柱は、かつてここにあった井戸の部材が使われているとか。

次に「中門」を入って庭園に入りますが「玄関」に襖絵があって、渡辺章雄(1949~)作の琳派彩還襖「四季草花図」が見られました。

庭園に入って「方丈」を見ると誰も居ません。この時間に来てるのにラッキーです。このあと方丈に上がります。
方丈に上がる前、こちらも「桔梗(キキョウ)」が咲いてました。数は少なく、ここだけでしたが。

こちらは「水琴窟」です。仕組みは分かりませんが心地よい良い音が聞こえて来ました。
靴を脱いで上がった先が「本堂」です。暗くて見えませんが、ご本尊千手観世音菩薩坐像(伝運慶作)・開山元佶禅師頂相(重文)が祀られているのでお参りしました。
ご本尊の向かって左の襖絵は、富岡鉄斎(1837~1924)筆「米點(べいてん)山水図」で、1885年(明治18年)に紅葉の圓光寺を訪れて描いたものです。
向かって右手の襖絵は、渡辺章雄(1949~)筆「瑞風青栖竹(ずいふうせいせいちく)」と書いてありました。

本堂から次にお隣の「書院」に入ります。この書院から庭園の「十牛之庭」を見渡せます。
「十牛之庭」は、秋には真っ赤に染まるのでしょう、今は青モミジが綺麗です。


この「十牛之庭」は、後ほど庭に降りて散策します。牛を追う牧童の様子が描かれた「十牛図」を題材に、近世初期に作庭されました。



ガラス越しに見ているのは、書院路地に通じる茶室「待月庵(たいげつあん)」で、通常は非公開です。明治時代の元勲岩倉具視がよく使用したと伝わります。
最後に、書院の中に茶室があって、そこに絵の展示がありました。阿海(A Hai)さんと書いてあって、1963年(昭和38年)南京生まれの画家だそうです。




本堂を出て、「十牛之庭」を巡ります。こちらの句碑は、境内近くに住んでいた岡部伊佐さんの俳句「日おもてに 空を透かせて 冬もみぢ」と書いてあります。


綺麗な青モミジを見ながら歩いて行くと庭園南側には洛西最古の泉水「栖龍池(せいりゅうち)」があって、先日たちはここからの眺めを絶景として褒め称えたという。



「十牛之庭」を離れて少しだけ上った先には「鐘楼」が左手に見えます。
次に向こうに見えている階段を登り徳川家康公の墓や東照宮、展望所まで行ってみます。


結構なきつい階段を登り上まで来ました。登り切ると東照宮の鳥居がありました。

こちらが徳川家康公の遺命により「歯」が埋葬されたと伝わる「東照大権現の墓」です。


隣が東照大権現を祀る「東照宮」です。そして、ここから振り返ると京都市外を一望でき・・・。



今日は、行ける所まで行って見ようと思い、ここまで来ましたが、どうも突き当たりのようで、ここから引き返しました。


眺望は、写真右から「舟形」、「愛宕山」、「左大文字」は見えます。金福寺同様、眺望も綺麗でした。
ここまで来ると誰も居ないので、正直怖かったです。これだけクマのニュースを連日聞いていると、居ないのは分かったてても。


案内が出ていたので行ってみました。マレーシア留学生のサイド・オマール氏は、マレーシア王族の出身で広島で被爆。その後、京都にて死去されました。
武者小路実篤が碑文が書いてあったので読みました。「オマール君 君はマレーからはるばる日本の広島に勉強しに来てくれた。それなのに君を迎えたのは原爆だった。嗚呼実に実に残念である。君は君の事を忘れない日本人のあることを記憶していただきたい。」と。

先ほど訪れた金福寺が村山たか女の終焉の地でした。「村山たか女の墓」は、ここ圓光寺にあります。
ここから降りる前に句碑があって、「坂道をのぼり来たりて月読の 光あまねきに打たれ佇つかも」国崎 望久太郎(くにさき もくたろう)のものでした。
帰りは竹林を通ります。この竹林を圓光寺では「応挙竹林」と呼ばれています。夏場でも暗いので心地良い風が吹き抜けます。




圓光寺では、この竹林をこのように紹介されています。圓光寺を訪れた若き絵師円山応挙は、後年に、ここの竹林をモチーフに「雨竹風竹図」(重文)を書きあげ納めたそうです。
先ほど、洛西最古の泉水「栖龍池(せいりゅうち)」と紹介した池です。行きは向かい側を通りました。

再び書院に戻ると2組来られてました。ここから、奥にある「坐禅堂」に寄りました。内部を覗くと壁に向かって坐禅する曹洞宗と違って、臨済宗らしい造りになってます。
再び「書院」に戻り汗を拭います。登りがきつかったので水分も補給し、汗が引いたところで出て行きました。
最初「玄関」出見た襖絵を横から見ています。渡辺章雄(1949~)作の琳派彩還襖「四季草花図」です。


本堂を出て、「十牛之庭」にカラスの鳴き声がうるさかったので探しました😊。見上げたら居ましたね。写真も撮れました😊。

庭園を出て、寺宝が見られる「瑞雲閣」があったので入りました。ここは無料で見られます。

先ほど「応挙竹林」に行きましたが、その竹林をモチーフにされたのが円山応挙(1733~1795)筆、紙本墨画「雨竹風竹図」六曲屏風一双(重文)でした。
渡辺始興(1683~1755)筆の「松下寿老人図」で、1742年(寛保2年)に描かれたようです。
圓光寺の開基である江戸幕府初代将軍徳川家康公より拝領の「皆具硯筐(かいぐすずりばこ)」のようです。
江戸時代初期の狩野安信(1614~85)によって小栗宗舟筆と認定された「山水図」。宗舟(1413~81)は室町幕府側近の画家として中心的存在であったようです。
こちらは約400年前の圓光寺に伝わる木活字「伏見版木活字」(重文)だそうです。徳川家康が足利学校庠主(校長)であった閑室元佶に京都伏見の圓光寺において漢籍印刷を行われたもの。


帰り、山門近くにある「淡桜庭」に寄りました。春になると河津桜、紅枝垂れ桜など約30本が咲くそうです。一度は見てみたいです。
帰る前に拝観受付所に寄って、夏バージョンの書き置き御朱印をいただきました。
10時17分に圓光寺を出ました。ここから直ぐの詩仙堂には行きません。
一乗寺釈迦堂パーキングに戻り精算すると8時48分~10時21分、500円で済みました。車を出して白川通りに向かって歩いて行くと、中谷の駐車場が空いていたので止めました。
この一乗寺に来たら必ずに寄る中谷です。和菓子も洋菓子も美味しいのでお土産買って帰りました。
京都市内でキキョウが見られる寺院を探すと、いろいろあります。あと一箇所、キキョウの有名な寺院があるので、いずれ行ってみようと思ってます。今日は、ここから外食もせず帰りました。
追記、7月11日(土)の11時40分、圓光寺付近で、観光ツアーのガイドからクマを目撃したとの通報があった。左京署が周辺をパトロールし、注意を呼び掛けている。左京署によると、ガイドがクマを目撃したのは10時40分ごろで、大人ほどの大きさのクマ1頭が、圓光寺の境内付近から山の方へ逃げていったのを見たという。現場で足跡などは確認されなかった。との記事が出ました。やっぱりクマ居たや。
圓光寺は、臨済宗南禅寺派の寺院で、開山は、三要元佶(さんようげんきつ)(閑室)禅師、開基は徳川家康。1601年(慶長6年)徳川家康は、国内教学の発展を図るため、下野足利学校九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とし、僧俗を問わず入学を許した。また孔子家語(こうしけご)・貞観政要(じょうかんせいよう)など多くの書籍を刊行し、これらの書物は伏見版または圓光寺版と称された。圓光寺には、出版に使用された木活字が現存しており、我国出版文化史上特筆すべき寺院であった。その後、圓光寺には相国寺山内に移り、さらに1667年(寛文7年)に現在の一乗寺に移転された。堂内には、本尊千手観音像(伝運慶作)、日本最古の木製活字五万千個(重文)、竹林図屏風六曲(円山応挙作・重文)などがある。庭園は山門を上がると枯山水の奔龍庭(ほんりゅうてい)が広がり、さらに中門を抜けると苔と紅葉の美しい十牛之庭がある。円山応挙の描いた竹林、水琴窟、栖龍池(せいりゅうち)とともに洛北の静寂さを醸し出している。また境内には徳川家康公の歯を埋葬した東照宮、花の生涯のヒロイン村山たか女、南方特別留学生サイド・オマール氏(マレーシア王族の出身で広島で被爆、その後京都にて死去)の墓がある。
武者小路実篤が碑文が書いてあったので読みました。「オマール君 君はマレーからはるばる日本の広島に勉強しに来てくれた。それなのに君を迎えたのは原爆だった。嗚呼実に実に残念である。君は君の事を忘れない日本人のあることを記憶していただきたい。」と。
江戸時代初期の狩野安信(1614~85)によって小栗宗舟筆と認定された「山水図」。宗舟(1413~81)は室町幕府側近の画家として中心的存在であったようです。
帰る前に拝観受付所に寄って、夏バージョンの書き置き御朱印をいただきました。
一乗寺釈迦堂パーキングに戻り精算すると8時48分~10時21分、500円で済みました。車を出して白川通りに向かって歩いて行くと、中谷の駐車場が空いていたので止めました。
京都市内でキキョウが見られる寺院を探すと、いろいろあります。あと一箇所、キキョウの有名な寺院があるので、いずれ行ってみようと思ってます。今日は、ここから外食もせず帰りました。
追記、7月11日(土)の11時40分、圓光寺付近で、観光ツアーのガイドからクマを目撃したとの通報があった。左京署が周辺をパトロールし、注意を呼び掛けている。左京署によると、ガイドがクマを目撃したのは10時40分ごろで、大人ほどの大きさのクマ1頭が、圓光寺の境内付近から山の方へ逃げていったのを見たという。現場で足跡などは確認されなかった。との記事が出ました。やっぱりクマ居たや。
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